8話:反撃の狼煙
そろそろ夜が明けようとしていた、そんな時だった。
「っ、う……」
腹部に微かに残る痛みを感じながら、冷たい床の上で目を覚ますリディア。
突如現われた漆黒の鎧に寝込みを襲われ、腹部を強打されたのだ。
視界がはっきりとしてくる。
「ッ!?」
真っ白な一室。
そこに。
自分を襲ってきた漆黒の鎧と、一人の男がリディアの視界に映り、恐怖で身体が震えてくる。
「あ、あんた……って、何よこれ!?」
錬金術を封じる為に、両腕は鉄製の手枷によって拘束されている。
すぐにリディアは理解する。
自分が囚われの身であるという事を。
「クク、お久しぶりですねエーデルソンさん」
すると、足を組んで椅子にもたれかかるその男。
オプリヌスが一体の漆黒の鎧を自分の側に置き、少し伸びた前髪から怪しい眼光でリディアを見つめていた。
「オプリヌス……ッ!! ……相変わらずいけ好かない喋り方ね、性格の悪いあんたにはお似合いだわ。……で、ここは何処!? ヘルメスは、ヘルメスはどうしたのよ!!」
ようやく目を覚ましたリディアだったが、辺りにヘルメスが居ない事を確認すると、慌ててヘルメスの安否を問い詰めようと立ち上がろうとするが。
「ぎゃふんっ」
未だ腹部に残る痛みと、両手が拘束されている為に、勢いあまって身体のバランスを崩してその場に転倒してしまう。
「はぁ……」
溜息を吐きながら椅子から立ち上がって、そのままリディアの元に近づくオプリヌス。
そして。
無様な姿を晒すリディアを冷ややかな視線で見下ろし、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「貴女も相変わらずですね。ご心配ならいりませんよ、ヘルメスさんは無事です……今の所は、ね」
「どういう……事よ」
床に横たわりながら、転んだ時の衝撃で涙目になりながらも、怒りの眼差しをオプリヌスに向けるリディア。
何故、自分だけがこの部屋に拘束されているのか。
ヘルメスは本当に無事なのか。
恐怖で心が押しつぶされそうになるが、何とか相手に漬け込まれる隙を生まないように強気な姿勢を保っていた。
「やれやれ……エーテルさんの事になると貴女はいつもそうでしたね」
リディアの思考をまるで読み取ったように、オプリヌスは先程のヘルメスとジンとのやり取りを説明していく。
ジンが狂った錬金術師フェイクに構築された賢者の石を持つ偽人である事や。
ジンとヘルメスが間もなくこの研究施設にリディアを救出するべく訪れる事を告げたのだ。
「そんな……」
オプリヌスから告げられたジンという正体にも驚かされたが。
それよりも――――
「また……私のせいで、……ヘルメスが」
自分が攫われた事によって、オプリヌスが数々の罠を仕掛けて待ち構えているであろうこの研究施設に強制的に向かわざるを得なくなったヘルメス達。
リディアは、自分のせいでそんな危険を犯すハメになってしまったヘルメスを想いながら激しく後悔していた。
だがオプリヌスはそんなリディアを愉快に思い、更なる絶望を与えていく。
「これが何かわかりますか?」
コートの内側から嬉しそうにオプリヌスが取り出したのは漆黒の試験瓶。
リディアはそれに見覚えがあった。
ヴァンクに向かう途中の荒野で、自分達を攫おうとしてきた男が逃走する為に使用した物とまったく同じ試験瓶だった。
「……簡易式、じゃないの?」
「まぁ、その通りなんですがこれはただの簡易式ではありません……これは――――」
人攫いの男が使用した簡易式は、その場から消えてしまう何らかの式だった。
オプリヌスも脱出用の簡易式を用意しているからこそ、このような余裕の態度を取っているのかとリディアは勘違いをしていたが。
しかし、それは違った。
ギリスティアの王従士が恐れていた事態、それがこの漆黒の試験瓶に秘められていた。
「――――原点回帰です」
「!?」
漆黒の試験瓶の中身。
それを聞かされたリディアは驚きのあまり、膝をつきながら前のめりになって絶句してしまう。
しばらくしてから、ようやくリディアの口が開いていく。
「そんな…… 嘘、でしょ?」
まさか既に構築済み、更に簡略化して簡易式にしている等、有り得なかった。
リディアとヘルメスに今回の任務を命じた者の話によれば、原点回帰の完成には賢者の石が必要だという。
ギリスティアは、原点回帰を目論むオプリヌスは賢者の石を持っている可能性もあるとみていた。
その為に、リディア達だけではなく他の王従士達はオプリヌスを捕らえ、原点回帰を阻止して賢者の石を回収する事を命じられていた。
だからこそ、リディアは信じがたかった。
先程のオプリヌスの話しによれば現在、賢者の石はジンの身体の中にあるはず。
それに、原点回帰程の複雑な式を簡易式にする事など不可能なのだ。
「クックック、良いですねぇ、その絶望した顔……。確かにこれは完全な原点回帰ではありません、あくまで一部だけを元に戻す原点回帰モドキとでも言いましょうか。……ただ、この特殊な試験瓶を使う事で私が原点回帰モドキの簡易式化に成功したのは事実ですよ」
