命持たざるとも死肉を分かち合い
ハリコは、自分の意識が遠ざかっていくかのごとき感覚に襲われ、暫し麻痺したような思考のもとで呆然と目を丸くしていた。
が、まもなく、その感覚はハリコ自身のものではないことに気づく。ハリコにとって、自分の胴体に四肢が繋がっていない状況は初めてのことではない。身体の損壊が生命活動の危機に直結しないリズァーラーとしては、さしてショックを受ける出来事でもない。
自分の身体から、両手両足が勝手にちぎれ落ちた事実を確認し、衝撃のあまり気が遠くなっているのは人間としての意識、ハリコの内部に存在する人間、"リコ"の意識であったろう。
「う、うぅ゛、ぁ゛!」
「グレッサ、リコさんの動きは抑え込めましたか!?マナコさんは無事ですか!?」
デリクが必死になって叫び、呼応するようにグレッサはハリコの胴体にしがみつく力を強める。
すでに手足が自ら脱落し、抵抗するためのすべを失っていたハリコ。だが、それと知らないグレッサは渾身の力で、死体袋の中で横たわり続けるマナコの身体からハリコを引き離そうと引っ張った。
結果、想定外の軽さとなっていたハリコの胴体を抱えて、思いきり後ろへ転げることとなった。
ゴツン、とグレッサが後頭部を床にぶつける音が派手に響き、ハリコとグレッサはそっくりな叫び声を同時に上げる。
「ウ゛ァ゛ァ゛!?」
「う゛ぁ゛ぁ゛!?」
「グレッサ、大丈夫ですか!?そちらに照明の光が向いていないので、様子が見えません!」
相変わらず綿のような身体で身動きが取れないままのデリクは心配そうに声を上げ続けていたが、もはやマナコの身体を、そして自分たちを脅かす存在は無くなったことをグレッサは悟っていた。
胴体に首だけが繋がった姿となったハリコ自身も、文字通りに憑き物が落ちたかのごとく、思考は静けさに満たされていた。
「ウ、ウゥ゛―……。」
「いぁぅ……?」
恐る恐るハリコに問うように声をかけるグレッサ。口腔内の牙が大きく発達しており、彼女もまたハリコ同様に言葉を発せないらしかった。
以前は、顔の下半分が完全に表皮に覆われ、口が存在しないような姿を見せていたが……おそらく、表皮を無理矢理引き裂いて、ずらりと牙の並んだ口を開くことが出来たのだろう。
「ウァ、ウゥ゛、ウ゛。」
「うぅぃ……。」
口が変形して言葉を発せないリズァーラー同士の会話であったが、ハリコがもはや害意を抱いていないことはグレッサにも伝わったらしい。もはや手足の無い身体では、仮にもういちど暴れようと意図したところで、何もできないだろう。
グレッサはハリコの身体を押さえつけるのを止め、床に転がったままの携行照明を拾い、死体袋に包まれたマナコの身体が無事である様を確認し、ついでハリコにも光をあてた。
先ほどから壁際で気を揉み続けているデリクに、現状を伝えるためである。
「あぁ、よかった、マナコさんは無事ですね……えっ、まっ、待ってください、リコさんの、手足がちぎれて……!?グレッサ、そこまでやらなければリコさんを止められなかったんですか!?」
「んぃー。」
「ウガゥ゛、ウグルウ゛ゥ゛。」
ハリコとグレッサは共に首を横に振り、グレッサはハリコを指さし、ハリコはそれを受け止めるようにして、辛うじて胴体と繋がっている首だけを動かし頷いて見せる。
デリクには想像し難いことであったろうが、少なくともグレッサ自身の力で為し得た状況ではなく、ハリコ自身もまた既に自分の置かれた現状に不服が無いことは伝わった。
自分にとって最も大切な存在、マナコの身体を破壊しかねない意思が、勝手に動かす手足など無いに越したことはなかった。
「問題ない……んですね?よかった、リコさんの乱心も収まったんですね。いったい、なぜ、マナコさんの身体を壊そうとなさったのか、理由は分からないままですが……。」
「ガルウ゛ゥ゛ゥー。」
その元凶たる、自分の中に潜む人間だったころの意思。
