9話:希望の喪失
オプリヌス=ハーティス。
彼は”ハルターバ”と呼ばれる国に生まれ、物心ついた時から、奴隷として過ごしてきた。
だが、オプリヌスは感謝していた。
そのおかげで、最愛の彼女と出会う事ができからだ。
彼女の名はシャーリー=グラシア。
奴隷だったオプリヌスの主人の一人娘にして、オプリヌスが生涯愛し続けると誓った、オプリヌスの全てだった。
しかし、運命とは残酷なものだ。
悲劇は唐突に訪れる。
平凡な事故。
それだけで、光は簡単に奪われてしまう。
唯一の光を失い、失意に呑まれていたオプリヌスの前に現われた者――――狂った錬金術師フェイク。
彼もオプリヌスと同じく、いやそれ以上の狂気を抱えていた。
そんな彼の下で、オプリヌスは光を取り戻す原点回帰の構築に全てを注いでいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「自分達はまったくソリが合わなかったな……。それでも、……いつか互いに理解し合える時が来ると自分は信じていたんだがな……」
狭い通路を駆け抜け、ヘルメスは広い通路へと出てきていた。
災獣や悪魔の鎧を操り、原点回帰を目論むオプリヌス。
世界式に直接干渉する事で全てを元に戻す禁忌の式。
オプリヌスが原点回帰を構築させ、何をしたいのかヘルメスにはわからなかった。
ただ、一つだけ言える事がある。
どんな目的や思想を抱こうが、その為に誰かを犠牲にするという行為は間違っている。
ヘルメスはオプリヌスが許せなかった。
漆黒の鎧によって他人の意思を奪い、自分の駒として利用し。
人間の命という犠牲を多大に生み出してきたオプリヌスは、ヘルメスにとって悪でしかなかった。
「……随分と、堕ちたものだな――――オプリヌスッ」
亡霊のように揺らめききながら、その先頭に立つ男がヘルメスに近づいてくる。
王従士に所属し、ヘルメスにとって初めての部下だった男。
狂気を纏う、オプリヌス=ハーティスが集団を引き連れてゆっくりとその姿を現した。
「クックック、クヒッ、賢者の石は、どこです?」
虚ろな目をしたオプリヌスは、ヘルメスと決して目を合わす事無く問いかける。
「フン……数年ぶりの再会だというのに挨拶も無しか? そんなに災獣や悪魔の鎧を引き連れて……それで自分を殺せるとでも思っているのかッ!!」
眼鏡を外しているヘルメスの鋭い視線に、オプリヌスは思わず額に手を当てて、天井を仰ぐようにして返答する。
「クッ、クッ、何を勘違いしてるのやら。……今さら私は貴女に何も用は無いんですよ。さぁ、黒匣はどうしたんです。ここに来ているんでしょう? エーデルソンさんが心配ではないんですかぁ、あ、はっはっはっはhっは\」
口元を歪ませ、狂った笑い声をあげるオプリヌス。
リディアが人質である限り、ヘルメスは抵抗できない。
だが、ヘルメスは。
両腕を組んで、凛とした表情で微笑んでいた。
「フフ、リディアなら無事だ」
ジンならば、きっとリディアを救出してくれる。
そう信じていたからこそ、その言葉を言い切る事ができた。
「あっはtは、っは、は……? 何だと……」
あのヘルメスが。
命よりも大切な親友を人質に取られているにも関わらず、微笑んでいる。
何かがおかしい。
「一体、どういう事だ、あのエーデルソンが私の悪魔の鎧から逃れる事など――――」
そういえば、黒匣はどこに居る。
賢者の石は一体どこに。
オプリヌスは、そこで気づく。
「なる、ほど……クッ、クックック、なるほどぉ、」
オプリヌスは両手で顔を隠し、肩を小刻みに振るわせていく。
その怪訝な姿に、ヘルメスは腕を組んだまま、凛とした表情に不安の雲が出始めてくる。
「何がおかしい……」
「プッ、クックック、いえ、ねぇ? 人間、こうも狂ってしまうと、ここまで冷静さを失ってしまうものなのかと……クフッフッフ」
まんまとオプリヌスは、ヘルメスに誘き出されたのだ。
「わざと貴女が派手に暴れ、貴女達がここに訪れた事を知れば……賢者の石を前に冷静さを失った私がエーデルソンさんから離れる……と。まさか、こんなくだらない罠に、この私が、アッハッハッハッハッハ、ハァ……」
いきなり壊れた笑い声をあげたと思えば、今度は急に静かになるオプリヌス。
その異常性に、ヘルメスの額から一筋の汗が流れてくる。
――――今なら、やれるか!
