過去を見ゆる獣1
「一体、何の真似でしょう」
「…………君、僕等の母親────いや」
ナイフの尖先が照明の光を反射する。
「──オリジナルだろ?」
これが、結論だ。
しかし僕は特に、この対話を打ち切りにする気はない。彼が、実力行使で有耶無耶にしようとしない限りは。それでも、僕には確固たる意志がある。
僕は、こんな不安定な舞台で、残酷なシナリオを描き、僕等に絶望と血の味を突き付けるいわば『神様』が嫌いなんだ。
「……結論を導き出すのがお早いですね。流石執念と憎悪を持つ────えぇ、とても貴方らしい判断です」
「なんでこの状況で喜んでるんだよ」
「おや、手厳しい。折角、ギネスに残る最速の試練突破、代償変換RTAの…………いえ、あまり伝わらないネタは止めましょうか。言ってて恥ずかしくなってきました」
ライツェアは微笑み、両手を広げる。
「…………」
「たしかに、私は貴方達とこの水鏡面之世を創り出した作者自身の意識。精神体、とでもいいましょうか。といっても、私は元々のライツェアに自分の意識を上乗せして透過させた、純度100%とは言えないものですけれどね。何分、“ネラ”に脳を、想華に足を、シアに腕を、蓬に心臓を、イオに血を、ハーヴェに魂のガワを、フォリウムに首を、絵斗に人格を、カルミアに骨を、そしてスピカに物語を継承させた訳ですから」
「待て、ネラって誰のことだ?」
「ネラ・トロイメライ。私が最初も最初に生み出した、今も尚物語を描きレールを敷く、正にゴーストライターですよ。今の私は憎悪と、そして異常で出来ている。ただ、この『憎悪』が指すものは、私の影ですから……まぁ、無意識にある自身の本質、といったところですかね」
急に口数が増えたライツェアの、まくし立てるような言葉に咳払いをする。
彼は申し訳なさそうに口を噤み、僕を見つめた。その双眸は──ずっと、暗い。加えて、長い髪が彼の顔も体のシルエットも隠している。僕は溜息混じりに、
「……願掛けなのか知らないが、やっぱりスピカに似ているな」
そうつぶやいて、ライツェアの胸ぐらを掴んだ。
「いだっ」
意外にも小さな悲鳴を上げ、ライツェアは目を瞑る。
僕はナイフを振り上げ、髪を雑ではあるが短く切り落とした。
※ ※ ※
はらり、と髪束が落ち、ライツェアは目をゆっくりと開く。
「…………はぁ。難しいことを考えて、話して、聞いていたら疲れた」
「そう、ですか。でも、これは疲労回復には特に影響が無いように感じられますけど」
「それはまあ、何というか……君、スピカと似ているところが多くて苛立っただけだ」
「……解せません」
未だ変わらぬその双眸を除き込みながら、僕はナイフを手放して霧散させる。そして話題を振ろうと、胸ぐらから手を離して顎に添えた。
「まあ良いですけど」とこぼしつつ、ライツェアは指を鳴らして散らばった自身の髪を同じように消す。時間がまき戻ったかのようになる部屋とは相対して、アシンメトリーになった彼の髪はそのままだ。
「願掛け、って先程おっしゃいました?」
「今は僕が質問権を持ってるんだ、少しくらい我慢してくれないか」
「……ふむ」
「というか、聞かなくても君は分かっているんだろ」
「それでも、私は貴方達と対話できることを喜ばしいと感じています。これは一種の、……そうですね、承認欲求か、もしくは人間としての社交面への欲求が、残っているのでしょう」
ライツェアはクスクスと笑い出す。
「……そういや、枯花参玉から僕等は生まれたが、ネラはどうなんだ?」
「ネラは水鏡面之世では無く、外側の小説家の部屋という空間にて存在しています。作者の意識が地続きにネラに移動した、というイメージが一番近いでしょうね」
「近い……か。そしたら、君の意識が作者本人だとキッパリ言った方は、どうなる」
「何といいますか。自分でも、ここらへんの設定というか、繋がりを深く考えられるような頭が無くでですね……。私としては、コピー&ペーストした結果継承していない部分が半透明になったのがネラ、って感じですから」
