第2話
第二王妃のオペラ様は、城の裏手の塔に住んでいて、ほとんど表に出てこない。
話題になることもない。
隠れるように住んでいる理由も知られていない。
ほとんど存在を忘れられている、謎めいた人物だ。
わたしがファッジ様の召使いになったばかりのころ、一度だけオペラ様に会ったことがある。
まだ年端も行かぬ子供だったので、ファッジ様の遊び相手をしたり、礼儀作法や家事のしかたを習って生活していたある日のこと、わたしは原因不明の体調不良で倒れてしまった。頭痛とめまい、吐き気がおさまらず、心臓がバクバク暴れて、ついには失神してしまったのだ。
「がんばれ。死ぬな。オペラ様は魔女なのだ。きっと治してくれる」
ファッジ様が背負って塔まで運んでくれて、わたしはオペラ様の治療を受けることができた。
薬が効いたようで、目覚めるとすっかり体調は良くなっていた。
「お命を救っていただき、ありがとうございます。心から感謝していますと、オペラ様にお伝えください」
近くで読書をしている女性にそう言った。オペラ様の侍従だろうと思った。綿のワンピースにショールを羽織っただけの、王妃というには質素すぎる服を着ていたからだ。
「その必要はありません。オペラはわたくしです」
感情のこもっていない、淡々とした口調。
読書を中断すると、メガネを外して顔をあげた。長い黒髪で、落ち着いた印象の人物だった。
わたしは慌てて「失礼しました」と謝罪した。
「わたしが王妃に見えないなら、視力に異常はないようですね。顔色も良い。意識もはっきりしている。呼吸は苦しくない? 心拍は正常? どこか痛みがあったら言いなさい。喉は乾いてない?」
オペラ様はベッドサイドに立つと、わたしが答える前に次々と質問してきた。それから器に水を注いで「飲みなさい」と手渡される。喉は乾いていなかった。
「ミズ・トフィー。あなたはシアン化物の中毒で倒れ、ここに運ばれました。シアン化物とは一個以上のシアン基を含む化合物のことを指します。体内に取り込まれると、細胞内で酸素の利用を阻害し、細胞の窒息とでもいう症状を引き起こします。この症状は急速に進行し、重篤な場合には短時間で命に関わる事態を引き起こします。そしてこのシアン化物中毒の患者の呼気からは、独特の甘酸っぱい匂いがするのです」
オペラ様の足元で「ワン」と犬が鳴いた。大きいブチ模様の犬だ。どうやらこの子に救われたらしい。
「これからあなたに3つ助言を与えます。ひとつめ、思い込みで話しかける前に、相手を確認しなさい」
「はい。以後気をつけます」
これは失態だった。話しかける前に名前を聞くべきだった。
「ふたつめ、返せないほど大きな恩に報いる方法は、勉強することしかありません。あなた自身がより良き人間になること。悪とは未熟のことなのです」
「はい」
「みっつめ、お腹がへっていても、リンゴのタネを食べるのはやめなさい」
わたしは驚いた。たしかにリンゴのタネを食べていた。ファッジ様と一緒にいるときに出されたリンゴが、あんまり甘くて美味しかったので、タネの部分まで食べてしまったのだ。なぜそんなことまでわかってしまうのか。
「あなたが食べたのは珍しい品種のリンゴで、タネに高濃度のシアン化物が含まれていたのです」
なんと、体調不良の原因は毒リンゴだったのだ。白雪姫にちなんで「フェアレスト」と呼ばれている、甘くて美しいリンゴだが、タネには高濃度のシアン化物が含まれている。
とはいえ毒があるのはタネだけだ。コンフェクシリアの貴族たちには、そもそもリンゴのタネを食べる習慣はない。少し調理にコツがいるくらいで、普通のリンゴと同じように食べられている。田舎者が知らずにタネまで食べてしまい、倒れることがあるのだという。わたしのことだ。
「どうですか? 体調は問題ないですか?」
「はい。もう元気です」
「ではすぐ帰りなさい。ラミントン王妃が心配しています。元気な顔を見せてあげなさい」
館に戻ったわたしを、ラミントン王妃様が出迎えてくれた。ラミントン様は国王陛下の正妻で、ファッジ様のお母様。両親を亡くしたわたしに使用人の仕事を世話してくれた人でもある。単なる上司というより、親代わりみたいな人だ。
わたしの無事をとても喜んで、それからオペラ様のことを話してくれた。
「トフィーには話しておきましょう。オペラは魔術師です。王国のトラブルを解決するのが仕事なのです」
オペラ様が第二王妃というのは、精霊を使役するための契約なのだと教えてくれた。初代国王はこの地を守る精霊との契約で、ここに国をつくり統治者となった。それがコンフェクシリアのはじまりだ。それ以来、この地の精霊は王家に加護をあたえている。つまり魔術師が「王妃」になることで「王家」という契約条件を満たせば、強力な精霊と契約できる。精霊の力を借りて王国を守り、トラブルを解決するのがオペラ様の仕事だったのだ。
裏庭の塔には、助けが必要な者だけを導く魔術と、余計な詮索を防ぐための魔術がほどこされている。必要のないときは記憶にのぼらない、思い出せない。しかし重要なトラブルを抱えている者は自然と導かれるのだと。
「あなたが塔に運び込まれたのも、精霊の導きかもしれない。もしも、この会話を思い出すことがあれば、オペラを訪ねなさい」
なんで忘れていたのだろう?