息を呑み、ヘルメスは魔銃を両手で握り締め、急いで銃口をオプリヌスに向けるが。
「それが、どうしたァッ!?」
両手で覆われた顔から、オプリヌスの怪しく光る鋭い視線がヘルメスの動きをそのまま止めてしまう。
銃口を向けたまま、オプリヌスの言葉の意味を考えてみるが。
「どういう事だ……? 貴様にとって人質であるリディアはジンが救ってくれる。もはや自分を止める術など無」
「クックック、本当に愉快な、いえ……不愉快な方だ。そもそも、どうやら貴女は勘違いしているみたいですねぇ」
急に冷静さを取り戻したように、オプリヌスは口元に指を当てて、肘を押さえて余裕の笑みを浮かべる。
「勘違い、だと。フ、……意味がわからんな。貴様がどれだけ災獣や悪魔の鎧を引き連れようが自分は殺せないぞっ!!」
だが、オプリヌスには絶対の自信があった。
それは、コートの内側に潜む”ソレ”がそうさせていた。
「貴女を殺せない、クク……それはどうでしょうねぇ。元からエーデルソンなど、黒匣をここまで辿り着かせる為の餌に過ぎない。あくまで私には――――これがあるッ!!!」
オプリヌスが素早くコートの内側に手を入れる。
だが、解読眼には一体何を取り出そうとしているのかは視えない。
「動くなッ!!」
ヘルメスは、人攫いの男が持っていた謎の試験瓶ではないかと思い。
慌てて魔銃のトリガーに力を込めて発砲するが。
「ッ!!」
一体の漆黒の鎧が素早くオプリヌスの前に現われ、銃弾を防いでしまう。
何かしらの簡易式を発動させようとするオプリヌスを止めようと、ヘルメスは飛び出すが。
「クク、」
オプリヌスの手には、漆黒の試験瓶が握られていて。
あまりにも咄嗟の出来事に間に合わず、その蓋が開けられてしまう。
そして。
ヘルメスは目に、遂にソレは姿を現した。
「な――――何だ、それは……っ、」
ソレは普通の目では認識できない存在だった。
だが、ヘルメスには。
解読眼にはその存在が、式が視えている。
オプリヌスの身体全体に巻きつくようにして、ソレは細長い舌を出してヘルメスを睨みつけるようにしていた。
「そうッ! 貴女の解読眼ならば……この神々しい姿を視る事ができるでしょう。これこそが私の全て――――原点回帰ッ!!!」
神秘的な青白い光を放つ複雑な式が交じり合い、一つの形を成している。
オプリヌスの身体に余裕を残して巻きつく程の長さと、人間の頭一つ分ぐらいの幅を持つ身体。
ソレは、錬金術師ならば誰もが知る神話の生物――――ウロボロスにそっくりだった。
あまりにも神々しいその姿に、ヘルメスは激しいプレッシャーに襲われ、上手く言葉が出てこなかった。
「、あ、そんな……まさか、本当に、完成、していたの、か……」
自然とヘルメスの身体が震えてくる。
魔銃を握る両手も、下がっていく。
あまりに、膨大な式で構築された原点回帰は凄まじい威圧感を与えてくる。
その圧倒的な存在感のせいで、ヘルメスは気づいていなかった。
「ククク……そこまで驚いて頂けると私も良かったですよ。……しかし、良いんですか? 囲まれてますよ」
「な、しまった!?」
気がつくと、ヘルメスの周囲は災獣と漆黒の鎧に囲まれてしまっていた。
「いくら冷静さを失っていると言っても、エーテルさんをまさかこの程度で殺せるとは私も思っていませんよ。……あくまでこれは足止め。やはり貴女を殺すのならばぜひ私の研究成果、原点回帰でなければねぇ、クックック」
オプリヌスに巻きついていた原点回帰が、剥き出しの式を呻らせながらスルリと身体から抜けていき。
ヘルメスの頭上へと浮いて移動していく。
「まるで、気持ちの悪い大蛇だな……ッ!」
精一杯の侮辱を込め、周囲に首を動かして何とかこの危機を脱しようと試みていると。
両腕を後ろに組んで満面の笑みを浮かべるオプリヌスが、優しい口調でヘルメスに言葉を投げかける。
「言い残す事は何かありますか? エーデルソンさんにはちゃんとお伝えして、すぐに貴女と同じくして差し上げますよ」
その言葉に。
ヘルメスは、静かに瞳を閉じ。
後悔を噛み締めるようにしてから力強く瞳を開けて告げる。
それを伝えるには、あまりにも遅かった。
だが、ヘルメスはどうしてもオプリヌスに伝えておきたかったのだ。
