小説と自分
とある小説を読み終えた時に感じたことを、これまでの自分も改めて振り返ってみて書いたものです。少しでもこの感覚を共有してもらえたなら嬉しいです。
先日、とても好きだったラノベのシリーズの最終巻を読み終えた。アニメ化までされた学園ラブコメで(これらの情報だけでもおおよそ察しがついてしまう方もいるだろう)、最終的には主人公とメインヒロインがくっつき、ハッピーエンドを迎えた。
キャラに「萌える」というが、恐らく私はこのメインヒロインに「萌えた」のだろう。実を言うと序盤ではあまり惹かれることはなく、むしろサブヒロインに惹かれていたのだが、最終巻で大きくひっくり返された。こんなことを書くと「オタクじゃない」、「最初の推しを愛せ」などと言われてしまいそうだが、事実私のオタク歴はさして長くないので許してほしい。とにもかくにも、私はメインヒロインの魅力に気付き、そして物語は終わった。
誰もが望んだ(と言うと語弊があるが)ハッピーエンド。サブヒロインたちも報われなかった恋に涙を流しながらも主人公とメインヒロインの関係を認め、清々しく物語は終わる。誰にも、どこにも心残りはなく、これ以上なく美しい完結。
なのに、どこかで私は「もやもや」を感じている。
単なる寂しさや続きが読みたいという欲求ではない。うまく言い表せないが、「ああ、終わったんだ」というおぼろげでどうしようもなく悲しい感覚だ。この世界はここから先が描かれることはないのだという喪失感と言ってもいいかもしれない。それが私は苦しい。終わってしまうならばハッピーエンドを望んではいるが、例えハッピーエンドだったとしても私の苦しみは消えないだろう。
はたして共感してくれる人がどれだけいるのかは分からないが、私はどうしてもこの感覚だけは言語化しておきたかった。冷静に読み返してみれば「どんだけ痛いこと書いてんだ」と後で思うかもしれないが、仮にそうだとしてもだ。知人に笑われても構わないという気持ちで私はこれを書いている。
よく考えると、シリーズを丸々一つ最初から最後まで読み終えたのはこのタイトルが初めてかもしれない。とはいえこの感覚は今まで何度も感じてきた。具体的な作品名は避けるが、例えば2010年頃にアニメの火付け役ともなった女子バンドアニメ、或いは昨年主題歌を含めて大ヒットした長編アニメ映画など、今思い返してもこの感覚が蘇る。いずれも綺麗な完結であったはずなのに、どこかで満たされない思いがあるのだ。それはきっと作品の中の物語に関する心残りではなく、言うなれば作品全体、その世界全てへの感情だ。「終わってしまう」ことへの恐怖だ。
作品の未来を自己補完すればいい、と考える人もいるだろう。しかし少なくとも私の場合、自己補完でこの感覚が癒えることはないと断言する。自分が創った未来はどこまでいっても妄想でしかなく、その作品の未来たりえない。「それを言ったら小説なんて作者の妄想だ」とも言われるだろう。しかし私にとって大事なのは「その妄想」なのだ。そういう意味で私にとって作者はまさしく神にも等しく、崇拝する存在にも思える。そしてそのことを思う度に、「ああ、これは創り物なんだな」と事実に打ちのめされ、先程の感覚以上に辛く苦しい感覚に悩まされることになるのだ。
「どんなに感動するフィクションも、真の意味では感動たりえない」。これが創作における最大のジレンマなのだと私は思う。例えどんなに素晴らしい作品でも、例えどれだけ感動出来るストーリーでも、そこから生まれる感動は「創られたもの」だ。こう書いてしまうことになるのは不本意だが、誰かに意図的に仕組まれ、狙われ、そして生み出されたものだ。先述したメインヒロインでさえ、「読者を萌えさせる」という目的のもとに創られた存在である。その事実が、作品が終わる……つまり世界が消えるというフィクション性から浮かび上がり、私の心を空疎にする。これが、青二才が青二才なりに考えた感覚のメカニズムだ。そう結論づけたところで、何一つ苦しさは解消されないのだが。
勘違いしてほしくはないのだが、私は物語の作者を批判しているのではない。むしろ数々の美しい物語を組み立てる作者をこれ以上なく尊敬し、なんなら崇めてさえいる。だが、それでは解決しない大きな問題があるだけなのだ。
つまるところ、私が望むのは永遠に終わることのない物語だ。私を現実に引き戻すことなく永遠に夢を与えてくれる世界と言ってもいい。それは例えば、異世界に転生したいという願いにも似ているかもしれない。実現不可能という点まで含めて、だ。
時折ふと、どうしてここにいるのだろうと思う時がある。やることがなくなり手持ち無沙汰になった休日や、何も考えることなく家への帰り道を歩いている時など。そんな時に感じる感慨は、今思えば作品が終わった時に感じる感覚と似ている。「ここではない世界に行きたい」。「この作品の世界に行きたい」と。
こうしてみると単なる現実逃避にも思えてきたが、実際、作品を書く理由の大半はそんなものではないだろうか。かくいう私もそんな思いで小説を書いている。自分がどこかへ行くことは敵わないけれど、こんな世界へ行きたい。こんな経験をしたい。終わることのない物語を見てみたい。自分が創った物語なら、自己補完はその作品の未来たりえるのだから。
今はまだまだ未熟でも、いつか納得出来る世界を創り出したい。こんな世界に行きたかったんだと胸を張って言える作品を書き上げたい。もしそうなれてもこの苦しい感覚は消えないけれど、もしそうなれたのならば、きっともう少し違った捉え方が出来ると思うから。
だから私は、小説を書き続けるのだ。
初めてエッセイというジャンルで書かせて頂きましたが、内容は本当にただ私が思っていることを文字にしただけです。何か思うことがあれば、感想を書いて頂けると幸いです。