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偽りの錬金術師、貴族経済を解体します  作者: みかん


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灰色見習いと廃棄素材

『偽りの錬金術師、貴族経済を解体します』


第一話 灰色見習いと廃棄素材



プロローグ――死ぬ直前に気づいたこと



人が死ぬ瞬間に後悔するのは、やり残したことではなく、やりすぎたことだと神田甲一は思った。


オフィスビルの十二階から落下しながら、彼の頭は驚くほど冷静だった。


外壁工事の足場が崩れたのか、手すりが外れたのか、そのどちらでもないのか。落下しながらでも原因を分析しようとするのは、職業病というやつだろう。三十五年間、それしかしてこなかった。


地面が近づく。


脳裏に浮かんだのは、被害者たちの顔ではなかった。


それが、一番の後悔だった。


神田甲一という人間は、二十代の十年間を特殊詐欺で生きた。才能があった。人の心の「信じたい部分」を見抜く目、価値があるように見せる言葉、相手が自分から罠に踏み込むよう仕向ける段取り。全部、天性のものだった。


三十歳で足を洗ったのは、良心が痛んだからではない。


単純に、「詐欺より合法的な仕事の方が儲かる」と計算したからだ。


経済犯罪コンサルタントとして独立してから、収入は詐欺師時代の三倍になった。企業の「騙され方」を診断し、防衛策を提案する。皮肉なことに、詐欺師の視点こそが最強の防衛ツールだった。


忙しくなった。忙しすぎた。


気づいたら、足場から落ちていた。


(馬鹿な死に方だ)


地面まで、あと五メートル。


最後に思ったのは、結局のところ、俺は一度も「本当に価値あるもの」を作ったことがない、ということだった。


価値があるように見せることは、一流だった。


でも、本当の価値を生み出したことは、一度もなかった。



第一章――スラム街の朝



目が覚めた時、鼻を突いたのは腐った野菜の匂いだった。


次に気づいたのは、体の軽さだった。


三十五歳のコンサルタントの体ではない。もっと若い、骨ばった、けれど柔軟性のある体だ。


カイン・ロウという名前と記憶が、ゆっくりと流れ込んできた。


この体の持ち主は十六歳の孤児で、レムナント大陸のヴェルキア王国首都、その外縁部のスラム街で生まれ育った。両親の記憶はない。物心がついた頃には、路地裏で残飯を漁っていた。


七歳の時に錬金術師ギルド「アルケミア」の見習い試験を受けた。


合格した。


しかし合格したからといって、生活が良くなったわけではなかった。


アルケミアの見習いには七段階のランクがある。最上位が「黄金ゴールド」、最下位が「灰色グレイ」だ。カインのランクは当然、最下位の灰色だった。それからの九年間、カインはギルドの下っ端として、先輩錬金術師の道具洗い、素材の仕分け、廃棄物の処理を延々とこなしてきた。


給金は雀の涙。


居住区はギルド施設の地下、物置と呼ぶ方が正確な部屋。


食事は一日二回、ギルドの余り物。


それがカイン・ロウの十六年間だった。


甲一の意識がその記憶を整理している間、窓の外から喧騒が聞こえてきた。


首都の朝は早い。行商人の呼び声、馬車の車輪音、どこかで鶏が鳴いている。


甲一はゆっくりと起き上がった。


石造りの狭い部屋。小さな丸窓から灰色の空が見える。隅に積み上げられた錬金術の道具は、どれも安物か使い古しだ。テーブルの上には、昨夜の仕事の残骸、分解した鉱石のかすが散らばっている。


(貧乏だな)


甲一は素直にそう思った。


しかし動揺はなかった。


スラムから這い上がってきた人間の記憶と、詐欺師から這い上がってきた人間の感覚が重なって、むしろ馴染みのある感触さえあった。底辺は知っている。問題は、どう上がるかだ。


立ち上がって手を伸ばした時、それが起きた。


テーブルの上の鉱石のかすが、目に入った瞬間。


数字が見えた。


正確には、数字ではない。もっと直感的な「価値の情報」が、視界に重なって見えた。


(なんだ、これは)


