第9話
康大はゆっくりと目を開ける。
身体が消える瞬間、強い光に包まれ、何が起こったのか全く理解出来なかった。
目を開けられるようになったのは、あれから数秒経ってからだ。
右腕に伝わる鎧の感触から、目を開けずともハイアサースが側にいるのは分かっていた。
果たして彼女の鎧を掴んだ状態はそのままで、自分達がいる場所だけが変わっていた。
「ここは……?」
先にハイアサースが呟く。
まず大前提として、屋外では無かった。
そこそこの広さを持つ部屋で、窓は全て閉められ、今がどれぐらいの時刻かさえ分からない。しかし、不思議と暗くはなく、室内の様子も簡単に見ることが出来た。これもこの館を作った智者の力なのだろうか。
転送して強制的に連れてこられたこの部屋を一言で例えるなら、まさに植物園だ。
康大とハイアサースが立っている場所がわずかな通路で、後は数多くの花壇によって部屋が占められている。花壇には様々な草花が咲き乱れ、康大が見たことのあるようなものや、確実に地球上に存在しない造形のものまで色々あった。
そして、康大とハイアサースにとって最も重要なのは、
「この部屋には出入り口がないな……」
という点である。
とりあえず康大とハイアサースは手分けして、閉まったままの木の窓を開けようと手をかけた。
この部屋が死と智の館(校舎)内にあるのなら、窓を開ければ外に出られる。3階建てだったので、最上階でもぎりぎり飛び降りられる高さだろう。
しかし、木の扉はぴくりとも動かなかった。
ハイアサースはまだしも、康大の怪力でもまったく反応がない。
というより。
「……これ力を入れると、その分のスカラーが相殺される感じだな」
「全く以て意味が分からん!」
「簡単に言うと、この窓は力を入れたそばから、その力が抜かれるんだよ。全力で開けようとした俺とお前の力が全く同じになるんだ」
「いまいち意味が分からんが、結局どうやっても開けられないということだな」
「そういうこと」
これ以上は無駄とばかりに、康大は窓から手を離す。
「まさかこのまま草でも食って助けが来るのを待て、なんて話でもないだろう。どこかに脱出するためのヒントがあるはずだ」
「それならあれが関係してるんじゃないか?」
「あれ?」
ハイアサースが指さした方向を見ると、白い壁に、血のように赤くおどろおどろしい大きな文字で、何かが書かれていた。
ただ残念ながらその文字は、康大の知識のどこにも存在しない文字だった。
「これは古代フォートラ文字だな。聖書にも使われる言葉だから私なら読めるぞ」
「助かる。声に出して読んでくれ」
「わかった。えっとなになに……相変わらず文法が全然違うし、言い方が古くさいし読みにくい……。そもそもおら神学校じゃフォートラはちょっとしか習わなかったし。ああコムヅカシ……」
なにやらぶつぶつと文句を言いながら、それでも訳をする。
おそらく康大が古文を訳すのと同じ感覚なのだろう。古文は苦手なので、その気持ちはよく分かる。結局出来なかったらどうしようと心配しながら、康大はハイアサースを見守った。
「うん、分かったべ。使ってる単語自体は簡単だったのが幸いだな」
幸いにも最低限の能力はあったようで、結果はしっかりと出た。
「ほぼ直訳するから変な言葉使いになるかもしれんが、そこは目を瞑ってくれ。ではいくぞ。「この部屋には毒の花があります。その花を抜けば毒は消え、頭良いへの次の扉が開かれると思います。しかし、抜けなければ頭悪いはまもなく死にます。間違った花を抜くも死にます」、と」
「いきなり全力で殺しに来てやがる!?」
知らぬ間にマリアの言うやんごとなき人より、自分達の方がはるか命の危険にさらされていた。
「さて、どうする?」
「いやどうするって!? ていうかお前余裕だな!」
「ふっ、私は心を入れ替えたのだ。余計なことを考えて取り乱すなら、最初から何も考えずお前の指示に従っていれば良い、とな!」
「とな、じゃねーよ! そんなクソ情けないこと自信たっぷりに言うなや!」
康大にはハイアサースの無神経が心の底から羨ましかった。そして、この場にいるのが自分ではなくフォックスバードだったらと、心の底のさらにその底から思うのだった。
「……圭阿の拷問から、毒だけは俺達も無事ではいられない事が分かっている。とにかく今は力の限りこのトラップから脱出する方法を考えよう」
「そうだな」
そう答えると、ハイアサースはいきなり身近にあった花を抜こうとする。
「答えが分かったのか!」と感心するより「絶対こいつ何も分かってねえ!」という方が明らかに正解に思えた康大は、それを慌てて止める。
「お前様はマジいきなり何をされるのでしょうか!?」
「なんだ、その変な言い方は。私はただ直感に従って抜こうとしただけだ」
「駄目でしょ! それ絶対従っちゃめっなやつよ! めっよ!」
「気持ち悪いなお前。いや、だから考えないようにした分、直感で役に立とうと」
「逆に思いっきり足引っ張って今死にそうになったよ! 今度そんなことしたらおっぱい揉むだけじゃなくて吸うぞ! 生乳しゃぶるぞ!」
「おま――。婚約者だからといって言って良い事と悪い事があるベ!」
