その⑦ ロンパースと誘拐事件
『なかたけいじ、やくそくしてください。だれにもいわずに、かならずあなたひとりで、ここにくると』
「どうしてだ!なぜ、そいつらを庇おうとするんだ!そいつらはお前のことを…!」
『やくそくしてもらえないのでしたら、はなしはここまでです。ここがどこなのか、おしえるわけにはいきません』
「きらり!お前…!」
中田は、車のハンドルに突っ伏して、運転席の窓を思い切り叩いた
「どうしてなんだよ………!」
絞り出すような呟きは、虚しく車内に響くだけだった…
『ごきげんよう、なかたけいじ、きょうはこちらにいらっしゃいますか?』
「ん…、ああ、いま、署内にいるよ」
午前11時。刑事課のデスクで書類作成をしていた中田の頭の中に、きらりからのテレパシーが届いた
『このところ、りゅうなんしないはへいわなひびがつづいて、よろこばしいかぎりですね』
「まあな、お前はお散歩中か?」
『はい、ままといっしょに、べびーかーでおかいものにいくとちゅうです。りゅうなんしょのまえをとおりがかったものですから』
いま、テレパシーで会話をしているこの2人、
1人は、玉串県警柳南警察署の刑事であり、空手家でもある中田健治
もう1人が、まだ1歳5ヶ月の赤ん坊でありながら流暢な日本語をテレパシーによって操る、超能力ベビーの坂本きらりである
この2人は、テレパシーを使って連絡を取り合い、これまでに2件の事件を解決に導いた、名コンビ?である
きらりのテレパシーは中田にしか届かない、という欠点があるものの、およそ100メートルの距離までなら、まるで無線機のように互いにやりとりができるのだ
『はやく、きんじょのすーぱーくらいまでは、じぶんのあしであるいておうふくできるようになりたいものです』
「まあ、もう少しだろうな、あと半年もすれば、ガンガン歩けるようになるだろうよ、きっと」
『まちどおしいものです』
初めて会った時は、つかまり立ちをするのがやっとだったのにな…などと、まるで親戚のおじさんみたいな感情が沸いてくる中田であった
『そろそろ、てれぱしーのはんいをでます。ごきげんよう』
「ああ、またな」
今度は、おしゃぶりじゃなくて靴でもプレゼントしてやるかな、などと中田は考えて、とても優しい笑顔を浮かべるのだった
12時04分
「お、もうこんな時間か…」
書類も一段落したし、そろそろ“松下さん”のところの弁当をいただくとしようかな…と思ったとき、
中田のスマホの着信音が鳴る
「ん?………あれ、坂本さんの奥さん?」
以前、事情聴取の打ち合わせのためにと電話番号を交換していた、きらりの母親の坂本美里からの着信だった
「もしもし、中田です」
「…刑事さん!きらりが!きらりが…!」
「…!、何がありましたか?!」
美里の取り乱した声に、一瞬で刑事の顔になる中田
「きらりが…誘拐されたんです!」
「嘘…でしょ…!」
スマホとは反対側の手に握っていたボールペンのへし折れる音が、刑事課の室内に響きわたった………!
