episode1 八島 研兎は元『英雄』である。
「ぐっ……!」
とある高校の教室内で、俺こと八島研兎は悶えていた。幸いにも、今の呻き声は前の席の生徒には聞こえなかったらしい。周囲は誰も気にした様子もなく、普段通りの休み時間を過ごしている。
――なんだよ、『カロン』って!
ここ数日の間にやたらと人気を博した、黒ローブ姿の『怪人』。
どこからともなく現れては、僅かな賃金を受け取って消える。そんな正体不明な怪人が、気づけば『カロン』と呼ばれていた。
出現して三日。
それだけで、もう都市伝説として定着しつつある。
あぁ、くそっ。何だってこんな事に……!
そうして『カロン』の正体である俺は、頭を抱えて悶絶したのだった。
⸻
――時は、『カロン』が世に定着し始める三日前に遡る。
「……戻ってきた」
異世界。
それは多くの人々が恋焦がれる、ここではない『どこか』だ。
迷宮が各地に出現するずっと前――異世界というジャンルは何度もブームを起こし、人々を惹きつけてきた。
だが、迷宮が出現し魔法が使われるようになった今でさえ、その存在が証明されたわけではない。
「……手も、足も、頭も付いてる」
しかし――ここに、『異世界』から帰還した人間が一人いる。
「服装は……うん、制服だ」
屋上のベンチで独り言を漏らしている少年の名は、八島研兎。
二年間異世界を彷徨い、ついに現実世界へと帰還した――異世界からの帰還者だ。
「普通に、学校……だよな?」
キョロキョロと周囲を見渡し、ようやく自分の居場所が通っている高校の屋上だと気付く。
どうやら転移してしまってから、それほど時間は経っていないらしい。チラホラと見覚えのある生徒が談笑しているのが見える。
(……落ち着け。ここではしゃいだら、一人で帰ってきた意味がなくなる)
二年ぶりに元の世界へ帰れた。狂喜乱舞したいのは山々だ。それでも今の俺は、普段より少しだけ冷静だった。
(……まずは『鑑定』持ちに引っかからないように『偽装』だ)
アイテムの能力を解析したり、人のステータスを見たり出来る『鑑定』スキル。それを警戒して、ステータス画面――自分の能力値が表示される画面の数値を弄る。
これで妙な人間に覗き見られても問題ない。
「時間は十三時ジャストか。……能力確認しながら教室に戻るか」
俺は異世界で、この世界へ帰還するために死に物狂いで『神の回廊』と呼ばれる迷宮を攻略した。
そのお陰か、俺のステータスは恐らく『世界最強』と言っていい。
上位ランカーがどの程度かは詳しく知らない。
だが、こっちの魔物が可愛く見える程度には――向こうで、もっと理不尽な連中を相手にしてきた。
ぶっちゃけ、恐るるに足らず、だ。
だが俺の夢は、迷宮のアイテムを研究し、新たな事実や革新的な技術を探る『迷宮研究員』になること。
断じて、命を賭ける冒険者ではない。
「『アイテムボックス』……うん、中身も無事だな」
向こうの世界で手に入れたチートスキル『アイテムボックス』を開き、試しに小さなものを取り出す。
どうやら向こうと同じ要領で扱えるらしく、目の前に浮かんだ半透明のディスプレイに浮かんだリストを操作する。
金銭や宝石の大部分は、あちらで共に迷宮を攻略してくれた仲間に譲った。
だから中身は決して充実していない――それでも、そこにある装備の数々は、俺が本当に異世界に居た証拠だ。
「……」
目を閉じる度に、鮮明な思い出が頭を巡る。
正直、何度も迷った。こちらへ戻るということは、向こうで手に入れたものを捨てるということだから。
一緒に傷付いて、それでも前に進んでくれた大切な仲間たち。それらを天秤にかけて――俺は、この世界へ帰ってきた。
理由はいくつもある。
でも、一番はやっぱり『夢』のためだ。
「……勉強、頑張るかぁ」
俺は『アイテムボックス』の発動を止めると、少しだけ早足で教室へ戻ったのだった。




