第21話 バグる心臓
「……ふん。闇、ですか」
騎士団長レオは、僕の挑発を聞いて、形の良い眉をピクリと動かした。
怒りではない。
「理解できない汚物」を見るような、冷ややかな困惑だ。
「シルフィナ殿。……本当に、このような狂人が貴女のパートナーなのですか?」
レオが、憐れむような目でシルフィを見る。
その視線が、僕の胸の奥をまたザラザラと逆撫でする。
なんだ、この不快感は。
「見下された」ことへの怒りか?
いや、違う。彼がシルフィを「救い出そう」としていることへの、焦りだ。
「……まぁ、変な奴やけど。今のウチには必要なんよ」
シルフィが、ため息交じりに答えた。
「必要」。
その言葉を聞いた瞬間、僕の心臓がドクンと跳ねた。
『ピコン』
> [ 判定:承認欲求の充足 ]
> [ バッテリー微減……98% ]
(あ、減った)
やっぱり減るのかよ。
だが、おかしい。いつもなら「くそっ、優しくするな!」と即座に反発できるはずなのに、今の僕の体は、妙に熱くて重い。
シルフィの言葉が、耳の奥で反響して消えない。
「……なるほど。何らかの『弱み』を握られているのですね」
レオは勝手に納得し、サファイアのような瞳を僕に向けた。
「カデン、と言ったか。
私は貴様を認めない。シルフィナ殿の隣に立つ資格があるのは、彼女を守れる『力』と、彼女を輝かせる『品格』を持つ者だけだ」
レオが一歩、踏み出す。
ガチャリ、と鎧が鳴る。
「貴様のような、薄汚れたパジャマ男ではない」
正論だ。
ぐうの音も出ないほど正しい。
客観的に見れば、太陽とカビ(僕)だ。
なのに。
僕の口は、勝手に動いていた。
「……資格? そんなもん、知ったことかよ」
僕は、シルフィの前に立ちはだかった。
背中の「ドア」の気配が、ジリジリと強くなるのを感じながら。
「彼女を守る? 輝かせる?
はん、甘いな。砂糖菓子みたいに甘ったるい」
僕は、レオを睨みつけた。
「彼女はね、そんな上品な温室の花じゃないんだよ。
泥水をすすって、罵声を浴びて、血反吐を吐いて……それでも立ち上がる『雑草』なんだよ。
あんたのピカピカの温室じゃ、彼女の根っこは腐っちまうんだよ!」
「……っ!」
レオが息を呑む。
シルフィも、後ろで目を見開いている気配がする。
僕は何を言っているんだ?
これは「生存戦略」か?
「充電器を確保するため」の交渉術か?
違う。
これは、ただの――。
ドクン。ドクン。ドクン。
心臓の拍動が、不気味なリズムを刻み始める。
痛い。胸が締め付けられるように痛い。
レオがシルフィを見るたび、彼が正論を吐くたび、黒い泥のような感情が胃の底から溢れてくる。
『ピコン……ガガッ……』
脳内のシステムログが、ノイズ混じりに明滅した。
> [ 警告:分類不能のストレッサー ]
> [ 解析中……『独占欲』? 『執着』? ]
> [ エラー:この感情は『恐怖』ではありません……が、極度のストレス反応を確認 ]
(なんだよ、これ……!)
システムがバグっている。
恐怖ではない。痛みでもない。
なのに、バッテリーの数値が乱高下している。
> [ 残量:98%……ERROR……105%……ERROR…… ]
「……貴様」
レオが、低い声で唸った。
その手には、いつの間にか白銀の籠手が装着されている。
「その言葉、シルフィナ殿への侮辱と受け取った。
……いいだろう。そこまで言うのなら、証明してもらう」
レオが、懐から一枚の手袋を取り出し、僕の足元に投げつけた。
決闘の申し込み。
「後日、闘技場に来い。
貴様がその『闇』で、私の『光』を曇らせることができるかどうか……剣で語り合おうではないか」
レオは踵を返し、マントを翻して去っていった。
去り際に残した「シトラスの香り(イケメン臭)」だけで、僕は吐き気を催した。
「……カデン」
嵐が去った後。
シルフィが、恐る恐る僕の背中をつついた。
「お前……あんなこと言うて、大丈夫か?
レオは『閃光の騎士』って呼ばれてる、国一番の剣士やぞ。勝てるわけないやろ」
「……」
「おい、聞いてんのか?」
「……っ、ぐぅ……!!」
僕は、突然胸を押さえてうずくまった。
「カデン!?」
痛い。
レオがいなくなったのに、胸の痛みが消えない。
むしろ、シルフィが心配して僕に触れている今、その痛みは倍増している。
『ピコン、ピコン、ピコン……』
警告音が鳴り止まない。
> [ 警告:論理矛盾 ]
> [ 『失いたくない(Love)』 ⇔ 『近づけば死ぬ(Fear)』 ]
> [ 感情ループ発生。システム過負荷 ]
この動悸はなんだ。
恐怖か? 恋か?
いや、認めるな。認めたら終わる。
これは「不整脈」だ。あるいは「心筋梗塞」だ。
そうじゃなきゃ、「未知のウイルス」だ!
「はぁ、はぁ……! だ、大丈夫です……!」
僕は脂汗を流しながら、引きつった笑みを浮かべた。
「ただの……発作です。
イケメンアレルギーによる、アナフィラキシーショックです……!」
「そんなアレルギーあってたまるか! 医者行くぞ!」
「触るなああああ!!」
僕はシルフィの手を振り払った。
彼女に触れられると、痛みが「熱」に変わってしまう。
それが一番怖い。
僕は地面を這うようにして、路地裏の暗がりへと逃げ込んだ。
「ごめん……今は、一人にしてくれ……!」
逃げろ。
この「バグ」から逃げろ。
この感情に名前をつけてはいけない。
名前をつけた瞬間、僕は「変態」ではなく、ただの「恋する男(死亡確定)」になってしまう!
路地裏の汚れた空気を吸い込みながら、僕は空を見上げた。
王都の青空に浮かぶ、半透明の「白いドア」。
その隙間が、さっきよりも少しだけ――確実に、広がっていた。
『ギィィ……』
隙間の奥から。
見慣れた「僕の部屋」の蛍光灯の光が、冷たく漏れ出していた。
(続く)