12時38分
中田は、坂本家の庭の塀を人目を忍んで乗り越え、侵入する
そして素早く庭を横切り、以前‘‘大家の佐々木’’が偽装工作で割った、掃き出しの窓を外からノックする
すぐにやってきた美里が、窓を開けて、中田を迎え入れる
「これで、きっと犯人には見つからずに、来れたはずです」
「………ありがとう、ございます…」
憔悴しきった様子の、美里が答える
「坂本さん、詳しいお話を聞かせてください…!」
中田と美里は、リビングのソファーに向かい合わせに腰掛け、話を始めた
「スーパーでの買い物を済ませて、帰宅する途中のことでした…1人の女性から、道を尋ねられたんです…」
「2分ほどだったでしょうか…道案内を終えて振り向くと、ベビーカーで眠っていたはずのきらりが、いなくなっていたんです…!」
「そして、このスマホが、きらりの寝ていたシートの上に置かれていたんです…すぐに、着信音が鳴りました…」
美里は、テーブルの上のスマホを手で示す
「慌てて電話に出ると、‘‘お前の子供は預かった。警察に知らせたら子供の命はない。お前の自宅は監視しているから、警察官が来ればすぐにわかる。午後1時に次の連絡をするから、それを家で待っていろ’’と、男の声で言われました…」
美里は涙を流しながら、絞り出すように言葉を紡いだ
「なるほど…」
「すぐに主人に連絡したところ、とりあえず中田刑事に知らせよう、ということになりまして…もうすぐ主人も帰ってくると思います…」
その言葉が終わるか終わらないかの時、玄関のドアを慌ただしく開け閉めする音が響いた
「美里!中田さんに連絡はついたのか?!…ああ、あなたが、中田刑事さんですね?」
これが初対面になる2人は、軽く挨拶を交わす
「はじめまして、きらりの父親の、坂本構一郎と申します」
「どうも、柳南警察署の中田です」
「刑事さん!きらりを、きらりを、どうか無事に取り戻してください!お金でしたら、可能な限り、用意いたします!どうか、どうか………!」
「坂本さん、落ち着いてください。とりあえず、座りましょう」
いてもたってもいられない、という様子の構一郎を落ち着かせようと、とりあえず美里の横に座らせる
「犯人の目的が身代金であるならば、必ず向こうから連絡を取ってきます。まずは、それを待つしかありません」
「そう………ですよね………」
構一郎は、両手で顔を覆い、深いため息をついた
そこで、中田のスマホの着信音が鳴る
「中田!無事に坂本家に入り込めたか?」
「はい、課長。いま、ご両親といっしょです。最初の通報の時に聞いたように、犯人側から連絡用のスマホが渡されていて、13時に次の連絡がくる予定です。そのスマホの番号は………」
中田は誘拐犯の置いていったスマホを操作し、その電話番号を相手に伝える
「………わかった。では準備を済ませて、そのまま待機してくれ。また連絡する」
電話の相手は、この誘拐事件の捜査指揮をとっている、柳南警察署刑事課長の吉崎真悟警部だった
中田は誘拐犯のスマホに、無線のマイク送信機を取り付ける。これにより、犯人から電話がかかってくれば、その会話の内容を捜査本部と共有することが可能になる
「あとは、犯人からの連絡を待ちましょう。必ず、我々が無事に娘さんを取り戻します…!」
刑事の眼光で力強く言う中田に、構一郎と美里は深く頷いたのだった…
『おや?ここは…どこでしょうか?』
12時49分
きらりは、見知らぬ部屋の、見知らぬベビーベッドの上で目を覚ました
『………?、ままが、みあたりませんね』
見知らぬ場所で目覚める、ということは、赤ん坊である自分にとってはけっして珍しいことではないが、母親である美里の姿がどこにも見当たらない、というのは、例の‘‘空き巣事件’’以降にはまったく無かったことであった
『………?、あれは、だれでしょうか?』
寝転がったままで、できるだけ首を動かして周囲の様子をうかがっていると、見知らぬ男女の姿が目に入ってきた
「………とりあえず、ここまではうまくいったな」
と、ほくそ笑む男に、
「でも、もし警察に通報されたら、まずいんじゃないの…?」
と女が言うが、
「いや、警察に知らせたらすぐに分かるぞ、とハッタリをかました上で、あれだけの脅しをかけておいたんだ。そうそう、通報なんて出来ないだろうさ」
自信満々に、そう男が返す
「………そうだといいけど…」
女は、不安そうに呟いた
男女とも、年齢は40台半ばくらい、といったところだろうか
『………これは、もしかして…』
