2話:堕ちる少女
北門を潜り抜けたその先には、木造で建てられた小さな民家と様々な店がズラリと並んでいる。
昼間だという事もあり、客を呼び込む声や、他愛もない会話をする国民達で活気に溢れていた。
「へぇ~いっ! らっしゃ~いっ! 日常雑貨から簡易式まで何でも揃ってるよ~つ!」
「さぁっ、さぁっ! 新チャンピオンの誕生だっ! 挑戦者はいねぇのかっ!?」
「でねぇ? この間なんて主人が――――」
この国に入る前にセラから聞かされていた悪事の片鱗は見当たらず、まさに平和そのものだった。
入り組んだ人通りをセラに案内されるがまま静かに進んでいく。
ヘルメスは自分のコートを頭から被るセラに、周囲を見渡してその様子について小声で話しかける。
「この辺りはまだ平和そうだな……」
なるべく顔を見られないように、セラは周囲をキョロキョロして神経質になりながら答える。
「え、えぇ……。誰かれ構わず誘拐してると流石にあの悪魔も隠し切れないらしくて……この辺にはあまり手を出してないらしいです……」
「なるほど、入念に気を払っているという事か……。しかし……先程から妙な連中も紛れているようだが?」
活気溢れるこの周辺には似つかわしくない、危険な雰囲気を漂わす男達が我が物顔で周回していた。
国民達もその男達が近づくと急に静まり、その場からそそくさと逃げるように離れていく。
なるべく目立たないように、ヘルメスは男達の視界に入らないようにセラの手を引き、注意しながら人ゴミに紛れながら足を進めていく。
「あいつらも恐らく悪魔の仲間です……。元は単なる不良なんでしょうけど、悪魔は国中の不良達にも金銭や薬を与えて自分の手下にしてるんです……」
「国中の不良という事はその数も相当いるんじゃないか? 王を名乗るだけあって軍隊でも作っているつもりなのか……」
これから対峙する勢力の規模と、それを支配する王従士の存在についてヘルメスが考えにふけっていると。
「……ッ!? へ、ヘルメスさんっ、こっちですっ」
強張った表情でセラが慌ててヘルメスの手を引き、建物の隙間へと連れ込む。
「き、急にどうしたんだセラ? そんなに慌てて……」
「しっ!」
ヘルメスはしっかりと不良達の気配を捕らえ、視界に入らないように動いていたつもりだったが、セラの慌てように大人しく指示に従う。
セラは無言のままゆっくりと隙間から僅かに顔を出し、左方向を確認してから手招きをしてヘルメスに指示を出す。
ヘルメスは不審に思いながらも、無言のままセラと同じようにゆっくりと隙間から僅かに顔を出し、静かに左方向を確認する。
「……っ!?」
すると前方から。
錬金術師の象徴でもあるコートをなびかせ、二人の男が周囲を見渡しながらこちらに向かってきていた。
セラはヘルメスがそれを確認すると再び手を引いて隙間へと連れ込んでいく。
「……」
「……」
何とか二人の男達はそのままヘルメス達の存在には気づかず、この隙間を通り過ぎていった。
ようやく気配が遠くに離れた事を確認した二人は、建物の隙間の奥に移動して先程の人物達について話し合う。
「さっきは何も話さず急にすみませんでした……っ」
深々と頭を下げ、非礼を詫びるセラの姿に、ヘルメスは何度も両手を振って困り果ててしまう。
「いやいやセラが謝る理由なんて何一つないさ。自分が不良達にばかり気を取られ、彼らの存在をすっかり忘れていたのが原因だ」
申し訳そうに顔を上げるセラにヘルメスは念の為に確認をしておく。
「先程の者達……悪事に加担している王従士なのだろう?」
「さ、流石はヘルメスさんですね……っ!」
先程見せたセラの慌てようと、今の現状からして錬金術師から身を隠す理由は一つしかなかったのだ。
しかしセラはその単純な分析にも感銘を受け、両手を握り締め、キラキラとした尊敬の眼差しをヘルメスに向けていた。
ヘルメスが名を明かした時から、ずっとこの調子である。
