9:温もり
※レティシアは特別な訓練を受けているので手足の1本や2本くらいなら消し飛んでも平気です。
※調整中です。
弾け飛んだ左手。噴き出す血飛沫。少し遅れてやってくる激痛。
驚きと、痛みと、何かもうよくわからない感情に息が漏れます。そしてそんな事よりも、私以上に痛々しそうな顔をするヴォルフスタン皇帝の顔が衝撃的でした。彼は私に向かって手を差し伸べかけたのですが、まるで人に触れるのを恐れているというように、手を止めます。
後悔と、申し訳なさと、諦め。
きっとヴォルフスタン皇帝にとってこういう事は日常茶飯事なのでしょう。普通の人が当たり前のように出来ている事が出来ない彼に「心配しないで」と言いたくても、今は痛みで声が出ません。
口を開くと叫び声しか上げられないような気がして、私はグッと唇を噛み締めて、痛みを我慢します。
「んっぐぅ……」
まずは体内のマナで何とか血を止め、そこから改めて回復魔法を編みなおします。
リヴェイル先生ならこれくらいの怪我なら一瞬で治せるのですが、勿論私にそんな芸当は出来ません。
まずは『祝福』で能力を上昇させてから、改めて回復魔法をかけます。
水晶化している右側が、パキパキと音を立てているのが聞こえます。天才と比べても仕方がありません。とにかく私は、ゆっくりと、自分に出来る範囲の回復を試みます。
「マリアン……」
ヴォルフスタン皇帝は私以外で回復魔法を使えるマリアンさんに声をかけていたのですが、マリアンさんは青い顔で首を振ります。
「申し訳、ありません。ここまで大きな怪我ですと……」
マリアンさんの回復魔法の腕前は、大きな傷が治せる程度です。私の手の平が千切れ飛んでどこかに転がっているのならまだ治す事も出来たのかもしれませんが、弾け飛んで消えた後となると、治す事が出来ないのでしょう。
そして弾け飛ばしたのがヴォルフスタン皇帝であり、止血の為に近づこうにも私の近くには皇帝が居て、魔力が不安定に揺れています。
怪我をしたのも近づけないのもヴォルフスタン皇帝のせいなのですが、それらの事を口にすれば不敬ともなるので、マリアンさんは言葉を続けませんでした。
ヴォルフスタン皇帝もその事を理解したのでしょう。動揺を無理やり押さえつけたような辛そうな表情を作り、マリアンさんが止血する為に近づけるよう、私から離れようとします。
「待って、ください…」
人に触れる事が出来ないどころか、近づく事すらままならないのです。きっとヴォルフスタン皇帝はこの莫大な魔力のせいで今まで過酷な人生を送ってきたのでしょう。
そして多分、ここでヴォルフスタン皇帝が離れて一人になってしまえば、今までの繰り返しのような気がします。
私に怪我を負わせたという負い目を感じたまま過ごす事になってしまいそうで、それは誰にとっても良い未来とは思えません。
「回、復!」
リヴェイル先生程ではありませんが、私でもこれくらいの怪我なら何とか治せます。格好をつけるには荒い息が漏れてしまい、冷や汗もダラダラと流れていたのですが、何とかへにゃりと笑顔を作ることに成功します。
「治し、ますね?」
今度は油断しないよう、念には念を入れて、体内にマナを巡らせ、身体強化とか防御を何重にもかけながら、ヴォルフスタン皇帝の腕に触れ回復魔法を流します。
少し血を流しすぎたのか、私はこの時ぼーっとしていたのですが、周囲は驚きに包まれていたそうです。
マリアンさん達は私の左手が生えてきた事に驚いており、ヴォルフスタン皇帝はまるで生まれて初めて自分以外の人間がこの世界に居るのだとでもいうような顔をしていたそうです。
私からすると手足が生えてくる事は普通の事ですし、リヴェイル先生の回復魔法ならそれこそ一瞬で治るのでまだまだだなと思うのですが、アインザルフ帝国では欠損を治せる回復魔法の使い手は居ないそうです。
私はまた何かやっちゃったようなのですが、今回は仕方がないという事にしておいて貰います。
血が抜け、へたり込みたくなる両足に気合を入れながらヴォルフスタン皇帝の腕の治療を終えると、色々な意味を込めて笑みを向けます。
「大丈夫ですよ」
森林狼にやられた怪我が治った事。ヴォルフスタン皇帝が気に病まなくていい事。私は怪我をしたけど大丈夫な事。
