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第二部・第19話:保護対象

朝のリビングで、翔はトーストを齧りながら、何の気なしにテレビをつけていた。


 昨夜、メモ帳に「由美復讐計画」と打ち込んでから、頭の中はずっとその一語の周囲を回っていた。

 持久戦をどう設計するか。

 卒業まで残された時間で、どこをどう詰めるか。

 考え事には、テレビの音くらいの雑音がちょうどいい。


 そう思っていたのに、画面の中で、聞き慣れない単語が大きく出た。


 『男性保護エリア、関西・東北にも対象拡大が決定』


 翔の手が、止まる。


 司会者が落ち着いた声で読み上げる。


「これまで九州と北海道の一部地域で試験的に運用されてきた男性保護エリアですが、本日の閣議決定により、関西と東北の指定地域にも順次拡大されることが正式に発表されました」


 画面の下にテロップが流れる。

 地図が表示される。

 九州、北海道、そこに関西と東北の一部が、別の色で塗り足されていく。


 翔は箸ならぬパン皿の角を、無意識に指で叩いた。


 知らない単語じゃない。

 ニュースで何度か聞いた覚えはある。

 ただ、今まで「自分には関係ない地方の話」として頭の隅に流していた。


 今、関西と東北まで広がった。


 次は、関東かもしれない。


 ◇


「澪」


 翔が呼ぶと、洗面所から戻ってきた澪が「うん?」と顔を出した。


 画面を指差す。


「男性保護エリアって、何だ?」


 澪は画面をちらりと見て、それから少し困ったような顔をした。


「兄様、本当に知らないの?」


「ニュースで単語だけ聞いたことはある。中身は知らない」


「ああ……」


 澪は皿を持ったままソファの端に座る。


「噛み砕いて説明するなら――」


 言いながら、澪は一瞬だけ言葉を選ぶ仕草をした。

 いつもの早口がない。

 それだけで、軽い話題ではないと分かる。


「男性の数があまりにも少ないので、男性を一定の地域に集めて、安全に暮らせる環境を国家がサポートしようっていう制度です」


 画面の中で、解説者が同じことを別の言い方で並べている。


「具体的には、住居、医療、教育、それから……結婚相手の紹介や進路相談まで、自治体と国が一括で面倒を見る仕組みになっていて」


 翔の眉が、わずかに動く。


「結婚相手の紹介?」


「はい。国家サポート、って言い方なんですけど。要は、相手探しまで手配します、っていう」


 澪はそこで一拍置いて、付け足した。


「ただ、生活はあくまで“護送付き”です。区域内で暮らすのは自由ですけど、外への移動には申請がいる。社会活動も、制限がある」


「制限?」


「学校とか、仕事とか。エリア外への通学・通勤は原則できなくて、エリアの中にある専用の学校・職場で完結する形です」


 翔は、皿の上のトーストを置いた。


「……それ、保護じゃなくて隔離じゃないか」


「言い方の問題、って言えば言い方の問題ですけど」


 澪は否定しなかった。


「私もそう思います」


 ◇


「非人道的だろ⁉」


 翔は思わず声を上げた。


 画面の中の解説者は、にこやかに「男性の安全と将来のために」と繰り返している。

 その口調が、余計に薄ら寒い。


「住む場所を決められて、外に自由に出られなくて、結婚相手まで手配される。それのどこが保護なんだよ」


「分かります」


 澪は静かに頷く。


「でも、関東以外の地方は、本当に酷いらしいんです」


 言葉の端に、ためらいが混ざる。


「男性が一人もいない町、ってもう普通にあって。その状態で十代の男の子が暮らすと、どこへ行っても“見られる”側になる。学校でも、通学路でも、コンビニでも。中には、押し掛けられたり、勝手に家に来られたり……そういうレベルの話が、地方では起きてるって」


「……」


「関東は、まだマシな方なんです。芸能事務所とか大学とか企業が集中してて、男性が比較的集まってる。比較的、ですけど」


 澪は画面を見ながら続ける。


「だから国としては、男性を地方にも“分散させたい”。でも普通に分散させたら、その男の子の安全が保てない。だから、保護と分散をセットで進める。その結論が、男性保護エリアです」


