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第66話 北河内 楠木紀行 前編

Xへのポストを備忘録代わりに文字のみ記載してます。写真もご覧になりたい方は、Xにて『榎並城 shodamae_jiro』で検索し、そのポストから引用ポストで順次辿ってみてください。


☆野江~三ツ島~四条畷☆


楠木の痕跡を求め北河内へ。ここは榎並城跡(今の野江水神社と榎並小学校)。北朝に帰順して東条を追われた楠木正儀が最初に拠った渡辺氏の支城です。後に一族を含む南軍に攻められた正儀は榎並城で幕府加勢を待つが、正儀に反発する幕府諸将は、淀川の対岸まで進軍するも助けようとせず傍観しました。(2025/06/02)


写真は一休さんの母のものと伝わる墓。家紋は菊水です。ここ三ツ島(倉満荘?)は南北朝合一後に楠木正儀の子(弟?甥?)正澄(伊予守楠木正顕?正顕の子?)が移り住んだとされる。南朝側の官女だった正澄の三女(伊予局?)が京の内裏に出仕し、後小松天皇に見初められて生んだのが一休という話。(2025/06/03)


花山院家や日野中納言の娘との伝承もありますが。伊予守→伊予局という関係から楠木説に一票です。日野中納言が北朝なら、後小松天皇の乳父だった日野資教となり、楠木の娘を猶子として引き受け天皇の側室とした可能性もあります。また一休が生まれたのは応永の乱の前。楠木も朝敵ではなかったかと。(2025/06/03)


一休が後小松天皇の御落胤だったとして、異母弟になる称光天皇も素行に大いなる問題があるので、楠木の血筋だけが原因ではないかもしれませんね。もしかすると、逆に楠木の血が一休の暴発を抑えていた面もあったりして…(2025/06/03)


私見だが、正澄は楠木河内守正儀の子ではなく、楠木伊予守正顕の子で、後を継いで伊予守だったのではないか。伊予守(正顕)は一次資料にある実在の人物だが、後世に伝わらなかった為、その実績が正儀のこととして伝承されたのか。和田賢秀が正成の甥というだけで正季の子として伝承されたのと同じでは…(2025/06/03)


四條畷神社です。主祭神はもちろん楠木正行。正時も奉られてます。この日は七五三に詣でる子をペコちゃんがお出迎え。今時は誕生日に詣でる家族も多いそう。社務所に楠木三兄弟物語が貼られてました。ただし、正儀は奉られてないので、愛知の三法神社の摂社、楠公神社へ。正儀を奉る唯一の神社だとか。(2025/06/13)


後編に続く

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