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レポート  作者: 篠森京夜
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 私の研究室は、生物学の研究室という言葉から一般的に連想されるイメージ……薬品の列や薄汚れた機具の山、そこかしこで蠢いている実験用の小動物……といったものとはかけ離れた空間だ。

 研究室の扉を開けると、私は幽かに鳴り響くコンピューターの作動音と冷房の効いた清潔な空気に全身を浸した。塵一つ落ちていない床の上で靴がたてる小さな音が、私の意識を徐々に高揚させていく。

 私は整然と並べられたコンピューターを愛しい想いで眺めた。

 この箱の中で、私の研究は随時進められているのだ。

「どう? 『ホムンクルス』の様子は」

 声をかけると、部屋の隅でモニタと向かい合っていた男が振り向いた。縁の細い眼鏡をかけた、少し太った男だ。この研究の協力者で、名をタヤマという。

「おはようございます、花村さん。今のところ大きな変化はありませんね。『6』が相変わらず増加、『イジドア』は減少。でも安定してきました」

「昨日からのデータは誰が?」

「小島君が一人でやってくれましたよ。よくやってくれてます。あ、今はデータの分析をしてますから」

「そう」

 私は軽く相槌を打つとモニタを覗き込んだ。

 『ホムンクルス』とは私達が進めている研究計画の名称だ。内容を一言で表せば『人工生命』だろうか。もっとも、生命と言ってもコンピューターの中の数値でしかない。何層にも連結させたコンピューターの中に一定のパターンを持った数値の『生物』……ホムンクルスを放す。ホムンクルスにプログラムされた目的は唯一つ、自己の情報をいかに長く保持するかということだ。

 ホムンクルスには一定の長さの寿命が設定してあり、その為自己増殖して自らの情報を増やさなければならない。加えてホムンクルスの情報は、複製する毎に低確率でランダムな変化を起こすようになっている。その為、世代を重ねれば重ねるほどにホムンクルスはその性質を変化させ、コンピューター内の環境に応じて生存数も変動するのだ。

 そう、まるで本物の生物と同じように。

 名前の由来はゲーテの『ファウスト』に出てくる人工の妖精の名前だ。研究室の扉にはこの作品から引用した文章が掲げられている。実際は原文で書かれているのだが、簡単に訳すとこうなる。


『 生物がそこから出てきた微妙な点

  内部から押し出でる妙なる力

  受け与え

  自分の姿を創り出し

  最初は身近なものを

  次に遠いものを我がものにするというあの力 』


 ちなみに全くと言っていいほど文学的な知識とセンスに欠けているカジワラは、意味のわからないことを書かないでほしいものだと時折愚痴をこぼしている。

 と、研究室の扉を開けて一人の女の子が入ってきた。

 短く切り揃えた黒髪の、華奢な身体を白いカッターシャツとベージュのパンツで包んだ小柄な女の子だ。大きめの瞳が私を見つけて更に大きく見開かれる。

「あ……おはようございます。花村先輩」

「おはよう、サオリちゃん。昨日は頑張ってくれたんだってね」

 小島佐織は今年から研究室に配属になった大学の三年生だ。少し融通が利かないところはあるが、素直ないい子だ。余程大事に育てられたのだろうと一目でわかる性格と容姿をしている。

 私は隣のタヤマの肩を叩き、昼食はまだだろうから行ってきたら? と言った。

「花村さんはどうするんです? それにゼミは?」

「今日は休みよ」

「それじゃあ、お先に行かせてもらいます」

 タヤマが足早に学食に向かう。優秀で真面目で、一つのことに集中すると他のことは目に入らなくなる典型的な研究者タイプ。彼は生物学科の人間ではなく、隣接する工学部の情報システム学科の人間だ。私も含めて生物学科の人間では、コンピューターを扱うことはできてもシステムの構築と制御までは手が及ばない。そこでかねてから交流のあった彼に頼み込み、無理を言って来て貰っているのだ。もっとも、このシステムの開発が彼の修士論文のテーマなので、関係は持ちつ持たれつなのだが。

「さてと。私の可愛い小人達はどうなっているかしら」

 モニタの前に腰を下ろして検索し始めると、隣にサオリが座ってレポートを差し出した。記された数値変動を予め想定された結果と比較し、大まかな流れをつかむ。

「やっぱり『6』が増加してるわね。このぶんだと次の変動も乗り越えそうね」

 『6』は現在最も勢力のあるホムンクルスだ。全てが同じ特性を持ち、分裂によって増殖する無性の生命。均整の取れた正四面体構造に近いデータを持ち、名前の由来である6つの結合部で他の仲間と連結する。その構造はダイヤモンドのように強固なもので、これまでのどのような環境の変化にも耐え、増殖を続けている。

 『6』は完全なまでに自分以外の要素を排除した存在であり、他者を排除することで自分達の勢力を伸ばしている。つまり、彼等の目は全て自分自身に向き、自分自身を愛し、守っているのだ。そしてその強力な同胞への……いや、自分への愛が結果として自分達の勢力を拡大させることになる。

 これと対照的なのが『イジドア』だ。『6』と祖先を同じにしながら、全く異なる増殖パターンを手に入れたホムンクルス。フレキシブルな構造と結合部を持ち、そのデータは増殖時に限らず微妙に変化し続ける。また、複数の個体が融合して新しい個体へと分離する性質がある。

 『イジドア』は環境が変化する度にその数を大幅に減少させ、わずかに生き残った新しい環境に耐えられるものが再び増殖して存続し続けてきた。しかし今では『6』の勢力に押され、その数は減少の一途を辿っている。

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