第二十一話「裏方仕事」
第二十一話「裏方仕事」
「ほら、雑用は僕がするから、お嬢はお嬢にしか出来ないことしてって」
「うん、ありがと。ハルくんには……じゃあ、明日シャルパンティエに持ち込む荷物を用意して貰っていいかな?」
「もちろん!」
市が引けたので貸家に戻り、忘れないうちに帳簿を付けることにする。
ハルくんには、雑多に積まれた商品を荷ほどきして、個包装するお仕事をお任せした。
「煙草の小分けには小天秤を使うんだけど、使い方は……」
「大丈夫。魔法薬学で習ったよ」
「わ、流石!」
迷ったけれど、明日、ザムエルさんの馬車でシャルパンティエに行くのは、諦めた。
それよりも、ハルくんに追加のお酒を仕入れに行って貰った方がいい。
商品が足りなくて、商いが成り立たなくなるだろうって、今日の市の騒動具合で分かってしまったよ。
もちろんのこと、『最初の数回は』って但し書きがつく。お客さんに品物が行き渡ってしまうと売れ行きが落ちることぐらいは、わたしも数年のお店勤めで理解している。
それにわたしは、今月いっぱいだけの行商人だ。在庫の抱えすぎは目標も遠くなる上、お婆様達からの評価も下がるだろう。
どちらにしても、仕入れの量は後ろに行くほど絞らなくちゃならなかった。
「さてと……」
商人には、お客様に見せない裏方仕事も多い。
帳簿の記入は、その中でも特に大事なものだった。
今日売れた商品は、香辛料の包みが四種類で四十六、ワインと香味酒は六本入りの木箱を全部で五箱出したけど、売れ残りの三本を引いて、二十七本。
香辛料は一つ三ペニヒ、四十の三と六の三で、えっと……百三十八ペニヒ。
お酒は値段がばらばらだけど、合計で五十八グロッシェン――つまり一ターレルと、十八グロッシェン。
半刻もかからずに一ターレル半以上の売り上げ! ……って素直に喜んでいいのかは、自分でも微妙だ。
仕入れ値をまだ計算してないからね。
お酒の値段がそれなりに高いのには、きちんと理由があった。
まず、ワインはとても分かり易い。
たとえば銘無しのワインなら、一番安い樽はエール樽と大差ない半ターレルから売られている。
一樽は瓶で三百本分になるから、お安いことは間違いない。
もちろん、味はお察しだ。
また、水で薄めて売るなんてことをすれば国法で厳罰に処されるけれど、ワイン同士なら混ぜても怒られないお陰で、同じお店から買っても、買うたびに味が違うことすらある。
でも、銘があるワインは、味に自信があって、名前や産地を表に出しても商売になるってことの現れだ。
名産地の最高級品だと、それこそラルスホルト大叔父様の剣と競売で勝負が出来るようなお値段になることもあった。
そこまでは無理でも、まともな味だと知れ渡れば、銘無しと侮られて買いたたかれることもなくなって、産地の名前が商売の看板になるわけだ。
ハルくんの仕入れてくれた赤の『マッセル・ノンネ』なら、庶民がちょっとした贅沢に買えるお値段だし、味だって、マリーがお土産に持ってきてくれる『ヴィコント・ド・ランファン』には敵わないけれど、美味しいと言える味だった。
……『ヴィコント・ド・ランファン』の一級品はアルール王室御用達で、マリーはその王家の末娘。比べる方が間違いかもしれないけどね。
お母様の実家の『クライネ・エンテ』は、『マッセル・ノンネ』ほどの評判はまだ勝ち取っていないけど、東方辺境産の白の中では、まずまずの評価だ。
ちなみにフーレスティエ領が白ワインの生産を始めたのは、お母様がレーヴェンガルト家に嫁いだ前後だった。
ご挨拶に行ったうちのお婆様との世間話から、東方辺境じゃお魚に合う白があまり作られていないなんて話題になり、同じ一から苦労するならそっちの方がやり甲斐がありそうだと、当時領主だったシドニウスお爺様が決断されたそうだ。
植えて二十年、本格的な仕込みからたった十年ほどで銘ありワインを市場に出せるって、結構すごいらしいと聞いている。
レーヴェンガルト領ではまだ、ワインを作ろうなんて話題が出ない。その余裕があるなら、麦畑を広げようって状況だった。……麦が原料のエールも、まだ余所から買ってくるぐらいだもんね。
そして、今回の稼ぎ頭となった香味酒だけど、その大元になる蒸留酒がまずお高い。
蒸留酒はワインやエールを蒸留器で濃縮して作られるわけで、量が元のお酒の数分の一に減る上、機材も高価なら燃料代も結構な金額になった。
蒸留してからも、数年寝かせて味を落ち着かせるわけで、手間を考えれば安いはずがない。
この蒸留酒を使い、更に一手間掛けたのが香味酒だ。
香味酒は、香りや味の元になる果物や香草を蒸留酒に漬け込んでより美味しくするんだけど、単なる風味付けなら素人にも出来る。
元になる蒸留酒を買ってきて、適当な果物でも漬けこんで食料庫の隅に寝かせておけば、それっぽいものになった。わたしでも作れるのは間違いない。
でも売られているものは、皆が欲しがる美味しい味と、豊かな香りに満ちている。正に専業の酒屋さんが精魂込めた職人技の結晶だった。
ちなみに漬けるものを薬草に変えると薬酒になるけれど、こちらは薬草師の領分で、素人が手を出してはいけない。
下手な配合をすれば、薬効が引き出され過ぎるどころか毒酒になるよ、なんて話を、近隣で随一の薬草師、アレット大叔母さまから教えられているわたしだった。
そしてもう一つ、大事なことがある。
仕入れと仕入れ値だ。
ハルくんから渡された書き付けは、そのまま帳簿に書き入れてもいいように、計算まで終わっていた。ふふ、几帳面だなあ、ものすごく助かるよ。
えーっと、お酒の類が全部ひっくるめて八箱、これが合計で一ターレル十八グロッシェン。今後も今日みたいな勢いで売れてくわけじゃないし、仕入れ値も高いけれど、やっぱり稼ぎ頭だなあ……。
次に読み本の類が十九冊で合計は三十八グロッシェン半、このうちの半分ほどは名指しの予約で安心感がある。
どれどれ……『丘の上のミヒャエラ』に『公爵令嬢の使い魔』、うん、何冊かは、わたしも読んだ覚えがある本だ。『シャルパンティエの物語』は八冊もあるけど、地元のお話なら売れ筋になるのも仕方がない。ヴェルニエの本屋さんが多めに在庫を抱えてるのも頷ける。
それから香辛料に煙草に、こちらじゃ珍しい海の干物を含むお酒の肴が幾つか、これらが合わせて十二グロッシェンだった。小物が多いけれど、その分売値も安く出来るので、お客さんも気軽に買いやすい。
「えっと、それぞれの合計が……」
売り上げの合計が、一ターレル二十二グロッシェン十四ペニヒ。
仕入れの合計が、二ターレル三十一グロッシェン半。
差し引きすれば仕入れの方が高くついているけれど、この金額には、明日シャルパンティエで売る分の仕入れ代金も入っていた。
最終日に合計しないと正確な数字は出せないし、損をしたってわけじゃない。
目標の達成にはもっと売り上げを積み上げないと届かないけれど、初日にしては上々、ってことにしておこうかな。
その方が、明日からも頑張れる気がした。




