11話:垣間見る真理
ヘルメスが最後に錬金術を成功させたのはいつだっただろうか。
師匠の元で日々、錬金術の修行に勤しんでいたヘルメス。
だが、リディアはヘルメスが誰でも使える簡易式以外の錬金術を成功させた所を見た事がなかった。
「式崩しを構築するって……本気なのっ!? てか、あんた師匠から式崩しを貰ってたんじゃないの!?」
長い付き合いのリディアはヘルメスが錬金術を殆ど扱えない事を知っている。
だからこそ、式崩しを構築するという発言に驚きを隠せなかった。
そして何故、そういう事態に陥っているのか状況が飲み込めていなかった。
「あー……すまない。……師匠から授かった式崩しは……つい、さっき外してしまったんだ」
自分もまだまだ修行不足だな、と嘲笑するヘルメスにリディアは開いた口が塞がらない。
すると、ジンが冷静な表情でオプリヌスに視線を向けたまま。
左手をリディアの頭にポンと置き。
「つーわけだ。この女が式崩しを構築してる間、チビは適当に錬金術を使ってオプリヌスと原点回帰の動きを止めとけ」
どこか真剣なトーンでリディアにそう指示するジン。
わけがわからないまま、リディアはそのジンの手をとりあえず払い、チビという発言に怒りの言葉をぶつけようとするが。
ようやく異変に気づいた。
「あんた……手、どうしたのよ……!?」
よく見ると、ジンの右手は無くなっていた。
それに、ギルモンキーに襲われた時のように再生していく様子も見られない。
リディアは思わずヘルメスの方に顔を向け、どういう事なのか聞こうとするが。
ヘルメスは、顔を俯けて申し訳なさそうに魔銃を握っている腕をもう片方の手で辛そうに掴んでいた。
「一体……私が居ない間になにがあったのよ」
状況を整理する為に、リディアは思考する。
先程からヘルメスはオプリヌスに向けて銃弾を撃っていたようだが、何故かオプリヌスには傷一つ無い。
ジンは、オプリヌスを錬金術で攻撃して原点回帰を止めろと言ってきた。
リディアの整理がまだ追いついていないにも関わらず、オプリヌスが再び動き始める。
「式崩しを構築するだと……? あの、エーテルが……? クク……クハハハ!! これは傑作だぁ……はぁ……――――気でも狂ったか」
解読眼を持たない者には視覚的認識が不可能の原点回帰。
幻想的な、青白い複雑な式を剥き出しにするウロボロスのような形に構築されている。
人を簡単に丸呑みできる程の大きさは、まさに大蛇。
「――――もう貴様らの戯言は聞き飽きた」
オプリヌスは手で風を切るようにして。
「私の原点回帰で消え失せろッ!!!」
原点回帰がその身体をうねらせて三人の存在を消滅させようと向かいだす。
「原点回帰が来るぞリディア!! 頼む!! 自分が式崩しを構築する糸口を掴むまでオプリヌスを攻撃して時間を稼いでくれ!!!」
式崩しは、賢者の石から生み出される原点の式で構築できると確信するヘルメスだったが、未だその構築方法はわからない。
焦る気持ちに拍車をかけ、原点回帰の神々しい姿に圧倒されてしまい、声を荒げてしまう。
「な、何でもいいから早く錬金術でオプリヌスに向けて攻撃しろチビ!!」
原点回帰が近づいてくる事を聞かされたジンは、リディアが着ているコートの襟足を急いで掴み、無理矢理に伏せさせる。
「ちょ、ら、乱暴にしなでよ!!」
ジンとヘルメスの慌てように、リディアは危機を感じ。
「もうッ、せっかく災獣から逃げてきたのに……次は原点回帰ですってェッ!? 何なのよもうッ!!!」
リディアは訳のわからないまま泣きそうになりながら両手を素早く床に押し当て。
この床を構築する式に介入して、その地形を攻撃的な造形へと変えてオプリヌスへぶつけようとするが。
「クフ、そんな戯言に与える時間など無いッ!!!」