鉱石のかすを手に取った。


情報が流れ込んでくる。


「廃棄素材・鉄鉱石の精製残滓。市場価値:ゼロ(廃棄物扱い)。本来の価値:未精製の希少元素を微量含有。適切な錬金術処理を施せば、高純度の導電性合金の素材になり得る。推定市場価値:銀貨三枚から五枚」


甲一は固まった。


(これは……)


廃棄素材として捨てられようとしていたものが、実は価値のある素材だと「見えた」。


しかも処理の方法まで、なんとなくわかる。どういう術式を使えば、どんな手順を踏めば、この廃棄物から何が生み出せるか。


(「価値創造の眼」か。なるほど)


甲一は詐欺師の頭で即座に整理した。


前世で持っていた「価値があるように見せる目」が、この世界では「本当の価値を見る目」に変わっている。似て非なる能力だ。しかし、使い方の原理は同じだ。


何が価値を持つかを知っている人間は、強い。


部屋の中を見渡した。


廃棄素材の袋が三つある。どれも今日処分する予定のものだ。甲一はそれを一つずつ手に取った。


一つ目の袋。


「廃棄予定・腐食した銅片。市場価値:廃材として銅貨一枚。本来の価値:表面の腐食層に特殊な酸化物が生成されており、これを精製すると強力な触媒になる。推定市場価値:銀貨八枚から十二枚」


二つ目の袋。


「廃棄予定・割れた魔石の破片。市場価値:砕石として銅貨二枚。本来の価値:破片の結晶構造が特殊な周波数共鳴を持っており、音響増幅装置の素材になる。推定市場価値:金貨一枚から二枚」


三つ目の袋。


「廃棄予定・変色した薬草の残滓。市場価値:燃料として銅貨一枚以下。本来の価値:変色の原因は特定の菌類との共生によるもので、その共生菌は希少な発酵促進剤になる。推定市場価値:銀貨十五枚から二十枚」


甲一は静かに息を吐いた。


部屋の隅に積み上げられた廃棄素材の中に、軽く見積もって金貨四、五枚分の「本当の価値」が眠っている。


カイン・ロウの九年間の給金を合計しても、金貨二枚に届かない。


(やれやれ。宝の山の上に座って、飢えていたわけだ)


甲一は作業台に向かった。


今日から、始める。



第二章――廃棄物の魔術



アルケミアのギルド施設は、首都の中心部から少し外れた場所に建つ石造りの大きな建物だ。


正面玄関から入ると、右手に受付カウンターがあり、上位ランクの錬金術師たちが依頼の確認や素材の取引をしている。正面の大階段を上がれば上位者の作業室、地下に降りれば素材の保管庫と、下位見習いの作業区画がある。


カインは毎朝、裏口から入る。


灰色見習いに、正面玄関から入る資格はない。


裏口の番人、恰幅の良い守衛のハンスは、カインの顔を見ると顎をしゃくった。


「今日も廃棄処理か、カイン」


「そうです」


「ご苦労なこった。あそこ臭えからな」


ハンスは同情するような目をしたが、止めはしなかった。


カインは地下に向かい、廃棄素材の集積所に入った。


ここは施設で最も深い場所にある倉庫で、上位錬金術師が実験で生じた廃棄物を送り込んでくる場所だ。毎日大量の廃棄物が届き、灰色見習いはそれを分類・処分する。


臭い。薬品の刺激臭と腐敗の匂いが混じった独特の臭気が、常に漂っている。


しかし甲一の目には、ここが「宝の山」に見えた。


廃棄物の一つ一つに目をやるたびに、情報が流れてくる。


大半は本当に価値のないものだ。しかし十個に一つ、二十個に一つの割合で、見落とされた「本当の価値」を持つものが混じっている。


(選別する)


