十二章 春詠・十六
「ん、んっ……。またか……あっ、と。本、本は……無事か。よかった」
私はほっとして膝に落ちている本を取り、テーブルに置き、溜息を吐く。
ここ最近突然寝落ちし、数時間後にぱっと目が覚めるを繰り返している。
原因は双子の治療の影響。
私の身体は双子が満足できるレベルにまで治療が進み、変化が起きている。
突破的な睡魔はそのせいで、睡魔に抗う間も無く寝落ちするので非常に困るが、基本この部屋から出れないので被害もちょっとした程度なのでまあ問題は無い。
とりあえず気分転換にテーブルに置いてあるグラスを取ると、瞬時に飲み物が満ちる。
(……ああ、これは)
冷たい水にほんのりとした爽やかな酸味。
よく飲んだ、覚えのある味だね。
私は冷えたレモン水を一気に飲み干す。
寝起きで少しぼんやりしていた頭がしゃっきりとする。
「おーいハルー。ラン兄からハル宛に請求書来てるぞー」
「は?」
さらにしゃっきりさせる内容で完全に頭は覚醒した。
今回は珍しくドアから入って来た遊焔が、紙をひらひらさせながら持って来た。燥焔も遊焔の後から続いて入って来る。私達はソファに座った。
「私は爛熯と契約した覚えは無いのだけれどねえ」
両手を見るが、契約の証は入っていない。
「ああ、うん。ハルじゃないよ」
「は?」
私は一体どういう事かと考え、一つの可能性に思い当たる。
「ハルの予測は合ってると思うよ〜」
遊焔がにやけながら言う。
「皓緋がラン兄と契約して、そのツケがハルに来た」
燥焔が答える。
「はあ……。あの子は何をやってるんだろうねぇ……」
私は深い溜息を吐く。
「んー。これは俺の限りなく正解に近い予想だけど。ラン兄が皓緋を唆したんじゃない? 自分でできない事は俺が叶えてやる。対価? そんなもんはお前の家族にツケとけ、とかね」
遊焔がまあいつもの事だよね、見たいな顔をし、遊焔の左隣に座っている燥焔がうんうんと頷いている。
「ラン兄、皓緋の事、かなり気に入ってたからな」
燥焔が言う。
「成程ねえ。……つまり、爛熯は今だに皓緋にちょっかいをかけているという事だね」
双子が私を見てんっ! という感じで軽く表情を引き攣らせたが、それはそうだろう。異世界で幸せを得るなら、己が苦労しなければならないのに、それを他人に任せて支払いは私にと来れば、苛立つのは当然だよねえ。
「あ、でもこれは皓緋じゃ多分どうにもできない事だからさ、ね。ほら」
遊焔が持っていた紙、請求書を私に差し出す。
文字は遊焔達の世界の文字で書かれている。
大体は読めるようになったが、まだまだ怪しい部分はある。
「えっと、内容は……認識阻害……? 支払いは春詠」
「そうそう。皓緋が美形過ぎるから認識阻害の応用ですぐに皓緋の顔を忘れる、って感じの術。で、対価——料金は家族であるハルにって事になってる」
「成程。でも私は払ってないが……ああ、こういう事かい? 今の私には払えるものが無い。なので、君達が代わりに払い、私はその分タダ働きさせられると」
私はにっこり笑みを作り、双子を鋭く見る。
双子がぴしっと姿勢を正し、私から微妙に視線を逸らす。
「え、あ、まあ。うん、そう」
でも答えない訳にはいかないので、遊焔が答えた。
「はあ……。本当に全くあの子は何をしてるんだか」
私はまた深い溜息を吐いた。
とはいえ、今回の件は双子は関係ない……いや、無くは無いが、まあとばっちりみたいなものだし。これは元保護者の私が負うしかない。仕方が無いと諦めよう。
「わかったよ。ちなみにその依頼料は君達の感覚からいくと高い方、安い方?」
「高くもないし、安くもない。中間ぐらいだ。ハルの労働力を対価とするなら、俺達の家のエントランスを綺麗にする、ぐらいか」
「へぇ……。あのエントランスをねえ」
「いやっ、別にっ、だからといって掃除してよとかじゃないから! 勘違いしないで!?」