リディアよりも早く。
オプリヌスは透明の試験瓶を一本取り出し、自分の足元へ投げつけ。
そして、瞬時に両手をその場に這わせて青白い光を瞬く間に発生させていく。
「ちょ、早っ!?」
「おいおい、あいつ何するつもりだッ!?」
「何かしらの簡易式だ!! ……クソッ」
ヘルメスには原点回帰が大きく口を開いてもうすぐ自分達を飲み込もうとそこまで来ているのが視えている。
二人に指示を与える余裕もなく、ヘルメスは二人を両脇に抱えてすぐさまその場を飛び離れるしかなかった。
「うおッ」
「へ?」
ジンとリディアはヘルメスに身体を持ち上げられ、両脇に抱えられた状態で相変わらずの筋力に驚くが。
咄嗟のヘルメスによる判断で、何とか存在を消されずに済む。
先程まで三人が居た場所は、大きな空間ができている。
その光景に、リディアは唾を呑み顔を青ざめてしまう。
「ふぅ、……二人とも無事だな?」
すぐさま二人を放し、その無事を確認するヘルメス。
「な、何なのよアレ!! 壊したとかそんな穴じゃないわよッ!? まるで消滅したみたいに消えて無くなってるわ……」
実際に目の当たりにしたその現象は明らかに異常でしかない。
「あれが原点回帰だ……。まだ不完全なようだが……どうやら原点回帰に触れた存在は消えて無くなるようだ。それに解読眼を持たない限り目視できないうえ、気配も感じさせない。……って、おい、ジン?」
ジンはいつにもまして真剣な表情でオプリヌスの方を見つめていた。
すぐにヘルメスとリディアもその方向に視線を向けると。
「これは……」
「あいつがさっき使った簡易式って……」
部屋の天井にギリギリ届く程の巨体。
全身真っ黒の無骨な身体。
人間の形に似たそれは――――
「オプリヌスの野郎……やってくれるぜ、――――ここにきて”人形”かよ」
重くそびえ立つその背後から、オプリヌスの不気味な笑い声がこの部屋に響き渡る。
「ククク、さぁ!! 私の原点回帰と人形を相手にせいぜい無駄な足掻きをしてみてくださいよぉッ!! クハハハハハ」
原点回帰だけでも厄介だというのに、ここにきて強力な力を持つ人形の登場である。
「リディア……どうする」
「どうするって……はぁ、最悪だわ。……あんただって知ってるでしょ? ……人形は構築者の実力に応じていくらでも強いものが生まれる……。それがオプリヌス程の錬金術師が構築した人形ともなると……ヘルメス、あんたの馬鹿力でもあの巨体を破壊するなんて無理よ」
流石のヘルメスといえど、人形を素手で破壊する事はできないと言う。
ましてやただの銃など効くわけもなかった。
「……しゃぁねぇ。俺が原点回帰を引きつけとく。その間にアンタらは人形を頼むぞ」
「ま、待て!! 解読眼もなく原点回帰を一人で相手にするなんて……何か対策はあるのか!?」
気配すら感じる事ができず、視覚的認識もできない原点回帰を避ける事はほぼ不可能かと思われた。
だが、ジンには考えがあった。
「任せとけ、詳しい話は後だ……あのデカブツが動き出すぞ!! あんたは俺よりチビの援護と式崩しの構築方法を考える事に集中しとけッ!! ただ……ホントなるべく早く対処しろよ!?」
「お、おいジン!!」
ジンは手を伸ばすヘルメスにそう言い残し、オプリヌスへと駆け出していってしまう。
そして、人形がその巨体を重々しく動かし始めて三人へと近づきだす。
「ヘ、ヘルメスッ!! あの空腹馬鹿ならきっと大丈夫よ!! それより、早くあの人形の核がどこにあるのか私に教えて頂戴ッ!!」
「あ、あぁ、わかった!」
ヘルメスはジンを心配しつつも、リディアに促されるまま解読眼で人形の全体を注意深く観察して核のある場所を探し始める。
全身が鉱物で構築されるその身体の中心部、大きな巨体に似つかわしくない小さな顔。
