第1話:お目覚めはバッドエンドから
人生十六年。
どこぞのうつけが最後に歌ったんだか踊ったんだかの詩に比べると生きた時間はだいぶ足りないが、死ぬときは死ぬ。実にあっさりとした人生だった。
走馬灯も大して回らない。
とにかく、オレは死ぬ。
「おねがい。みんな、私といっしょに……」
少女が細く儚げな声で何かを囁いている。
それが明確に聞こえている理由はわからなかった。まるで、頭の中に直接注ぎ込まれているような。
「私といっしょに、ずっとずっと、なにもないままでいて」
周りを見る。
名前も知らない人たちも彼女を見ている。ただ、その表情に生気と正気もごっそりとどこかに落としたような具合だ。中には警察官もいる。落とし物の生気と正気はおそらく交番で届けられても受け付けられていないだろう。
「なにも、ないままで、このまま」
空に顔を向けていた少女が、ゆっくりとこちらを見る。
「ずっと、とまったままで、いっしょに」
次の瞬間に彼らが水音と共に穴という穴から血を吹き出した。彼女の望むとおりに、『とまる』ために。そのために必要のないものは全て捨てましょうと誓うように。
必要のないもの。つまりは、命そのもの。
「ああ。なるほど、こりゃあ……」
逃げられない。逃げようとも思っていないオレも生気はさておき正気は失っていたようだ。
ぶづ、と不快な音ともに目の前が真っ黒になる。出血したという感覚はある。
「ずっと、ずっと、なにもない私を、なにもない世界で、誰にも強制されない世界で──」
目の前の彼女が何者かは知らない。
わかっていることはオレは死ぬだろうってことと、彼女によってきっとこの世界は『停止』して何もかもが終わっちまうってことだけだった。
(人間がそれぞれ好きに生きているんだ。こういう終わりも当然なのか)
死にゆくオレの名前は鬼伏 直衛。
ご大層な名の割には無味無臭の人生だった。
オレの意志とは無関係に瞼が閉じていく。
全ての音が遠のいていく/それと同時に聞こえる、扉を開くのにも似た音。
──終わった。
次はもう少し味のある人生を送りたいもんだ。
元来諦めのいいオレはそんなことを茫洋と思いながら、最期の呼吸を吐き出した。
✘✘✘
「ン……?」
──瞼が再び、やはり意志とは無関係に開く。
空っぽの空間。机と椅子だけがあった。
どうしてか見覚えがあった。知らないはずのそれにオレは愛着を湧かせていた。
「ここ……どこだ?」
ああ。そうだ。思い出してきた。これは──あるゲームに熱狂し、文字通り死ぬほどに人生を捧げたゲームプレイと共にあった机と椅子だった。
けど、それは鬼伏 直衛の人生ではない。先ほど死んだ鬼伏はゲームは推しの配信で見るばかりだ。なにせ金がなくて最新ハードもゲーミングパソコンも買えないからね。
そんな事情は今はいいか。
机の上に目を向けるとノートが一冊開かれていた。
『闇堕ちキャラ生存・救済ルート』
ノートにはそう書かれていた。付箋がいくつも挟まっている。
何か書いているが、中に書かれていた文字はまるで異国の文字のようになっていて読めやしない。
閉じて表紙を見れば『|MASS”QA”RAID』『██ノート:攻略、チャート、覚書』とあった。中身と違って読める文字がないわけではないが、それらだけでは意味がないものであることもわかった。
だが、それは些細なことだった。どうでもいい。思い出したことに比べれば些事だ。
──オレは|MASS”QA”RAIDを愛していた。それを思い出した。
鬼伏 直衛でありながら、別の人間だとしか思えない記憶と感情を思い出していた。
MASS"QA"RAID。
容赦のないバッドエンドの嵐を叩きつけてくるゲーム。世界の誰一人として完全攻略を成し遂げていなかったゲーム。
オレはその攻略の最前線にいた。
この作品じゃ死ぬ、なんてことはご挨拶みたいなもんだ。
こっちを向けと言いたげに扉の鍵が外れるのにも似た音が聞こえた。
振り返る。扉があった。
『continue』
そう刻まれている。その扉の先にあるものが何か、直感できていた。
ノブを掴み、開く。その先には白と黒のマーブルの幕のようなものが揺らめいている。躊躇なく歩き出した。その先にあるであろう世界を求めて。
✘✘✘
扉の向こうは現実だった。
背には扉はない。
オレは誰か。疑問に思うこともなく思い出せる。
鬼伏 直衛。その自覚はある。一六歳。取り立てての特徴はない、どこに出しても恥ずかしい獣面にして凶相ってのがチャームポイントの好青年だ。
だが、同時にオレにはもう一つの記憶があった。
| MASS”QA”RAID──通称『MQL』と呼ばれる作品を愛したオタクボーイとしての記憶だった。
記憶……というか、情報としての知識とそれに紐づいた感情があるだけでかつての自分のことを思い出せたりはしない。つまり、生まれだとか育ちだとか、学校のことだとか、そういう細かいことだ。
そこら辺が曖昧なのは今も昔も自分自身についてさほど興味がないからだろうなあとも思う。
周囲を見渡す。作中でよく出てくる都市の風景であった。一人称視点で見れば随分と印象は違ったが、確かに慣れしたんだものが並んでいる。
つまり、今のオレは『かつてのオレ』が愛してやまない世界に立っているということを理解した。そしてその喜びが血液より速く駆け巡っていた。
今まで鬼伏 直衛として見ていた取り立てて思うところのない世界がいま、黄金よりも煌めいているようにすら見える。
「へへ」
笑いが漏れる。
「へへへ」
周囲の人間が不気味なものを見るようにして反応してから、全員漏れなく視線を外した。
「ぶふっ、ふふ、うふあははは!」
吹き出した。笑った。
歓喜が迸って我慢ができなかった。オレは走った。
地を蹴り返してくる確かな感覚ですら愛おしかった。
走る。
走る。
走る。
死の直前の記憶を振り返っていた。
『闇堕ちルート/観戦モード
詩織編END No.4:文明の赤信号』
嗤っていた彼女は作品内ではサブクエストで出てくるだけのキャラが完全版、つまりMQLでフォーカスされて多くのルートが追加されている。
No.4は大雑把に言えばバッドエンドの一つ。
彼女の鬱屈とした感情が世界に影響し、滅びを迎えてしまうといったもの。
オレがかつての自分が持っていた知識と感情を得る前に迎えた終わりこそがそれだ。
走れば走るほどに鮮明になっていく知識。知っている。知っているぞ。
オレはこの世界を知っている。
オレはこの世界の味を、知っている! 旨味も、苦味も、喜びも、オレは知っている!
「愛してる!!」
叫んだ。
『様子のおかしい人』だと思われても結構。オレはこの世界を愛している。
死んだはず、だとか。
死ぬ前と今で人格が明瞭ではない、だとか。
どうしてここにいるのか、だとか。
そんなことはどうでもいい。
オレはこの世界でこそやり残していることを完遂する。
つまり、獲得不可能とまで言われた実績の獲得。得るための条件はおそらくは闇堕ちヒロイン完全攻略。あるいは救済。
オレは走る。
ここが現実であることを、走る感覚と切れゆく呼吸から理解していく。
この場所にあると信じて疑わないものへと走り出していた。
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