『わたしは、ゆうかいされてしまった…ということでしょうか…?』
半年前の銀行強盗事件といい、その前の空き巣事件といい、もしかして自分はトラブルに巻き込まれやすい体質なのでしょうか…などと、きらりは思っていた
空き巣事件の時はともかく、例の銀行強盗事件を経験したきらりは、赤ん坊らしからぬ度胸を身につけており、けっして冷静さを失うことはなかった
『ままのことですから、きっと、なかたけいじにれんらくしていることでしょう。ここがどこなのかをしることができれば、それをてれぱしーでなかたけいじにしらせて、たすけにきてもらうことができるかもしれないですね』
そうしさえすれば、きっとこの誘拐犯たちを逮捕してもらうことができるだろう
「あ、目が覚めたね」
誘拐犯の女の方が、きらりが起きたことに気がつき、近寄ってきた
そして、女は優しく、きらりをベビーベッドから抱き上げた
「ごめんね…あんたには、けっして危害は加えないからね…お金さえ手に入れば、すぐにママのところに返してあげるから、少しの間、がまんしてね…」
きらりを優しく抱きかかえながら、そして優しくきらりの体を揺すりながら、女は言った
『………このおんなのかたは、そんなにわるいひとではなさそうですね…』
きらりがそんなことを思っていると、
「よせよ、俺たちの仇の娘だぞ、そんなに優しくしてやることがあるか…!」
と、憎々しげに男が言った
「でも、この子には関係ないことじゃないの…それに、坂本さんを仇だなんて…」
「仇だろうが!あいつの工場がウチのお得意先を奪いやがったせいで、ウチは倒産するハメになったんだ!」
「………それは、ウチよりも、坂本さんのところの方が良い品物を作っていたからじゃないの…」
「う、うるせえっ!」
痛いところを突かれたのだろう、男は押し黙ってしまった
『なるほど…』
『どうやら、このおふたりは、ぱぱとどうぎょうしゃのごふうふで…』
『ぱぱのこうじょうにおとくいさきをうばわれて…しつぎょうされてしまったのですね…』
それなら、自分を誘拐したのは納得できますね…などと、きらりは思ったのだった…
13時01分
ピリリリリリリリリリッ!
坂本家のリビングのテーブルで、誘拐犯が置き去ったスマホの着信音が鳴る
坂本夫妻は、ビクっと体を震わせて、中田の顔を見る
中田は、スマホに取り付けた無線送信機に顔を近づけ、
「着信です!これから、旦那さんに出てもらいます!」
と、捜査本部に一言告げて、構一郎に向けて、‘‘どうぞ’’のジェスチャーをする
構一郎は、おそるおそるといった様子でスマホを手に取り、画面をタップする。もちろん、スピーカーモードにしての通話だ
「もしもし…!」
「赤ん坊の、父親だな?」
「…そうです!娘は、娘は無事なんですか?!」
「ああ、心配するな。身代金さえちゃんと払ってくれたら、無事に返してやるよ」
やはり、目的は金か。それなら、無事にきらりを取り戻すことは充分に可能だ…と、逆に中田は少し安堵していた
「お金なら、可能な限り用意します!どうか、娘を返してください!」
「いい心がけだ、だったら話が早い。いくらまでなら用意できるんだ?」
「………いますぐに、ということでしたら、三千万円までなら、準備ができます…!」
「いいだろう。2時間後に、また連絡する。それまでに、三千万を用意しておくんだ。くれぐれも、おかしなマネはするなよ?赤ん坊を無事に返して欲しいならな…!」
そこで、通話は切られた
中田は、構一郎からスマホを受け取り、確かに通話が終了していることを確認して、
「通話、終了しました!」
と、捜査本部に声をかける
すぐに、中田のスマホの着信音が鳴る
「中田!いまの通話で、誘拐犯の潜伏しているエリアが携帯電話の基地局から特定できた。しかし、半径500メートルの範囲までだ。よって、身代金を用意した上で次の連絡を待って、犯人側の動きを見てから、次の作戦を練ることにしようと思う」
と、吉崎警部からの電話だった
しかし、中田には考えがあった
「課長!ここに、替わりの捜査員をよこしてもらえませんか?」
「なに?お前、何をするつもりだ?」
「お願いします!2時間後の連絡までに、動きたいんです!」
「………わかった、15分で交替要員を行かせる、待ってろ」
「…ありがとうございます」
通話を終え、中田は坂本夫妻に向かって言った
「自分に考えがあります。必ず無事に、娘さんを取り戻してみせます…!」
中田の力強い言葉に、坂本夫妻はまた、深く頷くのだった…!
