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レポート  作者: 篠森京夜
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 思うに、人間に自尊心は不必要だ。

 ほんの僅かな所有物や経験に、後生大事にするほどの価値があるとは思えない。自分の個性だと思っているものの殆どは、所属する共同体から抜き出した知識の集積に過ぎず、あとはその時代に影響された細部の装飾のようなものだ。

 本当に独自なものなどありはしない。所詮は時の流れに巻き込まれて消えていくもの、その程度の存在だ。

 生命活動の素となる炭水化物、タンパク質、脂質、その他の栄養分。これらが必要な量は限られており、過剰に摂取しても無駄なだけだ。行き過ぎると不健康ですらあるし、逆に高価なだけで栄養分の少ないものをわざわざ買う必要などない。

 車や通信機具、コンピューターなども、生活や仕事の上で作業を能率的に進める為に最低限必要なものさえ揃えれば、後は躍起になって買うほどのものでもない。社会における地位もまた、その者の実力に付随するものであるべきだ。実力もないままに地位のみを求めるのは間違っている。

 いや、実力がないからこそ、高い地位を求めるのかもしれないが。

 本当に価値あるものとは何か。それは、生物としての人間が必要とするもの。それがなくては生きてはいけないものだ。

 携帯電話やパソコンがなくても生きていける。

 テレビやシャンプーがなくても死にはしない。

 なくても生きていけるのなら、そこに本当の価値はない。確かにそれらは便利だし、その存在や使用者を否定したりはしないが。少なくとも、所有する事のみで人間の価値が上がるとは思えない。

 そう思う。


 おそらくは、前述した私の意見とは異なる意義を持つ価値も存在するのだろう。だが、私にはそれが何かはわからない。

 少なくとも、自分のちっぽけな自尊心のみを大事にするのは間違っている。

 十数年もすれば意味を失うだろう最先端の知識や、つたない技術、金に任せて手に入れた所有物。

 何処に価値があるというのだろうか?

 本当の価値は別にある。

 いや、あるはずだ。


 私は自分自身を尊重する事を否定する。

 ちっぽけな自尊心を尊重する事を否定する。

 それのみを追い求める人生を否定する。

 それによってしか生きていけない人間を否定する。

 自分自身を愛したくはない。

 少なくとも、それのみを愛したくはない。

 本当に必要なものは別にあるはずだ。


 自尊心を持つ事が悪い事だとは言わない。

 だが自尊心ゆえに人生が制限されるなら、そんなものはいらない。

 自尊心と引換えに自由が奪われるなら、そんなものは願い下げだ。

 生きる事を苦しまねばならないなら尚更のこと。

 私達はもっと自由に生きるべきだ。


 私はそう思っている。


   /


 最近になって、ケンジは携帯電話を使い始めた。

 私がここに来た頃、彼はアパートに一台備付けの古めかしい黒電話を使っていた。だがそれでは仕事にも不便だろうということで、私が携帯電話を持つことを提案したのだ。ケンジは電化製品が苦手なので最初は難色を示していたが、実際のところ彼自身もアパートと現場の距離に不便を感じていたらしく、しぶしぶながら使い始めた。

 最初の頃は出先で使い方を忘れて、路上の公衆電話を使ったりしていた。何かにつけてアパートに、おそらくはわざと忘れたりして暗に使うのを嫌がったりもしたし、かかってきた電話に出ないこともあった。その内、かかってきた電話にはきちんと対応するようになったが、これは後で電話してきた人に文句を言われるのが嫌だったからのようだ。

 どうやらケンジが電化製品を嫌うのは、使いこなせるようになるまでに時間がかかるのは勿論のこと、何よりも他人の目を過剰に気にしてしまうせいらしい。直接聞いたわけではないが、過去、どうやら彼のそばにはいつも、彼がきちんと物を扱えるかどうかを気にかける者がいたようだ。

 誰だって苦手な事を練習しているときに気にされるのは嫌なもの。特にケンジはその思いが強く、他人に気にされると本来の実力さえも発揮できないようだった。

 私は彼に携帯電話を持たせてからは、なるべく構わないようにした。手順を間違えても騒がず、間違えた一つ手前の状態に戻し、すぐに返す。彼がアパートに携帯電話を忘れていけば、次の日には黙って彼の鞄の中に入れておく。

 彼が初めて自分で携帯電話を使ってアパートに電話をかけてきたのは、そんなやり取りが一週間ほど続いた次の日の事だった。その時は私の方が戸惑ってしまい、逆にケンジに文句を言われてしまった。

 最近では携帯電話を使うことに抵抗を感じなくなったらしく、逆に私に自分が使っているところをちらりと見せたりする。どうやら、自分が携帯電話を使えるところを見て欲しいらしい。それなのに、私がそれに気づくと、こそこそと物陰に隠れたりする。

 そんな時の彼の仕種は、たまらなく可笑しかったりする。

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