翼をください
「やほー、晋作くん!」
放課後、ホームルームが終了するなり宮下が声を掛けてくる。
俺は半ば予想していた状況に気合を入れ直し、努めて冷静に「なに?」と返事をした。
「えーとね、昨日はちゃんと晋作くんの相談聞けなかったし。その……良かったら今日も、恋愛相談室に来てくれないかなーって。ど?」
茶目っ気たっぷりにウインクをしてくる彼女と俺の間に、バッと阿田池の手が割って入る。
「小巻、本題はこいつのスマホのメッセージの件でしょ? アレ、もう私が受け持ってるから。クリスマス祭も近いんだし、小巻は自分の仕事に集中して」
「あ、でも……ううん、分かった。友美ちゃんに任せるね! でも困ったらいつでも呼んで? 友美ちゃんが私のこと心配してくれるみたいに、私だって友美ちゃんが心配なんだから!」
「ん……分かった」
そのやり取りは強固な信頼関係を感じさせる。
二人は小学生の頃からの付き合いだと言っていたし、幼馴染特有の絆のようなものがあるのかもしれない。
それはどこか家族にも似たものを感じ、俺は少しばかり居心地が悪かった。
「……ところで小巻、宇津木は今日も保健室?」
「うん、猫屋敷さんの様子を見に行ってるみたい。あ、でも、かーくんなら大丈夫だよ! 猫屋敷さんと変なことになったりしないって!」
「……別に、そんなこと心配してないし。じゃあもう行くから。ほら、お前は勝手に帰ろうとしないで」
俺がそろりとその場を離れようとしたところを、阿田池から目ざとく止められる。
一応、昼休みに綾加から『会える』という旨の返信は来ていたが、まさか今日会いに行くことになるとはな……。
俺はそのまま、逃げることも許されず駅へ。
轟音を立てる電車は北へ。
行先は、かつて俺が過ごした懐かしの学び舎。
どうしようもなく、憂鬱だった。
+++++
「善は急げ。件の後輩から返事が来たのなら、当然今日の内に用事は済ますべきでしょ?」
「そうは言うがね、俺の方にも心の準備というものがあるのだよ」
俺は改めてスマホを確認する。
行きの電車内で『今日会えるか』と連絡をしたら、綾加から文芸部室を待ち合わせ場所に指定されたのだが……
阿田池の格好を見る。
夕方の校舎で行き交う生徒たちは共通の制服姿。そんな中で一人他校の制服を着た彼女はどうしようもなく目立っていた。
俺の方は転校先の制服を買っておらず同じ制服を着続けていたため、逆に目立たずに済んでいるが。
先生に見つかったから少々面倒なことになりそうだ……。
「阿田池さん、俺のブレザーを羽織らないか?」
「……何それ。別に寒くないけど」
「いや、その服のままでは少々目立ち過ぎる」
俺がそう伝えると、腑に落ちたような顔で彼女はブレザーを受け取る。
「念のために言っておくけど、私は宇津木と付き合ってるから。私のこと好きにならないでよ?」
「生憎と、俺は恋愛感情というものは何かという初歩も初歩で悩んでいるところだ。心配はいらんよ」
「余計不安なんだけど……。そういうこと言ってる奴が一番初恋で暴走するから」
「……」
遺憾である。
しかし言い返そうにも恋愛の経験値では勝てそうにない。
それならば、寧ろ経験者の意見を参考にさせてもらうとしよう。
結局、恋愛相談室では碌な相談もできないままだったわけだし。
「阿田池さんは、何故自分が宇津木のことを好きだと分かった?」
「……どういう意味?」
「つまりだね、あらゆる感情には人生で初めて経験するタイミングがある筈だという話だ。誰しも生まれて初めて怒る、楽しむ、悲しむタイミングがあった筈だが、そのときに何故我々はそれを怒りや悲しみだと理解できる? 実際のところそういう原始的な感情は、我々の自我が芽生える前に『そういうもの』と理解してしまっているから、今更自らの怒りや悲しみに疑問を抱くことは無いが——」