今ではエーテル家の悲劇のよって、その名を地に落としている事をセラは知らないのだろうか。
慣れないその眼差しに困惑しながら、ヘルメスは咳払いをして確認を続けていく。
「えと、あの王従士達なんだが……。どうも何かを探している様子だった。やはり自分達を探していたのだろうか?」
するとセラはハッと我に返り再び不安気な表情を浮かべる。
「その可能性もあるかもしれないんですけど……。村が支配されてから、国民を守る警備と称して頻繁に王従士が数名体制で国中を巡回しているようです……。時には親身に皆の相談にも乗ったりして……今では国中の皆から絶大な指示を得ているらしいです……」
セラの発言を受けたヘルメスは口元に指を置き、神妙な面持ちで言う。
「つまり……。セラ達を逃がさないように……不良達だけでなく、王従士までが国中を巡回して監視しているという事か……。なるほどな……。それではセラ達が村から逃げられた所で誰かに助けを求めたり、完全に逃げる事もできないという訳か……」
至る箇所に包囲網を敷き、奴隷達を逃すまいと国全体を巨大な牢獄として利用する悪魔。
例え村から脱走し、何とか監視を潜り抜け誰かに助けを求めたとしても、王従士は国民から絶大の支持を得ている。
「ごく少数なんですけど今まで何度か脱走に成功した人が居たんです……。でも私達の言葉を信じて手を貸してくれる人は居なかったみたいです……。そして結局、巡回していた王従士や不良に見つかって皆、見せしめに殺されてしまいました……」
だから、セラは他国に助けを求めようとあの森を抜ける為に必死だった。
捕まれば最後、どのような悪夢が待ち受けていようとも、恐怖に怯えながら必死に村の皆の為に走り続けたのだ。
ずっと裸足だったセラは、年頃の女の子だと言うのに足をボロボロにさせていた。
ヘルメスは瞳をそっと閉じ、セラに手を差し伸べる。
「……セラ」
「……?」
不安そうに両手を胸元に当て、肩を小さくしていたセラは、不思議そうにヘルメスの手に自身の手をゆっくりと重ねていく。
すると、とても優しい温もりを感じた。
それはまるでセラの抱える不安を振り払うかのような温もりだった。
ヘルメスは静かに瞳を開け、凛とした表情でセラを見つめ――――誓う。
「終わらせよう――――」
とても真に迫る。
「例えこの身に何が起ころうとも――――」
澄みきったその声には強さが宿っている。
「必ずセラと、セラの大切な村は自分が救ってみせる――――」
その言葉に、姿に、セラは――――
「だから、もう泣かないでくれ。……セラ」
その手をしっかり掴み、セラは大粒の涙と、言葉にできない程の感謝を零していた。
とても強いこの少女をヘルメスはしっかりと抱きしめる。
セラを見ていると、ヘルメスは幼き頃の自分の姿を思い出す。
そして、そんな自分をいつも優しく抱きしめて救ってくれた――――もう一人の”父”の存在を思い出していた。
「必ず、必ず自分がセラを守るから……」
謎の集団や、狂った錬金術師フェイクから、ヘルメス達を逃す為にたった一人で残ったアリス。
そして致命傷を負いながらも、そんなアリスの安否を確認しに一人で向かったエリーゼ。
ヘルメスは二人の無事をひたすら祈る。
「ヘルメスさん……」
セラは人差し指で涙を拭い、目を細めて微笑みかける。
「ありがとうございます……。私、もう大丈夫ですっ!」
その表情はとても愛らしいものだった。
ヘルメスはスカートのポケットからハンカチを取り出し、丁寧にセラの涙を拭う。
「フフ、そうか……」
とても美しく、優しい微笑むを返す。
「セラは可愛いんだから、涙は似合わない」
その言葉に、セラは目と鼻だけでなく耳まで赤くさせてしまう。
「そ、そんなっ、わ、私よりヘルメスさんの方が何百倍と……っ!!」
涙を拭いきったヘルメスはハンカチを仕舞い、そっとセラを放して困った表情を浮かべて微笑む。
