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第30話 断たれる電源

「あ……が……」


白い光が、シルフィを包み込んでいく。

それは魔法というより、世界というキャンバスに垂らされた「修正液」のようだった。


触れた端から、色が消えていく。

彼女の燃えるような赤い髪が、彩度を失ってモノクロームの灰色へと褪せていく。


「やめろ……! やめろおおおお!!」


僕は必死に手を伸ばし、彼女の肩を掴んだ。

だが、感触が薄い。

さっきまで感じていた、確かな肉の弾力と体温が、まるで古い綿のように頼りなくなっている。


「抵抗するな。すぐに終わる」


魔王グランレオンが、悲しげに左手をかざし続けている。


「君は彼女がいるから、心配し、焦り、苦しんでいる。

 彼女は君にとっての『ノイズ』だ。

 このノイズさえ除去カットすれば、君は完全な静寂を手に入れられる」


「ふざけるな……! そのノイズが……俺の鼓動なんだよ!!」


僕はシルフィを揺さぶった。


「シルフィ! しっかりしろ!

 罵倒しろ! 殴れ!

 『ウチに気安く触るなボケ!』って叫んでくれよ!!」


彼女の碧眼が、僕を見る。

しかし、その瞳には焦点が合っていなかった。


「……カ、デン……?」


彼女の唇が動く。

か細い声。だが、まだ僕を呼んでいる。


「そうだ! カデンだ! お前のサンドバッグだ!」


「カデン……誰……?」


「――え?」


時が止まった。

白い世界の中で、僕の心臓だけが、凍りついたように停止した。


シルフィの瞳から、光が消えていく。

僕を見ているのに、見ていない。

まるで、路傍の石を見るような、あるいは「知らない他人」を見るような、虚無の瞳。


「ウチ……なんで、ここに……?」


彼女の手が、僕の腕から離れた。

拒絶ではない。

「関係のない人間に触れている意味がわからない」という、純粋な無関心。


「……嘘だろ?」


「嘘ではないよ」


魔王の声が、残酷なほど優しく響く。


「彼女の構成データから、君に関する記憶リンクを削除した。

 そして今、彼女という存在そのものを、この座標から薄めている」


ザザッ……。


シルフィの輪郭が揺らいだ。

アナログ放送の電波が悪くなったように、彼女の姿がノイズ混じりになり、背景の白に溶け込んでいく。


「い、嫌だ……! 行くな!!」


僕は彼女を抱きしめようとした。

だが、僕の腕は彼女の体をすり抜けた。


「……っ!?」


スカッ、という空振り。

そこにいるのに、触れない。

質量がない。

彼女が、ただの「映像」に変わり果てていく。


『ピコン……』


> [ 警告:接続対象サーバーからの応答がありません ]

> [ エラー:恐怖供給源バッテリーのロスト ]

> [ 供給電圧:0(ゼロ) ]


ブツン。


僕の中で、何かが切れる音がした。


これまで僕を生かし、動かし、地獄のような世界でも笑わせてくれた、唯一のエネルギーライン。

シルフィとの「腐れ縁」という名の電源コードが、物理的に切断された。


「あ……あぁ……」


力が抜ける。

膝から崩れ落ちる。


バッテリー切れではない。

「生きる意味」の枯渇だ。


目の前で、シルフィだったものが、白い霧になって消えていく。

最後に彼女は、不思議そうに首を傾げ、


「……あんた、誰?」


そう呟いて、完全に消失ロストした。


残されたのは、僕一人。

そして、圧倒的な「白」。


「終わったよ」


魔王が手をおろした。

彼の右半身のノイズも静まり、満足そうに微笑んでいる。


「これで君を縛る鎖はなくなった。

 もう心配することはない。誰も傷つかない。

 さあ、おやすみ」


静寂。

完璧な平穏。

ストレスなど一つもない、理想郷。


僕の体は、泥のように床に沈んでいった。

思考が停止していく。

感情が平坦になっていく。


ああ、楽だ。

苦しくない。

シルフィがいなければ、失う怖さもない。

守れなかった悔しさもない。


ただ、何もないだけだ。


『ピコン』


> [ 状態:完全幸福コンプリート・ハピネス ]

> [ 生命反応:……停止準備中 ]

> [ システム終了まで:あと10秒 ]


(……そうか。これでいいんだ)


僕は目を閉じた。

このまま溶けてしまえば、二度と痛い思いをしなくて済む。

魔王の言う通りだ。

生きることは苦痛でしかない。


『9……』

『8……』


カウントダウンが聞こえる。

それは安らかな子守唄のようだった。


だが。


(……あんた、誰?)


最期に聞いた、彼女の声。

記憶を奪われ、僕を他人だと認識した、あの空っぽの瞳。


ズキン。


胸の奥。

心臓のさらに奥深く。

システムさえも感知していなかった「真っ黒なおり」が、疼いた。


『5……』

『4……』


(ふざけるな)


誰の声だ?

僕だ。


(俺の……充電器(居場所)を……)


『3……』

『2……』


消えかけた意識の底で、熾火おきびのような怒りが灯る。

それは「恐怖」ではない。

「生存本能」ですらない。


もっと身勝手で、ドロドロとした、僕のエゴそのもの。


(俺の女(所有物)を……勝手に片付けてんじゃねえよ……!!)


『1……』


『0』


ブゥゥゥゥン…………!!!!


終了音が鳴るはずだったその時。

僕の魂のエンジンが、物理法則を無視して爆発的な逆回転を始めた。


(続く)

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