十二章 朔夜・二
三日後、愛華の母親が娘を探してくれた礼を言いに菓子を持って家に来た。
「本当にありがとう、朔夜君。家族はみんな朔夜君に感謝しているわ。本当なら愛華もここに連れて来たかったんだけど……」
愛華の母親の言葉が詰まる。
「どうかしたの?」
母親が椅子に案内し、茶を出しながら愛華の母親に訊く。
「ええ……。あの子、あそこで随分恐い目にあったみたいで、夜になると物凄く恐がって暴れるのよ」
愛華の母親は頭を軽く下げて椅子に座り、母親も向かいに座る。俺は母親の隣に座った。
「まあ……」
母親が随分と痛ましげに愛華の母親を見るが、俺からしたら胸がすっとして気分が良い。
「子供があんな場所に一人で過ごしたらね、恐がるのも仕方ないわ」
「一人……ではなかったのよ。あの子、魔物に囲まれていたんですって。でも持っていた石が魔除けになっていて、それを持っていたからなんとか無事だったみたいで。もし石を無くしていたりしたら……」
愛華の母親は暗い顔で、卓の上の湯呑みを両手で持った。
「そもそもどうして愛華ちゃんはそんな場所にいたの?」
それは俺も知りたかった。俺は母親の隣でじっと愛華の母親の方を見た。
「それが石を持ち帰る帰り道、つまづいて石を落としたんですって。石を取ろうとして手を下についたらいきなり地面が崩れてそのまま下に落ちたって言ってたわ」
「まあ……」
母親はなんとも言えない顔で愛華の母親を慰める言葉を探しているようだ。
「でもちゃんと愛華は帰って来たんだし、あとは元気になるのを待つだけよ。本当にありがとうね、朔夜君」
愛華の母親は俺の頭を優しく撫でた。
それから母親達は雑談をし、愛華の母親は帰って行った。
それからまたニヶ月後ぐらいか。
愛華は神殿へ修行へ行くことになったらしく、母親と二人で挨拶に来た。
俺から愛華と話す事はなかったが、愛華は懲りずにまた俺に図々しく話しかけてきた。
「朔夜、私、しばらく神殿に修行に行くけど、私がいなくて寂しいからって泣かないでよ? ふふっ」
はあ?
なんだそれは。
俺がいつそんな態度をとった?
みっともなく泣いてたのはお前だろ!?
俺は怒りで愛華を睨みつけた。
愛華は怯む事なく、それどころか偉そうに俺を見下した顔をした。
母親達は俺の怒りには気付かず、軽く雑談をしてすぐに愛華達は帰って行った。
俺は二人の後姿を見、ぎゅっと両手を握り締めた。
「あのね、愛華ちゃん、記憶が一部無いんだって。洞窟内の事はほとんど覚えてなくて、あんたが泣きながら愛華ちゃんにしがみついて泣いてたって事しか覚えてないって」
「違う! 俺は泣いてなんてない!」
はあ!? なんだそれは!?
俺はあいつにしがみついて泣いたりしていない! それはあいつの方だ!
俺は即座に否定した。
「でしょね。あんたの性格からしてそんな事、あるわけないものね。阿与さんも朔夜君はそんな事しそうもないしって言ってて。じゃあやっぱり愛華ちゃん、記憶がおかしくなっちゃってたのね」
母親は可哀想な表情で溜息を一つ落とすと俺の頭にぽんと手を置いた。
「朔夜、あんたには迷惑だろうけど、愛華ちゃんのこと、気にかけてあげてね。愛華ちゃん、あんたのこと好きみたいだから」
「はあ!?」
冗談じゃない! 何で俺があいつの事を気にしなきゃいけないんだ!
「絶対に嫌だ」
俺は頭の上にある母親の手を叩き、自室へ走り去った。
俺はあまりの怒りと苛立ちで、作業台の上にある作りかけの木彫りを掴み、思い切り床に叩きつけた。
木彫りは乾いた音を立てて割れ、飛び散った木片を力任せに踏みつけた。
「くそっ、くそっ! ふざけるな! 何であいつは俺につきまとうんだ! 洞窟で仕返しもしたのに!」
『愛華ちゃん、記憶がおかしくなっちゃって』
『愛華ちゃん、あんたのこと好きみたいだから』
俺の頭の中で母親の言葉がよみがえった。
あいつは記憶を変えてまで、俺につきまとう。
自分の都合のいい様に捻じ曲げて。
「ちくしょう!!」
俺はぞっとして、おまけに吐き気まできた。
最悪だ、最悪だ、最低だ!!
あいつが俺のことを好きだからつきまとう?
下手したら一生?
全身ぞわっとして、吐き気も強くなった。
冗談じゃない、冗談じゃないっ!!
どうすれば……。
俺は必死に考えた。
どうすればあいつを追い払える?