13時06分
「へへっ…三千万か、悪くないな…」
電話を終えた誘拐犯の男が、満足そうな笑みを浮かべる
「あとは、受け渡しの方法をどうするか、だよね…」
きらりを抱いてあやしながら、女の方が言う
「なあに、警察が関与してさえいなければ、そんなのはどうとでもなるさ…金さえ手に入れば、そいつも適当に返してやればいい」
「そんなに簡単にいくかしらね…」
『どうも、このだんせいのほうは、たんらくてきなしこうをするたいぷのようですね』
と、きらりは思っていた
「なんだよ、もっと喜べよ…これで、人生をやり直せるんだ。お前のおふくろさんの治療費だって…」
「………悪いことをして得たお金で、人生やり直そうなんて、ムシが良すぎるよ…」
「お前、いまさら、そんなこと…」
女は、きらりの顔をじっと覗き込みながら、男に言う
「この子を見ていたら、自分がなんて酷いことをしてしまったんだろうって…いまさらだけど心が痛むよ…坂本さんのご夫婦は、どれだけ心を痛めているだろうかと思うと…」
「お前………」
2人とも、それっきり押し黙ってしまった
『………これは…』
『なんだか、ただこのふたりをけいさつにつかまえてもらえばそれでよい、というかんじでも、なさそうなきがしてきましたね…』
きらりは、そんなことを考えていた
そして、しばしの時が流れて…
きらり!きらり!聞こえるか!俺だ!中田だ!
聞こえたら返事をしてくれ!
きらり!聞こえるか!俺だ!
聞こえたら返事をしてくれ!
『!…ついに、きましたね…』
『ですが…』
『どうしたものでしょうか…』
きらりは、大急ぎで、考えをまとめようとしていた…
13時25分
坂本家の掃き出しの窓をノックする音がリビングの中に響く
美里が窓を開けると…
「え?!桂子ちゃん?」
なんと、そこには柳南署の鑑識官である、沢村桂子の姿があった
「吉崎警部から、少しでも坂本さんと面識のある人間を行かせるほうが良いだろう、と言われまして」
素早くリビングに入りながら、そう桂子は言った
そして、構一郎の姿を見つけると、
「はじめまして、柳南警察署鑑識課の、沢村と申します」
深々と一礼をする
「…ああ!あなたが、あの銀行強盗事件の時の婦警さんですね…!その節は、美里ときらりがお世話になりました…!」
と、構一郎が反応する
「あ、その………いえ、どうも…」
どうも桂子は、この話題になると反応に困るらしい
「あ、中田刑事、これが、例の携帯電話基地局のエリアを示した地図になります」
そう言って、桂子は中田に地図を手渡す
地図には、赤いサインペンできれいな正円が示されていた
「ありがとう…桂子ちゃん、さっそくで悪いけど、ここは頼んだ…!」
掃き出しの窓に向かいながら、中田が言う
「中田刑事、いったい何をするつもりなんですか?吉崎警部からも、くれぐれも軽率な行動は控えるように釘を刺しておけ、と言われています」
桂子は、中田のジャンパーの袖を掴んで引き留めながら、そう言う
「………」
「…中田刑事?」
「あの銀行強盗事件のとき、どうして俺が突入のタイミングを判断できたのか…桂子ちゃんに聞かれたよね…」
「………はい、そう言えば、まだ答えを聞いていませんでした」
「あの時と同じで…確信を持って、あの子を探せる手段が、俺にはあるんだ…」
「………」
「信じて、くれるよね…?」
「………わかりました。くれぐれも、気をつけてくださいね」
「………ありがとう」
中田は、桂子に向かって敬礼をし、坂本夫妻に軽く会釈をして、リビングを出て行った…
13時48分
中田は、覆面の警察車両を運転し、地図に示された携帯電話基地局のエリアへとやってきていた
「なるほど、丘の上の公営団地が集まっているところか…おそらく、この中のどこかの部屋に…!」
きらりとテレパシーで会話できる距離は、およそ半径100メートルだ。ゆっくりと車を走らせながら、頭の中できらりに呼びかけ続けていれば、そのうち連絡がとれる可能性は、充分にあるはずだ
「待ってろよ、きらり…!」
はやる気持ちを抑えつつ、車を徐行させる
きらり!きらり!聞こえるか!俺だ!中田だ!
