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黒匣の世界式  作者: 喜怒 哀楽/Yu1
英雄の再来
42/80

4話:舌鼓する青年

 暗がりの森を、一人で歩き続けていたジン。

 先程から鋭い牙を剥き、眉間にシワを寄せている。

 両手をズボンのポケットに仕舞い、少し前屈みで歩くその姿は苛立ちに満ち溢れていた。

 ジンが歩き進めると、そこに居た鳥達は本能的に慌しく飛び立ってしまう程だった。


「バっサ、バっサ、と……さっきからうっせぇんだよチキン共ッ! 胃袋に収めんぞゴラァッ!!」


 さながら思春期を迎えた少年のように、ジンは事ある毎にこうして野生の動物や、はたまた躓きそうになった石ころにまでキレていた。

 その原因はヘルメスによるものだが、今はそれとは別に深刻な問題がジンを襲っていたのだ。


「腹……減った……」


 腹から盛大な音が鳴り響く。

 あまりのひもじさに大きな溜め息を吐いて顔を下げてしまう。

 ここ数日、ロクな食事にありつけなかったのだ。


「……しゃーねぇ。とりあえずこの辺の木でも食い尽くすか?」


 限界を迎えたジンはとりあえず近場に生えていた木に噛りつく。

 ありとあらゆる物質のコードを体内に収める事ができるジンは、何でもかんでも物質であれば喰う事ができるのだが。


「ひふはなんへも、ごっくん……こんな姿見たらルルも卒倒すんじゃねぇか……?」


 バリバリと凄まじい音をあげながら味わうように木を食べ続けるが、何とも味気ないうえに、どんどん心が荒んできてしまう。

 最近までの立派な食事を思い出すと、薄っすらと涙まで浮かんでくる。


「駄目だ……。こんなんじゃロクな腹の足しにもなりゃしねぇ……。何より全然旨くねぇ……」


 と、言いつつ。

 瞬く間に生い茂る木々を何本も平らげ、今では見晴らしを良くしてしまっていた。

 そしてようやく食事を止めたジンは、ふと周囲を見渡す。


「……」


 無意識に伐採作業をしてしまっていた。

 事の重大さにようやく気づき、その様に呆然となる。


「……確かこの森って世界で一番でっけぇんだっけか。……よし、見なかった事にしよう」


 そそくさと逃げるようにその場を立ち去るジン。

 しかし、まだまだ空腹は収まらない。


「このまんまじゃ非っ常~に不味いぞ……」


 音が鳴り止まない腹を擦りながらジンはとにかく急いでラティーバ国内を目指す。


「我を忘れて、下手っすとこの森全部喰い尽しちまうかもしんねぇ……」


 そうなる前に何とかまともな食事にありつこうと懸命に走る。

 その途中で後方から何やら叫び声らしきものも聞こえてきたが、今はそんなものを気にしている余裕はない。

 とにかく食事である。


「おおお……っ!?」


 しばらくすると視線の先に、ラティーバの入口であろう門が見えてきた。

 