「フフ、……やれやれ。そんなに自分に気を遣わなくたって良いんだぞ?」
「わ、私、気なんて……」
少し和やかな雰囲気になるがいつまでもそうはしてられない。
ヘルメスの表情に真剣さが戻っていく。
腰に片手を当て、隙間の先を見つめる。
「さて、先程の王従士達はもう遠くに行ったが安心はできないな。この通りを巡回したばかりだが、此処から北門は近い。と、なると……またすぐにこの通りを戻ってくるだろう。本来ならばもう少しここに身を潜めて待機した方が良いのかもしれないが……セラのおじいさんが心配だ」
そう。
セラを森で追っていた男が、セラが脱走した事で祖父が公開処刑されると言っていた。
あまり悠長にはしていられない。
二人に緊迫とした重苦しい雰囲気がのしかかってくる。
「あの……。ヘルメスさんと森に一緒に居たあの人と合流しなくても大丈夫なんですか……?」
互いの擦れ違いにより、ヘルメスとは別行動をとったジンの存在について首をかしげるセラ。
ヘルメスは額に人差し指を置いてうなだれ、眉をひそめてしまう。
確かにジンの助力を得れれば心強いが、今はそれも厳しい。
「流石にジンが今どこに居るかわからない以上、合流するにはかなり時間がかかってしまう……。恐らく料理屋に居るだろうが、しらみつぶしに探していく余裕も無い……。何より奴らの言う事が本当ならば今もこうしている内に、セラのおじいさんが酷い目に合っている可能性がある……」
「おじい、っ、ちゃん……っ」
セラは強がっていたが、やはり不安でしょうがないのだ。
今もこうして祖父を想うだけで拳を握り締め、身体を震わせている。
「……ジンとの合流は諦めて急いで村に向かおう。ここからもう近いんだろう?」
ヘルメスは最近のジンをまだ許したわけではない。
なのでジンに助力を求めるのは少し抵抗があったが今は非常時。
できれば共に戦って欲しいとは思ったが、セラの心境を察するとそれも断念せざるを得ない。
手遅れになってしまう前に、急いで村に潜入するべきだとヘルメスは判断を下す。
「は、はい! この通りを真っ直ぐ進むと少し外れに不良のたまり場があって、その先に村があります!」
「ふむ。不良達の数にもよるだろうがそれは問題ないだろう。ただ、どうやって村に侵入するかだな……」
何とか村に辿り着いたとしてもその全貌がまだわからない以上、どうしたものかとヘルメスがうな垂れていると。
「あ、あの、その事なんですけど」
「む?」
セラは両手を握り締めてヘルメスの顔を仰ぐ。
「村は大きな柵で囲まれていて、入口は一箇所だけなんですけど……」
「……見張りの者が要る、そうなんだろ?」
申し訳なさそうにセラは頷く。
しかし、その表情はどこか自信に満ち溢れていた。
「でも……っ。きっとヘルメスさんなら大丈夫ですっ! 今までのヘルメスさんを見て……私、確信したんですっ!」
自分よりも体重が何倍もある男を軽がると投げ飛ばすその筋力、そして卓越した錬金術の使い手であるヘルメスの実力をセラは目の当たりにした。
鼻息を荒げ、興奮しながらセラは強くヘルメスの両手を握る。
「え、と、その……」
「ヘルメスさんならきっとあんな奴らケチョンケチョンですっ! いざとなれば錬金術で一瞬で終わらせてくれますよねっ!?」
すっかり目を輝かせてヘルメスの実力を信じきるセラ。
だがセラは勘違いをしている。
「う、うむ……って!? ちょ、ちょっと待ってくれ」
困惑するヘルメスは歯切れを悪くしてしまう。
何故ならばヘルメスにとって、錬金術とは最近ようやく多少扱えるようになってきたものなのだ。
しかも固有式の聖鳥の卵は、自身の意図した物とまったく別の存在をランダムで構築してしまうという困ったもの。
実践ではほぼ役に立たない。
凄腕の錬金術師として期待されても、ヘルメスはその期待に応えられないのだ。