「――――今、救ってやるぞ……ッ!!」
この期に及んで、ヘルメスは――――オプリヌスを狂気から救おうとしていた。
共に過ごした時間は僅か、更に自分とは考え方がまるで違っていた。
しかし。
それでも、オプリヌスは苦しんでいた。
ヘルメスはそれに気づいていた、気づいていながら部下だったオプリヌスの凶行を止める事ができなかった。
その責任をずっと感じていたのだ。
そして、せめてもの罪滅ぼしとして。
「必ず責任を持って自分が貴様の野望を阻止する。そして……貴様に罪を償わせてやるッ」
そうする事が、オプリヌスを狂気から救う唯一の術だと信じ。
魔銃を片手に構え、そう告げるヘルメスに。
オプリヌスは、身体を震わせていく。
「私を……救う……?」
理解できないその言葉に、オプリヌスは言葉を失って身体を震わせていく。
それは、怒り、哀しみ、そして狂気からくる震えだった。
片手で顔を覆い、悲痛の叫びをあげるようにして。
「貴女が……私を、救う……ッ!? な、何を、……何を言っているッ!!! 原点回帰なくして、私に救いなど存在しないッ!!! 貴様ごときが、図に乗るなァアッ!!!!!」
オプリヌスの叫びと共に。
災獣と漆黒の鎧、そして――――ヘルメスの頭上に浮かぶ原点回帰が。
一斉にヘルメスへと襲い掛かかる。
「ハァ……ハァ、チェックメイトです、ヘルメス=エーテル……ッ!!」
逃げ場所はない。
全ての攻撃を回避する事はヘルメスといえど不可能だ。
ヘルメスはそっと瞳を閉じ、とても儚げな表情で。
「……残念だよ、オプリヌス」
そう短く告げる。
だが、ヘルメスは死の覚悟などしていない。
何故なら――――活路はもうすぐ開かれるから。
すると、この通路に青白い光が発生する。
それは、オプリヌスや漆黒の鎧、ましてやヘルメスが錬金術を使った事で発生した現象ではなく。
「なん、だと……ッ!?」
オプリヌスの驚きの叫びと同時に、青白い光がヘルメスを囲んでいた災獣と漆黒の鎧を吹き飛ばして道を開けていく。
すぐさまヘルメスは活路を開いてくれた者を抱え、満面の笑みでその場から飛び出すようにジャンプする。
信じていた。
きっと来てくれると。
「フフ、危機一髪だった。遅かったではないか、ジン! だが……信じていたよ」
先程まで、自分が立っていた場所に視線を送りながら。
とても優しい笑みを零すヘルメス。
ヘルメスの危機を、何とか間に合ったジンが救ってくれたのだ。
「痛ってぇッ! ……ッ、せっかく助けに来てやったのに随分なご挨拶じゃねぇかよ……。今、床に凄い勢いで頭ぶつけたぞ、おい。……まぁ、アンタのおっぱいの感触で帳消しにしてやらんでもねぇがな」
急に飛び出した勢いで、ヘルメスはジンを床に押し倒すように覆い重った状態になっていた。
「な、なッ、す、すまんッ!」
そして、その豊満な谷間の中にジンの顔が押し付けられ、とても心地良い感触をもたらしていた。
それに気づいたヘルメスは、みるみる頬を染めていき。
すぐさま自分の身体をジンから離す為に立ち上がって、両手で胸を隠すような仕草をする。
心臓の鼓動が早くなっているのが、手を伝って自分でもわかる。
余計に顔を真っ赤にして恥らうヘルメス。
「てっきり殴られるもんかと思ったぜ……よっと」
「ひ、人を暴力女みたいに言わないでくれ! さ、さっきのは明らかに自分が悪いし……って、今はそんな場合ではないな……」
ジンも、同じく身体を起こし。
両手をズボンのポケットに仕舞い、真剣な表情で――――静かに一点を見つめる。
そこには。
嬉しさのあまり、恍惚の笑みを浮かべ、両手で頭を抱えるオプリヌスの姿があった。
「クヒッ、ヒッヒッヒッヒ、賢者の石ィ、賢者の石、賢者の石賢者の石賢者の石石石石、石、石ぃぃぃぃぃ!!!! ふわはっはっはっははhぁ」
ジンとヘルメスは、オプリヌスから只ならぬ狂気を感じていた。
もう、オプリヌスは完全に狂気に呑まれてしまっている。
普段の冷静な姿とは違う姿を見せるオプリヌスに、ジンはほくそ笑む。
「お前ぇ、さっき……チェックメイト、とか言ってたか? んじゃまぁ――――お望み通り、そろそろ終わらせようぜッ! オプリヌス……ッ!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジンがヘルメスの元に駆けつけている頃。