「よっしゃぁッ!!! これでようやくまともな飯にありつけるッ!!! ひゃっほおおおうっ!!!!!」


 思わず口元から涎が出てきてしまう。

 食欲に囚われている今のジンはそんな事にも気づかず、とにかく必死だった。


「飯だっ!!!! 飯っ!!! めしぃぃいいいいいいッ!!!!!」


 尋常ではないその脚力により、凄まじい量の煙をあげ、全力で門まで加速していくジン。

 その表情は凶悪、と言うよりも。

 瞳孔を開き、涎を垂らし、鼻の穴と口を大きく開け、息を荒げながら奇声を発するその姿はもはや変態という言葉すら超越させていた。

 そして、門の前で立つ二人の兵がジンの気配に気づく。


「ん?」


「どうした?」


「いや……先程から妙な声が聞こえないか?」


「そういえばそうだな……、って!? な、な、何かすっげぇ速さで近づいてきてるんですけどぉっ!?」


 煙を纏い、まるで大砲のような勢いでもうすぐそこまで近づいていた。

 兵達はすぐさま壁に立てかけてあった槍を手に持ち、迫り来る存在に恐る恐る矛先を向ける。


「た、直ちに制止せよっ! こ、これより先は四大国家の一つラティーバであるぞっ!」


「と、止まらなければ、ち、力ずくで止めてみせ――――」


 門番としての役目を果たす為、兵達は威勢よく叫ぶが。


「めぇええええしいぃぃいいいいいいいいいいッ!!!!!」


 勢いよくその場から飛び出し、煙の中からジンはようやくその姿を現す。

 大きな口から見える人間のものとは思えない鋭い牙、涎を撒き散らしながら門の前へと突っ込んでくる。

 兵達は互いに抱きついて槍をその場に落としてしまう。


「「ぎゃあああああああああああ」」


 そして兵達は腹の底から恐怖を叫び、大声をこの一帯に響かせた。


「あぁんッ!?」


 その叫びによってジンがようやく我に返り、慌てて靴のかかとに力を込め急停止していく。

 凄まじい砂埃と音をあげながらも、何とか兵達ともう少しで衝突する僅かな距離で停止する事ができた。


「ふぅ……何とか止まれたぜ」


 一安心したジンは冷や汗を流す額を左手で拭うと、一変して兵達を睨みつけて怒鳴りだす。


「アンタら危ねぇだろうがッ! んな所に座り込んでんじゃねぇよッ!」


 すっかり兵達は腰が抜け、情けなく抱き合ったまま地面に座り込んでしまっていた。

 ジンが急停止した事で無残に抉れた地面を、大きく口を開けて唖然と見つめていた兵達だが。


「……っ、貴様っ!!」


 あまりに身勝手な言い分に、一人の兵は唇を噛み締めながら地面に転がる槍に手を伸ばし、毅然とした態度で立ち上がる。


「お、おいっ……」


 もう一人の兵は相方の様子をまだ地面に座り込んだまま心配そうに見つめるだけだった。


「……あん?」


 ジンを鋭い眼光で睨みつけ、威圧的な態度をとる兵。

 それが気に食わなかったジンは、ドスの効いた声と共にわざわざ顔を近づけて睨み返して応戦する。


「っ、な、何だその態度はっ!!」


「……あぁんっ?」


「……」


 何とか口調だけは強気でいたが、すっかりジンから顔を背けて兵は黙り込んでしまう。

 相方の危険を感じたのか、地面に座り込んでいたもう一人の兵も急いで立ち上がっていく。

 今までアリスの見た目や言動を散々チンピラ扱いしてきたジンだが、もはやジンも端から見れば立派な同類であった。

 