「セ、セラ。君は何か勘違いしていないか? 悪いんだが……自分はセラが思っている程の錬金術師などでは……」
「そ、そうでしょうか? ヘルメスさん程お強い錬金術師の方を私は見た事ないんですが……」
セラは、エーテル家の錬金術師だと言うだけで心の底からヘルメスを信じてしまっていた。
眩しいセラの表情に思わずヘルメスは眉をひそめ、言葉を詰まらせてしまう。
しかし、いつまでも此処にこうして留まってはいれない。
「とにかく見張りの者を倒して進入する事しか策が思いつかない……。おじいさんが心配だ。かなり強引ではあるがそれで行くしかないな……」
錬金術師でありながらも、物理的に解決してしまおうと言う。
ヘルメスにとってはそれがいつも通りであり、最も適切な手段であった。
しかし、それでもセラは何の疑いも持たずに大きく頷き、その提案をあっさりと受け入れた。
「よし……では出発しよう」
ここまで頼りにされてしまうと少々プレッシャーに押しつぶされそうになるが、弱気になどなっていられない。
ヘルメスはセラへの誓いを胸に刻み、道中で擦れ違う不良にセラが見つからないように、細心の注意を払いながら案内に従って駆け足で進む。
そしてセラが言っていたように、すぐにその場所は見えてきた。
案内されるがままに進むと、平和な雰囲気に包まれていたラティーバはその姿を一変させたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この場所に辿り着くまでの間、何人もの国民と擦れ違ってきたヘルメスとセラだったが。
「……」
一度、その地に踏み込んだ瞬間。
まるで先程までの光景が嘘のような荒れようだった。
「へ、ヘルメスさん……っ」
徐々に擦れ違う国民の数は減っていき、住居も存在しない。
落書きされた壁が目立ち、大量のゴミも地面に放置されたままだった。
「あぁ。先程から多くの視線を感じる……まるでハイエナの巣窟に足を踏み入れたような気持ちだ……」
ヘルメスの左腕に身体を密着させ、身体を震わせるセラ。
周囲から向けられる視線の多さにヘルメスは息を呑む。
「っ!? 自分から決して離れるなセラッ!」
すると、どこからともなく身を潜めていた数十人もの人影が、一斉にその姿をヘルメスとセラを囲むようにして現す。
「ひぃっ!?」
「まさかこれ程の数とはな……。少女二人に随分と大げさな歓迎ではないか……ッ」
見渡す限り男達の壁に囲まれてしまう。
逃げ場を閉ざすようにヘルメスとセラを囲み、その姿を確認すると不気味な笑い声を響かせる。
「うへへ、おいおい……こいつぁとんでもねぇ上玉じゃねぇかぁ……」
「どうしたのかなお嬢ちゃ~ん?」
「うふふふふ、こんな危ない場所に女二人で来るとはなぁ……」
「ひひ、大人しくしてりゃ命まではとらねぇよ……命、まではなは。ひっひっひっ」
ヘルメスの美貌に群がるように、その距離を徐々に詰めていく男達。
それでもヘルメスは臆する事なく再び歩みだす。
「貴様達こそ痛い目に遭いたくなければそこをどけ。自分達は先を急いでいる、邪魔はするな」
あまりにも凛々しいその姿に、男達は一瞬にして静まり返る。
セラは周囲の男達に怯えながらも、しっかりとヘルメスの左手を抱きしめながら共に進む。
「へい、待ちなお嬢ちゃん」
剥き出しの両手に彫られた刺青が特徴的な男が、前方からヘルメス達の行方を妨げようと立ち塞がった。
怯えるセラを他所に、ヘルメスは立ち止まると毅然とした態度で男を睨みつける。
「聞こえなかったのか? 自分は邪魔するなと言ったんだ」
「あぁ、ちゃ~んと聞こえたさ。なぁ、お前ら?」
男がほくそ笑みながら周囲に視線を向けると、再び男達は不気味な笑い声をあげて騒ぎだす。
「はっはっはっ、痛い目に遭いたくなかったら邪魔するなだとよぉっ」
「うへ、恐ぇ、恐ぇ~」