甲一は淡々と作業を開始した。


表向きは廃棄処理の作業だ。分類して、燃やすものは焼却炉へ、埋めるものは外の廃棄穴へ。それが仕事だ。しかしその中で、価値のあるものを「こっそり」分けておく。


問題は、それをどう説明するかだ。


廃棄物を勝手に持ち出せば、横領になる。


しかし廃棄物は「価値がないもの」として処分される予定のものだ。つまり、ギルドにとっては「不要なもの」だ。それを処分する前に「実験に使いたい」と申請すれば、正規の手続きになる。


灰色見習いには「廃棄素材の使用申請権」が一応存在する。ただし誰も使ったことはない。なぜなら、廃棄素材は本当に価値がないと全員が信じているからだ。


(誰も申請しないのは、損だと思っていないからだ)


甲一は静かに笑った。


詐欺師の世界では当たり前のことだ。価値は「みんなが価値があると思うもの」に宿る、というのが大多数の人間の感覚だ。しかし本当の価値は、みんなが気づいていないところにある。


気づいた者だけが、その価値を手にできる。


昼前に、監督役の上位見習い、クロム・ヴァインが降りてきた。


クロムは「銀色見習い(シルバーアプレンティス)」と呼ばれる三番目のランクで、灰色見習いを管理する立場だ。年齢は二十歳で、カインより四歳上。太った体に、常に見下したような表情を貼り付けている。


「カイン、今日の廃棄はどこまで進んでる」


「午前分は完了しています。一点、申請があるんですが」


甲一は立ち上がり、クロムに向き直った。


「廃棄素材使用申請です。今日処分予定のものの一部を、実験素材として使わせてほしい」


クロムは目を細めた。


「廃棄物を? お前が何かを実験する?」


「はい」


「灰色見習いに、そんな実験をする腕があるとは思えないが」


「申請権は規則で認められています。問題があれば、実験結果を報告書で提出します」


クロムはしばらくカインを眺めた。


侮蔑と、それから少しの「こいつ変なことを言い出した」という困惑が混じった顔だ。


「……規則通りに申請しろ。書類を出せ」


「はい。すぐに用意します」


申請書は簡単なものだった。廃棄予定の素材の種類と量を記載し、「錬金術実験のため使用」と理由を書いて提出する。上位者の確認印が要るが、クロムの立場では押せる。


クロムは書類をざっと見て、鼻で笑った。


「好きにしろ。どうせ何もできん」


印を押して書類を返した。


「ありがとうございます」


甲一は深々と頭を下げた。


クロムが去った後、甲一は選び分けた廃棄素材を作業台に並べた。


五種類。


昨夜の部屋のものと合わせると、十一種類。


これが最初の素材だ。



第三章――最初の錬成



作業台の前に立ち、甲一は腕を組んだ。


能力は「価値の認識」と「方法のヒント」を与えてくれる。しかし実際の錬金術の作業は、カイン・ロウ本人の技術が必要だ。


カインの技術は、九年間の下積みによってそれなりにある。


正確には、「上位者の実験を観察し続けた」ことによる知識がある。作業はさせてもらえなかったが、見ていることはできた。作業のやり方、術式の組み方、素材の扱い方。全部、見ていた。


詐欺師だった甲一には、観察眼がある。一度見たものは体に入る。


合わさった。


九年間の観察と、甲一の分析力と、能力が示す「この素材はこう処理すれば価値が出る」という情報が。


一種目、魔石の破片から始める。


魔石は錬金術師にとって基本中の基本の素材で、様々な術式のエネルギー源になる。しかし割れた破片は使えない、というのが常識だ。結晶構造が乱れているため、術式を安定して動かせないからだ。


しかし甲一の目には見えていた。


この破片の結晶構造の「乱れ方」は、特定の周波数で共鳴する性質を持っている。それは欠陥ではなく、特性だ。その特性を活かした術式を組めば、「音を増幅・変換する装置」を作れる。


甲一は錬金術専用の作業台に破片を置き、術式の組み立てを始めた。


術式は「魔力の設計図」だ。どんな変化を起こしたいかを、決まった記号の組み合わせで記述する。甲一の指が、術式の記号を一つずつ描いていく。


通常の術式ではない。


甲一が能力の示す情報をもとに、独自に組み上げた術式だ。既存のレシピにはない。


完成まで三十分。


術式が発光した。


魔石の破片が振動し始め、その周波数が整列していくのが感触でわかった。破片の形が変わるわけではない。しかし内部の構造が変質し、「音響増幅の機能を持つ結晶体」へと変わっていく。


