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第95話 佐々木道誉(2/2)一族一門

☆ 道誉の先祖 ☆


(鎌倉殿の13人)そうそう、佐々木の爺さんが出てましたね!佐々木の爺さんってまるちゃんみたい…笑(2022/05/27)


(光る君へ)右大臣の源雅信(益岡徹さん)。佐々木道誉の御先祖様です。(2024/01/28)


☆ 道誉の子孫 ☆


今日は京極高秀の命日。佐々木道誉の三男で、長兄、次兄、その息子たちが楠木正儀ら南朝軍によって討ち取られたため、代わって跡を継ぎました(正儀とは相性が悪い)。京極に屋敷を構えたことで京極家の祖とも言われますが、すでに道誉の代に屋敷が造られた可能性も否定できず、明確ではありません。(2025/11/07)


今日は初代丸亀藩、京極高和の誕生日。京極高次の孫で、佐々木道誉の子孫です。高次の嫡男、高忠の甥とされますが異説も。高次の正室、初に子は出来ず、嫡男高忠は側室の子。初は姪(妹、江と徳川秀忠の娘)を高忠の正室とする。が、子ができない中、外の女に子ができ、秀忠に遠慮して弟の子にしたとか(2025/04/24)


丸亀城に行ったとき、道誉を思い出した。道誉の子孫がこの城にすんだのかと(2019/11/19)


丸亀城といえば京極氏。佐々木道誉の子孫ですね(養子のため血脈として繋がってはいないようですが)(2019/12/03)


臨済寺にある赤松義則の墓。父は赤松則祐、母は佐々木道誉の娘です。則祐48歳のときの子で大変遅い。僧籍にあって、妻を娶るに際して還俗したということか? 則祐が亡くなり義則が家督を継いだのは14歳。叔父 赤松氏範の幕府への挙兵では討伐軍に加わり、氏範自害後に引き取って播州清水寺に葬った。(2025/06/24)


赤松さんや京極さんという方をTVなどで見たり聞いたりすると、つい、円心や道誉の子孫かなと想像して、ニヤニヤする自分がいる!(2019/12/05)


今日はクリスマス。イエス・キリストと尼子経久の誕生日(笑)。経久はあの婆娑羅大名、佐々木道誉の来孫(玄孫の子)にあたります。主家の京極政経が亡くなるとその地位を奪取、塩冶氏に養子を送って乗っ取るなど、典型的な戦国時代の梟勇です。山陰を中心に十一ヶ国を掌握しました。(2025/12/25)


(尼子経久は)毛利元就、宇喜多直家とともに中国地方の三大謀将と云われる戦国大名のはしり。謀将とは、さすが婆娑羅大名、佐々木道誉の子孫だけのことはある。緒形拳の名演技が思い出されますね!(2024/12/25)


道誉は派手な婆娑羅大名、経久は地味な実力派戦国大名。一見、子孫とは思えない(2022/05/28)


☆ 佐々木一門 ☆


南北朝時代には朽木氏秀が、当時、北朝側だった楠木正儀の救援で、南朝側の楠木一族と戦ったりもしてます!(2024/01/28)


北朝の中で孤立し、南軍に攻められる正儀の支援に道誉が動こうとしましたが、息子の高秀が細川頼之と仲が悪かったので助けようとせず、代わって兵を出したのが佐々木一門の朽木、という構図かと。(2024/01/28)


今日は黒田如水の命日。軍師官兵衛はまだ記憶に新しいですね。諸説ありますが、黒田氏は宇多源氏佐々木流である京極氏の二代目、佐々木満信の子、宗満の子孫とされます。宗満の兄、宗氏の嫡男が佐々木道誉という関係です。一説に、黒田氏は室町幕府将軍の奉公衆であったともされます。(2025/04/19)


(今井宗久役の)陣内孝則さんのコメント読むと、宗久は近江佐々木源氏。道誉と同族らしい!つくづく道誉に縁があるんですね。生涯通してのはまり役だったかと!!(2020/08/15)

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