「よし、見つけた……!!」
顔の中心部分。
そこに。
人形として存在を保つ核として機能する結晶を発見する事に成功した。
「あの顔、その真ん中辺りにあるぞ!!」
「オーケー……」
リディアも覚悟を決める。
「エーデルソンの娘として……オプリヌスが構築した人形なんて絶対破壊してやる……ッ!! ヘルメスッ!! 協力して頂戴ッ!! まずあいつの頭まで私を連れてってッ!!」
普段のリディアからは想像できないその凛々しさに、ヘルメスは思わず奮い立てられる。
いつの間にか、その小さな背中はとても大きく見えていた。
「……フフ、舌を噛むなよ」
ヘルメスはリディアをお姫様抱っこし、人形の頭部を目指して走り出す。
「やれやれ……どいつもこいつも……何故だ、何故、私の邪魔をする、何故……理解してくれないんだ……ッ!!」
式崩しを失い、原点回帰を破壊する術などもう無いはず。
だが、まだあの三人は諦めていない。
強力な人形まで構築した。
だが、それでも三人は諦めない。
「理解に苦しむ……ッ」
単身で突っ込んでくるジンに、オプリヌスは原点回帰を忍び寄らせる。
何故かヘルメスから離れたジンに、嬉々とするオプリヌス。
だがすぐにその叫びが聞こえ、眉間にシワを寄せて不機嫌な表情を浮かべてしまう。
「テメェが他人を理解しねぇクセに、他人に理解求めてんじゃねぇよ糞野郎ッ!!!」
人形の巨体を潜り抜け、オプリヌスに迫るジン。
だが、その真正面から原点回帰が身体を大きくうねらせてくる。
「ククク……それもそうだ。だが――――もうその必要もない」
原点回帰は激しく身体をしならせながら、ジンの存在を消滅させようとしていた。
暴れ狂う大蛇のように、いたる箇所の壁や柱にその身体をお構いなくぶつけていき、この広い部屋を崩壊させる勢いで向かってくる。
しかし、解読眼を持たないジンには当然その動きを認識できていない。
オプリヌスの目的通り、賢者の石を残してジンの身体は消滅させられようとしていた。
そして。
遂に原点回帰はジンを捕えようとする。
「ジ――――」
リディアを抱えたまま、今まさに人形に飛び乗ろうとしたヘルメスが、それに気づきジンの名を叫ぼうとしたが。
「今度こそチェックメイトだ黒匣ッッッ!!!!!」
ヘルメスの指示はもう間に合わない。
原点回帰の牙がジンの顔面に触れようとしていた。
その間際。
「おらぁッ!!」
ジンは。
まるで原点回帰が見えていたかのように、身体を横に反らして紙一重で回避したのだ。
勢い余った原点回帰はそのまま床へと激突し、その箇所を綺麗に消滅させてしまう。
それを見て、ジンは汗を垂らしながら口元を歪ませてニヤリとして再び走り出す。
「なん、だと……」
驚きを隠せず身体を震わせて動揺を見せるオプリヌス。
ジンには原点回帰は見えていない、気配すら察知できていないはず。
唯一、原点回帰が見えているヘルメスの指示もジンには届いていなかった。
「何故……だ? 何故避けられたんだッ!!!」
オプリヌスの動揺と裏腹に、ジンの無事を確認したヘルメスはホッとしていた。
だが、いつまでも安心してはいられない。
ジンが原点回帰を引き寄せている間に、人形の頭部にリディアを連れていかなくれはならないからだ。
「ヘ、ヘルメス? まさか、あいつ原点回帰を避けたの……?」
「どうやらそのよう、っと!」
人形がその巨体を大きく揺らし、拳を打ちつけるようにして床を抉っていく。
その威力は凄まじく、頑丈さに自信のあるヘルメスといえど喰らえば無事では済まないだろう。
だが、その動きはヘルメスを叩き潰すには遅すぎる。
ヘルメスはリディアを抱えたまま人形の攻撃を難なく避けていく。