「聞くほど分からなくなるな」
「そうでしょうね」とライツェアは短く返す。
小説家の部屋。スピカの部屋と同じように、世界から隔離されたものだと考えるのが自然だ。
ついでに言えば、あの選択者──客人の部屋も。
「……意外です、本当に。なぜ貴方は、私を憎んでいるのに、こうも有効的に接してくれるのでしょう」
「だから、君はその答えを知ってるんだろ」
「いえ、知りません。貴方も、この行為が自分の選んだ道を自分で壊すようなものだと気付いているのでしょう? こういったことに関しては、私には把握しきれません」
「は?」
思わず拳に力を込める。
こっちだって、情報を快く出すような、こんなに敬語を扱ったりするような人物でなければ、首など幾らでも飛ばしたいのだ。しかし、僕にだって理性はある。だからこそ、しっかりと見極めたいのだ。
自分が見ている忌むべき神は、多方面から見ればただの少女──いや、大人になりきれない子供なのではないかと、そんな予測が頭に残っている限りは。
「じゃあ、想華やシア、蓬に試練とやらをやらせた時も」
「えぇ。一応、貴方達の心理や行動の傾向に関しては知っていますから、予測は出来ます。それでも、自分が考えた道筋が必ずその通りに出来るかは分からない」
髪先を指で弄くりながら、ライツェアはこちらに片目を瞑り、空いた片目で見つめてくる。
「こういうことありませんか? 夢を見たとき、『こうなれ』『こうなる筈だ』と強く思っても、そうならずに別のことが起こったり、または時間がまき戻ったりなんてことは」
「……夢」
「私、明晰夢を見ることの方が多いんですよ。それでも、自分を思いのままに操れないときはたまにあります。何ででしょうね、脳の回路がリピートしたものが、あんな風に幻想的に映し出されるだなんて。生きていた頃の私は、夢でだけ自分の空想を肌に感じられた。例えそこに閉じ込められようと、構わないとさえ感じられた」
愛おしげに、自分の角にふれる。
「……完璧な理解は求めていない。私は、貴方達に恨まれて当然のことをしている。よく言いますよね、作家は自分の作った人物に恨まれているような気分になったり、時偶一人でに動き出したりする、って」
「ね?」と、ライツェアは微笑む。
「あぁ、そうでした。私と貴方達じゃ、持っている情報に多少歪みが生じているんでした。例え現実世界を複雑に処理したあの水鏡の世に居る人でさえ、私しか知らないものがあるのに」
「ライツェア」
「すみません、また喋り過ぎましたね」
「いや、そうじゃなく」
「……はい?」
恨みきれない、こんなの卑怯だ。そう叫びたくなる。
こんなに、暗い瞳に、宿された感情が、『憎悪』なぞ一つもないだなんて。忌むべき憎悪、憎悪のみを継承しそれで身体を構成する人型、無意識の中に潜む自らの本質。それだけを自分の魂の糧にして、彼は。
一つ、考えたくもない予想が浮かび上がった。
彼は、自分達の──憎悪のはけ口、受け箱なのではないか。
同情もしきれない、恨むこともままならない。中途半端な感情というものは、ここまで心を締め付けるのか。
最早無知蒙昧であった頃の自分のほうが、幸せであったのではないかとすら思う。純粋な憎悪を向けられていれば、まだ良かったのではないかと。
……いや、僕は。
「……最後に一ついいか」
「はい、なんでしょう」
「君は、あと誰に代償の変換を持ち掛ける気なんだ?」
「あとは、ハーヴェさん、絵斗さん、カルミアさん、スピカの四人ですね。ネラさんはお互いに動けない状態ですし、フォリウムさんは既に意識を手放していますので、交渉する余地すらありません」
僕は、僕等には。
「スピカもか」
「当然のことです。彼女も、良き代筆者。そして、重い代償を持つ者でもありますから。無論、皆さん全員がそうなのですけれどね」
「君は」
「それは聞かないでください。私は私に、課すべきものがあるのですから……」
ライツェアは淋しげに言い、僕の横を通り過ぎて、静かに廊下へと出ていった。




