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メスガキのバカな大人観察日記  作者: ニドホグ
少女文学

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107/109

クツとばしで一番!

「ただいま……」


 口から自然と出た言葉で、家に誰かがいる日々に慣れ切っている自分に気が付く。

 昔は『ただいま』なんて定型文にも心の引っかかりを覚えていたのに、最近はどうでも良くなってしまった。たぶん、色々なことに疲れているのだ。

 それが何なのかは、もう良く分からないけれど。


 トコトコと部屋の奥からあゆみが歩いてくる。

 勿論彼女は「おかえり」と言わない。

 憮然とした顔で腹を掻きながら、その真っすぐな瞳で俺を見るのだ。


 そんな彼女らしい態度に心が少し軽くなる。


「そういえば、平川は今日いないのだね」


「ん、平川さんはガッコ―あるし。休日しか来ないよ」


「一人で家にいては暇だったろう?」


「別に、ゲームあるし。ていうか二人でどっか行こうよ」


 帰ってきたばかりの俺の手を引き、あゆみは外へ連れ出そうとする。

 しかし、俺はどうにも気乗りしない。恋愛相談室や猫屋敷のことなんかがあったせいで、今日はもう寝ていたかったのだ。


「どこかって、どこさ。それに俺、まだ制服のままだよ」


「いーじゃん、そんなの。私はどっか行きたいの!」


「……分かったよ、どこへでも行こう」


 俺が観念してそう言うと、あゆみは部屋着のまま外へ飛び出した。

 こんな真冬には少々寒そうな格好だけれど、子供は風の子ということだろうか?


