三十二 長いの、与太者らと額を突き合わす
「おう、おまえは……」旧知にでも出会ったように親しげに言ってから、雅寿丸は首を捻った。「……どこで会ったかなあ。どこかで会ったよな」
「昨日だ昨日。俺と晋八がどこぞの親父を強請ってたのを邪魔しやがったじゃねェか」
「思い出した思い出した。それでおまえ、なんでこんなところにいる?」
「このくそ野郎、寝惚けやがって」鯔背銀杏の与太者は地団駄を踏んで叫んだ。「ここは俺らの縄張りだから、なんでも蜂の頭もねェんだよ。てめェこそなにしに来やがった」
「うむ。少々尋ねたいことがあってな。それはそうとおまえ、昨日の着物は拾って帰ったろうな? 着る物を粗末にしちゃあいかんぞ」
言って笑う雅寿丸。
与太者は茹で上がったばかりの蛸のような顔をしている。
置き去りにされたまま二人に挟まれている小男は、与太者をつついて声を低めた。
「おい、なにモンだ?」
「妙な剣術をつかう野郎だ、気をつけろよ。よくは知らねェが腕は立つみてェだから、ことを構えたくはねェ」
「ったく、こちとらそうじゃねェかと気ィ利かしてんのに、てめェがしゃしゃり出てきやがって。こうなりゃ話だけ聞いて、とっととお引取り願おうぜ」
鼬の物の怪である雅寿丸には丸聞こえであることも知らず、話がまとまったらしい与太者らは揃って向き直る。二人の顔には、妙にへりくだった表情が。
「それで、なにが知りてェんだ?」
と猫なで声。
「おう、かたじけない。聞きたいのは、小栞侯の行なっている留学とやらについてだ」
「そりゃあこっちが聞きてェや」
と言う小男は、先ほどまでとは打って変わり、声を落として額を寄せてくる。昨日の与太者も、小難しい顔を作って加わった。
こうして賭場の入り口に男三人が額を寄せ合って小声で話すといういかにも怪しげな光景が、小栞廓の花街袋小路に見られることと相成った。
「ここら一帯の町や村から、娘っちゅう娘を片っ端から掻き集めちまうんだからよ」
「そうともよ。留学だか田楽だか知らねェが、せっかくの花も盛りの娘っ子を異国に行かせちまうなんざ、もったいねェったらありゃしねェ」
熱心に頷く小男に、雅寿丸は懐手のまま鼻を掻いて言う。
「留学それそのものは、ええと……見聞を広げるというんだったか? ――べつに悪いことではないと思うがなぁ。おまえはどうであればもったいなくないと思うんだ?」
「そりゃァ決まってんだろう。若い娘ばかりが何十人だぜ? いい金蔓になるだろうが」
「堅気の前で娘を金蔓とか言うなィ、このたわけ」小男は軽快な音を立てて鯔背銀杏の月代を叩いてから、慌てて話の流れをべつの向きへともってゆく。「だが、ありゃあ奇妙だな。娘どもがどこをどうとおって異国へ行くのやら、まったくわからねェ」
雅寿丸に恐ろしい形相をしてみろといっても無理な相談である。今も目を輝かせながら侠客二人の話に耳を傾け、元気よく頷いていたが、それがふと止まった。小男の話に、なにかしら引っ掛かりを覚えたようである。
「むむ。それはどういうことだ?」
「いいか、娘が何十人だぜ?」ここで小男、ぐっと膝ならぬ額を寄せて「犬や猫じゃァねェ。それにあれだ、聞くところによると、世話のばばあが付くんだろ。運ぶってェなら、それなりの大所帯になるだろうが」
道中で娘をかっさらおうとしていたことは伏せて、小男は意味深に声を潜めた。
「娘が二十人としたら、ええと……全部で八十人くらいか?」
「この馬鹿。どういう勘定をしたらばばあが六十人もぞろぞろぞろぞろ……まァいい。娘二十人なら、ばばあも二十人。しめて四十人が一度に動くことにならァ」
大男の摩訶不思議なそろばん使いに、思わず与太者が声を荒げた。
もちろん。いうまでもなく。いまさら当たり前のことだが、雅寿丸は怒るどころか嬉しそうに呵呵大笑し、大きな手のひらで与太者の肩を叩く。
「ほほう。おまえ、頭いいなぁ」
「うるせェやい、照れるだろうが」と、少し声を高くしてから、与太者は再び顔を引き締める。「まァいい。そんだけ大所帯がいっときに動くってのに、だ。城だか屋敷だか、とにかく娘が集められたはずのところから出ていくのを誰も見てねェんだ。それらしき船に乗りこむところを見たって奴もいねェ」
「こっから一番近い港ってェと天竜川の掛塚になるんだが、とてもじゃねェが女の足ですっと行ける道の程じゃァねェ。それも、誰の目にもつかずになんざ、まず無理な話だ。忍者や物の怪じゃあるめェし」
そう言いつつ、小男は胸の前で指を組み合わせて忍者の真似をしてみせた。
鯔背の与太者がそれをはたいてから、もっともらしい顔を作った。あまり言いたくはないが、という小芝居まで打って見せ、首を捻りつつ指で顎も捻る。
「留学ってェもっともらしい理由をこじつけて、その実は城に若い娘を集めてのご乱交じゃねェかと俺ァ睨んでるんだがよ……」
黙って聞いていた雅寿丸から、次第に笑みが消えてゆく。そうなったところで別段恐ろしい顔つきというわけでもないのだが――無表情な狼士になんとなく不安を覚えた小男と与太者が「おい」と声をかけると、大男は少しだけ笑って背を向けた。
「話、ありがとうな」
そう言い残し、二色髪の墨染め袴は煌びやかな雑踏の中へ消えていったのである。




