第22話 圏外です
「もしよろしければ、『喫茶こかげ』に行きましょうか?」
神戸氏はそう言って、エンジンをかけた。
「そちらの方が、森川さんも安心して話せるでしょう?」
「……神戸さんがよろしければ」
「では、参りましょう」
そう言って、彼はスーツの前を軽く払ってからシートベルトを締め、車を静かに発進させた。
「神戸さん、『喫茶こかげ』によく行かれるんですか?」
「そうですね。今までに二度ほどお邪魔しました」
「二回、ですか?」
「ええ。今日で二年と三か月と十日ぶりですね」
——細かっ! てか、全然行ってねー。
「とはいえ、入店者のチェックと外観からの観測は毎日行っています。さすがに交代制ですが」
——ある意味、常連!
「それって、監視してるってことですか?」
「観察ですね」
「そんなこと、僕に言っていいんですか?」
「よくないですね。でも、森川さんには嘘をつきたくないんで」
そう言いながら、神戸氏はちらりと僕に視線を送る。
「それだけ、森川さんとは信頼関係を築きたいので」
やがて車は『喫茶こかげ』の駐車場に滑り込んだ。
神戸さんは店のドアを開け、「どうぞ、お先に」と柔らかく微笑んだ。
その仕草はまるで英国紳士のようで……まあ、実際に英国紳士を見たことなんてないけど。
店に入ると、詩織さんの明るい声が迎えてくれた。
「いらっしゃいませー!」
僕が「ども」と軽く挨拶を返すと、
「あれー、また来たんだ!」
と笑顔で迎えてくれた……のも束の間。
僕の後ろにいる神戸氏を見た途端、彼女の表情がピタリと止まる。
そんな空気にも構わず、神戸さんは指を二本立てて言った。
「すいません。2名ですが、上の個室、空いてますか?」
詩織さんは、ちらちらと僕と神戸さんを見比べたあと、なにか言いかけて……結局、口をつぐむ。
僕もどう返せばいいか分からず、「……空いてますか?」と同じ質問を繰り返した。
「……空いてるけど」
渋々といった感じで答えてくれた彼女に、神戸氏は嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。じゃ、行きましょう」
そう言って階段を上がっていく。
僕もそのあとを追おうとしたとき、詩織さんが僕の袖を引いた。
「大丈夫?」
「……たぶん、大丈夫」
曖昧に笑って答え、階段を上った。
二階の部屋では、神戸氏がすでに席に着いてメニューを眺めていた。
僕もその向かいに腰を下ろす。
「夕飯、まだですよね? ここは私が奢らせてください」
そう言ってメニューを差し出してくる。
「自分の分は、自分で払います」
軽く意地を張るように答えると、神戸氏はちょっと悲しげな顔をした。
「奢らせてくださいよ。……経費で落とせるので、私も助かるんです」
「じゃあ、なおさら遠慮しておきます」
ぴしゃりと返しながら、手渡されたメニューをそのまま差し戻した。
そこへ、タイミングよく詩織さんがドアをノックして入ってくる。
「僕は唐揚げ定食で」
神戸氏も「私も同じもので」と続く。
注文を復唱しながら、おしぼりと水を置いた詩織さんは、ちらりと僕の顔を心配そうに見てから出て行った。
「昨日もこちらにいらっしゃったんですよね」
神戸氏は手を拭きながら問いかける。
——監視してたなら分かってるはずだろ。
「何をお話しされたんですか?」
「……監視してたんですよね?」
「ええ。でも、会話までは盗聴できませんから」
「法律的な理由?」
「いえ、技術的な限界です」
神戸氏は室内を見渡して、少し楽しそうに笑った。
「この部屋、音が一切外に漏れないんですよ。話した内容は、ここに閉じ込められる。羨ましいを通り越して、嫉妬すら覚えます」
神戸は、嬉しそうでありながら、どこか苦しげに――ククク、と喉の奥で笑った。
「いろいろと試しました。隠しマイク、最新の盗聴機器……全部ダメでした」
そう言いながら、彼はスマホを取り出して僕に画面を見せる。
「これ、見てください。圏外でしょう?」
画面には、たしかに“圏外”の文字が浮かんでいる。
「この辺りで圏外なんて、普通じゃあり得ない。でもこの部屋では、なぜかそうなるんです」
僕も試しに、自分のスマホを確認する。
「……僕のは、繋がってる」
その瞬間、神戸氏の目がキラリと光った。
「そう、そこなんです。圏外になる人と、ならない人がいるんですよ」
彼は僕と自分のスマホを交互に見比べ、真顔で語る。
「君は繋がって、私は繋がらない。どんな基準かはまだ解明できていませんが……」
軽く首を傾げて、ぽつりと続けた。
「単純明快。御社にとって“害”のある者だけが、圏外になる。それだけです」
そう言ってスマホをポケットにしまいながら、続ける。
「驚くべきは、その判断の精度。完璧です。最新のAIですら、初対面の人間の害意を見抜き、対処するなんて無理なのに、この部屋はできてしまう」
彼の目が真剣になる。
「この部屋は、害意を持つ者だけを、完璧に見分けるんです。僕らの理解を超えた基準で、的確にね」
そして、淡く笑った。
「……まるで、生きてるみたいでしょう?」
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