「自分にも何故、ジンが原点回帰を避けられたのかわからないが……どうやら、ジンは問題なさそうだな。……よし、自分達も負けてられないぞ。飛ぶぞリディア、しっかり自分を抱きしておいてくれ!!」
早くこの人形を破壊しなければ、集中して式崩しの構築方法が考えられない。
「え? う、うんッ!!」
この様な状況だというのに、リディアの顔は緩みきっていた。
しっかりとヘルメスの身体にしがみつき、肌の感触や体温を感じ取り、幸せそうにしている。
ヘルメスはリディアを抱えた状態で、人形の豪腕から放たれる攻撃を次々と避け、遂に力一杯飛んだ。
それを察知したジンも、猛ダッシュでオプリヌスとの距離を縮めていく。
「何で、避けられるかってぇッ? さぁなッ!! 教えて欲しけりゃフェイクの居場所か黒い歯車の解き方を教えやがれッ!!!」
その距離が無くなってくると、表情を歪ませながらオプリヌスは後ずさりしてしまう。
「先生の居場所ですって……? 私が知りたいぐらいだッ!! どうせさっきのは偶然に決まってる……」
再び原点回帰が、オプリヌスを守るべく背後からジンを消滅させようと突っ込んでくる。
まずはその胴体を喰いちぎろうとするが。
「あん!? 何が偶然だってッ!?」
「な、」
オプリヌスは愕然としてしまう。
ジンが、瞬時に横に飛んで再びウロボロスを的確に避けたのだ。
これで、二度目の事。
流石に偶然ではない、ジンは何らかの方法で視覚や気配で捕える事のできない原点回帰を避ける術を見つけている。
「どういう……どういう事だ、あ、有り得んッ!!」
困惑するオプリヌスに対して、怪しい笑みを浮かべるジン。
こうして、オプリヌスと原点回帰を宣言通りヘルメスとリディアから引き離しておく事に成功している。
「まさかとは思うが……もしやジンは――――フフ、まったく凄い奴だな」
無事、人形の肩に飛び乗る事に成功したヘルメスとリディア。
未だ抱えられたままのリディアが質問する。
「どういう事? って、ちょ、く、来るわよッ!!」
肩に乗るヘルメスとリディアに大きな掌が二人を握り締めようと迫ってくる。
だが、そのスピードは先程から徐々に早くなっていた。
それはようやくエンジンが掛かってきたように。
「くッ……仕方ないッ!!」
「え、ちょッ!?」
ヘルメスは、迫りくる掌を避けられないと判断するや。
リディアをすぐさま降ろし、自らその大きな掌を両手で押し返すように食い止めた。
「ふぐッ!! き、キツイな。さ、流石は……オプリヌスの、人、形、だ、なッ……ッ!!」
「へ、ヘルメスッ!?」
ここで振り落とされるわけにはいかなかった。
ヘルメスの考えが正しければ、恐らくジンは今までの原点回帰の動きを予測して避け続けている。
その常人から逸脱した戦闘能力には驚かされるが。
それも、ずっとは続けられないであろう。
ジンが限界を迎えるよりも先にこの人形をリディアに破壊させなければならない。
「じ、ぶん、が……ッ、邪魔させ、ん……早く、核、を……ッ!!」
人形の凄まじい力に、どんどんヘルメスの身体が後ろへと押されていく。
いつまでも持ちそうになかった。
「わ、わかったわッ!! すぐ終わらせるからもう少し……頑張ってッ!!」
急いで頭部へと走るリディア。
だが、その瞬間。
人形は身体を大きく揺らして核の破壊を阻止しようとしてくる。
「うわっ、」
揺れる人形の上で、リディアは足元が安定せず今にも落ちそうになるのを必死に耐えようとする。
それ以上にヘルメスも耐えている。
「あいつが頑張ってくれてんのに……私がだらしない姿、見せられないじゃない……ッ!!」
どれだけバランスを崩そうが、リディアの為に身体を張って人形の掌を押し返そうと奮闘するヘルメス。
「自分の事は……気に、するな、それよ、……り、は、や、……」
「う……く、」