聞こえたら返事をしてくれ!
きらり!聞こえるか!俺だ!
聞こえたら返事をしてくれ!
およそ10分ほど、そんなことを続けていた時だった
『なかたけいじ、…きらりです』
ギュキキキィッ!
頭の中に届いたテレパシーに、思わず全力でブレーキを踏み込み、急停車してしまう中田
たまたま後続車両が居なかったから良かったものの、もし居れば、追突事故を起こさせていたところだった
急いで車両を道路脇に寄せ、中田はきらりとの交信を試みる
「きらり!良かった…無事だったんだな…!」
『なかたけいじ、かならずきてくれると、しんじていましたよ…』
「ああ、もちろんだ!待ってろ、すぐに、お前の居場所を突き止めてやるからな!」
『………そのこと、なのですが…』
「何でもいい!お前のことだから、犯人の特徴や会話の内容から、何らかの手がかりをつかんでいるんだろう?少しでも多くの情報をくれ!」
『わたしをつれさったゆうかいはんは、だんじょの、ふたりぐみです』
「………やはりそうか、美里さんに道を尋ねたっていう女が、グルじゃないかと思っていたんだ…!他に何か、犯人についての情報はないか?」
『………』
「…?、どうした?」
『…なかたけいじ、そうだんしたいことが、あります』
「相談…って、ど、どういうことだ?」
『…わたしは、はんにんたちのしょうたいを、つかんでいます。ですが、それをあなたにおしえるには、じょうけんがあります』
「な、何を言ってるんだ?お前、自分が何を言ってるのか、わかってるのか?!」
『なかたけいじ、はんにんたちのすじょうをあなたにつたえれば、このばしょがどこなのかを、つきとめることができるとおもいます。ですが、それはだれにもおしえずに、まずはあなたひとりだけで、ここにきてほしいのです』
「………な、何だって…?!」
『なかたけいじ、やくそくしてください。だれにもいわずに、かならずあなたひとりで、ここにくると』
「どうしてだ!なぜ、そいつらを庇おうとするんだ!そいつらはお前のことを…!」
『やくそくしてもらえないのでしたら、はなしはここまでです。ここがどこなのか、おしえるわけにはいきません』
「きらり!お前…!」
中田は、車のハンドルに突っ伏して、運転席の窓を思い切り叩いた
「どうしてなんだよ………!」
絞り出すような呟きは、虚しく車内に響くだけだった…
14時32分
『このおふたり、あれいこう、ずっとしゃべらなくなってしまいましたね…』
きらりは、またベビーベッドに寝かされていた
誘拐犯の2人は、先ほどの軽い言い争い以降はまったく会話をせず、ずっと黙ったまま、離れて椅子に座っていた
つけっぱなしになったテレビから聞こえてくる、ワイドショーのキャスターの声だけが、部屋の中に響いていた
ピンポーン
ふいに鳴ったインターホンのチャイム音に、誘拐犯の男女はビクリと硬直し、お互いに顔を見合わせた
「な、なんだ、いったい…」
焦った様子の男に、
「…まさか、警察じゃあ…」
と女が言う
「…いや、苦労して手に入れたトバシのスマホから、向こうのトバシのスマホに電話をしてるんだ。いくら警察が色々と捜査しても、この家にまでやってくるってことは、まずないさ…返事してみろよ」
「………そうだね」
女が、インターホンの通話機を操作し、
「はい、どちらさまですか…?」
おそるおそる、返事をすると、
「ムサシ運送です、‘‘田村よしえ’’さんからのお荷物をお持ちしたのですが…」
という声が、通話機から聞こえてきた
「なんだ、おふくろからかよ…おどかしやがって…」