「ひっひっ、見てくれは良いが頭の方はかなり悪いらしいなぁ」
「あの強気な顔がどこまで保てるのか楽しみだぜ、ふひっ」
様々な発言が飛び交う中。
ヘルメスは毅然とした態度でセラの手を引き、男の横を通り過ぎようとする。
だが、男は腕を横に伸ばしてヘルメスの歩みを妨げた。
「……怪我をしたくなければそこをどけ」
「へっへ……それは無理な相談ってもん――――」
「そうか。ならば仕方あるまい」
その瞬間。
「な――――」
男は目を大きく開け、反応を示すが。
「そこで寝ていろ」
ヘルメスの鋭い拳が男の顔面を捕らえ、その身体を前方へ勢いよく吹き飛ばしたのだった。
「ぶふぅッ!!!!!」
歯が何本か折れ、鼻と口から血を垂らして意識を失う男に、周囲は驚きの声をあげて慌てふためきだす。
「おいおいっ!?」
「や……やりやがった!?」
「っ、あの野郎……っ!?」
「や、やっちまえっ!! 半殺しだっ!! 半殺しだぞっ!?」
数十人にも及ぶ男達が雄たけびをあげながら、一斉にヘルメスとセラに向かって押し寄せてくる。
「ふむ……。ここまで異性に言い寄られたのは初めてだ」
「そんな事言ってる場合ですかっ!?」
その恐ろしい光景に、セラは悠長な発言をするヘルメスの左腕を力一杯振り回し、大群に指を差す。
「ど、ど、どうするんですかっ!? さ、流石にこの数は想定外ですよっ!」
「何? 自分はてっきりセラがこれぐらいの人数を想定していたのだとばかり思ったが……」
「い、いやいやっ! いくらなんでもこの人数は異常ですってっ! 明らかに普段の人数とは全然違いますよこれっ!!」
「ならば、自分達が此処へ来る事は最初から連中に知られていたと考えるべきか……」
口元に指を置き、瞳を閉じて考え込むヘルメスの余裕の姿にセラは頭を両手で抱えんでしまう。
しかし、男達はもうすぐそこまで押し寄せていた。
男達はまるで獣のように二人に向かって飛び襲う。
「い、いやぁぁぁあああッ!!!!! ヘルメスさああああああんッ!!!!!」
すると、ヘルメスは瞳を開け。
「まぁ……今は考えている暇が無いか」
徐にセラを抱きかかえる。
「へ、へ、ヘルメスさんッ!?」
まるでお姫様のように抱きかかえてきたヘルメスに、セラは驚きと照れ臭い気持ちが交じり、この状況にも関わらずつい顔を赤らめてしまう。
「流石にこの数だ。一人ずつ相手にするのは疲れるからな……。舌を噛まないように気をつけてくれセラ」
「は、はいっ」
わけもわからずヘルメスに抱きかかえられ、とにかくしがみつくセラ。
するとその身体は宙に浮く。
「え……?」
ヘルメスは地面を力強く蹴り、真上へ高々と飛び上がったのだ。
「な、な、……」
その高さは一般的な二階建ての屋根に到達する程。
あまりにも常識離れしたヘルメスの脚力に、セラは上空で言葉を詰まらせてただ絶句するだけだった。
しかし。
「うおっ!?」
「ど、どこ行きやがったっ!?」
「と、と、飛びやがった!?」
「ちょ、お前らそこどけっ!!!」
「ふげええええええッ」
勢いよくヘルメス達に向かって飛び掛った男達は、互いにぶつかり合い、その衝撃で意識を失ってしまう。
そして男達で出来上がった山の頂点に、高らかに飛び上がったヘルメスが何食わぬ顔で無事に着地を決める。
「よし、少しは数をこれで減らせた。セラ、怪我はないか?」
「は、はい……っ! 凄いとは思ってましたけど錬金術だけじゃなくてもう色々と凄すぎますっ! あぁっ、もう素敵すぎますぅっ!!」
「あ、あはは……」
自分と同じぐらいの年齢のヘルメス。
更にその美しいプロポーションでありながらも、卓越した身体能力の高さにセラは感動してこの危機的状況にも関わらず目を輝かせ、抱きかかえながら黄色い声をあげ続けてヘルメスを困らせていく。
だが次々と男達は押し寄せてくる。
「むぅ、やはりこの数は少々厄介だな。このまま強引に突破するぞセラ」