リディアもその姿に負けじと、揺れる足場を必死に這うようにして進んでいく。
自分を信じてくれる親友に何とか応えなければと必死だった。
そして、何とか頭部にまで辿りつく事に成功する。
「よ、よしッ!! 待ってなさい、これでようやく――――」
リディアが人形の頭部に両手を押し当て、錬金術を駆使して核を破壊しようとした瞬間だった。
「……ッ!! り、ッ、リディ、アッ!!!」
もう片方の大きな掌が、リディアを掴むべく覆いかぶさろうと迫ってきていた。
その影に、リディアの小さな身体は完全に捕えられてしまう。
「そ、そんな……」
ようやく頭部にまで辿り着けたというのに、このままではリディアは簡単に握りつぶされてしまい、原点回帰どころか人形すら破壊する事が不可能になってしまう。
「させるかぁああああッ!!!!」
「ヘルメスッ!?」
なんと、ヘルメスは火事場の馬鹿力を発揮し。
人形の掌を僅かに押し返し、リディアの元に急いで駆けつけた。
「うッ!! は、はぁ、」
そして、リディアを握りつぶそうとしてきた掌を両手で必死に押し上げて膝をつくヘルメス。
「じ、ぶん、が、居るッ、大、丈夫だから……はや、く……ッ」
その重さに耐え切れず、嫌な音がヘルメスの腕から聞こえてくる。
もたもたしていると、先程までヘルメスが押さえ込んでいた掌が再び襲ってきて今度こそ終わりだ。
ヘルメスの姿に、必死に自分を守ろうとする親友の姿に。
情けなく涙を流して再び両手を頭部に押し当てるリディア。
「……ッ!! 私の親友傷つけてんじゃないよわ糞人形がぁあああああああああああああッ!!!!!!!」
すると、青白い光がリディアの怒りを現すように凄まじい勢いで発生していく。
人形の頭部は次々と粉々になっていき、その中から鉛色をした宝石のような結晶が姿を現す。
「ッ、も、も、う……ッ」
ヘルメスの身体が限界を迎えようとしている。
「これで……」
掌が徐々にヘルメスの身体を押し付け、沈めていく。
「終わりだぁあああああああああああああ」
更に青白い光は強烈に、おびただしい輝きを溢れさせていく。
「あの光は……クソッ!! ……エーデルソンか……ッ!!!」
「へッ!! やりゃぁ出来んじゃねぇかあのチビ……」
核となる結晶に、小さなヒビが入り。
それを皮切りに結晶は崩れて、綺麗な破片となって散っていく。
これで、人形もその原型を留めておく事ができなくなり、崩壊していく。
足手まとい、そうジンに告げられたリディアだったが。
もうそんな事は言わせない。
自分も、役に立てる。
リディアは満面の笑みでヘルメスに振り返り。
「どうよッ!! 私ぐらいになればこの程度余裕なん、だ、か、ら……?」
リディアの笑顔は、この人形と同じく――――すぐに崩れ落ちていく。
「ヘルメスッ!!!!」
最後の最後で。
核が破壊されると同時に。
ヘルメスは、土人形の掌に耐えかねてそのまま握り締められて床へと叩きつけられてしまっていた。
意識を失い、無残に床で横たわるヘルメスの姿が、人形の頭上に居るリディアの目に飛び込んでくる。
それにリディアが気づくとようやく崩壊を始める人形。
「う、そ、でしょ……?」
瓦礫となっていく人形。
それによって足場を失い床に身体を酷く打ちつけられるリディア。
「ぐはッ!!」
だが今はそんな痛みなど、どうでも良かった。
何とか痛みを誤魔化して身体を引きずらせてヘルメスの元に急ぐ。
「……ッ、嘘、でしょ? ね、ねぇ、ヘルメスッ!?」
青ざめながら何度もヘルメスの身体を激しく揺らすリディアだが。
ヘルメスの反応はまったく無い。
「……原点回帰を避けた君にも驚かされましたが。まさか……あのエーデルソンに私の人形がこうも簡単に破壊されてしまうとはね。だが、クックックックッ、どうやら邪魔なエーテルを排除する事はできたみたいですね」
