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第19話:ドン・ゾコ、全品半額閉店セール開催!

 出勤したら、店の前に張り紙があった。蛍光紙は黄色で、店長の達筆で書かれていた。


「——閉店セール?」


 最近、また少しほっそりとした様子の天音あまねが隣で固まっている。


『閉店セール! いるものもいらないものも全部持ってけ全品半額!』


 マジックで書かれた文字は、いつも通り迷いがなかった。字だけ見れば、普通のディスカウントストアの閉店セールだ。でも、この店で「閉店」という言葉が出ることの意味を、俺たちは知ってしまった。


「……入ろう」


 ドアを開けて入ると、蛍光灯の点滅が今夜はさらにひどい。チカチカどころじゃない。点いて、消えて、点いて、消えて。呼吸というより痙攣に近く感じる。


「遅刻だぞ」


 鬼怒川きぬがわ店長がいつもの仏頂面で、いつもみたいに腕を組んでいる。


「店長、張り紙——」

「見た通りだ。今夜から、閉店セールをやる」


 店長の声は淡々としていた。


「閉店って——本当に、閉めるんですか」

「店は閉めねぇ。……《《俺が閉まるんだ》》」


 天音が息を呑んだ。俺も呑んだ。「俺が閉まる」。それは——


おぼろと話をつけた。今夜、境界をリセットする。俺が成仏すれば、千歳の魂も解放されて、境界が一度リセットされる。そのあとは——」


 店長が俺を見た。


「お前が引き継げ」


『この店を継ぎたい』と確かに思ったが、こんなに早いと覚悟もまだできていない。けれど、俺が、やるしかないんだろう。


「……はい」

「返事が小せぇ!」

「——はい!」

「うるせぇ。ちょうどいい声で言え。頼んだぞ」


 店長は優しく笑い、俺の頭をポンと叩いた。


     ◇ ◇ ◇


 閉店セールの準備は、普通のセールとはまるで違った。


「POPを書け。書けるだけ書くんだ。」

「書けるだけって——」

「俺の字が入ってるやつは全部新しく書き直せ」


 店長の意図が分かった。今の店内のPOPの多くは俺の絵に店長の字。店長がいなくなったら、字が書ける人間がいなくなる。だから今夜のうちに、全部俺の手で書き直す。


「字ってそんなすぐ上手くなりますか」

「だからずっと練習しろと言っただろう。今夜からもう、本番だ」


 蛍光紙とマジックペンを抱えて、棚の前に座り込んだ。霊感キャンドル、除霊スプレー、怨念消臭剤、境界線テープ、成仏まんじゅう、浄化シャンプー、お香セット——全部で四十品以上ある。一晩で全部書き直す。


 無理だ。


 無理だけど、やるしかない。


     ◇ ◇ ◇


 午前二時半。セールの噂はもう広まっていた。


 最初に来たのは常連の犬だった。いつも通り尻尾を振って入ってきて、いつもと違って売り場の前で立ち止まった。「全品半額」のPOPを見て、クゥン、と一声鳴いた。何も買ったことのない犬が、初めて検討している様子だった。


 次に来たのは花子さんズだった。三人揃って、トイレットペーパーを山ほど抱えてきた。


「閉店セールやって!? ほんまに!?」


 関西弁の花子さんが叫ぶ。


「はい、たくさん買ってください!」

「うちら死んでからここしか遊ぶとこないんよ!」

「……閉店しますけど、また開店します」

「商店街の閉店セール詐欺みたいなもんか?」


 花子さんズが俺をじっと見る。学校の怪談のくせに、全然怖くない。


「今日この店、お客さん増えるやろ? うちら、トイレ周りの案内したろか」

「案内?」


「トイレの場所聞かれんの、うちらの十八番や」


 花子さんズがトイレットペーパーを抱えたまま、店の奥に散っていった。トイレの専門家が、店の案内係になってくれるらしい。そんなにトイレを借りる客もいないが、ありがたく働いてもらおう。


