三十一 長いの、聞き込む
雅寿丸は、酒場の所在を知っているという追儺に連れられて歩いていた。竹薮の奥へ分け入ることしばし。唐突に薮が途切れて目に飛び込んできたのは、堀に囲まれた豪奢な屋敷の群。その色鮮やかなことといったら、錦絵の中に迷い込んでしまったかのようである。ただでさえ楽しげな雅寿丸の丸く黒い目が、よりいっそう輝きを増した。
冠木門で二手に別れる。追儺は一人でその門を潜り、雅寿丸がその手前に残された。
〈あわ雪〉がある本町とはあまりにも違う煌びやかさに圧倒されつつも、雅寿丸はまず目抜き通りを往復してみた。すれ違う人はみな、西様やら南国調やらでとりわけ上等な、いわゆる晴れの日に着るような着物を着飾って往来する。忙しく行き交う物売こそ少ないものの、珍しいものや新しいもので溢れ返っていた。見たこともない艶のある織物、聞いたことない楽の音、嗅いだことのない香の香りなどなど。封国じゅうのあらゆる港へ、日々何隻という異国の船がやってくる今日、店には常に新しい品々がもたらされているのである。元来物見高い性分の雅寿丸は、そこらじゅうの店に首を突っ込みたくてしかたがない。
鳥の巣めいた頭の西洋人の女や、褌一丁でほとんど裸に近い格好をした黒い肌の男たち、そうかと思えばそれらの国の様式を真似て着飾った封国人がいる。すれ違うたびに思わず目で追ってしまうが、小さく「いかんいかん」と呟いて、まずは賭場、酒場探しに専念する。
空を見上げれば、日はようやく頭上に差し掛かるころ。昼九ツくらいであろうか。あまり人相のよくない男らが行き来する奥まった袋小路に、目指す場所はどうやらあったようである。そのころには、雅寿丸の楽しい気分は最高潮に達していた。ゆえに、場にはおよそそぐわぬ満面の笑みを浮かべてひと言、
「用心棒はいらんか?」
などとのたまうことになったのである。
これは実のところ、相当堂に入った物腰であった。というのも、この雅寿丸という鎌鼬は手習いに通っていたころ、日々「侍ごっこ」なる遊びに興じていたのだ。これは四人以上の子どもがいればたちまちはじまり、大黒屋役の元へ浪人役がふらりと現れ、先の科白を言う場面から行なわれる。雅寿丸は、ほとんど毎度のように浪人役を務めていた。
そんなわけでなかなか様になったひと言に、賭場を兼ねた酒場からは、くしゃみを途中で邪魔されでもしたかのように不機嫌な小男が、乱暴に戸を開けて現れた。
小男はまず、己の目の前に立ちはだかるのが雲を突く巨躯の袴姿であることに度肝を抜かれた。次に、腰に帯びた太刀が馬鹿に大きく、並の野太刀にも増して武骨な作りであるのに怯む。小粒ではあれど度胸は据わっている――己をそう思いこんでいた小男だが、早くも相手に飲まれたのを知り、うろたえはいや増した。
が、よくよく見れば大男の表情は、優しげな曲線を描く眉山、黒々とした丸い目、持ち上げられて楽しげな笑みを形作る口角と、総じてあどけなく子どもっぽい。顔中を探しても、どこにも凄みが見当たらない。それを見て取るや、開口一番、
「なんだぁ? 金を使う気がねェんなら帰れ」
「そうかっかするなよ。用があって出向いたんだ。ちと知りたいことがあってな、ここに来ればわかると教わった」そういう男の顔つきは、どれほど疑り深い者でも気を許してしまうであろう力を秘めた笑顔である。「それと宿賃、飯代が入用でな。雇ってくれ」
どこぞの親分の口利きで現れたのかと思いきや、そうではないと言う。小男は首を捻った。怪しい奴、悪い奴でないことはわかるが、この場所にいるのは明らかに場違いに思える。大方、どこぞの村のがき大将がいっぱしの狼士気取りで旅の途中迷い込んだのだろう、とあたりをつけた。
「なんだ。てめェ、狼士かなにかか?」
「よくわかったな。おれは渡世狼士の雅寿丸という。実はこのところ――」
「わかった。いいか、ここは賭場つってな、俺たちのようなモンが金を賭けあって楽しむところだ。てめェがくるところじゃねェ。橋を渡って竹林を引っ返し、表通りにある太鼓の看板が下がってんのが『口入屋』な。そこ行け」
子どもに諭す口振りで丁寧に道案内までしてやるも、子どものような狼士は首を横に振る。そして白い眉頭だけそのままに眉尻を下げ、困ったような顔をして言うのだ。
「昨日出向いたんだが、依頼書がほとんどなくてな。しかし、飯の種になりそうな噂を聞いた、話だけでも聞かせてくれんだろうか? これでは宿に泊まれんし、飯も食えん」
たしかに、と小男、心の中で頷く。このところ、口入屋――特に討物屋への依頼書は減る一方だ。朝方掛板へ依頼書が鈴なりに貼られても、昼を過ぎるころには役人がやってきて一切合財持っていってしまう。なんでも、小栞侯お抱えの妖怪惣士がたちどころに解決するので、どこの馬の骨ともわからぬ狼士に頼ることなどない、ということらしい。
そんなようなことを小出しに答えてやりながら、小男は大男になるだけ早く引き取ってもらおうと努めた。小男の渡世と狼士の渡世、似て非なる二つの道が絡まれば双方のためにならぬというわけだ。また、なにを言われようが「帰れ」の一点張りをとおすのは、実は最も楽な方法なのである。
延々続くかと思われた押し問答は、次に飛び込んできた威勢のよい声で、新たな方向へと転がりだした。
「さっきからがたがたとうるせェぞ。ここをどこだと思ってやが――」
鯔背銀杏に尻っ端折りの着流し姿が、賭場から飛び出してきたとたん、言葉を失った。