ヴォルフスタン皇帝は魔力によって人を傷つけてしまう事を恐れているようなのですが、私の見立てでは今が垂れ流しに近い状態なだけで、制御能力が上がれば問題なく人に触れられるようになると思っています。
私はヴォルフスタン皇帝の傷が完全に治ったのを確認してから手を離すと、思わずと言う様に、彼は私の手を掴んできました。
掴まれた場所からヴォルフスタン皇帝の魔力が流れ込んできてピリピリするのですが、気を付けていれば大丈夫です。
まるで手の形を確かめるように触られてくすぐったかったのですが、触っている方のヴォルフスタン皇帝の表情は真剣そのもので、揶揄できるような雰囲気ではありませんでした。
「人の手とは、温かいのだな……」
「…そうですよ」
そんな事すら知らなかったとでもいうような言葉に、私は同意の言葉を返します。そんな当たり前の事すら知らないこの人は、私が想像もできないような大変な人生を送ってきたのでしょう。
どれだけ大変だったのかなんていう事は他人である私が無責任に言える事ではなかったのですが、ただもう大丈夫だと、一人で悩まなくていいのだという意味を込めて笑みを向けると、ヴォルフスタン皇帝はどこか弱々しい笑みを浮かべました。
数秒間、そのまま私達は見つめ合っていたのですが、遠くからガチャガチャという鎧の音が聞こえてくると、ヴォルフスタン皇帝は慌てたように私の手を放します。
「陛下、ご無事で!」
ヴィクトル様が率いる、ヴォルフスタン皇帝の救援部隊です。
走って来たにしては合流が早い気がしたのですが、先頭のヴィクトル様と息を切らす騎士達、そしてその後ろから続々と全力疾走で走って来る騎士達の様子を見るかぎり、かなり頑張った強行軍だった事が分かります。
ヴィクトル様はこの場の異様な雰囲気に大剣に手を伸ばしかけたのですが、周囲に脅威が無いと悟ると、首を傾げながら近づいて来ました。
事態が呑み込めず、横目で状況を問う様にマリアンさんを見たのですが、その肝心のマリアンさんがまるで奇跡でも見たとでもいうように呆けていたので、説明を求めるのを諦め、ヴォルフスタン皇帝の前に膝をつきます。
「森林狼を8匹撃破。馬車周辺に敵兵無し。現在はテファンに部隊を任せております。陛下も怪我一つ無くご無事のようで何よりです」
ヴォルフスタン皇帝は報告に鷹揚に頷いてから、何かに気づいたという様に、私達が来た方向とは反対側の森を見ました。
その様子にヴィクトル様や騎士達が一瞬で気を引き締めなおし、ヴォルフスタン皇帝とその森の間に壁を作り、剣を抜きました。
瞬く間に作り上げられた人の壁。その壁の後ろから見てみると、森の中にかなりの数の、人の気配がある事が分かります。一瞬敵襲かと私は身構えたのですが、どうやら違うようです。
「大丈夫だ」
私の慌てた様子が面白かったのか、ヴォルフスタン皇帝は口元に笑みを浮かべながら、安心させるようにそう言いました。その言い様はかなり珍しいようで、遅れて支援できる位置まで駆け寄ってきていたマリアンさんが驚いているのが見えました。
「それは……」
「どういう事ですか?」と首を傾げていると、森の中から、絵本に出て来るドワーフのような立派な髭をもった50代くらいの男性と、騎士達が草木を掻き分けながら出てきました。
野外活動に適した装備に、レザーアーマー。腰には実用一点張りという剣を吊るした男性と、その後ろには似たような装備をつけた49人の騎士風の男達。
出てきた彼らは森林狼の死体が転がる広場の惨状を見回すと、目を丸くしています。
「陛下…パージファル殿に、それにロッシュフォール様も!?……これは……」
どうやら彼らはアインザルフ帝国の人達らしく、ヴィクトル様があからさまに安堵したように息を吐きました。しかし出てきた彼らはヴォルフスタン皇帝の近くに森林狼の死体が転がっているのを認めると、凄い勢いで平伏しました。
「申し訳ありません!まさか陛下が戦われているとは!くっ、その戦闘に参加できぬとは、このザイン、一生の不覚!では先ほどすれ違ったドヌビス兵はやはり…!?」
ドンドンと地面を悔しそうに叩く彼の名前はザイン・フォン・エスター様といい、第1騎士団の団長だそうです。彼らは戦争終結後、ドヌビス王国内で諜報活動をしていたのですが、ヴィクトル様の招集によりラークジェアリー聖王国側の国境まで移動してきていたそうです。
