選ばれし者(向井ハルヲ)
「え?や……あ、ウ、ウソ!あ、アナタは!アナタこそは!!!」
ある晴れた土曜日の午後。都心から一時間ほど下ったローカルな駅の、人影もまばらなロータリーで、突然はじけたような声が響いた。
すこし舌っ足らずな、甲高い少女の声である。
「え?な、な、な、なんでしょう???」
突然その少女に話しかけられた少年は、ずいぶん驚いたようで、声もすっかりひっくり返ってしまった。
それもそうだろう。少年はありとあらゆるセールスに弱く、キャッチや呼び込み、謎の果物販売などに話しかけられると断れないという性格だった。だから、近ごろは用心していて、そういう人物に近づかないようにしていたのだ。
今も、駅を出ると、まずロータリー全体を見渡し、怪しい人物が居ないことを確認してから歩き出した。さらに、フードを深くに被り、イヤホンを耳の奥までねじ込み、外の音を遮断して歩き出したその矢先に話しかけられたのだから。
少年の名は向井ハルヲという。3つほど隣の駅にある学校に通う高校生で、土曜日のその日はアルバイト先から家へと帰る途中だった。
「怪しい者ではございません!ワタクシはキノコ普及協会の手の者デス!」
「え?キノコ普及協会?……の?手の者?……」
「ハイ!アナタは!アナタさまこそは選ばれし人物グーデンヘーデン!間違いありません!デス!」
「グ、グーデンヘーデン?」
ああ、そうだ。少女は、まぎれもなく、どこからどう見ても、完全無欠に怪しい存在だった。
まず何より服装が怪しい。これほどよく晴れた日だというのに、日傘でもない傘をさし、服装と言えば全身にすっぽりかぶった青いエナメル生地のレインコートだった。
さらに胸にかけたタスキの「キノコ普及協会」の文字は、明らかに自分で書いた手書き文字だったのだ。
「ちょおぉぉっとお話しイイですかぁ?2~3分で済みますんで~イイですよね?ハイありがとうございます!さすが選ばれし人!」
ハルヲは小声で『怪しい、怪しい、怪しい、怪しい』と十回は繰り返していたが、少女は気づいていないのか、いいやたぶん気づいた上でそれを完全に無視したようにしゃべり続けた。
「今ですね。キノコのですね。住む森が減ってるんですよ~。寂しいと思いません?」
「はあぁ……」
ハルヲは相槌を打ってしまった。『これがダメなんだ。いつもコレで失敗するんだ』そう思っても、目の前でしゃべる人に対して、どうしても返事してしまったり、頷いてしまうのだ。
仕方ないのでハルヲは少女の顔を見ないように足元に視線を落とした。すると少女は小学生が履いているような黄色い長靴を履いていた。やはり怪しい。けれど、『やっぱ怪しいじゃん……』とは、けして言えるはずもなかった。
「でもまあ、どこでも居つけるのがキノコのいいところ!こんな町の中でも、よくよく探せばキノコはいろんなところに居るわけですよ。楽しいと思いません?」
「はあ……」
彼女は一気にまくし立てるように喋り続けた。時折、両手を大きく広げてみたり、くるりと傘を回しながら。その顔は明るく光って見えた。
「でも可哀想なキノコノコたちはあまり遠くに行けないんですよ。胞子を飛ばして根付かせる森がないから!貴方たち人類が森を破壊するから!いいえ、人類などと責任回避してはいけません!貴方が、貴方こそが森を破壊するからなのです!!!!!ヒドイと思いません?」
「は、はい……なんかすみません」
「ですよね?ですから、人としてひと肌脱いでみたくなりますよね?」
「え?…………」
『キタ……』ハルヲはそう思った。
これは、いつだかエコロジー対策といって『苔蒸す茶器』を買わされたパターンだ。もしくは、滋養強壮に効く!という誘い文句で『黒光る石を』買わされたパターンだ。もしくは、『終わらない朝のための朝顔の種』を買わされたパターンだ。
もしくは、もしくは……
ま、まあ、何度となくハルヲが経験したパターンによく似ていた。
「ね!」
