第29話 システムの真実
「この世界の真実……だと?」
僕はシルフィを抱き寄せながら、魔王グランレオンを睨みつけた。
彼の右半身のノイズが、まるで古いテレビ画面のように歪み、そこに奇妙な「映像」が浮かんでは消えている。
燃える村。泣き叫ぶ人々。
そして、かつての「勇者(彼)」が、愛する人を抱いて絶望する姿。
「……見ろ。これが『初期設定』だ」
魔王が短く呟く。
説明はいらなかった。そのノイズを見るだけで、脳に直接、不快なデータが流し込まれてくる。
この世界は、物語じゃない。
僕たちの感情――恐怖、絶望、歓喜、そして愛を収穫するために作られた、巨大な「牧場」だ。
「僕たちは、ただの家畜か……」
「気づいた時には、もう手遅れだったよ」
魔王の左目――人間としての瞳が、深く暗い悲しみを湛えていた。
彼は、かつて僕と同じ場所(転移者)にいた。
そして、システムの底を見てしまい、壊れたのだ。
「戦えば戦うほど、管理者は喜ぶ。
平和になれば、次の『悲劇』が投入される。
……だから私は、電源を落とすことにした」
ザザザッ……!!
右半身のノイズが激しくスパークする。
彼が両手を広げると、空間のテクスチャが剥がれ落ち、無機質な白いワイヤーフレームが露出した。
「さあ、全てを無に還そう。
強制精神安息結界『涅槃』」
キィィィィン…………。
音が消えた。
色が褪せた。
世界が、暖かく、柔らかく、そして恐ろしいほど「平穏」な白い光に包まれた。
「……あ?」
僕の体から力が抜ける。
シルフィを抱きしめていた腕が、緩んでいく。
痛くない。
怖くない。
苦しくない。
まるで、脳味噌を砂糖水に漬け込まれたような、ドロドロの幸福感。
「もう頑張らなくていい」
「思考を止めれば楽になる」
そんな甘美な麻酔が、僕の生存本能を溶かしていく。
『ピコン……』
> [ 警告:強制リラックス状態 ]
> [ ストレス値:消失 ]
> [ 生存意欲:低下…… ]
> [ バッテリー残量:40%……10%…… ]
(や、やめ……ろ……)
死ぬ。
これは攻撃魔法なんかじゃない。
僕という生物を構成する「自我」が、強制的な「幸せ」によって上書き保存されていく。
「が……ぁ……」
僕は床に崩れ落ちた。
シルフィの手を握ろうとするが、指に力が入らない。
彼女もまた、苦痛に歪んでいた表情が消え、まるで人形のように穏やかな寝顔へと変わっていた。
「よかったね。彼女の痛みも消えた」
魔王の優しい声が、頭上から降り注ぐ。
「もう怯える必要はない。
ただ、穏やかに眠りなさい。それが唯一の『救い』だ」
幸せ。
ああ、なんて恐ろしい言葉だ。
それが僕にとっては、呼吸を止める猛毒でしかないなんて。
「ふざ……ける……な……」
僕は、霞む視界で魔王を睨んだ。
バッテリーは残り数パーセント。
意識が白く塗りつぶされそうになる。
それでも、僕の魂の奥底にある「ひねくれた根性」が、このあてがわれたハッピーエンドを拒絶していた。
「俺は……家畜じゃ……ねぇ……!
俺の不幸は……俺のものだ……!
勝手に……幸せに……すんじゃねぇ……!!」
僕は床を這いずり、シルフィの体を守るように覆いかぶさった。
彼女の傷ついた体。血の匂い。
それだけが、この白々しい天国で、唯一の「生々しい現実」だったからだ。
「おや。まだ動けるのか」
魔王が意外そうに眉を上げた。
「不思議な個体だ。
これほどの安らぎを与えてもなお、苦しみを欲するとは。
……だが、無駄だよ」
魔王が、静かに左手をかざした。
その指先に、修正液のような白い光が収束する。
「君がその苦しみに執着するなら。
その『苦しみの源』の方を、先に消してあげよう」
「……は?」
「彼女を、この世界のデータから削除する。
そうすれば、君を縛り付ける『執着』もなくなり、安らかに眠れるはずだ」
魔王の宣告。
それは癒やしではない。
存在そのものを希釈し、無に還す「消去」の光だった。
「やめ……ろ……!!」
僕の絶叫は、あまりにも弱々しく、白い虚無の中に吸い込まれていった。
(続く)