「ま、まぁ、落ち着けって」


「ぐ……っ」


「……で、貴様は入国希望者なんだろう?」


 相方を庇うように二人の間に入り、両手を小さく上げてジンを落ち着かせながら一旦離れさせていく。


「ちっ……。そうだよ、こちとら腹減ってしょうがねぇんだ。わぁったら邪魔だからそこどけって……」


 空腹で気が滅入っているジンは足早に兵を横切り、速やかに門を潜り抜けようとするが。


「おいおい止まれ貴様っ!!」


 威圧的な態度をとる兵が両手を伸ばして立ち塞がってきた。


「こ、こらっ! 入国審査はまだ終わっていないぞっ!」


 すかさずもう一人も険しい表情で壁を作るように並ぶ。


「身分を明かす物を確認せず入国させるわけにはならんっ!!」


「常識だろうが……っ!」


 既に先程の件でジンが常識から逸脱した存在だと言う事はわかっていたが、おいそれと流石に通す訳にはいかなかった。

 面倒臭そうにジンは頭をかきながら、舌打ちをする。


「ちっ、うっせぇなぁ……。身分証明するモンなんて持っちゃいねぇよ……」


 その返答に兵達は真剣な表情になり、槍を持つ手に力を込めてジンに向けていく。


「貴様……これより先は四大国家の一つ、ラティーバだッ! 身分も明かせぬ不審な輩を入国させるわけにはいかんッ」


「先程の様子といい……貴様一体何者だッ! 何の目的でこの国に訪れたッ!」


 只でさえ苛立っていたジンはついに我慢の限界となり、突きつけられた二本の槍を素早く両手で掴みかかった。


「なっ!?」


「何をする……っ!?」


 これでも一時に比べればだいぶ我慢できた方だ。

 しかし、それでも空腹ばかりはどうしても抑えられない。

 ”そういう風”に構築されている、このままでは本当に暴れだしてしまいそうだった。

 ジンは再び鋭い牙を見せ、そのまま槍を握り潰して兵達を睨みつける。


「「……ッ!?」」


 簡単に粉々となった槍を捨て、今までに味わった事の無い恐怖に囚われ二人の兵はゆっくりと後ずさりしていく。

 その様子にジンは一歩前に出る。


「ひぃいいっ」


 弱腰だった兵が情けない声をあげると、ジンは立ち止まり。

 視線には殺気を込め、声には恐怖を込める。


「俺は何をしに来たかだと――――」


 すかっり腰が砕け、地面に倒れ込む兵がこの尋常でない雰囲気を纏うジンの姿が悪魔のように見えていた。

 その目的についてもう一人の兵も大量の汗を流し、喉を鳴らす。

 しかし、ジンの目的は兵達が予想だにしないものだった。


「喰い倒れの旅だッ!! 何か文句あんのかええッ!?」


「「うわぁあああああああッ!!!!!」」


 ジンの発言の内容は置いて、とにかく両手を挙げて絶叫する兵達だった。

 だがすぐに我に返り、兵達は互いに顔を合わせる。


「食い倒れの旅、だと……?」


「え……?」


 だが既に限界を迎えようとしていたジンは、兵達の反応などお構い無しにその顔を一瞬にしてボコボコに殴っていく。


「ぶかぁ……っ」


「おはぁぁ、あ、あ」


 顔は痣だらけで腫上がり、地面に倒れ込む兵達。

 身体を痙攣させ、這い蹲っている。

 もう立ち上がる気配が無くなった事を確認するとジンは溜息を吐いて門を潜り抜けていく。

 その表情はどこか罪悪感に悩まされていた。


「……チッ」

 

 その舌打ちは自分に向けたものだ。

 料理屋を目指し、急ぐジンだったが自分の行為に嫌気がさしていた。

 欲望に囚われ、暴力を振るってしまう自分がどうしても許せない。

 だが、自分は何故かそのように構築されてしまっていた。

 ふとその時だった、ヘルメスの顔が脳裏を過ぎる。


「……」


 未だ地面に這い蹲り、ジンが去った事で安堵していた兵達だったが。


「おい、アンタら」


 背後から聞こえるジンの声に、身体を震わせて無言のまま振り返る兵達。

 ジンは顔だけを兵達に向け、告げる。


「多分……。もうすぐ眼鏡かけたバカな金髪ボインが来るかもしんねぇけど、何も言わずここ通してやってくれ」


 兵達は顔を伏せがちで、恐怖に震え、ジンの言葉だけを胸に刻む。


「もし……」


 そしてジンは最後に付け加える。


「もしその女にちょっとでも手ぇ出してみろ。……テメェら簡単に死ねると思うなよ?」


 その表情は本気だった。

 青ざめながら兵達は無言のまま力強く首を縦に振る。


「さて、と……後はもう本当に知らねぇ」


 それを確認したジンは料理屋を目指し、凄まじい速さで駆けていく。


「さぁっ! 飯屋はどこだあああああああ」


 勝手にしろ、もう俺は知らない。

 そう吐き捨ててヘルメスと別れたジンだったが、こうして道を作ってやっていた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 ジンはとある料理屋を目指し、ひたすら走り続けていた。