「とにかくこれからは何をしたら良いか分からなくなったら本当にもう指1本動かさないでじっとしていてくださいマジで」
最終的に康大はまくしたて、頼み込むように言った。
そのあまりに必死な様子から、ハイアサースもさすがに罪悪感を覚えたのか、「分かった……」と小声で頷いた。
ほっと胸をなで下ろし、康大はこの謎を解くべく改めて部屋の様子を探る。
この部屋には壁に書かれた文字と花壇以外、変わった物は何も無い。窓のない壁は完全な白い無地で、家具の類いも一切無い。
また詳しく花壇を見てみると、大きさが微妙に違う長方形で区切られ、綺麗な碁盤目状にはなっていなかった。
(とりあえずアイツの言葉も参考にしてみるか)
試しに通路を回り、花壇の隙間やつなぎ目などを念入りに調べてみたが、その辺りには何も無かった。さらに草花を調べてみたが、人工的な加工を施された後は一切無く、どれも自然のままだった。
念のためハイアサースに毒草はないか聞いてみたが、返ってきた答えは、
「そもそもここにある草花はほぼ全て生まれて初めて見るものだ」
というものだった。
100種類は下らない草花が植えられているのにそうだとしたら、この草花はこの部屋にのみに存在する魔法的な植物なのかもしれない。そうだった場合、知識だけで解決するのは確実に無理だ。
(そう、ここは知識じゃなく知恵で解決するルートを見つけるんだ)
康大は自分にそう言い聞かせる。
「あっ……」
それから2人してさらに花壇を詳しく調べていると、突然ハイアサースが声を上げた。
後ろを振り返ると、そこには鼻血を垂らしているハイアサースが。
どんなにゾンビ化が進んでも、彼女が自然に鼻血を流したことなど今まで一度も無かった。本人は「問題ない」と言っていたが、それが毒の影響であることは、火を見るより明らかであった。
時間がない。
頭脳労働専門家に、より重い責務がのしかかる。
「せめて壁の文字が読めたら……」
壁の字を見ながら康大は悔しげに呟いた。なぞなぞ、というわけでもないだろうが、もし正確に訳せたらそこにヒントがあったかもしれないのに。
「……ん?」
その時、康大はある違和感に気付いた。
それは最初から読めないと決めつけ、今までじっくり見なかった為に気付かなかったことだった。
気付いたい以上、それを調べないわけにはいかない。
「なあハイアサース。もう一度壁の文字を、俺の指示に従って正確に訳してくれないか?」
「ん?」
「!?」
康大は思わず息を呑む。
そう虚ろに答えたハイアサースの顔は、ほぼ血まみれになっていたのだ。
おそらくあふれ出る鼻血を手でぬぐっていたのだろう。血が抜けすぎて頭がぼうっとしているのか。
シャーマンからはほとんど血が出なかったという話だったが、ハイアサースは違った。やはりゾンビ化には個人差が大きかった。ハイアサースの場合、このまま出血多量死もありえる。
いずれにしろ、こんな状態では解読などとても出来るようには思えない。
しかしハイアサースは身体を大儀そうに動かしながら、康大の指示に従い、区切られた文章ごとに文字を読んでいく。
「いくぞ……、この部屋/ある/頭が/良い/扉/続く/向こう……多分そんな感じの言葉だ/もしくは/1本/毒の花/可能/抜く……」
「ストップ! 毒の花って書かれたところはここなんだな!?」
康大はその部分のセンテンスを指さして確認する。
「ああ、そうだ」
「よし! だとしたら……ここが正解だ!」
康大はある花壇の前で足を止めた。
ハイアサースにはなぜ康大がそう思ったのか、全く分からない。たとえ頭が正常だったとしても、結果は同じだったろう。
康大はその理由をハイアサースではなく、自分に言い聞かせるように言った。
「この壁の文章は実はそのまま花壇を現している。区切られたセンテンスの数とその長さが、現実の花壇にちょうど一致するんだよ。そうすると、"毒の花"というセンテンスと一致する花壇に、問題の毒の花はあると考えられる。それがここだ……って!?」
確かに花壇の推測はついた。
だが花壇に咲いている花は1本だけでなはなかった。
少なく見積もっても10本はある。他の花壇は草ばかりで花は少なかったのに、この花壇だけやたら彩りが豊かだった。
ハイアサースの訳を踏まえれば、その中から正解は1本だけ。他は全部アウトだ。
この問題を作った人間の性格の悪さが窺い知れる。
果たしてこの色とりどりの花のどれが正解なのか。
康大は改めて壁の文字を見る。禍々しい赤い文字は、ハイアサースから流れる血を連想させた。
そのハイアサースも壁の文字を最後まで訳そうとしているが、声も小さくなり、何を言っているのかさえ分からなくなる。
「っくそ! どの色の花を抜けば良いんだよ! ここまできて……いや!」
康大は頭を振る。
もし色が分からないなら、色に関わるヒントを探せば良い。
そして、この場で連想できる色など、最初から一つしかなかった。
「これだ!」
康大は迷うことなく赤い花を抜く。
その瞬間、ハイアサースが消え、康大自身の身体も大きく揺らいだ。
それも当然で、花壇を残したまま、部屋の床だけ消えたのだ。
康大とハイアサースは為す術無く、下の階へと落ちて行った――。