「長い」
阿田池に一蹴されてしまった。
「……けれど、言いたいことは分かった。私もまあ、そういうことを人より考えるタイプではあるし。その上で持論を言わせてもらえば『性欲、独占欲、親愛を抱き抱かれることに違和感のない相手』を私は『好きな人』と定義してる」
俺の言えた義理では無いが、こいつも大概面倒くさい部類の人間だったようである。
しかし俺としては有難い。恋愛感情について明確に整理している意見は貴重だ。
「つまり阿田池さんにとって、宇津木君はそういう相手というわけか」
「……改めて言わないで」
「しかし、恋愛の切っ掛けとなる出来事というのは恋愛小説の定番だが、阿田池さんと宇津木君の間にも、そういう出来事はあったのかね?」
俺が尋ねると、阿田池は鬱陶しそうに目を細める。
「いやに詳しく聞いてくるけど、お前って意外と恋バナとか好きなタイプ?」
「なに、後学の為に聞いておきたくてね」
「……はぁ、まあ良いや。えーと、猫屋敷が学校中の人間関係めちゃくちゃにして、イジメが増えまくった話はしたっけ? そのとき宇津木がイジメを止めて回ってて、実際に成果出してるとこ見て……良いなって思っただけ」
そう言って照れくさそうに俯く彼女からは、なるほど確かに恋愛らしい情緒を感じた。
「宇津木は凄いのだね……」
イジメを止めて回るとは、その苦労は想像を絶する。
俺はどうにも、人に迷惑を掛けてばかりだ。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、阿田池は『イジメの件だけに限れば、小巻より宇津木の方が成果を上げている』とか『宇津木のお陰で学校の治安は目に見えて良くなった』とか、彼氏の自慢話を聞かせてくれた。
そんなやり取りを続けていると、ついに俺たちは目的地に到着する。
「……よし」
俺は一瞬ためらった後で、意を決して文芸部室のドアを開ける。
ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは机に肘をついた平川。
平川は驚いて体勢を崩した後、開けられていたチョコレートの袋を慌てて片付け始める。
「っ浅野!? なんでっ? ど、どうしたのよアンタ……というか部外者って侵入禁止じゃなかったかしら!?」
「突然訪問して済まない。てっきり綾加君から聞いているものと思っていた。一応、事前に部室で会おうと言われていて、それで今日は来たのだが……」
部室内を見渡すも、綾加の姿は見えない。
離席しているのだろうか?
俺が答えを求めるように平川を見ると、彼女は困惑した様子で俺を見返す。
「そもそも、綾加さんは最近学校来てないわよ? 今日もたぶん来てないんじゃないかしら……」
「っ……本当か? 綾加君が休んでいる理由は知っているのか?」
想像以上に良くない状況を察し、俺は思わず平川に詰め寄る。
「ちょっ、ち、近いわよ。理由は分かんないけど、大雨の日から休みがちになったみたいだし、あの子も色々抱え込んじゃったんじゃない? 私も何度か綾加さんの家に行ったけど、誰にも会いたくないって……」
ショックだった。
様子がおかしいことは分かっていたが、ずっと目を背けていた代償の重さを見せつけられているようだ。
俺は思わず「何で教えてくれなかった」なんて身勝手な言葉が漏れそうになる。けれど、そんなの決まっている。寝込んで無気力になっている俺を心配して、言わなかったんだろう。
「……綾加君の家に行きたい。場所を教えてくれないか?」
「ええ、私も付いてくわ」
平川は短くそう言うと、急いで準備を整え始める。
俺は平川を待つ間に、綾加に『今から家に行く』と連絡を入れる。
すると、やはりすぐに既読が付いた。
数秒後、彼女からの返信は——校舎の屋上から撮影された、遠く硬い地面の写真だった。




