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世直し鼬 雅寿丸  作者: Ryo
■恋患う狸の煩わしきこと
27/55

二十七 三匹、猫どもの見世物になる

 白月狐(しらづきぎつね)は月下の狐

 月の夜には草に跳ね

 月無き夜には寝て過ごす


 ――と。裏手から、足運びのお粗末さを伺える足音が、再び近づいてくる。さきほどと違うのは、上機嫌な歌声と、それに合わせて切れのよい鼓の音が伴われていることであった。唄の仕舞いに、小気味良く鼓が鳴り響く。


「べつに、上手くもない唄だね」

「へん。おんしに誉めてもらわんでも、儂が楽しけりゃええんじゃ」


 現れたのは、三十六(みそろ)慶吾(けいご)である。


 あの、腹を突き出した風変わりな立ち方はこのためであった。はだけた浴衣の袷から突き出した腹へ、さらに力を込めると、かえると勝負できるほど丸く膨らむ。それを打てば、響き渡るのは彼の鼓の音である。


 その戯れ唄には品があるのないのと、狐と狸が諍い始めたので、鼬は別の話題で気を逸らしてやらねばならなかった。そこで塀の上を指差して言う。


「すごい数の猫が見ているぞ。きっとおまえたちの掛け合いが面白いんだな」

「面白いわけがあるか」


 こういうときばかり、一字一句違わぬ科白をひとときに口に出してしまうのだから、狐狸の仲というのも異なものである。気まずい静寂に包まれたまま、雅寿丸(がじゅまる)のいかつい指の示す方を見れば――壁の上に目目連(もくもくれん)が横に並んだかと思うほどの、目、目目目。つり上がって、金とも緑ともつかぬ妖しげな色合いに光るおびただしい数の目が、中庭を隔てた縁側、物の怪三匹に注がれていた。向けられるすべての目には、一挙手一投足さえ見逃すまいとする気概が満ちている。


「たしか、花江(はなえ)といったか」

「そうじゃった。まん中で偉そうにしている三毛がそうじゃな」


 塀のちょうど半ば辺りに両前足を折りこんで座った三毛猫は、器量の良さといい、この家の飼い猫花江とみて間違いあるまい。偉そうにしているとはいささか言いすぎだが、ほかの猫が鼻先を近づけて挨拶するのへ鷹揚に頷くさまは、たしかにこの界隈の猫大将と呼ぶにふさわしい。子分と思しき猫の中には、顔の幅も目方も、花江の倍以上ありそうなどら猫もいないではなかったが、そんな猫さえ花江には頭が上がらないと見える。


「面白いね」と、追儺(ついな)が声をあげて笑ってから「あの鬼瓦みたいな顔つきの猫までが、花江に『いかがしましょう、姐御』なんて言っているよ」


 すると花江、三匹に向き直り、不機嫌を滲ませた長い鳴き声を投げて寄越す。


「うはは! 人の言葉がわかるかのように振舞うな」

「もはや、並の猫ではないからね。歳を経て、半ば以上化け猫に近い」


 三々五々に額を寄せ合って密談をしているかのような猫たちであったが、鋭く切れ上がった眼は物の怪らを捕らえ、一時たりとも逸らすことはない。


「おい、お花坊。心配せんでも、おれたちは悪い妖怪じゃあないぞ」


 善悪はともかく、物騒な物の怪には違いないはずの鎌鼬が言う。三毛猫はもちろん、疑り深い声で低く応じた。


「あと五年か十年経てば人の姿を得て、店の手伝いでもはじめるかもしれないよ」

「化け猫っちゅうのはおっかないからのう。それが守っとるんなら、あの夫婦はそれほど不安はないじゃろうが」

「そうだね」

「いや、待て待て」浴衣の裾を蹴立てて大げさに立ち上がり、慶吾は太い眉を寄せた。「久兵衛(きゅうべえ)殿とお(その)殿はあの猫が守るとして、お(ゆき)殿はどうなるんじゃ? 一人異国の空の下じゃぞ。誰が守ってやれる?」

「……ぬしが守りたいとでも言いたげな口ぶりだね」


 追儺の意地悪な囁きに、慶吾は月明かりの下でさえどす黒い顔になって口ごもった。白い顔の中の赤い目を細め、追儺は続けた。


「あの娘の行く先がどこであれ封国(ほうこく)の中なら、ぬしが送り狼よろしく、つかず離れず見守ってあげられるのにね。でも異国となると――」

喜左衛門(きざえもん)様のお許しが出ればのう。じゃが、わけを申し上げんことには……」

「そんなの『片時も離れたくない娘を守るため、異国に参ります』で、いいじゃないか」

「ばっ……」


 どんぐり目を見開き、顔色を七変化させる慶吾に、壁の上の猫たちまでもが生暖かい眼差しを向けてくるようである。


「いや、送り狼などと言っては、狼が気を悪くするね。どうあがいたところで『送り狸』にしかならないのだから」

「おんしなぁ」


 ここぞとばかりに追い討ちをかける追儺。


 果敢にも八変化目の顔色に挑む慶吾。


 こうなると、狐狸二人を取り成すのは、鼬に託された大いなる務めであった。陽気な声で「まあまあ」と割って入り、今までもこれから先も悪いことなど一切起こらぬとでもいいたげな笑みで宥められると、その五倍は生きていようかという古狐も気難しい化け狸も、言葉の刃を納めるほかなくなってしまう。


「お雪坊のことは、おれも心配だ。なにせ、いつ帰れるかもわからんのではなぁ」

「ほうじゃろ? 今からでも止めたがええような気もするが、これといったわけもなく儂らがくちばしを突っ込むのも気が引けるのう」


 雅寿丸の話術が巧みというよりは、慶吾が猪めいた性分であることが大きいのだろう。上手い具合に話の流れが元に戻る。


「お雪たちからすれば、これは人生に一度あるかないかの好機だろう。昨日今日の付き合いでしかないまろたちがしゃしゃり出て、口を出すことではないね。ただ……」言葉を切り、追儺は半ば目を閉ざす。「そうも言っていられない、何かがあるよ。これが気のせいなら、まろは仙狐をやめてやるさ」

「ほうじゃろ」

「とにかく、明日町に出て調べよう。しばらくはお雪坊も城にいるだろうし、城へ直に出向くという手もある」


 そうまとめながら雅寿丸は立ち上がり、ただでさえ大きな体をさらに引き伸ばして「ううん」と唸る。慶吾も、酒に酔ったわけでもあるまいによろめきながら腰を上げ、がに股で寝床へと向かう。座っていたすぐ後ろに寝床の用意がされている追儺は膝立ちのまま畳に上がり、音もなく障子を引く。閉ざされる間際、漆喰の壁を見上げた赤い目は、今なお注がれ続ける金の眼差しとぶつかる。月光に透ける薄い障子紙が中庭と寝間を分かつまで、三毛猫花江は追儺から目を離すことはなかった。

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