↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世直し鼬 雅寿丸  作者: Ryo
■恋患う狸の煩わしきこと
PR
28/55

二十八 火車、現る

 暁七ツ。鳥の鳴き交わす声も、いまだまばらである。一日うす曇りとなるのか、空はまだ暗い。


 それよりさらに一刻以上も早くから、追儺(ついな)は身支度を終えていた。隣と、その奥の部屋からは騒々しいいびきや歯軋りの音が聞こえてくるが、追儺は仙狐たる身の上である。是が非でも眠らねばならぬわけではないので、横になって布団の中で、耳や目を静かに休めていたのであった。そよぐ風ほども音を立てずに手水を使い、障子を引くのも静かなものである。


 ほどなくして、〈あわ雪〉の表が騒がしくなった。数人が低く囁きあう声、落ち着きのない足音、それなりに質のよい衣の衣擦れ、木材の軋み。お雪(ゆき)の迎えが到着したのだ。


 中庭から窺うと、手甲に脚絆の旅装束を調えたお雪が、笹菱紋――小栞(こじおり)の紋所の入った駕篭に乗りこむところであった。両脇には、等しくえらの張ったかなつぼ眼の侍が控えている。昨夜の話の流れで穿ったものの見方をするようになったせいか、夫婦の大切な娘を預かりにきたというよりも、連れ去ろうとしているように見えなくもない。


「体に気をつけるんだよ」

「お父っつあん、おっ母さんこそ、気をつけてね」

「おう、お雪。辛かったらいつでも……」


 戻ってこられる場所ではないのだ。久兵衛(きゅうべえ)は生ぬるい涙と共に言葉を飲み込んだ。妻であるお園(その)が娘のお雪に取りすがって泣くので、家長たる久兵衛は気丈に振舞わざるを得ない。


 少なくとも五年、長ければ十年以上も離れて暮らし、文(ふみ)を送ることさえ禁じられた親子の離別だというのに、侍たちは容赦がない。お園の小さな体を無造作に引き剥がし、別れの挨拶もそこそこに、お雪を駕篭へと押しこめてしまうのだ。何度も娘の名を呼び、少しでも近くで、少しでも長く別れを惜しみたい久兵衛を邪険に突き飛ばし、駕篭かきはすぐさま立ち上がる。


 お雪を乗せた駕篭はそのまま、朝霧の向こうへと消えて行った。

 ふと見上げれば三毛猫の花江(はなえ)も、妹分の旅立ちを屋根の上から見つめていた。



 追儺は一度寝間へと戻り、雅寿丸(がじゅまる)と慶吾(けいご)が起き出してくるのを待った。とてもではないが、今店へ回って久兵衛夫婦へかける言葉など見つからない。こういうことは、己よりも慶吾の方がやや得手であろう。そして、己の知る限り、雅寿丸以上にこの役目にふさわしい者はいまいと思う。


 寝間のまん中に端座して半刻ほどがすぎたころ、隣――慶吾の寝間に変化があった。障子紙が破れてもおかしくないほどのいびきが止み、人の起きだす気配がしたのである。隣室の住人は髪を掻き毟りながら縁側に出、その奥の部屋へと向かったらしい。寝起きの掠れ声で「おいこら、朝じゃぞ」とわめくのが聞こえる。


 そろそろ頃合かと立ち上がったところへ、情緒もへったくれもない絶叫が響き渡った。次いで、障子紙に、腹を突き出してそっくり返った影が走ったかと思うと、挨拶もなしに、清々しいほど思い切りのよい音を立てて障子が開け放たれた。


「おおごとじゃ。追儺、大変なことになったぞ」


 慌てたせいか寝相のせいかはわからないが、色黒の体に乱れた寝巻を引っ掛けた慶吾が、己の生霊でも見たかのような顔をして言った。否、わめいた。


「そんなに大声を出さなくても聞こえるよ。まろの耳はぬしのと違って上等だから」

「そがいなこと言っとる場合か」言っている傍から、さらに声を大きくする慶吾。「ちょ、来てみぃ、あいつが……雅寿丸が死んどるぞ」

「……まろはぬしのお頭(つむ)のほうが心配だよ」


 すると慶吾、食いしばった歯の隙間から言葉にすらならない叫び声を上げ、床板を踏み抜かんばかりに地団駄を踏んだ。顔色は玉虫も裸足で逃げ出すであろうほど目まぐるしく変わり、こめかみの筋は今にもはち切れそうなまでに盛り上がっている。