 口裂け女が来たのは午前三時前だった。ハイヒールの音がして、サングラスにマスクのいつもの出で立ちで入ってきた。今日はカラコンを両方つけている。


「セールのこと、聞いた」

「早いですね、噂」

「境界ってそういうもんなの。空気で伝わる」


 口裂け女がマスクの上から口元を押さえる。


「わたしも手伝う」

「え?」

「接客。得意なの、実は」

「口裂けさんが接客——」

「マスク外さなければ美人でしょ、わたし。渋谷で声かけられるくらいには」


 確かにそうだけれど……。俺が断る前に、彼女はレジの横に立った。


「いらっしゃいませ、の言い方教えて」


 今、得意だって言ってなかったか?


「あ、普通に言えばいいです」

「わたし、口裂けてるから、『い』の発音が広がるの。いぃぃらっしゃいませ、ってなる」

「……マスクのまま、声は張らなくていいです」


 口裂け女がマスク越しに笑っていた。


     ◇ ◇ ◇


 茶色い髪を揺らして、奏太かなたが来た。いつもニコニコと愛らしい笑顔なのに、今夜は目が据わっている。



「……店長、マジでいなくなんの?」

「……わからない。でも、そう言ってる」


 奏太が唇を噛む。ポケットに手を突っ込んだまま、しばらく黙っていた。


「……俺さ、あんまり役に立つことできないけど」

「うん」


「境界が不安定で、店に入れないやつがいるっぽくて。——俺、外走ってそいつら案内するわ」

「危なくない?」

「死んでるのに何が? ——閉店までに、一人でも多く連れてくる!」


 奏太は自動ドアから飛び出していった。息つく間もなく、ざしきが天音の足元からひょこっと顔を出す。


「ざしきもやる!」

「何を?」

「ざしきわらしだもん。いるだけで幸運度があがるの。今日はがんばっていっぱいいる」


 意味が分からなかったが、ざしきが棚の上に座ると、蛍光灯の明滅が安定した。お客様もこのほうが過ごしやすいだろう。


「……すごいじゃん」

「えへへ」


 ざしきが赤い着物の袖を振った。


     ◇ ◇ ◇


 客が増え始めた。


 見たことのない霊が次々に入ってくる。奏太が連れてきたのだろう。境界付近で迷っていた、行き場がなくて、現世と幽世の間をうろうろしていた者たち。


 御守りを探す老人。遊び道具を探す少年。タバコを買いに来た作業員の霊。花を探している若い女性。迷子の子供の霊——天音が抱き上げて、怨念消臭剤の棚の前で「大丈夫だよ」と言っていた。腕の霊紋が、ぼんやりと光っている。


「天音、無理しないで」

「無理、してないよ。全然、大丈夫」


 嘘だ。霊に触るたびに霊紋が広がるのを、俺は知っている。でも天音は止まらなかった。迷子の霊を下ろして、次の客に向かう。花子さんズがトイレの場所を案内している。口裂け女が「いらっしゃいませ」とマスク越しに言っている。意外と様になってきた。


 俺は、みんなの手伝いに助けられPOPを書き続けた。


 床の上に蛍光紙を広げて、棚の前で膝をつく。絵を描いて、字を書く。店長みたいにはいかないけれど、丁寧に、一画一画書いていく。


 『霊感キャンドル ほのかに灯る あっち側の明かり』


 絵は——ロウソクの炎と、小さな魂の光。前に店長に褒められたやつの、少しだけ上手くなったバージョン。


 次。


 『除霊スプレー やさしく祓う 無香料タイプ』


 次。


 『怨念消臭剤 恨みのニオイに 業務用』


 次、次、次。手が痛い。マジックペンを握る指が攣りそうだ。でも止まれない。今夜中に全部書き直すと、店長と約束したから。


     ◇ ◇ ◇


 午前四時。


 蛍光灯がパン! と音を立てて消え、店が真っ暗になった。暗闇の中、蓄光の商品と、蛍光紙だけが光っている。POPの蛍光ピンクと蛍光イエローと蛍光グリーンが、暗い店内で浮かび上がる。