リディアは一人、怯えながら。
研究施設を脱出するべく自分に暗示をかけながら廊下を進んでいたのだった。
「私は天才、私は天才、私は天才……私は可愛いくて超強い……」
拘束されながらも漆黒の鎧を見事倒したリディアは、その事実を糧にして必死に自信を付けようとしていた。
だが、恐いものは恐い。
今もこの研究施設に、漆黒の鎧や災獣が徘徊しているはず。
ヘルメスとジンがその数を減らしてくれているらしいが、安心はできない。
そして、リディアが廊下の突き当たりに差し掛かろうとしていた時。
「私はエーデルソンの娘、私は天才、私は美少――――」
廊下の突き当たりから、丁度リディアが曲がろうとした瞬間だ。
「は、はは、はは――――」
リディアは目の前に現われたその光景に、引きつった笑みを零し、大量の涙と汗を溢れさす。
「ワキャ?」
狼の頭、猿の身体を持つ災獣の集団に出くわしてしまったのだ。
特に、リディアはその猿の身体にとても見覚えがあった。
自分達が危うく殺されかけ、大切な親友を奪われそうになった、ギルモンキーの身体だ。
リディアにとって、ギルモンキーという存在は完全にトラウマとなっていた。
「いんやぁぁぁあああああああッ!!!! ヘ、ヘルメスぅうううううううううううう」
全身全霊。
腹の底からくる魂の叫びは研究施設を響かせる。
その叫びに、災獣達も流石に堪らないとばかりに耳を手で塞いでリディアに逃げる隙を作ってしまう。
そんな様子を確認する余裕もなく、既にリディアは全力で走り出していた。
元来た道へと、尋常ではない涙と汗を落としながら必死に逃げ出していた。
「わ、私は天才ぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいい」
涙、鼻水、涎、汗を垂れ流し、全力で駆ける今のリディアの姿は、とても可愛くて超強い天才美少女とは程遠いものだった。
「だすげでヘルメェエエエエエエエエエスッ!!!!!」
こうしてリディアと災獣達の鬼ごっこが始まり、出口からどんどん遠のいてしまう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リディアの激走が始まると同時に。
ついにオプリヌスの前に、賢者の石を持つジンが姿を現した。
もはやオプリヌスは正気を保つのがやっとだった。
ここで冷静さを失えば賢者の石を無事手に入れる可能性を低めてしまう。
必死に、内側を巡る狂気を抑えていく。
「クフ、ククク……終わらせてやる、ですか。それには私も同意見ですよ黒匣ゥ?」
原点回帰を自分の身体に触れないように巻きつかせ。
ジンとヘルメスを、じっくり見つめるオプリヌス。
ヘルメスは静かにジンに告げる。
「一応聞くが……リディアは大丈夫なんだろうな?」
「あぁ、多少鎧に痛めつけられてたみたいだがチビなら多分大丈夫だ」
「そうか!? ありがとうジン! ならば……後は自分達の番だ」
ジンがそう言うとヘルメスは心から安堵する。
そして、気を引き締めるように深呼吸し、両手で魔銃をしっかりと構えるヘルメス。
リディアの現状を知る由もない二人は、しっかりとオプリヌスを見据える。
「ほう、やはりよく見てみると……それは魔銃、ですねぇ」
オプリヌスはヘルメスの持つ奇妙な銃が、魔銃と呼ばれる存在である事にようやく気づく。
その形状はかつて、狂った錬金術師の下で自分が見た魔銃と酷似していたからだ。
オプリヌスが王従士として活動していた時には持っていなかった。
「まさか、エーテルさんが魔銃を用意していたとは……少しばかり誤算でしたね」
しかし、魔銃と言ってもその効果はそれぞれに違う。
一体、ヘルメスの持つ魔銃がどのような効果を持つ物なのかまではオプリヌスにもわからない。
「ククク、だから……どうしたと言うんです……今さら、魔銃ごときで私の悲願を阻止する事などできやしないッ」
だが、この魔銃こそが。
原点回帰を破壊する鍵となる。
ヘルメスは、慎重に辺りを見渡し。
「……くれぐれも気をつけてくれジン。一見、自分達以外にはオプリヌスと……残り僅かな悪魔の鎧しか居ないように見えるが……解読眼には、もう一つ視えているものがあるんだ」