「……ッ、オプリヌス……てめぇ……ッ」
リディアの悲痛の叫びに、口元に手を当てて歪んだ笑みを見せるオプリヌス。
その姿に。
ジンは目を血走らせ、左手から原点の式の塊を溢れさせて激怒する。
しかし、ヘルメスは死んだわけではなかった。
意識を失い――――視ていたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――僕は自由だ。
いつもの様に、この大海原をどこまでも泳いでいた。
とても輝かしいこの大海原で、自分よりも大きな存在に喰われないように、懸命に生きてきた。
しかし……ついに僕は人間の手によって捕獲された。
他の魚とは違う生物、人間に――――
――――大空を飛ぶ事にも大分鳴れてきた。
最初は恐かったものの、今では私も親と一緒に翼を羽ばたかせてこうして飛べるようになった。
何て……何て美しい世界なんだろうか。
どこまでも続くこの空を、いつまでも飛んでいたかった。
だが、この世は弱肉強食の世界……私の生涯は私よりも大きな翼を持つ他の強者によって命を刈られてしまった――――
――――俺は解読眼を持ちながら錬金術の才能が無かった。
しかし、俺は遂に錬金術に対抗する術を編み出した。
気づいた……いや、知ったという方が正しいか。
俺には式から答えは導き出せない。
だから……答えから式を導き出し、式崩しというものを構築した。
そして、大切な親友に見取られこの世を去った――――
――――人間という存在は実に好都合な生物だ。
愛くるしく振舞ってやれば、勝手に我輩の世話をしてくれる。
我輩は我輩の愛らしさを知っている。
だからこそ、この外見を最大限に利用していた。
喉を撫でられれば気持ちが良いし、それに対して鳴いてみせれば人間達も満足する。
猫に生まれた事を感謝した、おかげで我輩は何不自由せず幸せに生涯を終わらす事ができた――――
――――はッ!? い、今の映像らは何だ?
……う、頭が痛い。
ここは……どこだ?
まるで海の中に居るみたいな感覚だが……ふむ、息はできるみたいだな……。
それにしても……何だこの大量に流れている映像は。
……それと、これらは……式、なのか……?
普段から自分に視えている式とは違うようだが……。
……ここに居ると頭がおかしくなりそうだ……どこか違う場所に……って、身体は動かんのか……。
というか、自分は誰だ? 何故こんな場所に居るんだ?
……わからん。
何もわからん……。
大体、式とは何だ?
何故、自分にこんなものが視えているんだ?
……誰も居ない、か。
寂しいな。
む、あの映像は見覚えがあるぞ。
フフ、あれは……自分が初めて錬金術で構築した家族の人形だな。
我ながら不出来な人形だな、まったく……。
ん? 錬金術? ……何だそれは。
それに……家族?
意味がわからんぞ……自分が何者なのかもわからんというのに……。
はぁ……溜息しか出ん。
何か、自分を思い出せる映像は無いのか? ……いやいや、だから式とは何だ――――お、あの映像に見覚えがあるぞ……。
――――待て。
自分は一体何を……、どうも先程から他者の記憶と混同している気がする。
本当に何なんだ、これは……。
どんどん他者の記憶と情報が自分に流れ込んでくる感覚だ……。
どうすればここから抜け出せる……?
ここは、まるで情報の海だな……。
自分の知っている事や、知らない事で埋め尽くされている。
その全てが乱暴に自分の脳裏に叩きつけられる、そんな気分だ……。
……これだけ情報が流れているのに自分の名前すら思いだせんとは。
自分は後どれだけここに居れば良いんだ? というか何時から居たんだ?
フフ、……自分は何も知らないんだな。
ここは、そんな自分への当てつけの場所か?