 棚がひとりでにガタガタと三十センチくらい動き、商品がけたたましい音を立てて落ちた。


「——来る」


 鬼怒川店長の声だった。


 ビキ! と音が鳴り壁にひびが入る。ひびは細く、天井から床まで一直線に走った。ひびの隙間から、光が漏れた。温かい、オレンジ色の光だ。昼間、シャッターの隙間から見えたのと同じ色——これは千歳ちとせさんの色、なのか。


「千歳——」


 店長が壁に手を当てると、光がひびに沿って広がった。壁が、震えている。


「おつかれさまでした」


 朧の声だ。いつの間に店内にいたんだ。黒いコートに白い手袋、穏やかな目元で俺たちを見ている。


「鬼怒川さん。今です」


 鬼怒川店長が壁から手を離し、ゆっくりと振り返り俺たちを見た。天音を。ざしきを。口裂け女を。花子さんズを。迷子の霊を抱いた天音を。POPを山ほど抱えた俺を。


「——全員、聞け」


 店長の声が、暗い店内に響く。壁の光だけが照らす中で、鬼怒川のリーゼントが、影になって大きく見えた。


「俺はこれから、この店を出る。出たら、戻らねぇ」


 ざしきが泣き出し、天音がざしきを抱きしめ、口裂け女がサングラスを外した。


「だが、店は残る。この馬鹿が引き継ぐ」


 俺のことを“馬鹿”だなんて、最後まで酷い人だ。


「商品の仕入れは朧に聞け。境界の開閉は天音が覚えろ。常連の対応は——見た通りだ。お前らがやってくれている」


 店長が、一つ息を吐いた。


「——POP、見せろ」


 俺は手元の蛍光紙を差し出した。下手くそだが、四十枚ぶん全部書いた。店長が一枚一枚、見ていく。


「……72点」


微妙にうれしくも悔しくもない点数で反応に困っていると、店長が蛍光紙を俺に返した。


「絵はうまくなった。字は——まぁ、そのうちマシになるだろ」


 マシ。天音の言葉と同じだ。この店の人間は、「マシ」が最上級の褒め言葉らしい。


 壁のひびが広がり、千歳さんの光が強くなっていく。


「——時間です」


 朧が静かに言った。鬼怒川店長が、レジに立つ。最後に、自身のエプロンから名札を外し、さらにエプロンも脱ぐ。カウンターの上、畳んだ黒いエプロンと『代理店長 鬼怒川』の名札が置かれた。


「……店長」

「なんだ」


 俺の口から出た言葉は、自分でも予想しなかったものだった。


「——店長のPOP、書いていいですか」


 俺から店長へ閉店セールの、最後の一枚を渡したい。蛍光紙を一枚取って、膝の上で描き始めた。リーゼントの男が仏頂面で腕を組んで、マジックペンを持っている絵。


 『代理店長 鬼怒川 ——二十五年間、ありがとうございました』


 蛍光紙を差し出し、店長に押し付けた。


 鬼怒川店長がそれを受け取ると、しばらくじっと、見ていた。


「似てねぇな」


横から首を出してきた天音が「そう? 結構似てるよ」と笑顔でフォローを入れてくれた。


「すみません」

「俺のリーゼントはもっとこう、バリッとしてるだろうが」

「次は上手く描きます」

「次はねぇ」


 鬼怒川店長が笑った。口角が上がるとかじゃなく、ちゃんとガハハ、と笑った。俺がこの店にきてから……いや、この二十五年で、初めてかもしれない。


「……いい店員だったよ、お前ら」


 その声が終わるか終わらないかで——壁のひびが大きく開いた。


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