「あん……? どういう事だよ?」
解読眼を持たない者には姿を捉える事すらできない原点回帰に、ヘルメスは焦っていた。
「あそこを見てみろ」
視線でジンにヘルメスはある場所を伝える。
それは先程までヘルメスが立っていた床だ。
「なんだ、ありゃ……」
そこには、一切傷つけられた痕跡が残されていないにも関わらず。
穴が空いていた。
ヘルメスには、はっきりと解読眼で視えていた。
自分を頭上から襲ってきた原点回帰によって、床の一部を構築していた式が、瞬時に存在を保てない程の微かな式へと戻されたのだ。
「……自分達が危惧していた状況を、あいつは……ッ!! 既に完成させていたんだッ!!」
「なるほどな……こりゃ、最悪な状況と言わざるを得ねぇな」
全てを元に戻す式、原点回帰ならばそれは可能だった。
流石のジンも、事の重大さがわかったのか冷や汗をかき始める。
ここでようやく、オプリヌスが肩を震わせ愉快そうに告げる。
「クク……そう、私はようやく原点回帰の構築に成功した……ですが、まだ不完全でしてねぇ――――」
不気味な笑みをオプリヌスが零すと、原点回帰は主の元からスルリと抜けて離れ。
今度は、ジンめがけて大きくうねりをあげて飛び出していく。
残りの漆黒の鎧達も、ヘルメスへと再び襲い掛かってくる。
「賢者の石を核にして初めて原点回帰は真の完成を遂げるのですッ!!!!! 君の中にある賢者の石を渡してもらいますよぉッ!!!!!」
何故そこまでしてオプリヌスは原点回帰の構築に執着するのか。
二人にはわからない。
だが、考えている時間はない。
原点回帰の構築自体は既に終わっている。
ここで、賢者の石がオプリヌスに渡れば世界は無に帰す恐れがある。
「ジン! 自分が解読眼で原点回帰を捕えて指示を出す! それに従って何とか避けてくれ!」
ジンはポケットから両手を出し、焦りの表情を浮かべて溜息を吐く。
「くそ、見えねぇもんアンタの指示だけで避けろだ? 無茶言うぜ……」
だが、解読眼を持つヘルメスにしか原点回帰が見えないのも事実。
「ホント、頼むぜ……?」
ヘルメスは、急いで魔銃に式崩しを装填する。
式崩しの弾は一発限り。
これを外せば、原点回帰を操るオプリヌスに対して、二人の勝機はなくなってしまう。
確実に当てられるだけの、隙を見極めなくてはならない。
そうしている間にも、漆黒の鎧達よりも早く。
原点回帰が、まるで本物の大蛇のように大きく口を開き、鋭い牙を剥いてジンと距離を詰めてくる。
「ジン!! 右か左に避けろ!!」
「あぁんっ!? ど、どっちだよ!!」
適当な指示に、ジンはしかめた顔をヘルメスに向けるが、文句を言っている時間もない。
もし、ありとあらゆる全てを元に戻すという原点回帰が触れれば、ジンもただでは済まないはず。
それは、オプリヌスが賢者の石を奪い取る為に、この原点回帰をジンに向けている事から想像できた。
「ちっくしょうッ!! なんつー面倒な式構築しやがったんだよあのクソッタレェッ」
原点回帰が、ジンの身体を真正面から喰い千切らんと俊敏な動きをしながら大口を開けて突進してくるが。
「ちぃッ」
ヘルメスの指示を信じて、ジンは大きく右に向かって前のめりで跳ぶ。
「避けれた、のか……!?」
気配すら感じられない原点回帰を、本当に避けれたのかもわからないジンだったが。
「うぉッ!?」
丁度、ジンの足止めをしようとしていた漆黒の鎧が――――胴体のみを消滅させてその場に金属音を鳴らして倒れた。
「くそっ……自分の手下もお構いなしかよ」
二つに分かれた漆黒の鎧の身体、その断面を綺麗に残し、先程まであったその箇所が失われていた。
それは、あたかも元々無かったかのように。
もし、解読眼を持つヘルメスが居なければと思うとジンは思わず鳥肌を立ててしまう。
「クッ!! 大丈夫かジンッ!?」
肝心のヘルメスは、残る漆黒の鎧達の相手をしており、とてもジンを常に気をかけている余裕は無かった。
銃の腕に自信のあるヘルメスといえど、このままでは一発しかない式崩しを原点回帰に撃ち込むのは至難の業。
「クク、全てを終わらせ……そして、再び始めようではありませんか」
