第23話 決闘と泥仕合
王都の大闘技場。
雲ひとつない快晴。
数千人の観衆が放つ熱気と、「正義の勝利」を確信するキラキラした期待感。
「キャーッ! レオ様ー!」
「あの薄汚い男を成敗してー!」
完全なるアウェイ。
四方八方から降り注ぐブーイングと、突き刺さるような敵意。
「……ふぅ」
僕は闘技場の砂の上に立ち、深く息を吐いた。
胃がキリキリと痛み、冷や汗が背中を伝う。
心臓が縮み上がるようなプレッシャー。
『ピコン』
> [ 恐怖値を検知:社会的孤立(四面楚歌) ]
> [ バッテリー急速充電……100%……110% ]
(……悪くない)
僕は口元の緩みを、必死に噛み殺した。
この針のむしろのような居心地の悪さこそが、今の僕の生命線だ。
前回の「ドアの幻覚」で消耗した精神が、観衆の悪意のおかげでみるみる回復していく。
こわばっていた血管が拡張し、脳に冷たい血液が巡り始めるのがわかる。
「準備はいいか、カデン」
対面に立つレオナルド・ブレイブが、白銀の剣を抜いた。
太陽の光を反射して、目が潰れそうなほど輝いている。
その背後には、脳内補正ではなく物理的に「バラの花弁」が舞っている(たぶん風魔法の演出だ)。
「手加減はしない。貴様のような『闇』は、私の『光』で浄化する」
「……眩しいんだよ、クソイケメン」
僕はポケットから、小石を拾い上げた。
武器はない。防具はパジャマ。
だが、僕には「卑屈さ」という最強の盾がある。
「はじめ!!」
審判の合図と同時に、レオが消えた。
速い。
「『閃光剣』!」
「ひぃッ!?」
鼻先数ミリを、白い刃が掠める。
僕は無様に地面を転がった。
砂まみれになりながら、必死に距離を取る。
「逃げ回るだけか! それでも男か!」
「男である前に『生物』なんでね! 死にたくないんだよ!」
僕は転がりながら、足元の砂を鷲掴みにした。
そして、レオの顔面めがけて全力で投げつけた。
「食らえ! 目潰し!」
「浅ましい!」
レオは剣を一振りし、風圧だけで砂を散らした。
砂粒ひとつ、彼の美しい鎧には届かない。
「正々堂々と戦えぬ貴様に、シルフィナ殿の隣に立つ資格はない!」
レオが踏み込む。
その一歩が、重い。
彼から溢れ出る「王者の覇気」が、僕の肺を圧迫する。
「終わりだ! 『聖なる十字』!!」
レオの剣が十字に閃く。
斬撃ではない。
それは純粋な「光の奔流」だった。
「ギャアアアアア!!」
直撃。
痛い、熱い、ではない。
「気持ちいい」のだ。
光を浴びた瞬間、僕の全身の細胞が歓喜した。
肩こりが治り、肌がツヤツヤになり、心の淀みが洗い流されていく。
「ああ、もう頑張らなくていいんだ」
「世界はなんて美しいんだ」
そんな、致命的な多幸感が脳を支配する。
『ピコン!』
> [ 警告:高濃度の『正義』を被弾 ]
> [ 強制リラックス状態……戦意消失 ]
> [ バッテリー残量:110%……30%……10%(暴落)!! ]
(だ、ダメだ……!)
膝から力が抜ける。
地面に崩れ落ちる。
意識がホワイトアウトしていく。
このままでは、僕は「浄化」されて消滅する!
「……ふん」
光の中で、レオが剣を納める音がした。
「呆気ないな。
所詮は、地べたを這いずり回る『ゴミ』だったか」
その言葉が。
消えかけた僕の意識を、鋭い棘のように刺した。
ゴミ。地べた。
そう、ゴミだ。
誰からも必要とされず、社会の隅っこでカビのように生きる、無価値な存在。
ズキン。
胸の奥で、生存本能の種火が爆ぜた。
『ピコン!!』
> [ 恐怖値を検知:『存在否定(蔑み)』 ]
> [ バッテリー再起動……15%……50%……90%……!! ]
(……ありがとう)
こわばっていた肺が、急速に酸素を取り込む。
死にかけていた脳細胞が、屈辱という劇薬によって叩き起こされる。
その冷たい視線が、僕を生かす最高の燃料だ!
「……まだだ」
僕は、震える手で地面を掴み、立ち上がった。
浄化されかけた体から、再びドス黒い瘴気が噴き出す。
「……なっ?」
レオが目を見開く。
「貴様……あの聖なる光を受けて、なぜ立っていられる!?」
「へへ……。お前の光は綺麗すぎて、肌に合わないんでね」
僕はニチャリと笑った。
口の中の砂を吐き捨てる。
これで終わりじゃない。まだワンチャンスある。
「消え去れ! 『閃光・レイ』!!」
レオが再び剣を振りかぶる。
目が潰れるほどの輝き。直視すれば網膜が焼ける。
「ぐぁっ……! 眩しい……!」
僕は本能的に目を閉じ、地面に顔を背けた。
怖い。死ぬ。消滅する。
『ピコン!!』
> [ 恐怖値を検知:不可避の光攻撃(死の予感) ]
> [ バッテリー急速充電……95% ]
(くそっ、どうする!? 防御か? 回避か?)