「まさかドヌビスの奴らの動きに気がつかないとは、面目次第もありません!」
地に頭を擦りつけるように下げるザイン様なのですが、ここはドヌビス王国内であり、部隊を移動させるにしても、潜ませるにしても、地の利は王国側にあったのでしょう。そしてそもそも停戦合意を結んでいるドヌビス王国の兵士達を攻撃するわけにもいかず、ザイン様達は怪しげな部隊を見逃してしまったとの事でした。
「相手が居る事だ。すべてがこちらの思い通り動くという事もあるまい」
ヴォルフスタン皇帝はそのような労いの言葉をザイン様達にかけていたのですが、先ほど私にかけてくれた言葉と比べると、どこか平坦で作り物めいた声色の様な気がしてしまいます。
「…ご寛大なお言葉、感謝いたします」
一層深く頭を下げるザイン様を見下ろしてから、ヴォルフスタン皇帝は冷めた虚ろな目をしながら、何故か皆と距離を取りました。
不思議に思いながら周囲を見てみると、アインザルフ帝国の皆さんはその事を当然という様に受け止めているようで、無意識にヴォルフスタン皇帝と距離を取ったり、何か動きを見せるたびに身構えたりしている騎士達もいるようです。
その距離というのは漏れ出している魔力と比例しており、ヴィクトル様やマリアンさん達ですら恭しく接しながらも、魔力が不安定に揺れている時はある程度の距離をとって対応しているようでした。
集団の中心でありながら、中心に居ない皇帝陛下。
率先して離れているあたり、ヴォルフスタン皇帝自身がその距離を望んでいるような態度で、それがアインザルフ帝国での当たり前だったようなのですが、私はコテリと首を傾げます。
本当に望んでいるのなら、あれほど悲しそうな顔はしない筈です。
私は思い切って、ヴォルフスタン皇帝に近づきます。不安定に揺れるヴォルフスタン皇帝の魔力を全身に感じるのですが、慣れるとどうという事もありません。
手を伸ばせば届く距離。驚いたように目を見開くヴォルフスタン皇帝に「大丈夫」と言う意味を込めて笑みを返すと、皇帝はどこか安心したように表情を緩めました。
心なしか魔力まで柔らかくなったような気がして、ここまでハッキリと魔力を変化させられるのはやっぱり凄いなと感心してしまいます。
そんな私達と少し離れた場所で、ヴィクトル様とザイン様は「俺が悪かった」「いや俺が」という謝罪大会を始めた様でした。どうやらヴィクトル様とザイン様は気安い間柄のようで、二人の謝罪大会はヒートアップしていき、その声はここまで届いてきていました。
「読み違えたのは俺のミスだ。この辺りまでドヌビスの奴らが居ないという事は、俺達に見つかるのが嫌で早めに流したのだろう。それで大きく襲撃の地点がズレたのだろうが、そういう事態を考えて指示を出さなければならなかった」
ヴィクトル様が頭を下げると、ザイン様は恐縮するように手を振ります。
「いやいや、停戦合意を破るわけにもいかんと帰り際の奴らを素通りさせたのはこちら側だ。皇帝陛下襲撃の生き証人だったんだ、魔物使いも混じっていた事だし、禍根を残さんよう半殺しにするべきじゃった」
ザイン様はザイン様で「自分が悪かった」と言い合っていたのですが、私はその言葉の中に気になる単語を見つけて首を傾げます。
「あの……魔物使いって、何ですか?」
謝罪しあう二人に水を差すようで悪いのですが、戦闘前という切羽詰まった状況でもないので、私はヴォルフスタン皇帝の顔色を窺ってから、思い切って気になっていた事を聞いてみます。
ザイン様は近づいてくる私に「はて、こんな聖女いたかな?」と言う顔をしたのですが、当たり前のようについてくるヴォルフスタン皇帝と顔を見比べた後、アインザルフ帝国の聖女服を着ているし仲間だろうと判断したのでしょう、頓着なく答えてくれました。
「杖持ちの事だが、こう……ルビーみたいな赤い宝石のついたな。奴らはそれで魔物を操っていて、まあ操るといってもある程度任意の方向に走らせるのがやっとという代物だが……」
ザイン様は説明をしながら「何故アインザルフ帝国の聖女がその事を知らないのだろう?」みたいな顔をしながら、ヴィクトル様の顔を見ます。