オプリヌスには全てを犠牲にしてでも遂げたい想いがある。
そんな彼の脳裏には美しい女性が微笑みかけている。
彼女の為にも、オプリヌスは狂気に呑まれようが止まる訳にはいかなかった。
必死に逃げ惑うジンを、一歩も動かずどんどん翻弄して追い詰めていくオプリヌス。
「クソッ、どうしろってんだよッ!!! このままじゃ埒が明かねぇッ!!」
何とかヘルメスの指示を受け、ひたすら原点回帰を回避してきたジンだが。
漆黒の鎧達に邪魔され、ヘルメスの指示がいつ途絶えるかもわからない。
そこで、一旦引く決意をする。
「おいッ!! ひとまず逃げるぞッ!!!」
その声に、いち早く反応したのは――――オプリヌス。
「逃がすわけないでしょうッ!!!!!」
ヘルメスから漆黒の鎧達を引き離して逃げようと、原点の式の塊を両手に溢れさせ、ヘルメスを助けようとするジンの背後から。
原点回帰が何度も宙で蠢きながら、容赦なくジンを狙ってくる。
その大きな身体が壁、天井、床に触れていき徐々にこの通路を消滅させていく。
「じ、ジン!?」
それに気づいていないのか。
原点回帰を引き連れ、自分の元へと向かってくるジンに、ヘルメスは漆黒の鎧達の攻撃を回避しながら顔を真っ青にして叫ぶ。
「こ、こらッ!! こっちに来るなッ!! ……と、とりあえずッ、しゃがめジンッ!!!」
「あぁッ!?」
ジンとヘルメスは、すぐさまその場にしゃがみ込む。
すると、原点回帰は勢い余ってそのままジンの頭上を綺麗に通りすぎ。
ヘルメスを襲っていた漆黒の鎧達へと追突していく。
数体の漆黒の鎧達は、原点回帰に触れてしまった部分が消滅してしまい、そのまま虚しく金属音を響かせて倒れていった。
「おのれッ、味方でもお構いなしとは……あの外道めッ」
「若干、俺らのせいでもある気がするが……それにしても、えげつねぇなオイ……」
怒り顕にするヘルメスと、顔を真っ青にするジン。
しかし、これで漆黒の鎧達の数は大幅に減った。
二人はすぐに立ち上がり、確実にオプリヌスと原点回帰を討ち取れる場所を探す為に、この通路を走り出す。
だが、当然オプリヌスもそれを阻止すべく原点回帰を二人の背後へと向かわせる。
「逃がしはしない……ッ!!!」
今のオプリヌスの側には、漆黒の鎧達は居ない。
ヘルメスは、先程からある違和感に気づいていた。
「……試してみるか」
ヘルメスは何かに気づき、それを試す為に。
式崩しではない、通常の銃弾をオプリヌスへと撃つが。
「なっ」
銃弾が放たれると、オプリヌスは目を大きく見開き焦った様子を見せる。
オプリヌスに銃弾を避けるなどという身体能力は無いからだ。
しかし、それを含めオプリヌスは何かに焦っていた。
今から残る漆黒の鎧に身を守らせる事も、距離的に不可能。
すぐさま原点回帰に二人の追従を中断させ、自分の元に戻らせるしかなかった。
そして、
「ジンッ!! 適当にこの通路を塞いでくれッ!!!」
ヘルメスは原点回帰がオプリヌスに放たれた銃弾を消そうとするのを確認して、ジンに指示を出した。
「おう……!!!」
青白い光と共に原点の式の塊を両手に出し、そのまま通路の壁へと乱暴にぶつける。
通路の壁はその衝撃によって崩壊を始めて、通路を塞いでしまう。
原点回帰ならば容易くこの障害も消す事はできるだろうが、これで一時的に二人はオプリヌスから姿を隠す事ができる。
「……」
銃弾をウロボロスに消させている間に、通路を塞がれ二人の行方を見失ってしまったオプリヌス。
「……クヒ、無駄な事を……絶対に逃がさん……賢者の石は、私のものだ……もう少しだ、もう少しなんだ……必ず君を迎えにいくよ、シャーリー……」
とても、とても辛そうな声。
オプリヌスは静かに漆黒の試験瓶を取り出し、原点回帰をその中へと戻して蓋をする。
残る漆黒の鎧を引きつれ、コートの内側に漆黒の試験瓶を仕舞い、賢者の石の行方を追う。
溢れそうになる涙を必死に堪えながら、狂気に呑まれた男は終点を目指し、足を進めていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
オプリヌスの魔の手から一旦逃れた二人は、ある部屋に身を隠していた。