男が、大きなため息をつきながら、椅子の背もたれに背中を預けた
「やれやれだね」
女も、ほっと肩の力が抜ける
そして、女が玄関のカギを開け、チェーンを外して、ドアを開ける
…しかし、そこに立っていた男は、どう見ても運送業者の服装ではない
「…え?」
女が、一瞬思考停止状態に陥っていると、
「………警察だ、話をしに来た」
そう、運送業者のふりをしてドアを開けさせたのは、中田だったのである
「田村吉彦と、田村裕子夫婦だな、お前たちが坂本きらりを誘拐したことは分かっている。だが…」
「裕子!どけえっ!」
中田の言葉が終わらないうちに、誘拐犯の男の方、吉彦が、ゴルフクラブを片手に中田に襲いかかってきた
…しかし2秒後、吉彦はいとも簡単に、中田に取り抑えられていた
「く、くそおっ!なんで!なんでここが!俺たちが犯人だと、どうしてわかったんだぁっ!」
中田に右腕を背中側に捻り上げられ、床にうつ伏せに抑え込まれた吉彦が、どうしても納得できない、という様子で叫んだ
裕子の方は、ただ呆然と、その場に立ち尽くしていた
「…慌てるなよ、話をしに来たんだって言っただろうが…」
中田は、吉彦を捕らえつつ、裕子への警戒も怠らずに、ゆっくりと2人に語りかけた
「…話って…どういうこと…?」
中田の言葉に、裕子が反応した
中田は裕子の顔を見てうなずき、
「‘‘ある人物’’からの‘‘強い要望’’により、お前たちの罪を限界まで軽くするための、話し合いをしたいんだ。話を聞いて、もらえるよな?」
中田はそう言い放ち、リビングの隅にあるベビーベッドに目を向けた
そこには、ベビーベッドの柵につかまり立ちをして、中田に向かってサムズアップをする、きらりの姿があった
中田は、小さなため息をひとつつき、
やれやれといった様子で、きらりにサムズアップを返したのだった…
14時58分
柳南警察署の刑事課に設けられた、坂本きらり誘拐事件の捜査本部で、本件の捜査指揮を執る吉崎真悟警部が、デスクの電話機から通話をしていた
「沢村、間もなく犯人が指定した2時間が経つ。そちらの準備はいいか?」
という警部の問いに、
「はい、すでに坂本さんが、取引先の銀行から現金三千万円を引き出して、戻られています」
と桂子が答える
「そうか、わかった。…中田からの連絡は、そちらにはないか?」
「ありません。そちらにも、連絡はありませんか?」
「ああ、何も無い。あいつ、いったいどこで何をやっているのか…」
その時だった
「吉崎警部!たいへんです!」
刑事課の室内に、1人の制服警官が慌てた様子で駆け込んできた
「なんだ!今は犯人からの電話を待っている、大事な時だぞ!」
「そ、それが…」
「なんだ?いったいどうしたんだ!」
「誘拐犯が、赤ん坊を連れて、自首してきましたぁっ!」
「な、なんだとぉっ!」
吉崎警部は、受話器を握ったままで、思わず勢いよく立ち上がる
そのため、受話器のコードが引っ張られて電話機がひっくり返り、デスクの上の備品をあちこちに散乱させてしまったのだった
「警部!警部!いったい何があったんですか?!」
坂本家のリビングにて
急に電話口の向こうが騒がしくなったので、桂子はいったい何事かと、吉崎警部に呼びかけていた
「…あ、ああ、すまん!これから確認するところなんだが、誘拐犯が、赤ちゃんを連れて自首してきたとの知らせだ!」
「………本当ですか?!」
「沢村!確認がとれ次第、すぐにご両親を連れて、こちらに戻ってくれ!」
「わかりました!」
通話を終了し、坂本夫妻の方を向いて、