慌てて遊焔がフォローし燥焔もこくこくと頷いている。
「うん、対価、料金がどれくらいかわかったよ。まああそこを掃除しろとか言われたら二日ぐらいはかかるよねえ、多分。だから私の給料から引いて構わないよ。勿論、適切適正に頼むよ、二人共」
私は笑顔と共に言うと、双子は息ぴったりに同時に頷いた。
だが。
あろうことか、同じ事が最初の請求も含めて二、三回来るとは思わなかった。
請求書を冷静に確認しながら笑顔になる自分を、双子は遠巻きに観察している。
「皓緋……。あの子はほんっとうに何をやっているんだろうねえ」
双子はそんな私からまた静かに距離を取る。
「本当に。こんな事をして自ら幸せを壊しに行くなんて、あの子は自虐趣味でもあるのかね……はぁ。でもこれで自分が何をしているのか理解できればいいけど」
また深い溜息を吐いた所で遊焔がそっと話す。
「あ、あー、と。それに関してはラン兄もちゃんとアドバイスしてるってさ。でも皓緋がきかないらしい」
「へえ。そうなんだ。それなら放っておくしかないねえ。でももし君達の兄のせいで皓緋の幸せが壊れたらどう責任をとってくれるんだい?」
私はあの子に幸せになって欲しいと思ったから双子と契約したのであって、不幸になるために契約した訳じゃない。爛熯がちょっかいを出さなければ、皓緋はもう幸せになっていたかも知れない。
「それは無い。もしそんな事をしようものなら俺達も黙ってない。が……」
燥焔はきっぱりと否定したが、何かはっきりできないものもある様だ。
「が、なんだい燥焔」
「えと、ラン兄は皓緋をものすっごく気に入ってて。多分死んだ後もしつこいと思う」
代わりに遊焔が答えた。
「死んだ後も、かい」
「ああ。ラン兄のあの感じだと絶対死んだ後も何かすると思う」
燥焔も遊焔の言葉を肯定する。
「そう。そうかい」
双子はまた同時にこくりと頷く。
私は腕を組んだ。
今の話からだと、皓緋は苦難はあれども彩音ちゃんと幸せにはなれる、というのは確かだろう。それならもう私が口を出す事はない、が。流石に二、三回もツケを回されて黙っているのは無理かなあ。
だから兄の不始末は弟達にとってもらおう。勿論、嫌、なんて言わせないよ?
「ねえ、君達。お願いがあるんだけど、きいてくれるよね?」
「あ、ああ。俺達ができる事なら、な。そうだろ、ソウ」
「ああ。可能な限りやる。なあユウ」
正面の双子は互いの手を握り合いながら、少し顔色を悪くして答えた。
おかしいなあ、何でそんな具合悪そうにするのかねえ。ふふ。
「ありがとう。じゃあ……」
これぐらいはしないと割に合わないからね、皓緋。ふふ。
そして時を見計らい、私達は彩音ちゃんの夢の中へとお邪魔した。
皓緋がやらかしたツケを彩音ちゃんが払って、彩音ちゃんの受けた身体のダメージが大きくてまだ病院、という所にいるそうだ。彩音ちゃんに話すなら今が好機という事で私達は来た。正確には連れて来させた、だけど。
久しぶりに会った彩音ちゃんは、私達の事を覚えていた。
記憶は消した筈じゃないのかと双子を見ると、私から視線を逸らしながらしれっと言う。
「ちゃんと消したよ、俺達は。お嬢ちゃんの記憶があるのはラン兄のせい」
「そう。ラン兄がそいつの腹の中に魂を入れたからそのせい」
「でもまあ記憶がある方が話が進み易くていいじゃん。なあハル? …………うん、そうだね。ラン兄が悪いんだよ? 俺達は何にも悪くないからね?」
何も言ってないのに遊焔は私の顔を見て余計な事を喋り出す。
遊焔は燥焔に助けを求め、燥焔はうんうんと頷く。
まあいい。今は彩音ちゃんだ。
「元気そうで何より、でいいのかな、彩音ちゃん」
「ええまあ、元気になろうとしている所に、元気を奪う様な話をしてくれてありがとうございます」
彩音ちゃんは実にいい笑顔で挨拶してくれた。私も皓緋のあれこれの被害者なんだけれどね?