そこそこの広さがあるこの部屋には、大量の研究資料や書籍、日常品が置いてある。
どこか生活感のあるこの部屋は恐らくオプリヌスの生活拠点にあたる部屋なのだろう。
「ゼェ、ゼェ……本当に上手くいくんだろうな。ここで外すとシャレになんねぇぞ……」
床に尻餅をついて息を荒げるジン。
二人はここでオプリヌスを、原点回帰を迎え撃つつもりなのだ。
「あぁ、必ず原点回帰を撃ってみせる……!!」
ヘルメスは立ったまま、汗を流しながら魔銃を両手でしっかりと握り、額に当てながら瞳を閉じて集中する。
緊張感に押しつぶされそうになるが、王従士として、元上司としてオプリヌスの野望は何が何でも阻止しなくてはならなかった。
「入り口はここ一つしかない……解読眼で外の様子もわかる。式崩しを自分が持っていると知らないオプリヌスならば自分達を探す為に確実な安全策として原点回帰を使って各所の扉を消して居場所を探し回るはずだ」
座ったまま、何とか息が落ち着いてきたジンが顔を上げて。
「……原点回帰がこの部屋に突っ込んできた瞬間に、」
ヘルメスが、冷たい空気を纏い、瞳を開け。
「引き金を引く。……これで原点回帰を失ったオプリヌスを逮捕する事はジンと自分ならとても簡単になるはずだ」
この勝負の行方は、原点回帰を式崩しによって破壊できるかが鍵となる。
原点回帰さえ破壊することができれば、残るオプリヌスの残党もヘルメスとジンならば余裕で片付けられる。
「腹減ってきたぞチクショウ……おい、これが終わったらまたあんたの手料理喰わせろよ」
腹の音を鳴らしながら、立ち上がったジンはそのまま部屋を物色しながら素っ気なくそう言った。
ヘルメスはそんな呑気な事を言うジンに対して、優しい笑みを浮かべ返事をする。
「フフ、任せてくれ。腕によりをかけよう」
「ヘッ」
照れくさそうに適当な反応を示しながらも、ジンは見えないように微笑んでいた。
そして、ジンは机に置かれていたあるものを見つけて手に取る。
それは、一枚の写真だった。
「何だこりゃ」
そこには、とても美しい女性とオプリヌスが仲睦ましく寄り添う姿が写っていた。
写真の中のオプリヌスは――――優しい笑顔を浮かべていた。
とても、幸せそうな二人だった。
「む。一体どうしたんだ? 何を見つけた?」
ヘルメスがジンの異変に気づき声をかけると、ジンは無言のままその写真をヘルメスに見せてきた。
「何だ、写真か? しかし、一体誰の……これは……」
それを見て、ヘルメスはとても居た堪れない気持ちになってしまう。
「ここまで純粋な笑顔を……幸せそうな顔をするオプリヌスを自分は見た事が無い。……あいつも、こんな顔……できるじゃないか」
一度も見た事のない、オプリヌスのそんな姿を二人は目にしてしまった。
もしかすると、オリヌプスは――――
「ッ!? おい、来るぞッ!! 早く準備しろッ!!」
「あ、あぁ、自分にも視えているッ!!!」
余計な事を考えてはいけない。
如何なる理由があろうと、どれだけの想いがあろうと――――他人を犠牲にしてはいけない。
しかし、ヘルメスの中で、何かが思考を邪魔してくる。
「……ッ」
ヘルメスは扉に、その奥にいる原点回帰に魔銃を急いで向ける。
そして。
式崩しで原点回帰を破壊する最初で最後かもしれないチャンスが訪れた。
「クク、その声は……どうやらここみたいですね……」
漆黒の鎧を引きつれ、オプリヌスはこの部屋の前に現われていた。
そして、部屋から二人の声がすると同時に、まるで天を仰ぐようにして漆黒の試験瓶の蓋を開けて。
「……もう、逃がしませんよ。賢者の石も……希望も」
オプリヌスが静かにそう告げると。
膨大な式で構築されたウロボロスの姿をした原点回帰が、まるでオプリヌスの心に反応するように。
けたたましく、身体を大きくうねらせ、そのまま扉に頭部から突っ込んで扉を消滅させながら部屋の中へと突入してくる。
「私は、やり直すんだ……、終わらせよう、」
オプリヌスも原点回帰に続くように、部屋の中へと入ろうとする。
ヘルメスの目に、その神々しい姿が現われた。
「来やがったぞッ!!!!!」
「任せろッ!!!!!」
この戦いに、終止符を打つ。
ジンが剣幕した表情で見守る中、この一発で全てが決まる。