十分後、作業が終わった。


作業台の上に、一見すると割れた魔石の破片と変わらない「何か」が置かれている。


甲一はそれを手に取り、軽く息を吹きかけた。


作業台の上のコップが、かすかに揺れた。


音が増幅されている。


ほんの小さな息が、コップを揺らすほどの「音の力」に変換された。


(できた)


甲一は静かに頷いた。


これは使える。楽器の職人や、ギルドの試験場で使う「声を遠くに届ける装置」の素材として需要があるはずだ。


次に移った。


腐食した銅片の錬成は、より難しかった。


表面の腐食層を傷つけずに内部から酸化物を分離する作業が必要で、繊細な魔力のコントロールが求められる。二度失敗した。三度目に、ようやく安定した触媒が取り出せた。


薬草の残滓から菌類を分離する作業は、最も時間がかかった。


生きた菌類を傷つけずに分離・培養するのは、錬金術というより生物学に近い細かさが必要だった。しかし甲一には前世の理科の知識がある。培地の作り方、温度の管理、湿度の調整。知識と能力と技術が合わさって、三時間後に小さなガラス瓶の中に、黄金色に輝く菌類の培養体が完成した。


夕方になった。


作業台の上に、七つの「作品」が並んでいた。


どれも、見た目は地味だ。


割れた魔石の欠片のように見えるもの、黄色い粉のようなもの、小さな金属の塊のようなもの。しかし甲一の目には、それぞれの「価値」がはっきりと見えていた。


合計で金貨三枚から四枚の価値がある。


カイン・ロウの一ヶ月分の給金の、百倍以上だ。


問題は、これをどこで売るかだ。


ギルドの中では売れない。ギルドはあらゆる錬金術品の流通を管理しており、無許可での販売は罰則の対象になる。


しかし、ギルドの外には民間の市場がある。



第四章――老商人との出会い



翌日の朝、甲一は作業の合間を縫って首都の市場へ向かった。


ギルドの規則では、見習いが外出するには届け出が必要だ。しかし昼休みの一時間は自由時間で、特に制限はない。


首都の中央市場は、首都で最も活気のある場所だ。


食料品、衣料品、道具、魔法道具、薬品と、ありとあらゆるものが取引されている。喧騒と熱気と様々な匂いが混じり合い、人の流れが絶えない。


甲一は市場を歩きながら、視線を動かした。


目に入るもの全てに「価値の情報」が重なって見える。


店頭に並ぶ薬品の多くが、品質が公称よりも低いと見えた。


道具屋の「魔法強化済み」と書かれた工具のうち、本当に強化されているのは半数だけだと見えた。


宝飾品の「純金」と表示されたネックレスに、かなりの混合物が含まれていると見えた。


(この市場、詐欺だらけだ)