その目は「こんな奴いたか?」とも言っているようで、ヴィクトル様は一度咳ばらいをしてから、私の事をザイン様に紹介してくれました。
「こちらは聖王国の大聖女、レティシア・スフィール様だ。この度アインザルフにご助力してくださる事となった」
「レティシア…スフィール!?って、まさか、あの!?」
どの、かは知りませんが、ザイン様が驚くくらいには私の名前が他国にも知られているようでした。どうやらザイン様が言うには、王族の名前の次くらいに大聖女レティシア・スフィールの名前が出てくるくらい、他国では大人気だそうです。
「はぁー…それだけ石がついていても生きているとはと思っていたが、まさかレティシア・スフィールとはな~」
私はそこまで持ち上げられるような崇高な人間という訳ではないのですが、ザイン様は私の顔をマジマジと見てきて「ほー」とか「へー」とか感嘆の言葉をあげています。
じっくりと見られる様はまるで見世物にでもなったような気にもなるのですが、悪意があるという訳でもないので私が愛想よく笑みを浮かべていると、しかめっ面のヴォルフスタン皇帝がザイン様と私の間に割り込み、視線を遮りました。
「ザイン…」
冷ややかな冷気が立ち昇っているようなヴォルフスタン皇帝の咎めるような声色に、周囲の空気が凍り付きました。
「も、申し訳ありません」
皇帝陛下の前ではあるのですが、別に公式な場ではないのですから態々注意するような事でもない気はします。それにヴィクトル様とザイン様の話に割り込んでいったのは私達の方です。ですがザイン様は青い顔をしながら慌てて平伏し、ザイン様旗下の騎士達がそれに倣い平伏していきました。
こんな事をいちいち注意していけば皇帝と臣下の間に溝が出来るだけではないかと心配になってしまうのですが、私の居る位置からはヴォルフスタン皇帝の表情は窺えず、何を考えているのがわかりません。ただ周囲にチリチリとした魔力が放出されており、不機嫌だという事だけはわかります。
その不安定な魔力が視線に乗ったのか、ザイン様の体にビシリッと赤い筋が走り、血飛沫が飛びました。
「陛下!?」
まさか皇帝陛下の前でお喋りをしすぎたというだけで怪我まで負わせるとはと、私は慌ててヴォルフスタン皇帝とザイン様の間に割って入ります。
やはり血を失った影響が出ているのか、頭の回転が鈍くなっているような気がします。不機嫌さを隠すのにも失敗しました。私の行いはかなり無礼だったのですが、それを咎める人が居なかったのが本当に幸いです。
私には何故ここまでヴォルフスタン皇帝が怒っているのかわかりません。理由の如何を別にしても、何か苛ついたからという理由だけで人を傷つけて良い訳がありません。
反論するには私とヴォルフスタン皇帝では地位や立場が違いましたが、非難の意味を込めて私が睨むと、皇帝は動揺したように視線を逸らします。
こんな小娘の視線など怖くとも何ともない筈なのですが、後ろめたい事でもあるのか、私が一睨みしただけでヴォルフスタン皇帝は動揺し、魔力が不安定に揺れ始めました。
周囲の騎士達がサーっと距離を取るのが横目に見えます。止めるつもりが逆に危険な状況になってしまったのですが、ヴォルフスタン皇帝は軽く深呼吸をして、魔力の制御をし始めます。私はそれを見て、とりあえずは大丈夫そうだと判断し、ザイン様に向き直ります。
「回復しますね」
傷自体は大した事は無いのですが、ヴォルフスタン皇帝の魔力が辺りに漂っているのでマナが上手く飛ばず、回復魔法の通りが悪いです。仕方なくザイン様の傷に手を触れて回復魔法を唱えると、その瞬間、ヴォルフスタン皇帝の吹き出した魔力で私の体が数センチ浮かび上がりました。
何故ここまで露骨に自分の国の騎士を治すを邪魔してくるのかとヴォルフスタン皇帝を不快そうに見てしまうと、皇帝も不機嫌そうに私の顔を凝視してきていました。
周囲の騎士達は騒めいていましたし、ザイン様は年甲斐も無く青い顔をしてガタガタと震えていました。豪胆なヴィクトル様ですら狼狽えた様子で頭を抱えているというよくわからない状況なのですが、何故かマリアンさんだけはニヤニヤしながら私とヴォルフスタン皇帝の二人を見ているという不思議な状況に陥ってしまいました。