全神経を集中させ、絶対に外すわけにはいかない。
一切のミスは許されない。
魔銃を握る両手のブレを完璧に修正し、銃弾の軌道と原点回帰の動きを予測し。
ヘルメスは――――トリガーを引いた。
すると、魔銃の銃口から式崩しが撃たれる。
その銃声に、
「な――――」
オプリヌスが理解するのは早かった。
扉の先で、魔銃を構えていたヘルメスが原点回帰だと理解したうえで銃弾を撃ってきたのだ。
それが意味する答えは、その銃弾が式崩しだという事。
「よ――――」
式崩しが原点回帰に間もなく直撃する。
そして、オプリヌスの野望は一瞬で撃ち砕けれてしまう――――はずだが。
「よ、よせえええッえええええええええええッ!!!!!」
オプリヌスの叫びが、想いが。
「、そ、、そ、ん、な……」
ヘルメスは、式崩しが発砲されると同時に、膝から崩れ落ちていく。
「お、おい、どうしたんだッ!?」
愛すべき彼女への想いが。
原点回帰に届き。
間一髪のところで、式崩しを避けたようにも見えた。
だが、実際は違う。
「や、っ、て、しま……、っ、た……」
絶望の表情を浮かべ、その場にひれ伏すのように崩れ落ちたヘルメス。
ジンには原点回帰がどうなったのかわからない。
だが。
ヘルメスの反応で、全てを察して大きく焦り出す。
「アンタ……ッ、う、嘘、だろ、」
「すま、ない……っ」
式崩しが、原点回帰ではなく、部屋の壁を打ち抜いてしまっていた。
先程の写真によって、ヘルメスの集中力は僅かに乱されていた。
そして原点回帰を前にして、最後の最後にヘルメスはその尋常ではない威圧感に気圧され、僅かなブレを生じさせてしまったのだ。
「ク……クク……その様子ですと……し、式崩しは一発だけだったようですね、……ま、まさか、あの式崩しを、貴女みたいな方がお持ちだったとは、驚かされましたよ」
膝をついたまま、絶望に打ちひしがれその場から一向に動こうとしないヘルメス。
危うく原点回帰を破壊されかけ、オプリヌスは息を荒げ、激しく動揺していたが。
必死に正気を保ち、魔銃と解読眼を持つヘルメスを最初に始末する事にする。
「フー……、フー……」
ヘルメスさえ居なければ、ジンは原点回帰を避けられない。
オプリヌスは、原点回帰にヘルメスを狙わせる。
「ク、クックック、――――さようなら、エーテルさん」
「お、おいッ」
「……」
オプリヌスの言葉に、ジンは原点回帰が見えていなくともヘルメスが狙われている事に気づいていた。
だが、ヘルメスは無言のまま、避ける気配が無い。
勢いよく原点回帰は大きく口を開け、ヘルメスを飲み込もうとする。
それもあと僅か。
「……けるな」
このままではヘルメスは消滅する。
ジンは、ヘルメスに対して激しい怒りを抱きながら。
勘で――――行動に出た。
「おや……?」
原点回帰が、ヘルメスを消滅させた、と思いきや。
その間際、激しいぶつかり音が聞こえ。
オプリヌスの目には、奇妙な状況が映り込んでいた。
ヘルメスの存在は消されておらず、部屋の片隅に大きく吹き飛ばされていた。
その代わりに。
「ぐぎゃぁぁあぁあぁああ」
ジンの叫び轟く。
「っ、ジン……ッ!?」
ジンに思い切り頬を殴られ、部屋の片隅に吹き飛ばされやヘルメスが、頬の痛みを感じながら身体を起こす。
そしてその目に飛び込んできた光景に、更に情けない表情で身体を震わせてしまう。
「クク……そうですか。君はそこまでエーテルさんに……」
左手で右腕を庇うジン。
だが、右腕は付け根よりその下は存在せず。
賢者の石によって損傷箇所が再生される兆しも見られない。
「驚きましたか? ……君はほぼ不死身に近い身体として先生に賢者の石を媒体として構築されていた。だが、言ってしまえば賢者の石は君の損傷した部分……失った部分を再生するだけのものというわけです。……初めから無かった部分を新たに構築などしてくれないというわけですよ――――つまり」
オプリヌスの言葉と、激痛に苦しむジンの姿に、ヘルメスは無言のまま身体を震わすだけだった。
「原点回帰があれば黒匣から賢者の石を奪う事も可能なんですよ!!!」
式崩しという唯一の切り札を失い、ジンの身体も原点回帰の前では再生されない。
二人は絶望の淵に立たされてしまう。




