四十三 短いの、至る
「あぁら、清輝さま」
話の中で巧みに娘の居場所を聞き出すところ、勢い余って本音が出てしまった。しかし、そこのところは花江と追儺、予めこういうこともあろうかと、かねてより用意してあった言い訳がある。
「上方の廓言葉ではありませんか。寧君の御世になって以来、一つの町に一つの廓ができましたでしょう。廓言葉も増えてきて、伏見城下の追儺太夫の言葉遣いを、このころの女は競って真似をしているのじゃありませんか」
「む、其の方、たしか茶釜の作り手である仙人も追儺と……」
こうなればもうやけっぱちである。
「はい。なにを隠そう追儺太夫は追儺仙人の元で引っ込み禿をなさったとかで、新造出しの折に名を頂いたとか。上方ではよく知られた話ですから、通人の清輝さまともあろう方が、まさか……」
「おお、そうであったな。むろん知っておるとも」
通人とまで言われては、清輝、知らぬと言うわけにはゆかない。図らずも話の流れが変わったことも手伝って、花江のぶった与太話に思わず頷いてしまったのである。
さて、花江にとってはまた一難去ったあとの一難。それまでずっと火にかけられたままであった茶釜が、あろうことか「熱ッ」と叫んでしまったのである。
声の大きさが大きさであったため、少々耳の遠くなった家老はともかく、小栞侯の耳には明瞭に届いてしまった。気味悪そうな顔で眉を寄せ、茶釜を見つめている。
花江は心の中で「慶吾にょ馬鹿」と罵るが、何より先にまず、この場を取り繕わねばならない。さらに悪いことに、このような災難は予見していなかったため、なんの手も用意していなかった。ここはどうあっても、花江一人の機転で切り抜けなければならない。
「もしや清輝さま……茶釜の声をお聞きになったのではありませんか?」
「ううむ、奇怪なこともあるものだ。今この茶釜が、確かに熱いと申したのを聞いたが」
こういうときこそ、より落ち着かねばならぬ。覚悟を決めて、三毛猫花江は一か八かの賭けに出た。
「それはめでたきこと。これは仙人の作った茶釜になりますれば、使う者の真髄を見極め、真に茶の道に通じる者のみに届く声を発し、導くと」
「す、すると余が、真の茶の道に通じているということに……」
「然様でございます」
生真面目に花江が同意するや、清輝は顔中に相当気色の悪い、勝ち誇った笑みを湛えた。
妖狐襲来で棚から転がり落ちてきた、ぼたもちならぬ大名の座。美玉の目が怖くて年貢こそ上げられなかったものの、家臣の多くをお役御免にして安く妖怪どもを召抱えたため、懐は潤った。あとはこのまま、己の道――風流の道を突き進むのみである。豪奢な茶室を増やし、見栄えのよい池を作らせ、粋を追い求めたかいがあったというもの。
――という笑みである。清輝は茶釜の言葉に導かれるまま、自らの袖を取っ手に絡めて炉から下ろした。のみならず、手ずから扇子で扇ぎだす始末。茶釜様様のありようである。
清輝の物欲しげな顔を見て、花江はさらなる妙案を思いついた。この間抜け狒々爺が、ひと言「茶釜がほしい」とさえ言ってくれれば、仕掛けてみる価値はある。そう思って舌なめずりをする。
花江が人の姿を得たいがために断った、鼠獲り。灰色でよく肥えた鼠を獲ることはこの先二度と再び叶うまいが、脂ぎった助平な鼠は自ら花江の懐へと飛び込んで――
「なにやらこの茶釜、ほしゅうなってきたの」
来た。こうなってしまえばもう、花江の独擅場である。
「この茶釜が清輝さまを、真の茶の道に通じる者と認めたからには、差し上げることやぶさかではございませんが……」
「なんと、くれると申すか!」
「一つ、難題がございます」
薬売は、下直を売りにする者よりも、多少強気な商いをする者が稼げるというのは、商人であれば誰でも知っている。ほしいものが安く手に入るのは結構なことだが、ある程度の値がついていたほうが、なにやら効くような気がするものらしい。ただでくれてやるより、多少渋って見せるくらいがよいのだと、店向の飼い猫十四年の花江は心得ている。
