十二章 春詠・十七
「あ。おーいハルー。ハルの世界、死んだぞー」
「は? 何だいそれは」
私に向かって来るわけのわからない生物を長剣で斬り捨てながら返事をする。
「ハルの契約の話だ。新世界のやつだ」
燥焔が私が斬り捨てたよくわからない生物の残骸から、私には見えない何かを取りながら言う。
「あ、そうそう。それ! その世界にいたやつが死んだ、よっと」
遊焔がよくわからない生物を煽って私に向かわせ、それを私が斬り捨て、残骸から燥焔が何かかを取るを、どこかの世界で今やっている。
「そうか。ならあの世界に行きたいけど、あとどれぐらいで終わるんだい、これは」
「んー、……大体二日前後?」
「そうだな。大体それぐらいだな」
「わかった。けど、それは向こうの世界でも二日前後かい? 向こうに着いたら死後一週間とか困るんだけど」
「それは大丈夫。ズレはあんまり無い」
「本当に?」
「ほっ、本当だよ! なあソウ?」
遊焔は燥焔に同意を求める。
「ああ、今回は間違いない」
燥焔はチラッと私達の方を見て答えた。
「ならいいけど。もし違ったらちゃんと責任は取ってもらうからね、遊焔」
「うんっ、うん」
遊焔は少し顔色を悪くしながら真剣に返事をした。責任を取ると言ったのだから、もし何かあった場合はしっかりきっちり対処してもらおう。
「ならさっさと片付けて最後の仕上げをしないとね。……でもこれ、本当に終わるのかい?」
薬の材料採取だ! と双子に連れられよくわからない世界に来て、よくわからない生物をただひたすらに斬り続けているけれど。全く終わる気配が見えないんだよねぇ。
「大丈夫! ちゃんと終わるから。それにハルはこの程度の時間ならもう大丈夫だよ」
遊焔が煽りながら言う。
「ああ。まだ完全じゃないが、様子を見るという点ではそれなりにいい仕事だ」
燥焔は見えない何かを拾い、袋ではなくポイっとそこら辺に投げ捨てた。使用基準に満たない物だ。
「そうかい……はぁ」
私は溜息を吐き、澱んだ空気に包まれた闇い森の奥から、一向に減る気配無く現れ続けるわけのわからない生物を遠い目で見てしまった。
それから二日後。
一度自室に帰り、身なりを整えてからあの世界に向かった。
指輪を嵌めて念じると、着いた場所は山の頂だった。そこに岩を加工して作られた長椅子に、二人は抱き合って横たわっていた。
「おや、ちょっと間に合わなかったか。んー……死後二日ぐらいかな? まあでも問題なさそうだ。とりあえず場所を移すか」
双子の言った通りで、死後約二日程度。
あのわけのわからない生物を、休みなく斬り続けたのに死に際には間に合わなかった。まあ間に合った所で何をするわけでもないけど。
「さて、始めようかね」
夜明け前の空の下、私は長椅子の上で穏やかに抱き合いながら死んでいる歌蓮と氷蓮を検分する。
この世界に組み込むのに問題ない状態だったので、私は術を起動させた。
二人を中心に淡く発光しながら、三層重なった呪陣が違う速度でくるくるとゆっくり回っている。
私は二人に右手を翳すと、地下空間に移動した。
ここはこの世界の根幹となる場所であり、二人の墓所だ。だから警備も万全にしてある。
二人を発光する呪陣ごと地下空間の中央に安置した。床は滑らかに磨かれた石を敷き詰めている。この世界で採掘した石を加工した物だ。
「さて、仕上げだ」
私は両手を二人に翳すと、二人の下から大きな呪陣がぶわっと空気を巻き上げ発動した。
次いで、空中から文字が淡く発光しながら流れ落ちて来た。文字は二人を隠すカーテンの様にくるりと二人を中心にして囲った。
文字は滝の様に絶えず、何も無い空間から流れ落ちて行く。侵入者を遮る防御幕だ。
中心に据えた歌蓮と氷蓮、二人の身体が少しずつ透明になっていった。術は問題なく起動している。
「よし、完了。ここは君の世界だ。後は好きにしなよ。じゃあね」
私はそう告げ姿を消したが、すぐに部屋には戻らず、外に出てこの世界を空中から眺めていた。初めて来た時と変わらず、美しく死んでいる世界。私達がいたあの世界ではない。けれどどこか面影のある世界。私が知っているものはもう何一つとない世界。
長い、長い時間だった。
それでも漸く終わりの時を迎えられると思ったのに、まさかの延長。
やっと皆の所に逝けると思ってたのに。
もう笑うしかないよねぇ。
私は空中を歩きながら、今までを思い出してみる。
これが、最後だから。
思い出せる過去を振り返ってみると、私には何も無い事だけがよくわかる。
私を愛し、慈しんでくれた家族はいない。
私が創った子供は手を離れた。
今あるものは、私の身一つ。
でもそれでいい。
もう何かを背負うのも、抱えるのも御免だ。
私は元々好き勝手に生きていたんだ。
世界が裂かれなければ、国中を気の赴くまま移動し、学んで遊んで、時々仕事をして生きていたはず。
そう。
もう私を縛るしがらみは何も無いのたから、余生は心の赴くまま生きよう。
それに、双子との生活は思ったより楽しい。
知らない事がありすぎて、余生全てを使っても知る事ができないなんて。ははっ。
だから私はもうこの世界には来ない。
私は小さな風の刃を作って、一つに結んでいる髪の毛を切った。
腰まであった髪の毛は、肩よりも短くなりすっきりとした。
でも少し慣れるのに時間がかかるかもね。
こんなに髪の毛を切ったなんて初めてだからねえ。
私は切った髪の毛をじっと見ていたが、突然風が私の身体を叩き、掴んでいた髪の毛を手放してしまった。
「しまった」
私はすぐに術で、空中を舞う髪の毛を燃やした。
この世界には、私の物は残したくないと思ったから。
それにしても、風が吹くなんて……。
この死んだ世界には風一つ吹かなかったのに。
ああ、あいつらがちゃんと機能し始めたんだな。
そうか。
この世界は今からゆっくりと生き還る——生き始めるんだ。
「今度こそ本当にさようなら。湖鐘兄様、私の家族達。春詠も今死にました。これからはハルとして生きます。——さようなら」
私は心から笑い、皆と今までの自分に別れを告げた。
私はもう、新しい人生——ハルとして生きるんだ。
これ完結です。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
当初はもっと早く完結するつもりでしたが、書き始めてから10年以上とは自分でも何やってんだか…な気持ちです。
あと随分なタイトル詐欺だなあとは思ってます。タイトルを考えるセンスはあまり無いです、自分。
「氷の鳥籠姫」は緋月(氷月)で「緋の玻璃姫」は彩音です。玻璃の様に繊細な子のつもりがそうでもなく…。まあもう仕方ないよね、という事で。
この話の本編は終わりですが、多少の手直しや(誤字や抜け等の)番外編をいくつかアップしてから完結にします。
最後にこの話を10年以上も気にかけていただき、本当にありがとうございました。