甲一は苦笑した。


前世では自分もやっていたことだが、改めて「被害者側の視点」で見ると腹立たしい。


市場の外れに、小さな雑貨屋があった。


店先に並べられた商品は少なく、どれも古びている。店の主人は六十代ほどの痩せた老人で、椅子に座って何か計算しているようだった。


甲一はその店の前で足を止めた。


老人を見ると、情報が流れてきた。


「元大商人。詐欺被害によって財産を失い、現在は細々と雑貨の転売で生計を立てている。商人としての経験と人脈は現存するが、元手がなく活かせていない。信頼性:高い」


最後の「信頼性:高い」という情報が、甲一の決め手になった。


「失礼、少し話を聞かせてもらえますか」


老人が顔を上げた。


年齢よりも老けた顔だったが、目は鋭かった。商人の目だ。人を値踏みする、冷静な観察の目。


「見習いの坊主が何だ」


灰色のギルド制服を見て、老人はそう言った。


「私はカイン・ロウといいます。錬金術師ギルドの見習いです。少し珍しいものを持っているのですが、適正価格で取引できる窓口を探しています」


「珍しいもの?」


「廃棄素材から錬成したものです。見た目は地味ですが、用途があります」


老人は細い目をさらに細くした。


「見習いが錬成品を作るのか」


「規則の範囲内での話です」


老人はしばらく甲一を眺めた。


「どんなものだ」


甲一は袋から音響増幅の結晶体を取り出し、机の上に置いた。


「音を増幅する結晶体です。楽器の職人、あるいは広い会場での演説に使える装置を作る素材になります」


老人は結晶体を手に取り、ひっくり返して見た。


「試してみていいか」


「どうぞ」


老人は静かに「あー」と声を出した。


その瞬間、その声が部屋に充満するように広がった。老人は驚いた顔をしたが、すぐに商人の顔に戻った。


「これをどこから?」


「廃棄された魔石の破片からです」


「……破片から、これを作れるのか」


「素材の本質を見る方法を知っていれば、できます」


老人は結晶体を机に戻した。


長い沈黙があった。


甲一は待った。急がない。前世の経験上、交渉は待てる方が強い。


やがて老人が口を開いた。


「私はゴッホという。かつては大陸最大の交易商会を経営していた」


「知っています」


「知っているのか?」


「詐欺師ギルドの手口で破産させられた、とカイン・ロウの記憶にあります」


ゴッホは苦い顔をした。


「そうだ。だから坊主、お前が同じことをしようとしているなら」


「違います」


甲一は静かに言った。


「私は前世で詐欺師でした。しかし今は、本当に価値のあるものを作りたいと思っています。そのために、信頼できる流通の窓口が必要です。あなたの経験と人脈を借りたい。利益は五分五分でどうですか」


ゴッホはまた沈黙した。


今度はより長い沈黙だった。


「……前世という言い方は何だ」


「転生者です」


また沈黙。


「転生者の詐欺師崩れが、廃棄素材から価値あるものを作って、私に売らせようとしている」


「はい」


「……正気か」


「いたって」


ゴッホは大きく息を吐いた。


それから、初めて笑った。


しわだらけの顔に、かつて大陸を股にかけた商人の笑顔が戻った。


「面白い。乗った」



第五章――最初の取引



ゴッホとの取り決めは、シンプルだった。


甲一が廃棄素材から錬成した品をゴッホに渡す。ゴッホがそれを適切な買い手に届け、代金の半分を甲一に渡す。品物が何かは毎回事前に説明する。価格は二人で決める。


「最初の品は七つです」


甲一は袋を開け、作業台に並べた。


ゴッホは老眼鏡をかけて、一つ一つを丁寧に観察した。


「音響増幅の結晶体は、楽器職人組合のバルデが高値をつけるはずだ」


「触媒は薬品商のどこかでしょうか」


「カールルの薬品店が最近新しい薬の開発を始めた。喜ぶだろう」


「菌類の培養体は?」


「これは……醸造組合だな。発酵促進剤は今、どこも高値で探している」


ゴッホは計算をした。


七品合計で、金貨三枚から四枚の見立てだった。


「五分五分ということは、私に金貨一枚半から二枚が入る」


「はい」


「一日の仕事で、それだけの価値を廃棄物から作り出したのか」


「最初なので時間がかかりました。慣れれば、もっと早くなります」


ゴッホはしばらく甲一を見た。


「坊主、一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「何が目的だ。金か?」


甲一は少し考えた。


金は手段だ。目的ではない。


「貴族たちは素材の産地を独占して、錬金術師ギルドに高値で売りつけることで富を築いています。しかしその素材の多くは、代替品を作れる。本当の価値を知れば、独占は崩せる」