 翔は、しばらく黙った。


 画面では、街頭インタビューが流れていた。

 地方の女性が、笑顔で「うちの娘にも、ちゃんと結婚相手が回ってきますように」と話している。

 悪気はなさそうだった。

 悪気がない、ということが、一番怖かった。


「……男性なら」


 翔は、少し低い声で言った。


「平行世界から、定期的に来てるだろ」


 その言葉に、澪は一瞬だけ目を伏せた。


「来てます」


「俺も、由衣も、遼も、周も――由美も」


「うん」


「それだけ来てるなら、人数の足しになるんじゃないのか」


 澪は静かに首を振った。


「あんなの、稀なケースですよ。年に何人とか、その程度。データに載るほどじゃないし、制度の前提にもならない」


 その答え方が、妙に事務的だった。

 澪も、おそらく以前から調べているのだ。

 調べた上で、稀、という結論を持っている。


 ◇


「シャレになってねえ」


 翔は、思わず口に出した。


 澪は深く頷く。


「そうです」


「シャレで済まないから、ニュースになってるんです」


 その応答に、翔は一拍置いてから、首を横に振った。


「……いや、そうじゃない」


「え?」


 澪が顔を上げる。


 翔は、テレビを見たまま言った。


「ここで言う“シャレにならない”ってのは、もしこのまま制度が広がったら――」


 声に出すと、より生々しくなる。


「俺も、保護対象として、どこかに隔離されるかもしれない、ってことだ」


 澪が、息を呑んだ。


 翔は、あえて言葉にしなかった部分を、頭の中だけで続けた。


 ――そうなれば、復讐どころじゃない。


 由美への持久戦も、玲奈との指切りも、テニスも、配信も、由衣との生活も、父との関係も、全部、申請ベースの面会と限られた通信に縮む。

 卒業まで一年と少し、なんて余裕のある計画は成立しなくなる。


 やばい。


 やばすぎる。


 ◇


「あ!」


 澪が、急に声を上げた。


「でも、芸能人は例外的に、隔離対象ではないらしいですよ」


「は?」


「公的に活動実績がある芸能人、配信者、アスリート――要は“顔と名前が表で売れている男性”は、保護エリアの対象から外される。事務所が安全管理を担保できる前提なら、エリア外の活動が許可されるんです」


 翔は、その情報を一拍で噛み砕いた。


「……よし」


 声に出してから、自分の声の軽さに少しだけ驚く。


「セーフ……か?」


 澪は、少しだけ困ったように笑った。


「ぎりぎり、です」


 ぎりぎり。


 その単語が、思った以上に重く落ちる。


「兄様、今は活動実績で例外扱いだと思うけど。もしどこかで止まったら、判定が変わる可能性はある」


「止まったら、って」


「配信が落ちたり、芸能の動きが鈍ったり――要するに、表での実績がしぼんだら、例外から外れる」


 澪は淡々と続けた。


「だから兄様、ここで芸能を“なんとなく続けてる”じゃ、たぶんダメです」


 ◇


 翔は、テレビ画面に戻っていた地図を、もう一度見た。


 九州。

 北海道。

 関西。

 東北。


 関東以外の地方が、少しずつ別の色に塗られていく。

 次に塗られるのが、いつ、どこになるかは、まだ誰にも分からない。


 卒業まで一年と少し。

 由美復讐計画。

 持久戦。

 長期戦。


 その時間軸の上に、もう一本、別の線が引かれた。


 復讐のために、芸能を捨てない。

 ではなく――芸能を捨てた瞬間、復讐の前提ごと吹き飛ぶ。


 昨日まで、テニスの上達は、復讐への熱の副産物だった。

 配信の継続も、学校に通うのも、同じ。

 復讐に向かって全部のエネルギーが流れ込んでいた。


 今日からは、それに、もう一つ意味が乗る。


 芸能で結果を出し続けること自体が、生存条件になった。


 翔は、テーブルに残ったトーストの端を口に押し込んだ。


 パンの味が、よく分からない。


 代わりに、ラケットの感触と、コートの壁打ちの跡と、由美の作った笑顔と、玲奈の指切りの温度が、頭の中で同時に並ぶ。


 全部、繋がった。


 全振りの行き先が、一つから二つに増えた。


 翔は、空になった皿を持って立ち上がる。


 澪は、まだ少し心配そうな顔でこちらを見ていた。


「兄様、大丈夫?」


「大丈夫だ」


 翔は、短く答える。


「セーフのままでいる方法は、もう知ってる」


 外では、いつものように街の音がしていた。


 その音は、昨日と同じはずなのに、今日は少しだけ違って聞こえた。


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