唯央里の話
「雫さん。話してくださって、ありがとうございます。」
唯央里に突然手を握られ、一気に顔が熱くなってしまった雫は、
「いえっ……ただの私の暗い過去の話で……」
誤魔化すように急いで顔を背けた。
「あ……もしよかったら、唯央里さんのお話も聞かせてもらえませんか?」
「え?私の話、ですか?」
「はい。あと、その面を取ってから話してくださいね!」
「えっ」
「だって、私が話す間はずっと顔見られてたんだから不公平じゃないですか。私も唯央里さんの表情見たいです。話している時の表情……」
唯央里はハッとしたように数秒固まり、そして恐る恐る面を取った。
ゆっくりと雫を見ると、雫が満足そうな笑みを浮かべていて、つい不覚にも心臓が跳ねてしまった。
「私には……兄がいます。
彼の名は……亜斗里。」
唯央里はまだ少し、話すことを躊躇するようにしばらく俯いていた。
雫が促すように、ゆっくりと手に手を重ねると、唯央里は驚いたように顔を上げて、切なげに笑った。
「私も兄も、一般家庭で育ちました。」
「えっ」
「私たち兄弟もエスパーですが、生まれた時からそれを制御する力があった。だから隠して生きていたんです。」
エスパーの力は基本的に、制御の方法を会得しなければ一般社会で隠して生きていくのは難儀だ。
随分と器用で、そしてそれだけの力があるのだろうと雫は思った。
「一般社会では、兄は私と違い、とても優秀でした。
頭も良く、スポーツや芸術も、なんでも才能があったんです。兄はまさに……神童と呼ばれていました。誰もが彼を讃え、期待し、敬っていました。」
唯央里は兄について語るとき、懐かしむような表情ではなく、まるで何かを後悔しているかのように苦しそうな表情で話す。
「しかし、兄には1つだけ唯一の欠点がありました」
「欠点……?」
「私という弟がいることです」
唯央里があまりにも当たり前のように言うので、雫は眉を寄せ下唇を噛んだ。
「しかし兄は、生まれた時からずっと、私の味方でした。いつでも優しくて、私を優先してくれる、自慢の兄でした。」
兄以外に味方はいなかった。
誰もが私を見ると逃げていく。
友達になってくれる子など一人もいない。
子供の頃からずっと、周りには蔑まれて生きてきた。
だから私にとっては兄だけが唯一の救いだった。
もしも兄がいなかったら、この世界のどこにも心の拠り所が無かっただろう。
「高校生になった頃、兄は家に恋人を連れてきました。
とても優しい女性で、私のことをいつも気にかけてくれました。そして……私の顔を初めて……
綺麗な顔だと……言ってくれたんです。」
" 隠さなくてもいいのに "
そう、あなたと同じ言葉を言ってくれた。
「私は卑しくも、兄の恋人を好きになってしまった……」
本当に後悔している。
その穢く汚く幼い感情を制御できなかったこと……
好きになってしまったこと、それ自体を。
「ある日、兄のピアノのコンテストに一緒に行こうとしたことがありました。
私はどうしても……彼女と少しでも2人で過ごしたくて……
弟という立場と、障害者という立場を利用し、彼女と待ち合わせをしました。
一緒に食事をし、一緒に歩いて会場に向かった…。」
彼女はずっと、私が歩くのをサポートしてくれた。
" 大丈夫?ちゃんと掴まってね "
彼女が自分に触れてくれていたその温もりが、今でも忘れられない。私に笑いかけてくれたその笑顔も。
完全に、そんなことに気を取られていた。
普段なら、音や気配、どんなに些細なことでも常人より何百倍も敏感なのに……
" 唯央里くんっ!危ないっ! "
後ろから凄いスピードで走ってきた車に気が付かなかった。
脚を思うように動かせずにもたつく私を、彼女は庇ってくれた。
それは一瞬だった。
まるで人形のように飛んで行く彼女が視界に入る。
声も出せず、飛んで行った杖を拾うこともせず、這いずって彼女の元へ向かった。
血を流す彼女はぐったりしていて、誰がどう見ても手遅れだった。
でも……見える……
私には見えた。
まだそこに……魂があるのが……。
「そう……私のスキルは、生命の操作。」
まだ、間に合うかもしれない……!