「ねえ、寒いからコートちょうだい」


 風の子というのは大人の戯言だったようだ。


「俺だって寒いんだ、コートはあげられないよ。ほら、まだ家の前なのだから上着を取りに戻ろう」


「やだー!」


 あゆみはそう言ってニヤニヤ笑いながら俺のコートをはぎ取った。

 傍若無人の振る舞いに、俺の肩はブルリと震える。

 セーターとブレザーを着ているとはいえ、北風はやはり骨身に応える。


 俺は、いそいそと部屋に戻り、適当な上着を掴んで再び外へ。

 すると、その上着もすぐあゆみに取られてしまった。そうやって奪った上着を節操無しに重ね着するものだから、彼女のシルエットはすっかりとコロコロした丸みを帯びている。


「……それでは君だって動き辛いだろうに。まあ良いさ、飽きたら返してくれ」


 俺は制服姿のまま、駆けだすあゆみの後へと続く。

 重ねた上着が重たいのかフラフラしていて、転んでしまいそうで少し心配だった。一方で、あの重装備では転んでも大して痛くなさそうだとも思う。


 すっかりと葉を落とした街路樹を眺めながら、薄暗い道を歩く。

 街灯が点くには少々早く、しかしコウモリが舞い始める時間。俺はどこか遠い過去の出来事のように、学校のことを思い出していた。


 宮下、宇津木、阿田池、猫屋敷……。

 綾加君のこと、大雨の日のこと、平川のこと、ぐちゃぐちゃと絡まった糸みたいだ。

 全部こんがらがって、未来に対する憂鬱だけが形を持たず脳裏に蔓延する。


 明日のことを考えるのも嫌になる。


「ねーえ!」


 そのときに振り向いたあゆみの表情は、キラキラと楽しそうで……

 街の薄明りが照らす彼女のシルエットに俺はふっと視線を奪われた。


「今から公園まで駆けっこね!」


 走り出すあゆみの背中。

 小さくなる。

 それが少しだけ怖くなって、俺もつられるように駆け出した。


 薄暗い街路に二人分の足音。

 楽しげで軽やかなあゆみに対して、俺の方はドタドタと不格好だ。


 もう追いつく。というところで、あゆみは飛び上がって公園に入ろうとする。

 そのまま彼女はバランスを崩した。

 転ぶ。転ぶ前に。あゆみが転ぶ前に受け止めようと。駆け出して。

 足が絡まった俺は、一緒になって地面を転げた。


「あははは!」


 あゆみは心底楽しそうに、転んだまま夜空を見上げ笑い声を上げる。

 俺も少しだけ楽しくて、ふっと息を漏らすように笑った。


 走ったせいで体が熱い。

 荒く息を吐き出して、気持ちの良い夜の空気を吸い込む。


 このままずっと世界に二人だけだったら良いのに、なんて思った。

 少し馬鹿みたいだ。


「空、広いね」


 あゆみはそう言いながら、溢れるエネルギーを発散するように腕をバタバタと動かす。


「でも宇宙より、私の悩みの方がでっかいから!」


「それでは、圧し潰されてしまいそうだ」


 俺がそう言うと、あゆみはこちらを見て小さく笑う。


「大丈夫、晋作がいるから」


「そうか……」


 宇宙の下で互いの瞳を覗き合う。

 本当は瞳なんか見てみても、心の内なんて見えないんだ。

 でも艶やかな瞳孔は覗き窓のようで、どうしてか答えが欲しいときに覗き込んでしまう。


「晋作の目、キレイだよね」


「そうなのかな?」


「うん、私がちゃんと映ってるから。だからキレイ」


 なるほど、と。そう思った。

 あゆみの瞳には、確かに俺が映っていたから。


「俺、ちょっと今日、疲れちゃったな……」


 ポツリと漏らすと、あゆみは起き上がってぽんぽんと俺の頭を軽く撫でる。

 小さな手は髪の毛を梳くように滑る。その感覚がくすぐったくて、俺の身体は奇妙に震えた。


「疲れた日にさ、私が一緒にいて良かったじゃん」


「ふっ……そうだね」


 俺はそっと上体を起こし、あゆみから上着を受け取る。

 羽織ってみると彼女の体温が残っていて、それがなんだか少し嬉しい。


「なあ、ブランコに乗ってみないかい?」


「えー? しょうがないなあ」


 俺の提案にあゆみは嬉しそうに笑って、そのままブランコへと駆けていく。

 すぐに走り出す彼女は、まるでゼンマイを巻かれ切ったミニカーのようだ。一方で、俺のゼンマイはもう切れてしまっているようだけれど。


 とぼとぼと歩き、やっとの思いであゆみに追いつく。

 俺が座面に腰掛けると、彼女は当然のような顔をして膝の上に座った。


「それは……危なくないかね?」


「だったら危なくないように、ちゃんと晋作がつかまえててよ!」


 傍若無人にそう言って、あゆみは颯爽とブランコを漕ぎだした。

 揺れる。公園の片隅で。

 ブランコ何てモノはつまり、ゆらゆらと吊り下げられたまま、あっちに行ってこっちに行くのに、どこにも行けない乗り物なんだ。


 だんだんと揺れが大きくなるにつれ、少しずつ公園と自分たちが切り離されていくように感じた。

 夜の公園で、俺とあゆみだけが動いている。

 久しぶりの感覚は、どうしてか妙に怖かった。


 そのとき、俺の膝を跨ぐように、あゆみは両足で座面を踏みしめる。

 視界があゆみの背中で遮られ、落ちるのではないかと不安ばかりが大きくなった。


 でも、それでも、きっと俺は少しだけ楽しかったんだと思う。


「ねえ、晋作さあ! 毎日つかれることばっかかもだけどさ! そしたらさ、またブランコしてやるから!」


 グッと、あゆみが足に力を込めたのが分かった。

 次の瞬間、今まで以上に強くブランコが揺れる。

 勢いのついた振り子運動は弓を引くように大きく後退し、溜めたエネルギーを打ち出すように少女が高く宙を飛ぶ。


 ブランコに取り残されたままの俺は、星空を背負って綺麗に地面へと着地した彼女に魅せられて。

 だけども俺は跳べやしなくって、だんだんと静止に近づくブランコの上から、そっと地面に帰還する。


 フラつく俺を見て、やはりあゆみは笑っていた。


「よし、帰ろ!」


「うん」


 手を差し出され、自然と繋いだ。

 彼女の手が温かいと感じたから、彼女の握っている俺の手は冷たいのだろう。

 それでも手は繋がれたままだったから、俺は握り合った手を上着のポケットに突っ込んだ。


 あゆみは俺を見てちょっとだけ嬉しそうに笑う。

 俺も小さく笑い返して、来た道を歩く。もう街灯は点いていて、存外に長い時間を公園で過ごしていたことに気が付いた。


「なんかさあ、晋作今日元気ないね。まあ、最近ずっと元気ないけど」


「うん……そうかもしれない」


「別にいーけどさ」


 そう言いながらあゆみはくっついて来て、そのせいで少し歩きにくい。

 俺は彼女に押されるままフラフラと歩いた。

 何か言った方が良いのだろうが、何を言えば良いのか分からない。

 そうやってグルグル考えているフリと続けるうちに、あゆみはまた言葉を吐いた。


「なんか、私が晋作にさ、宮下って人に相談しろとか言ったけどさ。ダメだったなら、べつに私とだけ一緒にいればいいじゃんって思う」


「……」


 そうやって、あゆみの言うように外のことを全部切り捨ててしまえたら良い。

 どうせ俺みたいな死にぞこないは、あゆみがいるから惰性で生き続けているだけなのだ。

 けれども生きていたら、人と関わることになる。それは、しょうがないことだ。しょうがないから人と関わるのだろう。

 だから、明日も学校に行くのだろう。


 なんだか本当に惰性ばかりだ。

 自分でやりたいこと、というのが良く分からなくなってきた。


 なんとなく、あゆみの顔を見る。


 もしも、本当に名倉さんが生きているのなら……

 その話の真偽だけ確認して、やっぱり死んでしまうのも良いかもしれない。


「……はぁ」


「私の顔見てため息つくな!」


 足を蹴られた。

 痛む脛のせいにして、俺は今の考えを忘れたことにした。

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