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ロゼルの孵化  作者: 汐の音


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41/41

語り尽きることのない時間(とき)を※

 “御前、失礼いたします。これにてお(いとま)を”


 退出の挨拶に訪れたロゼルとノエルを目にし、大人三名は等しく茶を吹きそうになった。


「っ……!?」


「あら! あらあら……まぁあ!」


「ロゼル……その、格好は?」


 謁見の間ではない。

 案内されたのは、ごく私的な友人を招いて寛ぐための皇室の居間(リビング)だった。

 皇王マルセルはひたすら下手なことを口走らぬよう、興味深そうに口許を押さえて。

 皇妃雪花(ゆきはな)はなぜか、頬を染めて嬉しそうに。

 夫妻の反対側のソファーで座していたミシェルは、脱力しつつ問うた。『答えは何となくわかる』と顔に書いてあったが。


 ぽん、とロゼルの細い肩を抱いてにこにこと説明し始めたのは、他ならぬノエル皇子。

 対するロゼルは複雑そうな面持ちとなった。


「私の、以前のものを。どうせ持っていても着ませんからあげました。どうです? 似合うでしょう」


「髪は? 切ってしまったの?」


 ――……気にするべきはそこなのか、と思いはしたが相手は皇妃。ロゼルは至極真面目な顔で答えた。


「いえ、元々短かったんです。昨日の朝、ちょっと思いつきで切ってしまいまして」


「まぁあ……ずいぶんと思いきったのね。なるほど、なるほど?」


「ですので」


 肩から皇子の手をやんわりと外しつつ、ロゼルは紳士の礼をとった。由緒ある貴族にふさわしい立ち居振舞い。騎士見習いもかくやという凛々しさだった。


「大変ありがたいお話で、身に余る栄誉と存じますが。私は、一の(しん)として殿下にお仕えしたいのです。

 誠心誠意、命の限り。次代のキーラ家の総力をもってレガートに尽くすと誓いましょう。お許しいただけるのならば」



「――許すよ。もちろん」


 誰もが息を詰めて見守るなか。

 誓いに耳を傾けるなかで、マルセルのみが柔らかい声音で応じた。

 とても温かみのある笑みで。


(この方の……こういう空気。不敬だけれど流石だな。ノエルそっくりだ)


 「顔をあげて、ロゼル嬢」と、促されて従う。

 見回すと誰もが微笑んでいた。

 ほんの少し痛ましげに見えるのは、ノエルを(おもんぱか)ってのことだろう。

 当のノエルは飄々としているが。


「送り届けて来ます。破れてしまいましたが恋敵の元に。あいつの瞳の色をまとう彼女をそのまま返すのは、どうにも癪だったので」



 ……なるほど、そういう……――


「「!」」


 妙に納得の色を漂わせた男装の令嬢に、皇王夫妻は今度こそ吹き出した。




   *   *   *




 四頭立てで(いなな)く白馬。

 レガート皇室の紋が刻まれた車体が颯爽とキーラ家を発ってしばらく。ロゼルはむっつりと腕を組むイデアに睨まれていた。

 ()せない。首を傾げる。


「怒ってるの、先生?」


「怒ってません。ロゼル様」


「そう? とっても機嫌が悪いみたいだけど」


「機嫌……は、悪いです。本当に、なんて底意地の悪い殿下だ……」


 チャ、と眼鏡を取り、天を仰いで目許を押さえる。そのまま俯き、力なく(かぶり)を振った。

 一歩近寄る。人払いはしてある。当分ここには誰も来ない。

 なにしろ邸の私室だ。服装の気楽さも相まって、ロゼルは自然体だった。


 シンプルな立て襟の白シャツ。薄手だが保温性の高い毛織りのカーディガン。共布のショール。厚手で直線的なストレートパンツ。

 短く、肩口で揺れる焦げ茶の巻き毛がよく似合っている。イデアにとっては――



「わっ!」


「まったく……、どうしてくれるんです?! 今朝のドレス姿を再び見られなかったのは残念です。非常に残念ですが、これはこれで」


「その、発言自体がものすごく残念なんだが……?」


「いいんです。僕は残念な男です。貴女が手に入るなら、底意地の悪い殿下に忠誠を誓うくらい何程のこともない。お安いものです」


「……残念な上に、不敬極まりないね?」


 この際、皇王を前に去来した所感は綺麗さっぱり棚に上げる。

 問答無用に閉じ込められた腕のなか。ぼそっと呟くと、髪に指を差し入れられた。


「残念で、不敬で失礼な男ですが……どうやら、受け入れてくださるのでしょう?」


 ――――求婚を。


 ぞくり、と背に響く低音でささやきかける家庭教師に、ロゼルは耳が赤くなるのを感じた。

 悔しいので返事はしない。

 代わりに、目の前の銀縁眼鏡に手を伸ばす。

 いとしい少女の攻撃(?)に、イデアはとっさに反応できなかった。


「ロゼ……ル、様?」


「むかつく。それに眼鏡(これ)、ずっと邪魔だった」



 ――怒ってる。不機嫌。まさにそんな表情で睨みあげる。

(さっきの。今まで全部の仕返しだよ、()()()()()

