レポート-3
サオリは昔の新聞から切り抜かれた教団の写真を眺めた。それは警察の強制捜査を受ける直前に行われた新聞社からの取材による記事で、教団の幹部が取材に応じた唯一の記録だ。そこでは他愛もない教義が語られていた。
現実への不満。理想郷の意義。そして、それが死後の世界にしかないこと……過去に腐るほど存在した厭世的な主張、言い換えれば御大層な現実逃避だ。わからないのは、何故この主張に多くの人間が惹きつけられ、自らを死へと向かわせたのかだ。時代背景を考慮しても不可解さは残る。
サオリはそこから暗い力の流れのようなものを感じ取った。明確な言葉で表現することはできない。だがその写真は、人を闇へと押しやる暗い力のようなものを連想させた。
教団のシンボルマークである黒い蜘蛛のレリーフの前に、虚ろな目をした信者達が立っている。新聞に掲載される写真独特の荒い粒子のせいもあって、彼らは現実の人間には思えなかった。
僕はアヤナさんについて何を知っていたんでしょうね? と小説家は言った。当時、彼女に関しては色々な噂が絶えなかったそうだ。
「家族とは血が繋がっていなくて虐待されて庭に住んでいるとか、金持ちの男の愛人だとか、別人のような格好をして遠くの街で遊んでいるのを見たとか、物凄い金額の遺産を相続しているとか……まあ、綺麗で無口な子にはとかく妙な噂がつきまとうものですけど、彼女は特別それが多くて。でも、正面切って訊ねる奴はいないんですよ。みんな遠くから見てる感じで……僕もその一人だったんですけどね」
私は彼女について何を知っているのだろう?
自分が知っているのは、研究室で計画の指揮を取る彼女の姿。そして、二人きりの時に優しく抱き締めてくれたこと。彼女の腕の中にいるとき、サオリは彼女に甘え、安心することができた。
だが。
彼女が時折覗かせた、全てに絶望したような表情。自分自身にさえ価値を見い出すことを諦めたような割り切った考え方……それらは何処からきたものだったのか。あの自らを摩り減らすような男性遍歴も、何かに追い立てられてのものだったのか?
サオリはアヤナの側にいた。彼女の中の暗闇にも気づいていたはずだ。だが、サオリはそのことには気づかないふりをしていた。自分のことで精一杯だった。甘えるばかりで、相手のことなど考えていなかった。そして確かに側にいた存在が消えた時、知らなかったものの大きさに驚かされた。
彼女が何を考え、何を見つめていたのか。故郷へと赴き、生い立ちを調べれば、真実に近づけると思っていた。だが現実はその逆だ。調べれば調べるほどに奇妙な事実が現れて理解を妨げる。
例えば、新塚健児のこと。
アヤナが姿を消した夜、新塚健児が交通事故で死亡している。サオリは新塚健児とアヤナの間に何らかの経緯があったと推察した。彼の事故現場に居合わせた直後にアヤナは姿を消しているし、タカハラの話からも彼とアヤナとの間に何らかの繋がりがあったと思われる。タカハラは新塚健児自身の口から、彼が一時期アヤナの故郷に滞在していたことを聞いていた。
この事実を知らされた時、これこそが花村綾菜失踪の謎を解く鍵になると思ったものだ。だが意外なことに、彼とアヤナとの繋がりは何一つ見つからなかった。
確かに親戚の者は彼の名を知っていたし、彼等の家に彼が訪れたこともあったようだ。しかし、
『ああ、確かに来たことがあったわね。でも一回だけだし、それっきり会ったことないわよ? ほとんど話をした記憶もないわ』
と従姉妹の女性は言った。幾つかの事実を繋ぎ合わせてみると、確かに彼女の言葉は真実のようだった。アヤナの叔父と新塚健児の父親は仕事上の付き合いがあり、その関係で一度だけアヤナの住んでいた家を訪れた、ただそれだけのようだ。とてもアヤナと彼との間に繋がりがあるとは思えない。彼の死によってアヤナが姿を消さなければならない理由が何一つ見当たらないのだ。
二人が再会した当時の様子から察するに、大学進学後に別の場所で再会していたとは思えない。だが十年近くの時の流れを越えてまで、アヤナを動揺させるような出来事が過去にあったとも考えにくい。勿論、いくらでも勝手な憶測は可能だが、そんなあやふやなものを根拠にしたくはない。
失踪の原因を彼女の過去に求めていたサオリは、そこで大きな壁にぶつかった。もしかすると全く別の要因が関わってくるのかもしれない。もし、それが事故や犯罪に関わるものならば、それはもう警察の領分だ。いくら口がうまくとも、小説家の手に負える範囲ではない。
だが、それでもサオリは何処かに引っ掛かるものがあった。アヤナの失踪は彼女自身に原因があるように思えてならないのだ。それは研究者としての勘。渾沌とした世界の中に一筋の光明を見い出すことができる探究者としての感覚。サオリは自分にそれがあることを信じたかった。
新塚健児に関する資料として、小説家は彼の撮った写真集を幾つか持ってきた。小説家は元々新塚健児のファンだったらしく、彼の作品には詳しかった。
アヤナのことを考えるとき、サオリは時折それらを眺める。
彼は撮影技術を専門学校で学んだような職業写真家とは違い、現場のアシスタントをこなしながら実践技術を培ってきたタイプだったので、アイドルのグラビア撮影から風景写真まで、かなり手広く仕事をこなしていた。アーティストとしてのエゴを表に出すこともなく、仕事や対象に合わせた画面作りをしていた。だが根底に流れる感覚は全てにおいて共通していた。儚気な、それでいて凛とした視線。それは控えめだが決して揺らぐことのない、芸術家としての姿勢に思えた。
サオリはロック以外の芸術には疎いが、才能ある人間だったのだな、と思う。
新塚健児は多くの人間に愛された人間だったようだ。普段飄々としているタカハラやオカダも、彼のことになると表情を曇らせる。それは彼の死を悼む為、彼の死によって精神を崩壊させてしまった一人の少女を悼む為だ。
真珠という少女の写真集がサオリの手元にある。髪を鮮やかな青に染めた人形のような少女。そのあどけない表情と扇情的な身体のアンバランスさの魅力は、新塚健児の控えめな構図によって逆に一層引き出されている。その美しさは同性であるサオリにも恐いほどにわかった。いや、むしろ女性であるからこそわかる美しさを引き出せる新塚健児のセンスにこそ目を見張るものがあった。
その少女……新塚健児の婚約者だった少女は今、病院にいる。彼女の精神は恋人の死の瞬間を目撃する衝撃に耐えられなかった。アヤナと新塚健児との関係を知る唯一の人間と思われるが、今の彼女は完全に心を閉ざしており話をすることは不可能だ。
真実へと至る道もまた、そこから先は闇に閉ざされている。