いや、間に合わない。
全身を強化して耐えるほどのエネルギー残量はない。
中途半端に受ければ、光の浄化作用で僕の自我が消し飛ぶ。
なら、どうする?
答えは一つ。
「光が届かない場所(一番低いところ)」へ、最速で逃げるしかない。
「……下だ! もっと下! 地面の下まで潜り込めえええ!!」
僕は、恐怖で溜まった全エネルギーを、防御力や思考回路から強引に引き剥がした。
そして、それを「這いつくばるための筋肉」――上腕三頭筋、大腿四頭筋、背筋だけに一点集中させる!
『ピコン』
> [ 出力制御:局所集中……四肢駆動系へ200% ]
「うおおおおお!! 『全力土下座』ォォォォ!!」
僕は膝から崩れ落ちたのではない。
圧縮されたバネが弾けるように、音速で地面に「張り付いた」。
「なっ……!?」
シュンッ!!
レオの放った閃光の斬撃が、ついさっきまで僕の頭があった空間を虚しく切り裂く。
レオが愕然と目を見開く。
彼の視界から、敵が「消失」したのだ。
(どこだ!? 消えた!?)
違う。
僕はここにいる。
お前の視界の死角――足元の影の中で!
「ヒヒッ……! 速すぎて見えねえだろ、この『ゴキブリ・ダッシュ』はよぉ!」
僕は四つん這いの姿勢のまま、人間には不可能な速度で地を這った。
カサカサカサッ! という不快な残像を残し、生理的な恐怖を煽る神速の匍匐前進。
「しまっ――」
レオが足元の異変に気づき、視線を下ろした時。
そこには、泥だらけのパジャマ男が、涎を垂らして突っ込んでくる悪夢のような光景があった。
「足首、もらったああああ!!」
ドォォォォォン!!!
僕の頭蓋骨が、レオの脛の鎧に直撃する。
ただの頭突きじゃない。
這う力だけに全エネルギーを注ぎ込んだ、人間魚雷だ。
「ぐ、ギャアアアアア!?」
硬質な鎧がひしゃげ、その下の骨に衝撃が走る。
完璧なバランスを誇っていた騎士団長の体が、コマのように空中で回転した。
ズドォォォォォン!!!
轟音と共に、王都の英雄が仰向けに地面に叩きつけられた。
数十キロはある重装甲。
一度ひっくり返れば、自力で起き上がるには時間がかかる。
「がはっ……き、貴様……!」
レオが起き上がろうとするが、僕はそれを許さない。
彼の胸甲(一番分厚い部分)の上に、泥だらけの足で飛び乗った。
「ぐぅッ……重い……!?」
ただの体重じゃない。
システムによる「ストレス負荷」が、物理的な質量となって彼を押し潰しているのだ。
「悪いな、イケメン。
俺たち『影』の住人はな、踏まれることには慣れてるが……踏むのは初めてなんだよ!!」
僕はポケットから、さっき拾っておいた「大量の砂」を取り出した。
「ま、待て! 何をする気だ!」
「お前のその綺麗な顔の隙間……風通しが悪そうだなあ!」
「やめろ! それは騎士道に反する!」
「知るか! こっちは生存道だ!!」
僕はレオの兜の隙間(のぞき穴)に、容赦なく砂を流し込んだ。
「グアアアアア! め、目が! 目がぁぁぁ!!」
視界を奪われ、関節を泥で封じられ、胸をゴミに踏みつけられる。
レオがパニックに陥り、手足をバタつかせた。
それはもはや騎士の姿ではなく、ひっくり返ったカメそのものだった。
「……勝負あり! 勝者、カデンー!!」
審判の声が裏返る。
静まり返る闘技場。
誰もが予想しなかった、泥泥の結末。
僕は肩で息をしながら、立ち上がった。
足元には、砂まみれで悶絶するイケメン。
泥だらけのパジャマ。
最低の勝ち方だ。
『ピコン』
> [ 恐怖値を検知:民衆のドン引き ]
> [ 判定:卑劣な勝利 ]
> [ バッテリー残量:MAX(完全回復) ]
(……ふぅ)
僕は、蔑みの視線を全身に浴びて、深く息を吸った。
ブーイングさえも心地よい。
緊張で強張っていた筋肉が弛緩し、呼吸が正常に戻る。
やはり、僕には「ヒーローインタビュー」より「謝罪会見」の空気が合っている。
「……カデン」
観客席の最前列。
シルフィが、手で顔を覆いながら震えているのが見えた。
たぶん、恥ずかしくて死にそうになっているのだろう。
「……お前、ほんまに……」
彼女が指の隙間から僕を見た。
その碧眼には、軽蔑の色と――ほんの少しだけ、「こいつなら何とかするかも」という諦めに似た信頼が混じっていた。
「最低やな」
その言葉が、勝利のファンファーレよりも高らかに、僕の胸に響いた。
(続く)