「貴族に喧嘩を売るつもりか」


「喧嘩は売りません。ただ、市場に正しい価値を供給する。それだけです。正しい価値が流通すれば、不当に高い値段は自然に崩れます」


ゴッホはじっとカインを見た。


長い。


「……詐欺師の論理だな」


「はい」


「騙す方向ではなく、正す方向に使うわけか」


「そういうことです」


ゴッホは立ち上がり、手を差し出した。


「乗った、と言ったがもう一度言う。乗った」


甲一はその手を握った。


ゴッホの手は節くれだっていたが、力強かった。



第六章――上位者の嫉妬



一週間後。


カインの「廃棄素材の実験使用申請」は、毎日提出されるようになっていた。


クロムは最初こそ嘲笑混じりで許可していたが、カインが毎日申請書を出すことに、次第に苛立ちを覚え始めた。


「お前、毎日廃棄物で何をしているんだ」


作業中のカインに、クロムが声をかけてきた。


「錬成の練習をしています」


「廃棄物で練習? 何になるんだ、それが」


「上手くなります」


クロムは鼻で笑った。


しかし十日後、状況が変わった。


市場で、品質の高い音響増幅結晶体が流通し始めたという話がギルドに届いた。しかも出所が不明で、価格が驚くほど手頃だという。


錬金術師ギルドの中で、その品についての話が広まった。


「廃棄素材から作れるはずがない」という意見が大半だった。


しかしある上位錬金術師が購入して分析したところ、品質は確かだと証明された。問題は、誰が作ったかだ。


クロムが気づいたのは、その翌日のことだった。


廃棄素材の集積所に降りてきたクロムは、カインの作業台に並んだ完成品を目にした。


全部で十二点。


まだ分類されていない状態の品が、台の上に静かに並んでいた。


クロムはそれを一つ手に取った。


「……これは何だ」


「錬成品です」


「廃棄物から作ったのか」


「はい」


クロムの顔色が変わった。


「それは……ギルドへの申請が必要だろう。見習いが独自に錬成品を作ることは、許可が要る」


「廃棄素材使用申請の書類に、「錬金術実験のため使用」と記載しています。許可は毎回いただいています」


「実験と、販売は違う」


甲一は静かに言った。


「販売はしていません。私の作ったものをどう使うかは、取得した後の話です。廃棄物の処分担当である私が、廃棄予定の素材を申請書に従って使用した。それ以上でも以下でもありません」


クロムは顔を真っ赤にした。


「詭弁だ」


「規則の文言に従っています。問題があるなら、上位者を呼んでください。規則の解釈について話し合いましょう」


クロムは何か言おうとして、しかし言葉が出なかった。


規則の文言上、カインは何も違反していない。それがクロムにもわかっている。


「……覚えておけ」


クロムはそう言い捨てて、作業場を出た。


甲一は、その背中を静かに見送った。


(動いた。予定通りだ)


甲一は最初から予想していた。


廃棄物から価値あるものを作り始めれば、必ず誰かが動く。クロムはその最初の駒だ。クロムの上には、もっと大きな利権を持つ者たちがいる。


彼らが動き出すまでに、もっと準備を進めなければならない。


しかし今日は一つ、確認しておくべきことがある。


甲一は廃棄素材の中から、一つの鉱石を取り出した。


小さく、くすんだ灰色の石だ。


見た目は何の変哲もない。しかしこの石に「価値の眼」を向けた瞬間、流れ込んでくる情報は他のものとは桁が違った。


「エシュラー侯爵領産の希少素材「星砂鉄」と同一の成分を持つ原石。精製方法が異なるだけで、同等の品質の材料を生成できる。エシュラー侯爵領の独占により市場での流通が制限されているが、合成による代替が原理上可能。この石一つから、市場価格で金貨二十枚に相当する素材が生成できる」


金貨二十枚。


エシュラー侯爵が独占的に売り出している希少素材と、同等のものを、廃棄物から生み出せる。


(ここが、本当の戦いの始まりだ)


甲一は石を握りしめた。


エシュラー侯爵の独占が崩れれば、侯爵の収入源の柱が一本折れる。


しかしそれをやるには、まず自分の立場を固める必要がある。灰色見習いのままでは、発言力も保護もない。クロムに妨害されれば、簡単に潰される。


(次のステップは、ランクの昇格だ)