「まあでも、祥護を私と一緒に帰してくれた事には感謝するわ。ありがとうございます」
彩音ちゃんは私達に頭を下げた。
「でも! それ以外は酷すぎですよ。勿論皓緋! 性格があまりにも向こうの時と違いません? 前はあんなストーカーじゃなかったのに」
「ストーカー?」
「ああ、相手の意思を無視してしつこく付きまとう人って意味」
遊焔がこそっと私に教えてくれた。
「あー、それはごめんね。皓緋、向こうでは王様として頑張ってたけど今はもう王様じゃないから素の皓緋に戻っちゃったんだよねえ。大変かもしれないけど、彩音ちゃんの言う事だけは絶対に聞くからよろしくね」
ええー、とかなり嫌そうな顔をされたが、何かを考えこんでいる様な顔になる。
もしかして皓緋の執着ぶりに何か思う所でもあるのかな。それならちゃんと言ってあげないとだね。
「彩音ちゃんが誤解しないように言うけど、皓緋はちゃんと彩音ちゃんを好きになった。だってほら、歌蓮を抱いたし、別の女性も抱いたけど、彩音ちゃんに対する様な感情は一切湧かなかったよ」
「へえ」
「おや、嫉妬した? 大丈夫、皓緋は彩音ちゃん以外勃たないから。歌蓮との時だって、薬使って勃たせたんだから、安心していいよ」
この感じだと嫉妬したのかな。であればいいんたけどねえ。
「安心、ですか……。安心、安心……? 危険の間違いじゃないでしょうか」
「あっははー! 確かに! 安心より危険だね! キミは正しいよ!」
「失礼だな、遊焔。皓緋は危険じゃない。ただ、一途なだけだよ。だから浮気もしない。安心安全な優良男性だよ、彩音ちゃん」
私は優しく微笑んで話す。
「え、えぇー……?」
「伴侶の子が言うんだ、ハルより正しいだろう」
「燥焔までそういうこと言うんだ。皆わかってないなぁ」
「いえ、わかってないのは春詠さんです。あれ、本当に危険ですよ。私以外に」
「え、それならいいじゃない。彩音ちゃんは知らんぷりしていればいいんだよ」
「は? 駄目ですよ、そんなの! 私が困るんですよ! いいですか、私にちょっかい出してきた人は数日以内に大体謝罪に来るんです。しかもほぼ顔色悪くして、絶対に私と目を合わせないんです。これ、絶対普通じゃないですよね! あんな顔して二度しません、ごめんなさいとか言われてもすごい気になるんです、後味悪いんですよ! だから皓緋に何やったのか問い詰めても絶対に白状しないんです。そんな男のどこが安全なんですか!? もう心配しか残らないですよ、本当に」
おやおや。自分に実害が無ければそれでいいのにねえ。随分と真面目な子だね。
はあ、と溜息を吐いた彩音ちゃんを見て、私達は思わず笑い出した。
「っははっ! アンタ、苦労してるね!」
「あいつがそんな風になるとはな」
「酷いな、彩音ちゃん。皓緋は彩音ちゃんを守るために虫を追い払っているだけなのに」
「は? 酷いってこっちが言いたいですよ。それで逆恨みとかされたら堪らないですよ」
「ははっ。大丈夫だよ、彩音ちゃん。皓緋はちゃんと徹底的に、そんな気も起こせないぐらいやるから安心していいよ」
「それ、全然安心できないんですけど」
「ええー。彩音ちゃんには直接害がある訳じゃないんだよ?」
「いやー、普通の子ならそういう反応だって。お前がおかしいの、ハル」
「失礼だなあ。それなら二人だってそうでしょう?」
「ああ、俺達はマトモじゃないぜ。勿論ラン兄もな!」
堂々とまともじゃないと言い切る遊焔に私は苦笑する。
「ま、皓緋のことはほっといていいよ。それよりも彩音ちゃんの記憶が戻るなんてね?」
私はもう一度双子に当て擦る。ちゃんと彩音ちゃんにも説明しないといけないけらね。
「それは俺達のせいじゃナイ。腹の中にいた子のせい。つまりはラン兄のせい」
「ああ。正確には腹にいた子の記憶が、そいつの深層域にある記憶を刺激して思い出すきっかけを作ったんだ。俺達は表層域の記憶は全て消したからな。通常であれば思い出すことはない」
「成程。通常ではない状況にあったから記憶が戻ったという事だね」
「「ああ」」
「ふうん。成程ね」
まあこれぐらいで勘弁してあげようか。一応、雇用主だし。そこでふと思う。
「ねえ彩音ちゃん。彩音ちゃんは記憶が戻ったこと、皓緋に話したの?」
「いいえ。話してないし、話すつもりもありません。話したら面倒が増えるだけですよ」
「そう」
「さって、もう時間だ、ハル」
「ああ。じゃあね、彩音ちゃん。皓緋のこと、よろしくね」
「はい。まあ仕方ないので」
「ははっ。酷いなあ、彩音ちゃんは。でもそれぐらいの方がいいのかな? じゃあね」
うん、皓緋はちゃんと愛されている。言葉ではなんだかんだ言っても、彩音ちゃんはちゃんと最期まで皓緋を受け入れ面倒を見るという気持ちを感じる。もう何も心配はないね。私の可愛い子をよろしくね、彩音ちゃん。
私はひらひらと手を振り、彩音ちゃんの夢から引きあげた。