知らない映像や情報が次々に流れていってはまた溢れてくるな……。
これだけの情報量だ、これを使えば何でも出来そうな……そんな気がしてくる。
しかし……何か引っかかる。
自分は確か……何かをしなければならなかったのではないか?
「ヘルメスッ!! ぐすんッ。 ぜ、絶対あんたを死なせないわよッ!!!」
む、声がしたぞ!?
誰だ?
うおっ、い、いきなり身体が浮上しだした。
しかし……見かたを変えればまた違った世界が見える、か。
この世界は、ありとあらゆるものが式で構築されている。
そう思っていたが、どうやら……違うようだな。
先程から流れていく映像の中には、この場所に流れる式に似た何かを扱う誰かも居た。
世界は、式以外でも構築されていたんだな……知らなかったよ。
式から答えを導かなくても、新たな存在は構築できる。
ありがとう。
君のおかげで、自分は気づく事ができたよ――――”エドガー”。
やはり君は僕にとって……世界式を壊してでも取り戻したい大切な親友だ。
必ず君に――――って、……また誰かの記憶と混同してしまったようだな。
そろそろ浮上しそうだな。
何となく感覚でわかるんだ。
この情報の海で得た知識のおかげか……。
だが、浮かび上がっていくうちにせっかく手に入れた情報も失われていく……そんな感じがする。
「私を置いて……死ぬなんて……絶対許さないんだからッ!!!!!」
フフ、リディアはよく泣くなぁ。
ま……自分も人の事は言えないか。
ん?
そ、そうだッ!?
自分は――――ヘルメス=エーテルだ。
何故、そんな事すら忘れて……いや、自分は確か……力尽きて人形に叩きつけられたはずだが……。
ここは……ど、こ、だ――――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ぷはッ」
「あ、あ、」
意識を失ったまま目を覚まさなかったヘルメス。
リディアは、そんなヘルメスに対して蘇生処置を必死に施していた。
その甲斐があって、ヘルメスは何とか意識を覚ます事ができた。
「あ、れは……一体……それに、これは……」
ヘルメスは一瞬。
奇妙な体験をしていた。
その殆どの記憶を失っているが、自分自身の中で何かが変化している事に気づき、上半身を起こして思わず自分の掌をジッと見つめる。
「じ、じんぱい、かけんなぁ、ばがぁあああああ」
すると、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたリディアが目を覚ましたヘルメスを強く抱きしめる。
「リディア……すまないな、心配をかけた。そうか……やはり、自分を引き上げてくれたのはリディアだったか。フフ……っ、頭が痛い……」
その様子に気づき。
原点回帰を避けながら、何とかリディアとヘルメスに近づけまいと奮闘していたジンも胸を撫で下ろす。
「良かった……。心配させやがって……ッ」
ヘルメスの復活、それに対して面白くなさそうにオプリヌスは呟く。
「このままでは埒が明きませんね……仕方ない、あの二人から先に消してしまいましょう」
「あぁんッ!?」
オプリヌスには何故、ジンが原点回帰を避けられるのかわからなかった。
だから。
右腕を失った時と先程の様子から、ジンにとってヘルメスが特別な存在だと考えたオプリヌスは――――原点回帰でヘルメスを消そうとした。
「ククク……さぁ、黒匣。早く助けに行かなくて良いんですか? 大切なエーテルさんがこのままでは消えてしまうかもしれませんよぉ?」
ヘルメスを守ろうとするジンを、消そうとしていたのだ。
その言葉が本当なのか、原点回帰が見えないジンにはわからず焦りの表情を浮かべるが。
「……クッ」
気づいた時には、ジンの身体はヘルメスの元へと勝手に走り出していた。
「……リディア、すまないがもう少し頑張ってくれないか? 今度はジンの代わりにオプリヌスと原点回帰の足止めをしておいてくれ。今なら式崩しが……構築できるかもしれないんだ」