 右手で邪魔物(めがね)を取り除いたまま、左手でかれの後頭部に手をかける。

 みひらかれる水色の瞳に、ざまあみろと思った。



「――……」


 声もなくロゼルからの口づけに甘んじるイデアは、おそらく彼女が思う以上のダメージを受けている。

 肩を抱く手から力が抜けている。引き寄せられていた力も。


(やりすぎたかな)

 そぅ……っと唇を離すと、閉じられていた灰茶色(アッシュブラウン)の睫毛がゆるゆると上げられた。かなり陶然としている。

 ロゼルはムッとした。

 大丈夫? と、声をかけようとしたら、逆に真剣に尋ねられた。


「いまのは……『答え』と、受けとって構いませんか?」



 ――――あぁうん、答え。答えね。


 一秒か十秒。それとも一分弱ほど考えてしまったかもしれない。

 それでもロゼルは微笑んだ。

 いつもとは少し違う。ほどけるような、素直な笑みだった。


「しょうがないよ。貴方といるときが一番、私が私らしいと思える。……貴方の絵が好きだ。愛してる。熱烈に全部、自分のものにしたい」


「!!!!」



 青年が瞬時に固まり、赤くなった。

 こんなに見事な赤面を初めて見た。盛んに瞬きを繰り返したあと、「ちょ……すみません、あの。破壊力が」などと(のたま)い、そっぽを向いてしまう。解せん。


 でも。


 ふ、とロゼルは笑みほころんだ。

 今は届かない。まだまだ全然遠い。どんどん遠くなればいい。その分、必ずまた追いかけるから。


 ――以前、こっそり壁に描いた絵が視界に映る。わざわざ本当に掛けてある風景画の隣に、同じ額縁で囲んで描いたので違和感が全くない。良いだまし絵(トリックアート)だと気に入っている。


『まさか、これを(えが)かれるとは……本当にお好きなんですね? あの絵が』


 と、遠方から帰国した教師に見せて、開口一番に言わせた。

(そう。好きなんだ)

 大事なことは声に出せない。まだ言えない。

 あの幼い日、目に焼き付けた翠の森の乙女と白馬。その細密画(ミニアチュール)がそこにある。


 たぶん、あの時からずっと。



「ね、先生」


「……はい」


 打ちひしがれた声音に構うことなく、ロゼルは眼鏡を差し出した。にっこりと笑いかける。


挿絵(By みてみん)


「私はね、貴方を越えたいんだ。その上で手に入れたい。だから……教えてくれる? まだまだ、たくさんのことを」


「…………ッ!」


 そうして瞳を伏せ。

 眼鏡を装着していないこめかみに向け、そっと口づけた。




   *   *   *




 十九才の花嫁と、二十九歳の花婿が幸せそうに語らうそれは、五年前の思い出話。


 これからもずっと、ずぅっと続くのだろう二人の追いかけ合いは、年齢だろうが身分だろうが、本人の言い張る腕前だろうが、ひらいた距離をなくすための大切な一時(ひととき)に繋がっている。


 言えなかった言葉を少しずつ、伝えられるようになった少女。

 女性となり、母となってなお男装は改めなかった、困った彼女の。



 ――――これは、大事な孵化の物語。






 fin.





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― 新着の感想 ―
[一言] めちゃくちゃ良かった! 旦那から帰るメールがないのを良いことに、ご飯作らずに読んじゃった!!!! 性癖ィィィィ!!!! 刺さった!刺さりまくりですよ汐の音さん!!!! あー……ノエルも惜…
[良い点] 完結おめでとうございます! 作品がエタらず完結する系作者としてきっちり仕上げてくれた感じですね。そしてシリーズものとはいえ本当にこれ単体でずいぶん楽しませて頂きました……。 最後まで先生が…
[良い点] 読み終えて、今はただ、感動に打ち震え涙が止まりせん。 色々感想を述べたいのですが、それも作品の良さには色褪せるものでしかなく、控えます。 ただただ、ここまで毎回更新を楽しみにさせて頂いた作…
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