いや、そうじゃない。忘れる仕組みなのだ。こうやって「オペラは魔術師だ」と説明されたことも忘れてしまうと、ラミントン様に教えられたじゃないか。信じられないが、まさに自分の身に起きたことだ。
思い出せたら、オペラ様を訪ねなさい。
今がそのときなのか?
「無礼な質問だったらすいません。第二王妃のオペラ様は、まだ裏庭にお住まいなんでしょうか?」
翌朝、ラミントン様に゙そう質問してみた。
わたしの記憶が夢や妄想だとしたら、ひと言も相談せずオペラ様を訪ねるのは、不義理にあたるかもしれないと考えたからだ。
「オペラに相談したいことがあるのでしょう? すぐに行きなさい。仕事も休んで構いません」
どうやらオペラ様は、本当に魔術師のようだ。
胸が高鳴る。
「良いんですか?」
「もちろんよ」
メラメラと闘志がわいてきた。
念のため説明しておくと、ラミントン様が理由も聞かず「すぐ行け」と言ったのは、これが王国を守るための仕事だからだ。コンフェクシリアの平和を乱すトラブルは、自動的にオペラ様のもとに集まるようになっている。魔術の力だ。それを解決するのがオペラ様の仕事というわけだ。
オペラ様の仕事は王家の公認。つまり国王陛下から直接「騎士団長の不倫事件を追求しろ」と命令されたのと同じだ。
背中を押されたみたいに気合が入る。
よし、徹底的にやってやる。
仕事仲間に所用で抜けることを伝え、城の裏庭へと急いだ。
裏庭の塔というのは書庫になっていて、オペラ様はそこの管理者でもあるようだ。測量図や戸籍など、国家の重要機密も保管されている。魔術で存在を隠しているのは、機密情報を守る意味もあるようだ。
ここでひとつ情報を訂正しておく。オペラ様は「塔に住んでいる」と書いたが、これは自分の勘違いで、正確には塔の隣に小さな一軒家があり、そこに住んでいた。
「ひさしぶり。大きくなりましたね」
感情のこもっていない、淡々とした口調。
わたしは懐かしい気持ちが込み上げてきて、抱きしめて再会を喜びたいくらいだったが、オペラ様にその気はないようだった。
昔とまったく変わっていない。わたしを救ってくれたブチ犬も一緒だ。
「座りなさい。話を聞きましょう」
テーブルにはカップがふたつ用意されていた。
昨夜わたしが見聞きしたこと、そして騎士団長の不倫の相手は新入りのミルクという推測もふくめて、何もかも喋った。
聞き終わるとオペラ様はこう言った。
「なるほど。それは眠れるドラゴンというより、ポリュペモスですね」
ポリュペモス?
「ポリュペモスとは『名の知れた』という意味の言葉で、神話に登場する一つ目の巨人の名前でもあります」
たしかに、わたしたちの敵は「名の知れた」片目のビスケットだ。
「ポリュペモスに襲われた英雄オデュッセウスは、巨人に酒を飲ませ、酔いつぶれて寝ている間に、その目を潰しました。わたくしもこの作戦にならうとしましょう」
オデュッセウスがやったのと同じように、巨人をこっそりと追いつめる作戦か。
「酒を飲ませるまでもなく、ビスケット様は自分に酔っています。隙だらけです! やってやりましょう!」
その提案に大きくうなずいた。
「あら、ずいぶんやる気ですね」
「もちろんです!」
オペラ様が小さくうなずく。
「良いでしょう。ですがポリュペモスを退治する前に、ミズ・トフィー、あなたの発言が真実か確かめる必要があります。裁きは公平でなくてはいけません。あなたの勘違いという可能性もあります」
そういうとオペラ様は、クジャクの羽を一枚持ってきた。普通のクジャクの羽よりは、ずいぶん小さい。羽の中央にある目玉のような模様が、本物の目玉みたいに見える。
これは「アルゴスの瞳の羽」という魔術の道具で、この瞳が見た映像を水晶にうつすことができる。とはいえ距離が離れすぎてはダメだし、あまり長時間見ることもできない。今回は城の近くが見えれば良いし、不貞を働く時間も絞れている。効果は十分だ。そう説明してくれた。
「このクジャク羽を、騎士寮の櫓のどこか、誰にも見つからず、かつ不貞の現場が確認できる場所に設置してきなさい」
クジャク羽を受けとった。
現場がよく見えるが、死角になるような位置。なかなか難しい注文だ。それに櫓は三階建て。毎回同じ場所でやるとは限らない。
「櫓はけっこう大きいです。場所の特定が困難です。そもそも、不倫の現場が櫓だけとは限りませんし」
「慌てる必要はありません。設置してみて、ダメなら設置しなおせば良いのです」
それもそうだ。