いや……間に合わせる!!
私は急いで蘇生のスキルを使った。
大丈夫だと思った。
今まで何度も使ってきたスキルだ。
問題ない。
「しかしこのスキルは、彼女に使ってはいけないものだったのです」
「え……どうしてですか……?」
「彼女のスキルは、スキルの反転。
つまり、どんな力も取り込み、そのスキルとは真逆のものにしてしまうのです…」
そのことを、私は気が動転していてすっかり忘れていた。
彼女の生命が完全に途絶えた瞬間……
" もしも……なんてことないと思うけど、私にはその才能使っちゃダメだからね〜
もし私に使う時は、逆を使ってよね〜 "
以前、車に轢かれた猫を助けた時に、彼女が冗談めかしてそう言っていたことを思い出した。
私は取り返しのつかないことをしてしまった。
彼女の魂を、私が奪ってしまった。
雫は言葉を失った。
どう言葉を発したらいいかわからない。
「私は彼女を殺してしまった。
私のせいで……この世から、美しい人間の命が1つ消えたのです」
唯央里は冷静で表情一つ変えない。
しかし、その胸の内が手に取るように分かる気がした。
「それ以降、兄はかつての兄ではなくなりました。
いや……正確に言えば、本来の兄に戻ったという感じです」
俺はもうずっっと我慢してた!
お前という弟がいる弊害を!
お前がいるだけで、俺の人生がどれだけ大変だったか知らないだろ!!
なんにも知らないお前はいつもヘラヘラしやがって!!
楽でいいよな障害者は!!
そうやって皆に甘えてればいいもんな!!
人の恋人に体預けて頼るのと同じようにな!!
「兄は私を殴り、蹴り、そして殺そうとした」
しかし兄のそのときの怒りの顔は、なぜか私には泣いているように見えた。
なんでっ……!
どうしてお前なんかのためにアイツが死ななきゃならなかったんだよ!
お前が死ねばよかったのに!!
お前なんか!初めから生まれて来なければ良かったのに!!
お前が生まれてこなければ、誰も迷惑しなかった!
親も俺も周りも、全てが順調だったはずだ!
なんで生まれてきたんだよお前!!
人間でもないくせに!
死ね!消えろ!
このバケモノ!!!
散々私に暴力を振るったあと、兄は息を切らしながら俯いた。
そして……消え入りそうな声でこう言った。
" いい加減俺の人生から消えてくれよ頼むから……
消したいんだよ……お前の存在自体を……"
「その時私は初めて、兄の涙を見ました。
後にも先にも、たったそれっきりです。」
そして私は知ってしまった。
兄はずっと、私のことが嫌いだったのだと。
常に完璧を求めていた兄はただ、良い兄を演じていたかっただけなのだと。
「じゃあ……唯央里さんが言ってたその痣の呪いをかけた人っていうのは……」
「はい……私の兄、亜斗里です。」
雫は複雑に眉を寄せる。
ずっと優しく味方だった実の兄に、ある日を境に突然人が変わったように蔑まれる辛さ、
そして、そんな兄をそこまで傷つけてしまった自責の念、自分のせいで死んでしまった想い人に対する感情……
そのどれもがきっと、この人にとって死にたくなるほど重いトラウマとなっているだろう。
決して癒えることのない、一生の見えない傷となって……。
「彼女を轢いた車は、ノーマルの若者たち数名でした。兄はその若者たちを殺し……」
「え……」
「兄も私と同じスキルの持ち主なのです。生命を、吹き込むこともできれば奪うこともできる。」
腕から手にまで広がっている痣を見て、唯央里は目を細める。
兄は実行すると決めたことは昔からなんでも成功させるのだ。
殺して帰ってきた時の、あのドス黒いオーラに満ち満ちた顔が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。