どうすれば……。
……ああそうか。
あいつより強くなればいい。
あいつが手が出せない程強くなればいい。
あいつは神殿に行く。
神官になるなら、神官に負けないように強くならないとだめだ。
となると、王宮で働くのが一番か。
王宮で働くなら頭が良くないとだめだ。それには勉強をしなければ。
勉強をして、体力……武力もつけないと。
今の自分の能力は成績も運動能力も普通だ。
なら今から勉強して体力ももっともっとつければいい。
俺はこの先の道を決めると吐き気もおさまり、気分もいくらか楽になった。
俺は一つ深呼吸をすると、散らかした木片を拾い木桶に無造作に放り込む。
ある程度片付けると作業台にのった木屑を払い、棚に置いてある教本を取り勉強を始めた。
それから数年、私は知力も武力も好成績を修めて王宮で働く事ができた。
仕事を真面目にこなしていくと徐々に階級も上がり、最終的には将軍としての地位も掴んだ。
が、それでもあいつと婚約はさせられたが。
とはいっても形だけで、私はあいつを徹底的に避け続けた。
あいつは私と接触する機会がないとみるや一方的に婚約を破棄してきた。婚約も一方的だったがな。
私はせいせいしたが、それでも事あるごとに絡んで来て鬱陶しいことこの上なかったが。
私は顔に残る古傷をなぞる。
この傷に触れるたび、己への未熟さと愛華への憎悪が湧き上がる。
ほんの一瞬、油断したあの時。
あいつは小刀で私の頬に斬りつけた。
あいつは大笑いして、私を見下し罵った。
だが私は何の反応も返さなかった。
ただ頬の傷を触り、自分の掌にべっとりとついた血を眺めた。
ただ冷静に血を拭おうと、衣装の袂から手巾を出し傷を抑え、愛華の前から去ろうとしたらあいつは激昂して私を激しく罵る。
何をされても愛華を相手にしない。
それがあいつに対する最大の嫌がらせだ。
あいつは私に無視されるのが一番嫌なのだ。
だから私は仕事上、会話せざるを得ない限り徹底的に無視した。
「何で怒らないの!? 痛いでしょ、痛いって言えば私がすぐに治してあげる」
どうでもいい。
「傷が残るかも知れないわ!」
お前のせいだな。
「だから早く痛いから治してって言いなさいよ!」
何故? 何故私が治して欲しいと請わなければならない? お前が一方的につけた傷だ。治すなら、何も言わずに治せ。それに傷痕になっても気にしない。
「なんでよっ! ……ああ、私がつけた傷だから治したくないのね。相変わらず素直じゃないわね、朔夜」
違う。
自分の未熟さを恥じるための戒めだ。
この傷を見るたびに自身の愚かさに恥じ、今以上に精進する様にとな。
「朔夜ー!!」
聞くに耐えない言葉や感情を喚いていたが、私は全て聞き流し、この場を後にした。
あの小娘がこの世界に来て愛華が世話係になったせいで絡まれる事が多くなったが、私よりも小娘優先のおかげで不愉快なことがあってもそう酷いものは無かった。
だが今。
不愉快、嫌悪といった負の感情が際限なく溢れて来る。
煩い煩い。
私は、静かな所にいたいんだ。
だが煩いがなり声はいつまでも響く。
ああ煩い煩い煩いっ!!
煩い時はどうしてた、私は。
…………ああ、思い出した。
こうしていたんだ。
私は辺りを探った。
手に当たったそれを何とか握り、霞む目を何度か瞬きをして視界を取り戻そうと試みた。
気休め程度だが、多少戻った視界であいつを捉えた。
重く怠い身体に何とか力を込めて起き上がる。そして強く両手で握った剣を、力任せにあいつに突き刺した。
「煩いっ! 黙れっ!」
「はぎゅっ!」
突き刺した者——愛華はゆっくりと私に首だけ向けると、目を大きく見開き、口をぱくぱくとさせ、がはっと大量の血を吐き出すとばたりと倒れた。
と、同時に不愉快な音は消え、静かになった。
そして私も力を使い果たし、その場に頽れた。
腹からは止まることなく血が流れ出続けている。
何だか身体が冷えてきた気がする。
……ああそうか。私はもう氷蓮様の役に立てない。いや、今までも役に立てたのか怪しいな。
くくっと自嘲すると目を閉じた。
もういいか。私がいなくても氷蓮様は生きていける。
私は今までのことを振り返る。
愛華と出会わなければ、もっと平穏で平凡に生きて死んだだろう。
こいつに出会った事で私の人生は変わってしまい、今こんな所で死ぬ羽目になっている。
まあ悔いは無いが、もしこいつがもっと分別を持って私と接する事ができていれば、私の人生はもう少しましだったのではないか——?
それに私は——
そう、私は——
初めて会った時のあいつの笑顔——
無垢で可愛い笑顔だけは好——
そこで朔夜の思考はぷつりと切れた。
皓緋達が破壊した石壁の穴から真っ白な光が入り、そこにあった全てのものを飲み込んだからだ。
そして辺りは何もない、ただ真っ白で静謐な空間だけが辺りを満たした。