「し、正気ですかッ!?」
ヘルメスはそのままセラを抱きかかえ、正面突破していく。
だが、ある物の存在がヘルメスの表情を強張らせた。
「っ、連中あんな物まで……っ」
セラもヘルメスに抱きかかえながら正面の存在にようやく気づき、表情を青ざめる。
二人の前方で、数人の男達が銃を構えていた。
「へ、ヘルメスさんっ!? ちょ、こ、このままじゃ撃たれちゃいますよっ!!」
セラの切羽詰った声がヘルメスの耳に届く。
しかし。
「ええええええええっ!?」
それでもヘルメスは足を止めず、鋭い眼光で男達を見据え、更に加速していく。
「お、おい、まさかあの女、コレに気づいてないのかっ!?」
「び、ビビる所か益々、速くなってんぞ……っ!?」
真正面から銃を構える自分達に、臆する事なく突き進んでくるヘルメスの姿に、男達は身をよじろげて動揺しだす。
そして、周囲を圧巻するその凄まじい気迫に思わず後ずさりまでしてしまう。
「っ、じ、冗談だろ……っ!? こっちは銃持ってんだぞ……っ!? 人数だって俺らの方が圧倒的に―――――」
目の前の光景が信じられず、一人の男が困惑した表情で仲間に顔を向けると。
「そこを……っ、どけぇッ!!!」
咆哮にも似たヘルメスの叫びに、男達は肩を大きく反応させていく。
「ヒィッ!?」
疾走するヘルメスの叫びは空気を振動させ、まるで男達の身体に電流を走らせるようにして恐怖を与えていた。
「ひ――――」
尋常ではない恐怖が男達を支配していく。
「ひ、ひぃいいいいいいいッ」
銃を構える男の一人も、つい片手で顔を覆って怯えだす始末。
圧倒的に優勢であるはず男達の表情にはいつの間にか大量の汗が流れている。
まるでバケモノを目の当たりにした、そんな気持ちに襲われていた。
「な、何だよあの女ッ!? 本当に馬鹿じゃねぇのかッ!?」
「ッ、撃てッ!! と、とにかく撃ちまくれッ!!」
何とか正気を保ち、男達はなりふり構わずに次々と発砲していく。
小さく火花が散り、銃口から煙をあげる。
見事なまでに軌道は真っ直ぐと、何発もの銃弾がヘルメス達に向かう。
「しっかり捕まっていろセラッ!!」
「は、はいッ!!!!!」
セラはもうやけくそ気味に返事をし、両手で頭を押さえて力強く目を閉じる。
そしてヘルメスは、しっかりと視界を前へと集中させて弾丸の嵐へと突っ込んでいく。
「じ、――――冗談だろッ!?」
何とヘルメスは何発もの弾丸の軌道を全て見切り、セラを抱えているにも関わらず、弾丸の嵐を回避しながら前へと突き進んでいた。
「……」
自分だけでなく、セラに危険が及ぶこの状況。
ヘルメスには一切の失敗が許されない。
だからこそ、その集中力と動きは卓越したものとなっていた。
「あ、当たんねぇよッ!! な、何だよこれッ!! ちくしょうッ!!!」
「う、うっせぇッ!! とにかく撃つんだよッ!! 下手な鉄砲数撃ちゃ当たるッ!!! つべこべ言ってねぇで手ぇ止めず撃ち続けろッ!!!!!」
異常な反射神経と、目にも留まらぬ動きを見せるヘルメス。
徐々に男達とヘルメスの距離は縮まっていき、男達の表情に恐怖と焦りが浮かぶ。
精度はかなり落ちていき、標準まで間に合わなくなってきていた。
それに気づいたヘルメスはようやく余裕が生まれ口を開く。
「この程度ならば……っ、日々の鍛錬のおかげで造作もない……っ」
弾丸を避けつつ、ようやく男達に手の届く距離になると、ヘルメスは地面を力強く蹴って正面へと飛び出す。
「師匠との修行はこんなものではないぞッ!!」
ついに男達の懐に入り込むヘルメス。
「し、師匠ッ!?」
「って、おいおいおぃッ!?」
そのままヘルメスは片手で一人の男の頭を掴み、地面に顔面を打ち付けて埋めてしまう。
「何じゃそりゃぁああああッ!?」
そのあり得ない光景を目の当たりにし、男達は両手で頭を抱え、悪夢に囚われたかのように絶句してしまう。