しかし、もっと上手いやり方はないだろうか。
「たとえばですけど、この羽を固定しないで、人間が持っていたらダメですか?」
「ミズ・トフィー。まさか、あなたが手に持って櫓に行くつもりですか? ダメですよ。危険です」
その手もあったか。たしかにシンプルで確実な方法だ。
でも、わたしのアイデアは違うのだ。
「そうじゃなくて、このクジャク羽をビスケット様に身につけさせたら、確実に監視できると思ったんです」
オペラ様が目を丸くする。
「どうやって?」
「ファッジ様の使用人という立場を利用してみます」
翌日、さっそく行動にうつる。
剣士長のファッジ様と騎士団長のビスケットは、会議などで一緒になることが多い。ふたりが一緒にいるタイミングを狙って話しかける。
「ファッジ様、マントの飾りが汚れているので、修繕してもよろしいですか? 来月には祝宴もあります」
この手の申し出をファッジ様が断ることはない。今回も無言でうなずくだけだった。
そして、あくまで「ついで」みたいにビスケットにも話しかける。
「あの、もしよければ、ビスケット様のマントも修繕させてください。同じマントです。材料が揃っているので、すぐにできます」
ビスケットはまったく疑わず、わたしにマントを預けてくれた。むしろ変な勘違いをしたみたいで、小声でこう囁いてきた。
「きみ、名前は?」
自分に気があるとでも思ったようだ。
気取った笑顔。これまでは素敵だと思っていたのに、本性を知ってしまうと汚らわしいと感じてしまう。
「誰でもありません、ただの使用人です」
笑顔でごまかした。
ふたりのマントを修繕して、ビスケットのマントには王家の紋章に細工をした。クジャク羽を裏側からあてて、紋章の隙間から瞳が覗くように固定する。上出来だ。ファッジ様のマントと比較しても、どちらに細工したかわからない。
間違えないように気をつけてマントを返却する。まったく疑うそぶりはなかった。うまくいったようだ。
そして夜、仕事が終わったあとでオペラ様の屋敷へ向かった。
特殊な水晶をテーブルの真ん中に置いて、部屋の灯りを小さなロウソクだけにする。水晶を覆っていた布をはずして、上から特殊なオイルをたらした。このオイルは大変貴重な魔術道具らしく、オイルで濡れている間だけ、水晶は羽の瞳が見ている映像を映すことができる。
騎士寮の中、団長の部屋らしき映像が見えた。
「うまくいきましたね!」
わたしはかなり興奮していたが、オペラ様はあくまで淡々とこう言った。
「ミズ・トフィー。あなたの知恵と行動力はとても素晴らしい。感心しました。あなたの成長を嬉しく思います」
嬉しい言葉だった。
勉強しろという助言はぼんやりと記憶にあった。
ラミントン様はわたしに教育の機会をあたえてくれた。わたしが勉強熱心だったので、ファッジ様と一緒に家庭教師の授業も受けさせてもらった。
それなりに成績優秀だったので、ラミントン様からは帝都の大学に進学することをすすめられた。進学をことわったのは、ファッジ様と離れたくなかったし、大学を出てしまえばメイドではいられないと思ったからだ。
久しぶりに知恵を褒められて、大げさに言えば「自分を取りもどす」みたいな喜びがあった。
「ありがとうございます。本当に嬉しいです」
「ですがもう一度言います。裁きは公平でなくてはいけません。あなたの勘違いという可能性もあります。まずは真実か確かめましょう」
わたしは嘘は言っていない。絶対に真実だ。
そう思ったが、結論を先に言ってしまうと、オペラ様の言った通りであった。
しばらくすると、映像が乱れて見えている物が変化した。ビスケットがマントを羽織ったようだ。
扉を開ける。
騎士寮の中を歩く。
外へ出る。
そして櫓の下へ。
若い女性のシルエット。待ち合わせの相手は、すでに来ているようだ。
ランプの灯りが、不倫相手の顔を照らした。
「ミルクじゃない!」
知らない顔だ。ミルクより幼い。
「この顔、おぼえがあります。騎士団に武器を卸している商人の娘、ワッフルですね」
オペラ様の口調は静かだが、いつもよりわずかに語気が強く感じる。
「わたくしは怒っています」
指先でトントンとテーブルを叩いた。その音が恐ろしい。
「申し訳ありません。きちんと確認してから発言すべきでした」
慌てて謝罪したが、オペラ様の怒りの理由は違っていた。
オペラ様は大きくため息をつくと、こう言った。
「そうではありません。騎士団長の不義の相手は、ひとりではないということです」