 さすがの追儺も、少々本気で心配になった。雅寿丸ではない、慶吾が、である。茶化すのはこれくらいで勘弁してやることにして、まずは落ち着かせようと試みる。


「寝ぼけたのかい? 胆力の申し子のようなあの男が寝ていて死ぬはずがないだろう、八十すぎの爺さまじゃあるまいし。火車(かしゃ)だって――」


 と口にした、まさにそのとき。燃え盛る炎に包まれた何者かが――おそらくは屋根から跳躍して――漆喰の壁に飛び移った。


 言葉を失った追儺が顔を引きつらせるのを見て、慶吾は泣き喚くのを懸命にこらえるような顔つきになる。見なければならぬという思いと、見たくないという思いがせめぎ合い、気の小さい慶吾が後ろを振り返るまでには相当の間を要した。その、いっぱいにまで見開かれた、ただでさえ大きな眼が見たものは――。


 ばかに大きな猫が火達磨になり、二本足で立ち上がったかのような姿。鬼の類いとも見える。それはまさに「火車」と呼ばれる妖怪であった。人死にのある家に現れて、死体を奪い去るといわれている。頭からつま先までくまなく炎を纏いつかせながらも、火車は至って涼しげな顔で壁を走り、現れたときと同じく唐突に姿を消してしまった。


 先に口を開くことができたのは追儺であった。


「……火車はいたようだけれど、雅寿丸は死んでいない。嘘だと思うならもう一度見てきてごらん」

「うぬう」


 ひとまず青い顔に落ち着いたらしい慶吾は一つ唸り、足捌きも荒々しく雅寿丸の寝間へと駆け戻る。見てみろとばかりに布団を剥ぐと、たしかに棺桶に押し込まれた死人にも似た格好をした大男が布団の上にいた。


「なぁ、おいって」


 言いながらつつく慶吾の手つきは、まるっきり道端で出くわした死体にするそれ。そんなことでは、死人でなくとも起きるはずがない。


「もっと強く揺すってみれば?」

「おんしは口で言うだけでええじゃろうが、儂ゃ仏様になりよったやつにまがらにゃならんのじゃぞ」


 おまえがやれ、と言外にほのめかされたのに気づかない追儺ではないが、そこは巧みにかわして抜ける。


「まろはこの男が死んでいないと知っているんだからいいのさ。生きているのが信じられないなら起こしてみれば、と言っただけ」

「だから、起きんじゃないか。死んどる」

「そんな起こし方で起きるはずがないだろ。もっと力を入れて揺するんだよ」


 やけっぱちになった慶吾はおもむろに立ち上がると、横たわる雅寿丸を蹴りつけた。死人だと言い張りながらそれを足蹴にするとは、この慶吾という狸、追い詰めるとなにをしでかすかわかったものではない。


 二度か三度、相当な力で――追儺の目からは――蹴られたはずだが、雅寿丸は目を覚まさない。それでも体の前側から肩の辺りを蹴られたので、まるでこんにゃくのような動きで仰向けにはなった。もしも慶吾が言い張るように、本当に死んでいるのだとすれば、まだ魂が抜けて間もないのであろう。


「……しぶといね。踏んづけてみれば?」

「おんし、己がなにを言っとるのかわかって――うあッ」


 慶吾が片足を上げ、踏んづける振りだけして振り返ったとき、横の優男が澄ました顔で突き飛ばしてきたのだからたまらない。よろけた慶吾の右足は、ぬっぺっぽうを殴りつけたような鈍い音とともに、布団の上に横になった雅寿丸の胸へとめりこんだ。


「おお?」


 そのとたん、雅寿丸の丸い目は、眠りの残滓などまったく感じさせぬ様子で開かれた。知った顔とはいえ、枕元に男二人が並び立って見下ろしているにもかかわらず、いつもの楽しげな笑みを向けてくる。二人のうちの一人に至っては、己の胸を思い切り踏みつけているというのに「うはは!」と笑い、


「踏んづけて起こすのが狸流なんだな! なるほど……おれが思うに、狸はみな相当な寝坊助なのだろう? こうでもしないと起きないとはな」


 と、朝っぱらから――それも手酷い起こされかたをしたというのに――天井をぶち抜くほどの上機嫌である。


「いや、その……儂ゃてっきり、おんしが死んどるんじゃと思うて……」

「うん。この男、むこうずねを蹴られた不動明王みたいな形相でまろの寝間へ駆け込んできてね、それはそれは大変な騒ぎだったよ。死んでいないと言っているのに信じやしない」


 気まずそうに頭を掻く慶吾へ、雅寿丸はますます機嫌をよくして楽しげに言う。


「そうかそうか。どうもおれは死んだように眠る癖があるらしくてな、子どものころに二回ほど埋められかけたことがある。なかなか起きなかっただろ?」


 問われ、慶吾は素早く隣の追儺に目を走らせてから、


「あ、ああ。強く揺すっても……起きんかった」


 さすがに、蹴り飛ばしたことは伏せておく。


 どうも朝から調子が狂いっぱなしの慶吾は釈然としない様子で、起きている間は何もかもが楽しくてたまらない雅寿丸は鼻歌混じりに身支度を整え、三人は店へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。