 その足に迷いは無く、的確に目的地へと近づいている。

 無一文のジンだが、このラティーバには無料で料理を食べれる店がある事を覚えていた。

 周囲を見渡すと、あの頃と同じ光景が目に入る。


「はぁっ、はぁ、っ、全っ然、変わってねぇなっ」


 外壁に囲まれたこのラティーバは一見すると、外部の者を寄せ付けない冷たい印象を与えるが。


「どうだいっ、今日は活きの良い魚が入ってるよぉっ!」


「あら、じゃあ頂こうかしら~」


「毎度っ! いつもありがとよ奥さんっ!」


 国民達の笑い声で溢れる優しい国。

 それが初めてこの国に訪れた時に感じた印象であった。

 昔、ジンはこのラティーバにルルと共に訪れた事があったのだ。


「はぁ、っ、あん時の店っ、はぁっ、潰れてねぇだろうなっ」


 料理屋が潰れていなければ、曲がり角の向こうで”今日も”やっているはずだ。

 盛大に腹を鳴らしてジンが角を曲がると。


「はぁ、はぁ……」


 そこには大勢の人だかりが出来ていた。


「あった!! 良かったぁ……」


 群がる人ゴミを強引に突き進むと、店の外で二人の太った男達が勝負を繰り広げられていた。

 外には一つのテーブルが置かれており、皿が山積みになっている。

 

