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カジワラは私が所属している研究室の教授であり、私の研究の協力者である。
私は大学院生の一人でしかないが、ポジション的にはカジワラの助手のように思われているはずだ。何故なら、彼の研究室で行われている実験計画の実質的な指揮を私がとっているからだ。
高校を卒業して大学の生物学科へと進んだ私は、当時助教授に就任したばかりだったカジワラの目に留まり、公私共に実力を認められてパートナーとなることになった。
つまりは助手、兼、愛人だ。
カジワラは研究者としては野心が強く、俗物的な人間だ。地道な研究を続けるよりも、いかに名声を得るかということに全ての情熱を傾けている。自分では明晰な頭脳の持ち主であるつもりだが、本当の意味で頭がいいとは言えない。確かに知識だけは異常なほどに頭の中に詰まっているが、その運用の仕方はありきたりなものでしかない。何処かで聞いたような論理や、使い古された手法、彼はそれに少しの修飾と御大層な言葉を付け加ええ、さも斬新なものであるかのように見せかけている。
確かに、その巧みさと器用さには眼を見張るものがある。しかし、私はそんな彼を持て囃す者達が理解できない。何だったら、彼の講釈から偉そうな言葉や専門用語を抜き出し、わかりやすく簡単な言葉に置き換えてみるといい。そこに何か非凡なものが残っているとは到底思えない。
それならば何故、私がカジワラとの関係を続けているかと言うと……それは彼が非常に『利用しやすい馬鹿』だからだ。
「不況のせいだな。いいレストランが減ってきてる」
カジワラは長々と最近のレストラン事情について語った。
私はカジワラと共に大学から少し離れたレストランで昼食を摂っていた。
「別に私は味にこだわったりはしません。それに、そんな風に目の前で愚痴をこぼされては、美味しい料理だって不味くなります。やめてください」
「しかしねえ……」
「文句があるなら最初から入らなければいいでしょう?」
私は手を止めて口元を拭いた。
カジワラと共にいるとまともな思考さえ困難になってくる。話題は本質を離れ細分化し、取るに足りない違いがさも重要なことのように語られる。しかも分析を加えたからといって、何か有意義なことを見出すわけでもない。細部は細部のまま続き、本質との距離は開くばかりだ。
カジワラの話は延々と続き、私は自分が食べているのは料理ではなく、皿の模様や材料の産地名のような気がしてきた。
「食事は文化だよ。多くの文化がそうであるように、生物のように進化を続け、成熟を迎える。多くの豊かな価値がそこには集まってくるんだ」
カジワラは言った。
「つまり、進化の果ての袋小路ですね」
私は答えた。
「歪んだ進化を続けると生物としての本質を離れ、無意味で虚弱な物が生み出されます。人間のように」
「君の言うことは少しきつすぎる」
カジワラは顔をしかめた。
「君だって人間の文化を否定するわけじゃないだろう?」
「……どうでしょうね」
私は食べ終えると席を立った。さっぱり食べた気がしない。いくら私が味に無関心と言っても、これなら駅前のファーストフードでテイクアウトした方が遥かにましだ。
「実験が気になりますので。失礼します」
「待てよ。花村くん」
駐車場でカジワラが追いついてきた。
無理矢理私を車の中に連れ込むと、猫撫で声で訊ねてくる。
「今夜、何処かに行かないか? 二人でゆっくりとさあ」
「実験があります」
「他の奴に任せればいい。それに今朝のこともある」
カジワラは突然口調を変えた。
「君は最近調子に乗りすぎている。大学での立場も考えた方がいい。僕との関係もだ」
「私と教授の関係は研究のパートナー。それ以上でもそれ以下でもありません。私は研究を続け、貴方はそれを発表する。それでいいじゃありませんか」
「君はとんだ売女だよ。だ、だらしなく男をくわえこんで……今日だってそうだ」
冷静に努めきれず、その口調が僅かにどもる。
「今日の男とはどんな風にやった? ほら、言ってみろよ」
「御自分で想像してください。……お好きでしょう?」
「……アヤナっ!」
カジワラは激高して車のハンドルを殴りつけた。
私が調べた所によると、カジワラは今でこそ二枚目気取りの優男だが、彼がそのような人間になったのは教授になって名声を手に入れてからだ。
それまでの彼は、まるで女性というものに縁のない人間だったらしい。小さい頃からの詰め込み教育、幼稚園から大学まで受験のみを目的とした生活の中、彼が母親以外の女性と口を聞いた回数はどれだけあったのだろう? 彼にとって女性は手に入らない存在であり、遠くを通り過ぎて行くものでしかなかった。そんな彼が女性に対して暴走した欲望と純粋な幻想、そして根深い憎しみを抱くようになっても不思議なことではないだろう。
……しかし、私が彼に対して慈善活動をする義務はない。
「教授。私、とても反省しています」
カジワラが今更何を言っていると言わんばかりの目で私を睨む。
「本当です。……信じて貰えないかもしれませんね」
疑いの眼差しが躊躇へと変わる。私は更にしおらしい声を作り、上目遣いにカジワラを見つめた。
「でも、本当なんです」
慌てて私から目を逸らし、カジワラが焦点の合わない目で何事か考え始める。
さて、カジワラの精神構造から察するに、彼の次の行動は……。
「さ、最初からそう言えばいいんだよ……君は強情で困る」
私の肩をつかみ、精一杯威厳を保とうとしながら、カジワラは幻想と妄想にまみれた頭で私の言動の査定を続けている。興奮の為か指が震え、鼻息が荒い。私の指がズボンの上からカジワラの股間を撫でる。
「アヤナ君。これからは……」
私は丁度いい場所を探り当てると、彼の股間をつかんで思いっきり捻り上げた。カジワラが大きく目を見開き、手足を小さく痙攣させて声にならない呻きを洩らす。
「ア、アヤナ……君?」
カジワラは目の前でお菓子を取り上げられた子供のような目で私を見た。
「もううんざりなんですよ。確かに私は教授から色々と援助をしていただきました。しかし、それはあの計画の成功で充分にお返ししたと思っています」
「だ、だがね。アヤナ君? 私達のこれまでの関係は……」
「関係が何だと言うんです?」
私はカジワラをつかむ指に力を込めた。カジワラの目が更に大きく開かれる。
「教授?」
私はカジワラの顎に指をそえて顔を上げさせた。
「私だってこの大学を離れたくはありません。あの研究はまだ途中ですからね。教授だって今さら計画をストップさせたくはないでしょう?」
カジワラは小刻みに頭を上下させた。
「私と貴方は研究のパートナー……それでいいじゃありませんか。違いますか?」
「そ、そうだね。アヤナ君。わ、私もそう思うよ」
「関係を綺麗にする為に、頂いたものはお返し致します」
「い、いや、それには及ばないよ」
「いいえ、結構です」
手に思いきり力を込め、カジワラが小さく呻いて痙攣する。
「……では、私は研究の方を進めさせていただきます」
私は手を離すと二、三回振った。そして助手席のドアを開けて外に出た。
カジワラは暫く運転席に座り込んだままぼんやりとしていたが、糸の切れた操り人形のように顔を上げると、私を見て引き吊った笑みを浮かべた。
「ねえ、今のをもう一回やってくれないか? 何でも好きなものをあげるからさ」
私はドアを叩きつけるように閉めて立ち去った。




