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第9話:訓練空域の亡霊

エンジンの咆哮が、コンクリートの床を震わせる。

冷えた格納庫の一角、静かに機体が始動する音が響いていた。


「──鳴瀬機、最終確認完了。起動問題なし。」


整備担当の声に、鳴瀬隼也なるせ じゅんやは操縦席から軽く右手を上げた。

視線の先、ヘルメット越しに見えるのは──神谷澪かみや みお


今日から彼女が、正式に“鳴瀬機”の担当整備士として配属された。


「……まあ、頼りにしてるよ、整備士さん。」


「言われなくても。機体は万全にしてあります。問題があるとしたら……」


「俺の腕、ってとこか。」


「……自覚あるならいい。」


少しきつい口調。それでも、口の端には微かに笑みが浮かんでいた。


そのやり取りを背に、地上スタッフが出発シークエンスの開始を告げる。


「イーグル2、タキシング開始。滑走路Bに向かいます。」


 



空は、澄んでいた。

雲ひとつない青空の中、鳴瀬の機体が滑らかに旋回する。


(……風は弱い。気流も安定。やりやすい空だな。)


だが、安心できるほど甘くはない。

今日は模擬訓練復帰初日。しかも“指導機”つきだ。


「こちらイーグル1。イーグル2、チェック入れる。飛行ログ取ってるからな。」


通信に応じたのは、真壁颯士まかべ そうし

訓練空域での指導役を任されるベテランパイロットであり、鳴瀬にとっては――

うっとうしいけれど、信頼できる存在でもある。


「了解、イーグル1。……ご指導、よろしくお願いします。」


「生憎だがな、こっちは命懸けで見てる。無様な飛び方したら、降りてこなくていいぞ。」


「了解しました。」


そう返す声には、微かな緊張がにじんでいた。


滑走路でエンジンをかけるときには感じなかった重圧が、

高度を上げるたびに、肩へ、背中へ、のしかかってくる。


(……また、誰かが死ぬかもって、思ってんのか? 俺が?)


 



模擬訓練は順調だった。

データリンクによる編隊飛行、ターゲット機との交差、標準的な機動確認。


鳴瀬は指示された軌道をほぼ正確にこなし、真壁の無言の承認を得ていた。


だが、次の瞬間。


「……イーグル2、ノイズ入ってる。聞こえるか?」


「イーグル1、こちらも混線しています。バックアップ回線に切り替えます──」


──ブツッ。


突然、通信が切れた。


HUDの一部がノイズで埋まり、コントロールパネルの挙動が一瞬乱れる。


「……これは、演習用のジャミングじゃ……」


次の瞬間、鳴瀬の視界に――“それ”が見えた。


夕焼けに包まれた空、焦げる煙、炎を上げて墜落していく僚機。


爆発の衝撃。無線から聞こえる悲鳴。


「イーグル2、離脱しろ! 今すぐ──!」


その声は、もう過去のものだった。


(俺が……あのとき、命令を聞いていれば……)


スロットルが震える。操縦桿を握る手が、汗で濡れていた。


目の前の空は、今も同じ色だ。

“あの空”が、またここにある気がして──鳴瀬は機体の動きをわずかに乱した。


「イーグル2、姿勢が乱れてるぞ!」


真壁の声が、頭に響いた。


「深呼吸しろ。見るのは“今”の空だ。“過去”は、お前の敵じゃない。」


 



機体は、水平を保ち始めた。

鳴瀬は息を吐き、汗のにじむ手で操縦桿を握り直す。


「イーグル2、復旧完了。通信ノイズ、解消……したようです。」


「申し訳ありません。少し、集中を欠いていました。」


「そっちは“整備士のせい”にできねぇからな。」


皮肉混じりの一言に、鳴瀬は苦笑を返した。


訓練は予定どおり終了。機体は無事帰還コースに入る。


だが鳴瀬の中では、何かが確かに変わり始めていた。


──逃げるだけじゃ、何も変わらない。


この空を飛ぶ意味。それを、自分で見つけなければならない。


 



「お疲れさま。」


格納庫に戻った鳴瀬に、澪が声をかけた。


「機体の状態はほぼ完璧だった。操縦も……問題なかったと思う。」


「そっか。じゃあ、何が“完璧じゃなかった”のか、あとで聞くから。」


その後ろでは、真壁が静かにヘルメットを脱いでいた。


「鳴瀬、悪くなかったぞ。……あのまま墜ちてもおかしくなかったがな。」


「……その評価、恐縮です。」


「生きて帰った奴は皆“合格”だ。今は、それで十分だ。」


真壁はそれだけを言って、背を向けた。


澪は小さく呟いた。


「……訓練の後、あの人、ずっとログ見返してたよ。鳴瀬さんの動き。」


「……気にかけてくれてたんだな。」


「違うよ。……期待してるんだと思う。鳴瀬さんに。」


鳴瀬は何も言わなかった。ただ、天井の蛍光灯を見上げて、


(……俺なんかに?)


と、ぼそりと呟いた。


 


“訓練空域の亡霊”は、まだ空に棲んでいた。


けれど──確かに、風向きは変わり始めていた。

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