彼女の名前が"リコ"であることを知っているハリコは、デリクがその名を呼ぶたびに、自分の中から再び彼女が覚醒し、あの剥き出しの憎悪を味わう羽目になるのではないかとの不安を煽られた。
今のところ、ハリコの胸中はハリコ自身の意思だけで占められ、静けさを保っていたが。
「んー。」
「どうしたんですか、グレッサ?リコさんが、持ってこられた死体袋がそちらに?」
グレッサの口は、引き裂かれた表皮部分が再度の癒着を始め、開きづらくなっているらしかった。マナコの場合は瞼が癒着してしまうために目を開きっぱなしにする器具を身に着けていたが、グレッサの場合は同じ現象が口で起きてしまうらしい。
いずれにせよ、明瞭な言葉を発せないことに変わりはないグレッサは、携行照明を部屋の入口へと向け、そこに血の滲んだ死体袋が横たわっている様を見つける。
「あれは……中身は確認していませんが、見たところかなり新鮮な死体のようですね。なるほど、マナコさんを蘇生するための養分として、ここまで持ってこられたのですね、リコさん。」
「ウン、ウン。」
「ますますもって、その直前でマナコさんの身体を壊そうとなさった理由が分かりませんが……グレッサ、死体袋の中身を確認してください。リコさんは、あの状態では、死体を養分液へ加工する作業もままならないでしょう。」
ハリコは、相変わらずデリクが繰り返す"リコ"呼びにハラハラしつつ、頷く。
グレッサも同様に頷き、死体袋を照らすように携行照明を床に置き、死体袋を開きにかかった。万が一、グレッサやデリクではないリズァーラーに死体袋を開けられては、ハリコは唯一動かせる顎で這いずって口で噛みついてでも阻止しに向かっただろう。
新鮮な人間の死体が貴重な養分であることは、マナコについてのみならず、現状における全てのリズァーラーにとって同様の状況だったのだ。
「ん。」
「おぉ、まだ腐敗が進んでいない、人間の死体ではありませんか。それも、警備兵さんの装備を身に着けているということは、栄養状態もよさそうですね。」
もうほぼ皮膚に覆われ尽くして閉じ切った口からグレッサが声を漏らしつつ、示した死体袋の中身を目の当たりにしてデリクも声を明るくする。
そこから先の反応は、グレッサとデリクであればこそ……かつてマナコとハリコから養分液のおすそ分けを受け取って、共に居心地よく寄り添い続けた彼らだからこそ為せたものだったろう。
「では、グレッサ、その死体を養分液へと加工し、マナコさんの身体に注いであげましょう。勝手に自分で吸ってはなりませんよ、もしも余ったら、リコさんも含めた皆で分け合えばいいんです。」
「うん。」
あらためて、ハリコはこの場所でずっとマナコの身体を守りながら待ち続けていたのが、デリクとグレッサであることに感謝の念を抱いていた。
もとをただせば、生前の彼らを処刑し、リズァーラーへと化したのはハリコたち処刑担当チームの仕業だったのだが……デリクとグレッサは、リズァーラーとしての自分たちに、十分すぎるほどの充足感を見出していた。
リズァーラーとして存在しつづけている間、何らの邪魔も入らぬウィトゥスの研究施設の一画で、ずっと水入らずで共に居られたのだから。
「リコさんも、お待ちくださいね。今からグレッサが、あの死体を処理機のもとへ運びますので。」
「ウ゛ゥ゛……。」
あるいは、生前の自分自身の意識を呼び起こすきっかけから、遠く離れたままで居続けたおかげかもしれない。ハリコ自身、あの家、"マナコ"と"リコ"の姉妹が暮らしていた家に入るまで、自分の中から生前の記憶を呼び覚ますことなど無かった。
だからこそ、たびたびデリクがこちらに"リコ"と呼びかけるたび、自分自身を恨むあの怨念が内側から蘇ってこないかと、不安を覚えずにいられなかったのだ。
四肢を失った自分の身体にショックを受けたであろう瞬間からずっと、人間としての意識は絶したままではあった。




