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第67話 北河内 楠木紀行 後編

☆四条畷~津田~楠葉☆


四条畷にある和田賢秀の墓。楠木正行・正時・正儀兄弟の従兄弟だが、楠木正季の息子とされるのは正成の兄弟の中で正季の名が有名だったからか。一般的に楠木正成の甥だから、この和田は河内和田氏であり、読みは「わだ」と解釈されるが明確ではない。昔から物語などでは「みぎた」と伝承されていた。(2025/06/11)


諸説あるが私の理解は、和田賢秀は熊野国造/橘氏流の和田(わだ)ではなく、大中臣氏流の和田(みぎた)氏の分家筋。楠木正成と姻戚を結んで味方し、その功で和泉国の「岸」を所領とし「岸和田(きしわだ)氏」を名乗るようになる。しかし四條畷合戦前に「岸」を失い、再び和田(みぎた)を名乗ったというもの(2025/06/12)


誤解生じる書き方だったので捕捉します。楠木正成と姻戚関係を結び、岸の地を与えられたのは和田賢秀の祖父や親くらいの世代。私の小説では岸和田治氏の兄弟が和田正氏で、楠木家の猶子となり正成の兄弟になったとしてます。その正氏の子が賢秀という設定。(2025/06/12)


津田サイエンスヒルズから南を見上げた写真。この向こうが津田城跡。津田監物の祖先で、楠木正儀の猶子という津田正信が築いたと伝わるが、築城は孫の世代か。元々、楠木正成に味方した十市範高(中原氏)が近くの国見城(津田古城)に入って津田を名乗り、湊川合戦後に幼い正儀を匿って養育したという(2025/06/06)


この山田池公園の辺りが津熊氏の館跡。津熊三郎は楠木正儀に従った忠臣です。他にも北河内・摂津には先の津田範高を始め、笹田五郎、交野秀則、渡辺左衛門尉など楠木氏に味方する武士がいて、東条を出奔して北朝に転じた正儀を支えました。小説 正儀伝は彼らもそれぞれ重要な役割で登場させています。(2025/06/07)


浄瑠璃の演目、楠葉道心ゆかりの久親恩寺です。楠木党の篠崎六郎が幼い姉弟を残し行方を眩ます。楠木正儀が憐れんで姉弟を引き取るが、姉は尼になりここに庵を結んだというのが寺の縁起に纏わる因話。正儀の没年が載った過去帳があったが十年前の火事で焼失。寺紋は流れ菊水。水の部分が異なります。(2025/06/04)

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