「う、ぐぅっ、も、もう、げ、んかい、」


 座っていた男の一人が意識を失い、前のめりに倒れて顔が皿の上に盛られてしまう。

 その瞬間、一斉に周囲の人々が歓声が巻き上がる。


「「うぉおおおおおおおおお!!!」」


 すると数名の店員が店内から現れ、速やかに皿を店内に片付けていく。

 気絶した男は直ちに店員二人掛かりで店内へと連れていかれる。

 そして誇らし気に勝者が腕を掲げ、勝利の雄たけびをあげて立ち上げた。


「ウェエエエイッ!! こんなんじゃ俺の腹はまだまだ満たされねぇぞッ!!!」


 男の叫びに感化され、周囲の人々も沸き上がる声援を送っていく。


「すっげぇよ! あんたもう五人抜きだぜ!?」


「食べる早さが全然劣ってねぇ……どんな胃袋してんだよ!?」


「こりゃぁ、もう今日も”大食いチャンピオン”はあんたで決定だろ!!」


 この料理屋では毎日のように宣伝目的で大食いバトルが開催されていた。

 料理の味は言うまでもなく、勝負に出される料理が凄まじい量を誇り、観客達に相当なインパクトを与える。

 結果、この店はラティーバでも最も繁盛している。


「うわーはっはっはっ、食いたりねぇっ! おらおらっ! 次の挑戦者はどいつだぁっ!? 俺に挑む奴はもう居ねぇのかぁっ!?」


 椅子に片足を置き、威圧的な視線で周囲を見渡すこの大食漢は常連客の一人。

 下品に舌を出し、シャツに収まらない大きな腹を揺らし、両手に腰を当てて更なる挑戦者を待つが。


「もう五人と勝負してんだ、そろそろ誰か勝てんじゃね?」


「どうだろうな……。あんな食いっぷり見せられて挑戦する勇気がある奴なんてもう今日は出てこないんじゃないか?」


「まだ食い足りないって言ってるし……。もうありゃバケモンの類だな、はは」


 誰もがこれ以上、挑戦者が現れる事は無いと思っていた。

 その時だった。


「あぁ~ん? 兄ちゃん見ねぇ顔だがもしかっすと、この俺に挑戦しようってかぁ?」


 周囲がどよめく中、大食漢の前に怪しく微笑むジンが立つ。


「まだ食い足りねぇんだろ? 俺は腹減って死にそうなんだ、とことん付き合ってやんぜ”現”チャンピオン」


 ジンは両手をズボンのポケットに仕舞い、余裕の表情で大食漢を見上げてそう言うと、周囲が笑いに包まれていく。


「あっはっはっ、あいつまさか勝てると思ってんのか?」


「どう見たって無理だろ。見てみろよ、あんな細っちい身体のどこにそんな胃袋があるってんだ」


「たまに居るんだよなぁ、タダ飯と賞金に釣られるバカってのが」


「へ、どうせ冷やかしだろ」


 客観的に見て、いくら五人抜きしているとは言えあの大食漢に、細身のジンが勝てるとは到底思えなかった。

 しかし、大食漢だけは口元を釣り上げながらゆっくりと椅子から足を離していく。

 怖気づかず自分に挑戦を叩きつけてきたジンに大食漢はとても気分を良くしていた。


「……兄ちゃんこの店のルールは知ってんのかい?」


 その問いに、ジンは小さく微笑み頷く。


「――――”フードデスマッチ”。どっちかが根を上げるまで勝負は永遠に続く。負けた奴は自分が食った分と相手が食った分を全額払う、だろ?」


 ジンの返答に大食漢は益々気を良くし、右手で顔を覆いながら大きな笑い声をあげた。


「うわーはっはっは、こりゃ良い! なるほど! 何も知らずに迷い込んだ観光客ってわけじゃねぇんだな!」


 手の隙間からジンの姿に視線を向け、その心意気に盛大な拍手を送りだす。


「つまり! だ! わかってて、この俺にフードデスマッチを挑むってわけだ! 中々、見所あんじゃねぇか! ただ、兄ちゃんは知らねぇだろうが、俺はこの店で大金稼いでるんだぜ?」


 ジンは大食漢の言葉を無視して、静かに席へと座る。

 そして乱暴に両足を机に叩きつけ、大食漢に中指を立てて鼻で笑う。


「腹減って死にそうだって言ってんだろ。御託は良いからとっとと支払いの準備して席につけよ」


 あまりにも自信に満ちたジンの姿に、周囲の雰囲気は先程までと打って変わり、剣幕とした緊張感を生む。

 一気に静まり返ったこの場でただ一人、大食漢だけが笑みを保ち、その巨体を下ろして椅子を軋ませた。


「せいぜい威勢だけじゃねぇ事を祈るぜ……。ちったぁ俺の腹の足しになってくれよ」


「それは俺の台詞だっつーの。格の違い……もとい、胃袋の違いってのを見せてやんよ」


 新たな挑戦者の登場に周囲が息を呑み、見守る中。

 店内から大量の料理が運び込まれ。

 互いの富、誇りをかけ、ラティーバの名物詩、フードデスマッチのゴングが鳴る。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 