ランク試験は、年に二回ある。


次の試験まで、あと三週間。


三週間で、圧倒的な実績を作る。



第七章――少女錬金術師



次の日、廃棄物の集積所に珍しい来訪者があった。


女性だ。


年齢は二十歳前後で、ギルドの「銅色見習い(ブロンズアプレンティス)」の制服を着ている。銅色は下から二番目のランクで、灰色の一つ上だ。


細い体に、整った顔立ち。しかし目の下にくまがあり、髪もやや乱れている。仕事で疲弊している様子が、外見に出ている。


「すみません、カイン・ロウさんですか」


「そうですが」


「私、リア・サンドールといいます。あの……少し相談があって」


甲一はリアを眺めた。


情報が流れてくる。


「銅色見習い・リア・サンドール。親の借金の担保として、エシュラー侯爵家の錬金術師部門に縛られている。本来の錬金術の才能は上位クラスだが、侯爵家の要求を優先させられているため、本来の研究ができていない。侯爵家への依存度:高い。信頼性:高い」


(エシュラー侯爵家か)


繋がりが見えた。


「どんな相談ですか」


「あなたが廃棄素材から錬成品を作っているという話を聞いて。私も似たようなことをずっとやりたかったんですが、上の許可が取れなくて」


「あなたのランクなら、廃棄素材の使用申請はできますよ」


「私の場合、それより複雑で……侯爵家の方針で、私の研究テーマは全部エシュラー侯爵家に決められています。自由に実験できないんです」


リアの声は静かだったが、その中に長い間押し込められてきた何かが滲んでいた。


甲一は作業を続けながら話を聞いた。


リア・サンドールの状況は、典型的な搾取の構造だった。


親の借金を人質に取られ、才能を無償で使い続けさせられている。ギルド内での立場も制限されており、自由な研究はできない。しかし辞めることもできない。借金が返せないから。


「侯爵家への借金の額は?」


「金貨三十枚です」


「返せますか?」


「無理です。私の給金では、利子を払うだけで精一杯で、元本が全然減らない」


甲一は計算した。


金貨三十枚は、カインの現在のペースでは三週間から一ヶ月分の稼ぎだ。


「私には今、金貨三十枚はありません。でも、三週間あれば作れます」


リアが顔を上げた。


「え?」


「三週間後の試験でランクが上がれば、活動の幅が広がります。あなたを侯爵家から解放するためのお金を作る目処が、そこで立ちます」


リアは固まった。


「……なぜ、私のために?」


「必要だからです」


甲一は静かに言った。


「あなたの錬金術の才能が必要です。私は作ることが得意ですが、作業の精度や速度を上げるには、本物の錬金術師の技術が要る。あなたはそれを持っている」


「……対等な関係で?」


「そう」


リアはしばらく甲一を見た。


信じていいのか、という逡巡が顔に出ていた。


甲一は待った。


やがてリアが、静かに言った。


「……わかりました。試験に合格してみせてください」



エピローグ――侯爵の書斎



同じ夜、首都の貴族街にそびえるエシュラー侯爵家の書斎で、マルコ・フォン・エシュラー侯爵は部下の報告を聞いていた。


五十代の太った男だ。しかし目だけは鋭い。財産家としての目、搾取者としての目だ。


「灰色見習いの錬金術師が、廃棄素材から高品質の錬成品を作っているという報告が入っています」


「灰色が? 馬鹿な」


「しかし、市場に流れた品の分析結果は確かで……」


「調べろ。誰が横流ししているか突き止めろ」


部下は一礼して退出した。


マルコは椅子に深く腰を預け、指を組んだ。


廃棄素材から品質の高いものが作れるとすれば、素材の独占ビジネスに影響が出る可能性がある。それは困る。非常に困る。


「灰色見習いか」


マルコは小さく笑った。


「何ができるというんだ」


書斎の窓の外、夜の首都に灯る魔法の灯りが、静かに揺れていた。


マルコにはまだ見えていない。


静かな底辺で、一つの罠が組まれ始めていることが。



―――― 第一話――――


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