「犯人が自首してきて、きらりちゃんが戻ってきたとのことです!」
最高の笑顔で、桂子は言ったのだった
もちろん、坂本夫妻の笑顔は、それ以上だった…
15時20分
柳南警察署の近くの路地裏にて
中田は人目につかないように車を停め、きらりとテレパシーで会話をしていた
そう、誘拐犯の田村夫妻ときらりを柳南署の近くまでこっそりと送り届けたのは、他ならぬ中田だったのである
「どうだ?無事に保護されたか?」
『はい、いま、はんにんのおふたりがとりしらべしつにつれていかれて、わたしはいむしつのべっどにねかされています』
「そうか、たぶん、桂子ちゃんを通じてご両親にも連絡がいってるはずだ、もうじきパパとママに会えるだろうよ」
『はやく、かおをみせて、あんしんさせてあげたいものです』
「………ああ、そうだな」
それが1歳5ヶ月の赤ん坊のセリフかよ…と、思わず1人苦笑する中田だった
『なかたけいじ、ありがとうございました。わたしのわがままを、きいてもらって』
「まあ、いつもお前のおかげで事件解決できてるからな、玉串県警を代表して、俺からのご褒美だ」
『おんにきます』
「まさか、‘‘自分を誘拐した犯人たちの罪を軽くする手助けをしてやって欲しい’’なんて言われるとは、思ってなかったけどな」
『じじょうをきくと、ほうってはおけなくなってしまって。それに、おくさんのほうは、わたしにとてもやさしくしてくれましたので』
「………そうか、まあ、どのくらいの罪に問われるかは分からないけど、これできっと、お前の願いは満たされるだろうよ」
『あ、ぱぱとままがやってきました。では、またのちほど』
「ああ、またな」
きらりとのテレパシーを終え、大きなため息をついた時だった
中田のスマホの着信音が鳴る
画面を確認する…桂子からだ
「もしもし、桂子ちゃん?」
「………中田刑事の、仕業なんですよね?」
いきなり核心を突いてきた桂子の言葉に、中田の心臓がドキリと震える
「え?、い、いやぁ、俺は何もしてないよ。これは、誘拐犯たちが自分のしでかしたことの重大さに気づいて、あくまでも自主的にやったことだよ」
ごまかすつもりで言ったセリフだったのだが、
「………どうして、犯人たちが自首してきたことを、知っているんですか?」
「………え?」
「まだ、誰からも、中田刑事には連絡をとっていないはずですが?」
………さすがは桂子ちゃん
まるで、夫の浮気を見破る古女房のようだ…などと言っている場合ではないな…
「いや、その、何て言うか、これは…」
いかん、本当に、浮気を見破られた旦那のような反応になってしまっているぞ…
「………いつか…」
「…え?」
「いつか、ちゃんと話してくださいね…それでは、こちらも忙しいので、これで。…早く戻ってきてくださいね」
そう言って、通話は切られた
「………やれやれ…」
中田が、1人安堵のため息をつくと、
『いまのかいわは、なんだかちょっと、いいかんじだったのではないですかね?』
「え?お前?!………聞いてたのか?」
『どうやらまた、わたしのてれぱしーがれべるあっぷしたようで、あなたがきいたこえも、あなたののうをつうじて、きくことができるようになったみたいです』
「おいおい、そいつはプライバシーの侵害ってやつなんじゃないのかぁ?」
『ふふふ、にほんのほうりつでは、わたしをつみにとうことはできないのですよ?なかたけいじ』
まったく、こいつには敵わないな…と、
中田もまた、最高の笑顔になって、
心から、事件の解決を、喜んだのだった…
~終~