「なんだ、金か?」
「そのようなものではございません」
「苦しゅうない、申してみよ」
思わずしたり顔になるのを隠すため、花江は頭を垂れて見せる。
「この茶釜、重ねて申し上げますとおり、仙人が作り上げた、この世に二つとない逸品。もはや単なる茶道具ではなく――」ここで花江、膝を進めて清輝の脂っこい顔へ己の顔を寄せ、耳元で囁く。「命を宿しております」
「な、なんと。いや、しかし、たしかにそうでなければ、言葉を発することなどできぬ」
「生き物であれば、生きるために糧を要します。その糧というのが……」
「な、何だ。勿体ぶらずに、申せ」
「はい。実はこの茶釜、秘事を糧と致しますのにゃ」
すると口を開いたままの間抜け面で、清輝は「秘事」と呟いた。
「餌付にはまず、人払いをなさったほうがいいでしょう。そのうえでこう、茶釜を両手に捧げ持ち、中に向かって秘事を囁くのです。なんでも、それが重大であればあるほどよいとか」
「案ずるな、花江とやら。余とて五万石の大名よ、探られたくない腹の一つや二つは持ち合わせておるわい。決してこの茶釜を餓えさせることなどないと約束するゆえ……」
そこは大物ぶって請け負い、品の悪い笑みを向けて頷く清輝。
こうして追儺仙人作玉鋼の茶釜は、小栞侯北条清輝の手へと渡ったのであった。
花江が御前を辞すなり、清輝は警護の侍、家老らを急かして下がらせ、茶室に一人閉じこもった。もう堪える必要もないため、ぐふぐふと下品な笑い声を存分に立てつつ茶釜へとにじり寄る。なめくじのような舌で厚ぼったい唇を舐め回して、教えられたとおりに茶釜を手に取り、一つ咳払いをした。
「茶釜殿、茶釜殿」
言ってから、楽しくてたまらなくなったらしく、またもや下卑た笑い声を漏らした。
「茶釜殿、余の秘事を馳走させて進ぜよう。そうだな、まずは……」華美にしたいところを家老に止められたため殺風景な茶室を見回し、清輝が言う。「なにを隠そう、齢十三になっても寝小便が治らなかったわい」
誰が見ているわけでもあるまいに頬を染め、舌が回る限りの早口であった。年頃の娘であればいざ知らず、猪の如き爺が照れても見苦しいだけである。
「それから……うむ。四年前の坊主殺しだが、あれは余の倅の仕業だ。折りよく喧嘩で捕えていた痩せ狼士めに、上手く罪を被せて事なきを得たが、さすがに肝を冷やしたわい」
清輝の語る「秘事」は行きつ戻りつしながらも、次第により重大で悪辣なものへと迫ってゆく。
この大名、裏ではあこぎな真似ばかりしているようで、玉鋼の茶釜――化け狸の慶吾は、聞いている傍から胸が悪くなってくる。そのうえ、一つ秘事を明かすたびに茶釜の底――つまり尻を撫で回すのを止めないので、気色まで悪くなる。なんとか早く、肝心の留学騒動に関わる秘事を吐き出してはくれぬものかと、祈るような気持ちになったとき。
「とっておきの秘事じゃ」
慶吾は茶釜の全身を耳にする心持ちで、続く言葉を待ち受けた。
「町人百姓から若い娘を募って西の国へ留学させるという触れ込み、実は西の国の血吸い鬼へ献上する生き血を搾り取るためよ」
えらいことじゃ。
思わず変化の術を解かなかったのは褒めてやらねばなるまいが、慶吾の胸中はたちまちお雪の安否で占められてしまった。清輝は得意げに、血吸い鬼を小栞に召抱えて美玉に取り入り云々と語り続けていたが、今はほかのことへ考えが回らない。とにかく、一人になって気持ちを落ち着けたかった。少なくとも、撫で回されるのだけは是が非でも止めてもらわねばなるまい。
慶吾は思い立ち、低めた声を間延びさせ、
「腹ァ満ィつ」
と調子をつけて唸った。
とたんに清輝は、脂で照り輝く顔をさらに輝かせ、跳ねるようにして立ち上がった。秘事の吐露により、この茶釜を満足させることができたと思い込んだのであろう。鼻息を荒馬の如くにし、茶釜を風呂敷に包んで丁重に木箱へしまいこむと、それを抱きかかえて茶室をあとにした。