 しばらくして。

 店内の厨房では戦場さながら、料理人達が急ピッチで料理を仕上げて騒然としていた。

 現在、フードデスマッチを行っている二人が異常な早さで料理を平らげていたのが原因だ。

 料理の途中で凄まじい過労により、油飛び散る床に倒れ込む者が続出する始末。


「も、もう無理、で、す、」


 泣き声が飛び交う中。

 また一人、また一人と干乾びたミイラのようになって倒れていく。

 そして遂に厨房に立つ料理人は料理長兼、この店の店主ただ一人となってしまった。

 料理人だけでなく、材料も底を尽きてしまっている。


「この感覚……まるで”八年前”の時と同じだな。こうなってしまうと今日はもう店じまいだな……」


 過去に一度だけこの様な状況に陥った事があり、店主はそれを思い出す。


「やれやれ……」


 厨房に立つ者が店主一人だけではもう営業ができない。

 床で大の字になって意識を失う従業員達に深い溜息を吐くと。


「さぁっ、さぁっ! 新チャンピオンの誕生だっ! 挑戦者はいねぇのかっ!?」


 店の外から聞こえてきた従業員の声に店主は安堵した。

 いつになくギャラリーが大盛り上がりしているせいで、この厨房にもその歓声は届いている。

 店主は冷蔵庫に移動し、完全に中身が空になっている事を確認すると、厨房を離れ店じまいを伝えに外へ出ていく。


「ったく、どえらい”男”が舞い戻ってきやがったな……」


 店を出て、まず目に飛び込んできた光景に店主は大きく肩を下げ、うな垂れてしまう。

 白目を剥き、机の上で大量の皿に埋もれて意識を失う大食漢の哀れな姿。

 その様子を、優越感に浸りながら見下ろす新チャンピオンのご尊顔。


「相変わらずだな……」


 八年前と変わらぬその容姿よりも、衰えていないその食欲に店主は呆れ返っていた。

 疲れきった店主が困った表情でゆっくりと歩み寄ると、口元に食べカスを付けたジンが店主に気づき、ニッと笑顔を見せる。


「よぉ、相変わらず旨かったぜ。元気そうで何よりだ」


「お前さんのおかげでワシは今にも倒れそうだよ……。また食材全部食い尽くしちまいやがって、この底無しが……。今日はもう店じまいだ。せっかく久しぶりに来たんだ、水ぐらいは飲ませてやっから寄ってきな……」


 用意していた全ての食材は尽き、店主は客達にも店じまいだと告げ、誰も居ない店内へジンを招くのだった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 店内にはジンと店主のみで、先程まで大盛況だったこの店は静けさを取り戻していた。

 差し出されたグラスに入った水を飲みながら、空腹が多少治まったジンがカウンター席でくつろいでいると。


「……今日は”あの婆さん”と一緒じゃないのか?」


 店主は肘をつきながら、カウンター越しにジンが一人でいる事について尋ねる。

 その問いに、ジンはグラスと静かに置いて寂しげな笑顔を浮かべた。


「あぁ……。今回は俺一人だ……」


「そうかい。婆さんには世話になったからな。もう一度、礼を言っておきたかったんだがな……」


 妙な沈黙が二人の間に流れる。

 ジンの表情から察したのか、店主は別の質問に変えた。


「で……お前さん一人で今回は何しにこの国に来たんだ?」


「うーん……。強いて言うなら腹ごしらえ? だな、うん」


 相変わらずの返答に店主は苦笑してしまう。


「お前さんは変わらねぇな。俺の記憶がボケてなけりゃ、八年前と見た目も変わっちゃいねぇ。……ま、その事についてとやかく首突っ込む気はねぇけどな。あの婆さんに比べりゃんなもん些細な事だ……」