リディアに強く抱きしめられながら。
ヘルメスは激しい頭痛に見舞われており、額を押さえて苦痛の表情を見せてそう告げる。
「だ、大丈夫? やっぱり打ち所が悪かったんじゃ……」
式崩しが構築できるかもしれないと言うヘルメスに、リディアは困惑した表情で抱きしめたまま顔をあげる。
「大丈夫だ。しかし、」
ヘルメスが奇妙な体験で得た膨大な情報量。
「っ、早くしないと……忘れてしまいそうだっ」
とても自信に満ち溢れたヘルメスの言い方に、リディアは不信感を抱きながらも信じてみる事に。
「わかったわ……。あんたがそこまで言うなら、ちゃんとやってみなさいよねっ!」
ヘルメスからリディアは名残惜しそうに離れていき。
「こんな自分をいつも信じてくれて……ありがとう」
ヘルメスは心の底から感謝する。
そして、自分を信じてくれる親友に応える為にも立ち上がろうとするが。
「おいッ、目ぇ覚ましたなら教えろッ!! 原点回帰は今どうなってるッ!!」
二人の元に、ジンが必死の形相で叫びながら走ってきていた。
そして、ヘルメスの目には。
「ま、真っ直ぐ来てるぞッ!!」
急いで立ち上がって自分達も原点回帰を避けようとするヘルメスだったが。
「……っ」
「ちょ、あんたまさか……ッ!?」
人形に力一杯床に叩きつけられた事もあり、身体が言う事を聞かず立ち上がれないでいた。
何とか必死にヘルメスを立ち上がらせようとするリディアだが。
リディアの筋力では動けないヘルメスを抱えて原点回帰を回避する事は難しい。
「チィッ!!」
ジンは、ヘルメスが動けない事を察すると。
「は、はやっ!! つか、顔こわっ!!」
「ジンッ!!」
己の全力をぶつけるように原点回帰よりも先に二人の元に辿りついてみせる。
そして、息を荒げながらそのまま。
「らぁあああああッ」
二人を乱暴に抱え、すぐにその場を飛び出して原点回帰から二人を救い出しす事に成功した。
「あ。ありがと! 後は私に任せてヘルメスを頼んだわよ!」
そして、リディアは慌ててジンの手を押しのけて床にに両手を這わせて錬金術の準備をする。
いつの間にか頼もしくなっていたリディアに、ジンは目を丸くして息を荒げながらオプリヌスと原点回帰を任せる事にした。
「はぁ、はぁ、おい、アンタ……、式崩しの構築方法、わかったん、か?」
ジンは左手を膝に当てて肩で息をするようにして、床に座らしたヘルメスに視線を向ける。
「は、早く原点の式を出してくれ!」
「……あぁん? へっ、何だよ。どうした、一体何があったんだ?」
ジンは、大量に汗を流し。
息を荒げながら、とても嬉しそうに微笑んだ。
ヘルメスの表情から、絶対の自信を感じ取ったのだ。
「まるで、別人みてぇだな」
何かを掴んだらしく、慌てるヘルメスだが。
その表情は自信に満ち溢れた凛々しいものだった。
「すまないが早くしないと忘れそうなんだ!!」
「へいへい」
ジンは、言われるがままに残された片腕から青白い原点の式の塊を発生させていく。
人形がもう居ないこの状態ならば、リディアがオプリヌスに攻撃を続ける事ができれば式崩しを構築する時間が作れる。
後はオプリヌスが原点回帰以外に三人を消す手段が無い事を祈るばかりだ。
「無駄な足掻きを……いい加減、諦めて消されろォッ!!!」
簡易式や錬金術を使う素振りは見られない。
どうやらオプリヌスにはもう他に手段は無いらしく安堵する三人。
「な、なるべく早くしてよ!? そろそろ私も限界なんだから……ねッ!!!」
リディアの錬金術による攻撃が始まる。
「頼むぜ……そろそろ本当にやべぇ。……アンタが頼りなんだぞ」
「あぁ。……大丈夫だ。今なら何でも出来そうな、そんな気がする」
ヘルメスは静かに瞳を閉じて集中し。
ジンの原点の式に両手を当てていく。
そして、この戦いに終止符を打つ。