「………………」
「ね?ね!ね?」
ハルヲにしては頑張った。ここで返事をしてはイケないと踏ん張っていた。しかし、チラリと顔を上げ、フードの下から少女の顔を見てしまった。彼女のその真っ直ぐな視線。世の中の不純とは決別したように蒼く澄んだ眼差しを見ると、彼女が人を騙そうとしているとはとうてい思えない。
「……は、はぁ……」
だから少年はまたうなづいてしまった。
その時はすっかり忘れていたらしい。いつかも同じように純真な瞳の少女から『幸運のサボテン』を買わされたことに……
「まいど~っ!したらば、いただきます!エイっ!」
しかし彼女の反応は予想とはまったく違った。突然、傘を空に放ち、ハルヲがそれに気をとられている隙に、首の根元あたりを指先でチクんっと突いたのだ。
「痛っ!な、何するんだよ~」
ハルヲはまた何かを買わされると思いこみ、今日の財布の中身ばかりを気にしてた。だから突然の痛みに驚いて、ハルヲにしては珍しく強い口調で声をあげてしまった。
「スミマセン!スミマセン!スミマセ~~~ン!!!ですか?ですかね?でもでもでもでもでもでもぉ~貴方しかいないんです!み、みんなに無視されて、誰一人ワタシの話を聴いてくれなくて、それどころかナゼだかまるで変人を見るかのような白い目でジロジロと見られ、かれこれ8時間は立ちっぱなしなんです!ココに!この炎天下の街頭にずーーーーっと、ずーーーーっと、ずーーーーっと立ちっぱなしで気もそぞろな感じなんですよぅ!!!」
少女は手をあたふたとパタパタとさせて泣きだしてしまった。
大粒の涙がポトリポトリと落ちてアスファルトにシミを作った。
「わ、わかったよ。泣くコトはないだろう?」
「ふ、ふはははははははははははーーーっ!」
が、ハルヲの言葉にカラダをピタリと止めると今度は笑い出して……
「コホンッ コホンッ」
またすぐに咳き込んだ。
「今度はなんなの?咳き込むほど無理して笑わなくてもいいよー」
「いーえ無理してなんてないです。泣くワケ無いって話ですよ!コンチキショーメが!この大都会に出てきて苦節3年!マザー!ついにワタシはやりましたよ!ちょっと情けなくて、頼りなくて、いただけない感じの少年Aさんですけど、ついにワタクシはパートナーを見つけたのです!」
ん?
少女がすっかり浸りきっていた自分の演説の余韻から覚めると、ハルヲは今がチャンス!とばかりにソッポを向いて歩き出していた。
「ってオイっ!逃げるな!少年!」
「……いやあ、なんかちょい怖いんで、ボ、ボク、もう行くよ」
うっ …………
するとまた少女は泣き出してしまった。
大声でカラダをワナワナと震わせながら。
「マザー!この人はワタクシを見捨てるというのです!も、もはやこの世界で生きてはいけません!生きている価値などないゴミのような存在だと、この少年Aは言いやがるのです!」
「え?ええええっ?なんで今度は号泣?しかもなんか嘘っぽい感じだし……で、でもほら、み、みんな見てるから、泣き止んでよ。ボクが悪かったなら謝るからさ」
正直、少年は逃げ出したかった。しかし、ローカルな駅とはいえ、そこは駅前。目の前で号泣する少女を無視して逃げきることは少年には困難なミッションだったらしい。
「……ホントですぅ?」
「うっ……うん……」
だから、じんわりと涙をにじませた顔でこちらをじっと見る彼女に逆らうことなどできなかった。
ハルヲの返事を聞くと、少女はまたケロっとして顔をあげた。
「なんでもします?」
「あ、ああ……」
「ハーイ!じゃ、これね!持って帰って大切にしてくださいね!私の分身だと思って!いやマジで!」
「え?」
少年が手に重みを感じて視線を下げると、手の中には鉢があった。キノコが一本ポツンと生えている鉢だ。そのキノコは見たこともないような青いキノコで、日差しを受け青く光っているように見えた。
「ナニコレ?」
驚いて、少女に尋ねようと再び顔を上げた時には、すでに少女の姿はなかった。