 かつて店主はルルと呼ばれる錬金術師に出会い、今までの常識を覆されたのだ。

 なので、その付き人であったジンの容姿が八年前と同じでも今更驚きもしない。

 店主の配慮にジンは静かに微笑みつつ、外に視線を向ける。


「……変わってないって言えば、ちょっとばかし聞きてぇ事があんだ」


 ジンは気がかりだった。

 それは森で出会ったあのセラと呼ばれる少女の発言だ。


「……最近、この国で不審な事件とかってなかったか?」


 真剣な表情で尋ねるジンに、店主は首をかしげ考え込むが。


「いいや……? お前さんらが来た頃と同じで国王様のおかげで平和そのものさ。どうかしたのか……?」


 罪悪感を抱きながらも、ジンは店主の言動を事細かく観察したが嘘をついている様には見えなかった。

 そうなると、益々あの少女が怪しく思えてきた。


「そうか……」


 急に今まで以上にヘルメスが心配になり、表情を曇らせてジンは黙り込んでしまう。

 その深刻そうな姿に店主は何とか力になってやろうと、些細な出来事でもここ数年で変化した事について両腕を組んで思い出していく。


「お、そういや」


 すると、何かを思い出したように店主は両手をはたき、ジンも顔を上げる。


「何年か前ぐらいからだ……ゴロツキみてぇな奴らが急に増えた気がするな」


「ゴロツキだとっ!?」


 不穏な気配を感じたジンは両手をカウンターに叩きつけ、食いつくように立ち上がる。

 その反応に店主は驚き少しよろめいたが、すぐに苦笑してジンをなだめていく。


「ゴロツキと言っても、ただの不良さ。今の所は大した事件も起こしちゃいねぇし、せいぜい喧嘩したり我が物顔で国を徘徊してるだけの連中だ。でも、そんな連中どこにでも居るだろ? それに、平和主義者の国王様や王従士ゴールデンドールが目を光らせてるから大事になんてなりゃしないさ。だからまぁ、心配せず座んなって」


 店主の言葉通り、ただの不良ならばこの国だけでなくどこにでも居る。

 どこか腑に落ちないが何の確証も無い以上、ただの杞憂なのかもしれない。

 ジンは今もこうしてヘルメスを心配してしまっている自分に呆れ、席にもう一度座り、不貞腐れたように肘をつく。


「お前さん一体どうしたってんだ? らしくないじゃねぇか」


 付き合いはかなり短いものの、以前とどこか違う雰囲気を見せたジンに店主は不思議そうに微笑む。


「あぁ? ……別に。ただ連れの女が予想以上にバカで困ってるだけだ……」


「ほぉ。お前さん一人じゃなかったのか。で、その彼女は今どこに居るんだ?」


 思いもしない発言にジンは盛大に頭をカウンターにぶつけ、ヒビを入れてしまう。

 そして眉間にシワを寄せ、慌てて店主に詰め寄る。


「……ば、バカ言ってんじゃねぇぞッ!? 何で恋人って事になんだよッ!?」


「さっきからのお前さんの反応からして、彼女を一人残して飯食いに来ちまったから心配してんのかと思ったが違うのか」


「違ぇよッ!!!!!」


 何となく合ってはいるが、まったく違う。

 ヘルメスとジンは恋人同士というわけではないのだ。

 顔を真っ赤にするジンが面白いらしく、店主は年季を感じさせる余裕の笑みを見せてくる。


「く……っ!!」


 何となく居心地が悪くなってしまったジンは、食事も終えたのでこの場から逃げるように店を後にしようと扉に向かう。


「おい、忘れもんだぞチャンピオン」


「……あぁん?」


 背後の声に苛立ちながらジンが振り返ると、封筒が投げつけられてきた。


「何だこりゃ」


 分厚く膨れた封筒に視線を向けると、店主が両腕を組んで清々しい笑顔で告げる。


「しゃぁねぇが、お前さんは今日のチャンピオンだからな。中身は賞金だ、受け取れ」


「……タダ飯食えるだけじゃなくて、金まで稼げちまうなんて俺にとっちゃまさに天職だな」


 手に持った感触だけでもそれが大金である事がわかる。

 これこそが、この店で行われるフードデスマッチを盛り上げる大きな要因の一つだ。


「ただし、今回限りだ。お前さんに入り浸れたらいつか店が潰れかねないからな……。その金はくれてやるから、食事なら他の店でしてくれ」


 無一文のジンにとっては嬉しい収入だった。

 これだけあれば相当な量の食事をする事ができる。


「ケッ、遠まわしに客追い出すなんてとんだ店だぜ」


 店主に笑顔を見せるジン。


「へっ、タダ飯食らいは客じゃねぇんだよ。またしばらくしてから来やがれ」


 同じく笑顔でその背中を見送る店主に、ジンは封筒を振って挨拶をしてから出入口の扉に手をかける。

 すると、最後に背後から。


「今度はちゃんと彼女も一緒に連れて来いよー」


「だから違うっつってんだろうがッ!!!!!」


 こうして優勝賞金を手にしたジンはそれを元手に食い倒れの旅を目指し、ラティーバを歩き回るのだった。

 しかし、やはり頭の片隅にはヘルメスの顔が散らついて離れなかった。

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