だがそれでもお構いなしに、ヘルメスは容赦なく片手で男達を撃沈させていく。
「せぇえええええいッ」
銃を持っていた男達は、次々と人体のあらゆる箇所をヘルメスの拳によって陥没させられ、おぞましい悲鳴をあげながら無残に地面へと倒れこんでいった。
セラを抱え、片手一本で男達をひれ伏したヘルメスの姿に、壁となって周囲を囲っていた男達も流石に口を大きく開けて沈黙してしまう。
「セラ。もう目は開けていいぞ?」
ようやくセラが目を開くと、地面には何人もの男達が白目を剥いて倒れこんでいた。
何人かはあり得ない向きに腕や足が曲がっており、セラの表情を引きつらせていく。
「は、はは……さ、流石ですね……と言うか、すごっ……」
セラを片手で抱えているだけでも驚かされるが、その異様な戦闘能力の高さにセラだけでなく周囲の男達まで唖然とさせられた。
「さて……」
ヘルメスはそっとセラを立たると、静かに両腕を組み、力強く地面を踏みつけて男達を威嚇する。
一瞬、ヘルメスを中心に風が吹いたかと思えば男達全員が後ずさりしていく。
その様子をセラが唖然として見つめていると、ヘルメスの澄み渡った声が辺りに響く。
「これで貴様達が何人いようと自分を捕らえる事は無理だとわかったろ。二度目だ――――怪我をしたくなければそこをどけ」
静かな圧力を向けられ、男達は歯を食いしばり怯む姿を見せるが。
「……っ、じ、冗談じゃねぇ……っ」
これ程までに力の差を見せつけられて尚、予想外の反応を見せていく。
「て、てめぇらをこの先に行かせるわけにはいかねぇ……っ」
「そ、そうさ……へへ、”あの人”を敵に回すよりよっぽどマシだ……っ」
「それに……テメェがいくらバケモンだろうが、こっちにはまだまだ人数が居るんだ……ッ」
男達は再び身構え、ヘルメス達と徐々に距離を詰めていく。
「ヘルメスさん……」
「……まさかまだ本当に数で押し切れると思っているのか? それとも、何か策でもあるのか……」
セラの震える手をしっかりと握り、ヘルメスはゆっくりと眼鏡を外す。
「安心しろセラ。少々面倒ではあるが自分ならば問題無い。それよりも、自分から離――――ッ!?」
その時だった。
眼鏡を外した事により、ヘルメスはようやく解読眼でその異変に気づいたのだった。
「何だこれは……っ!?」
目を大きく見開き、周囲を慌しく見渡すヘルメス。
とても緊迫したヘルメスの姿がセラの不安をとてつもなく煽りだす。
「ど、どうしたんですッ? まさか……何か見つけたんですかッ!?」
慌ててセラも周囲を見渡すが、男達以外の危険因子は何一つ見当たらない。
すると。
何故か唐突にセラは意識が遠のくような感覚に陥り、身体をよろつかせてしまう。
「セラッ!? クッ、これは……ッ!? ……ッ、セラッ!! 空気を吸うなッ!!!」
ヘルメスはよろめくセラの身体を急いで抱え込み、セラの口と鼻を手で塞ぐ。
「……ヘ……ル……メス……さ、……ん……?」
「……っ、ぅっ、これは……」
この一辺を埋め尽くす量の、目には見えない微粒子が漂っていた。
各所で次々と地面に何かが倒れる音が聞こえてくる。
徐々にヘルメスも意識が遠くなり、懸命に耐えようとするが膝をついてしまう。
ヘルメスが周囲を見渡すと。
「……こ、れ、……は……」
自分達だけでなく、男達全員も微粒子を吸い、意識を失って倒れこんでいた。
「……っ……?」
背後から誰かが近づいてくる。
ヘルメスは何とかその人物を確認しようとするが、もう意識が限界のようで男達と同じように地面に倒れこんでしまう。
「……っ、……だ、れ……」
もう首を動かす事すらできないヘルメスの背後から、その人物は告げる。
「今はゆっくりとおやすみ――――ヘルメス=エーテル」
聞き慣れない男の声が響く中、ヘルメスは意識を失い、悪夢へと堕ちる。
その様子を確認し、男は満足気に口元を歪めていた。