「その試験瓶……一体何のよ!?」
リディアは思い出していた。
人攫いの男が持っていたその漆黒の試験瓶。
全ての式を視る目、解読眼を持つヘルメスですらその存在を事前に察知する事ができなかったという事を。
ありとあらゆるものが式によって構築されているこの世界で、ヘルメスの持つ解読眼で視えないものなど存在しない。
漆黒の試験瓶。
その存在は、世界の理から外れている。
「クク……これは、私の先生が持っていたものなのでお答えしかねますが」
先生、とは誰の事だろうか。
リディアがそう疑問を抱いていると、オプリヌスは原点回帰の入った漆黒の試験瓶をコートの内側に仕舞っていく。
「この原点回帰がある以上、下手な希望は抱かない事です。貴女の大切なエーテルさん、彼女がいかにその馬鹿力を発揮しようが無意味なんですよ」
「くっ!!」
ヘルメスを馬鹿にした発言を受け、リディアは身体中の血液を熱くさせていき。
今度こそ立ち上がり、オプリヌスに対して全力で体当たりをしようとするが。
「……」
「は、離せ……チクショウ!! こんの鎧馬鹿ッ!!!」
オプリヌスの側で待機していた漆黒の鎧が、素早くリディアの胸ぐらを掴んで軽々と持ち上げてしまう。
足をジタバタとさせ、何度も漆黒の鎧に蹴りをお見舞いするが、リディアの脚力程度ではビクともしない。
「ふぅ……もっと餌らしく大人しくしてくださいませんかエーデルソンさん?」
両腕を後ろで組んだ余裕の態度を見せるオプリヌスが、もがくリディアの姿を見上げながら苦笑していた。
「ぐ、あ、あんたも、こ、この、鎧、馬鹿も、全部……ヘルメスが――――」
「エーテルさんが何とかしてくれると? ご冗談を……」
リディアより先にオプリヌスはそう告げて、更に続ける。
「解せませんねぇ……何故そこまで彼女を信じられるんです? ……それに原点回帰によって時間を少し戻すだけじゃないですか。……別に私はこの世界を根源から消し去ろうとしているわけではないんですよ? なのに貴女達、王従士は必死に私の邪魔をしてくる……あまりにも無粋というものではありませんか?」
漆黒の鎧がリディアを床の上に優しく降ろしていく。
必死に息を整えながら床に突っ伏すリディアに、オプリヌスは言う。
「大体、王従士は原点回帰を研究する事を許される……ですが、いざそれを完成させようとすると必死に止めようとする……おかしいとは思いませんか?」
ようやく息が整ったリディアがその質問に反発する。
「それはあんたが陛下を……ギリスティアを裏切ったからでしょ!!!」
「いいえ、違います。私が裏切られたんですよ」
淡々に。
こうして全国指名手配されるまでに行き着いてしまった経緯を話しだすオプリヌス。
「確かに私は原点回帰の構築に必要な知識や情報を得る為だけに王従士に所属しましたが、何も最初から裏切るつもりは無かったんですよ」
静かに語られるその真実。
「エーテルさんの下で王従士としての仕事をこなしながら……原点回帰の構築まであと一歩まで来た時でした。――――ミストレア=サールージュの命で私の元に三英傑の一人が来たのは」
「陛下の命……?」
ギリスティアの現国王、慈愛王ミストレア=サールージュ。
その名が出たと同時にオプリヌスの表情に怒りが浮き彫りになっていく。
「あの……愚かな王は私が原点回帰を完成させる事を恐れ、三英傑に私の持つ原点回帰の情報を全て聞き出した上で殺害するように命じていたんですよ……ッ!!!」
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ! 陛下がそんな事、命じるわけないじゃない!」
リディアのミストレア=サールージュを庇う発言に、オプリヌスは思わずその怒りを行動に映してしまう。
「きゃ――――が、……はっ、」
オプリヌスは、リディアの首を掴んでそのまま壁へと叩きつけた。
激しく頭部を打ちつけられ、首を掴まれたまま、必死に酸素を吸おうと涙目のリディア。
首を掴んだまま離そうとしない、怒りに満ちたオプリヌスの目は正気とは思えないものだった。
「あの女がそんな事を命じるわけがない……? 考えてもみてくださいよ……禁忌に指定されている原点回帰を王従士であれば誰でも研究ができる……それがそもそもおかしいんですよ。……何故、全てを元に戻す事が可能な程の式の研究を王従士というだけで個人に許されるんです?」
必死に酸素を身体に取り入れながら、リディアはオプリヌスの質問に答える。
「そ……それは……陛下が、……私達を、し……信用……」
「いいや違うッ!!!」
乱暴にリディアをそのまま床に叩きつけるオプリヌス。
だが、リディアはそのおかげでようやくまともに呼吸ができる。
身体を丸めて床に横たわりながら、呼吸を荒げるリディアの姿にオプリヌスはようやく冷静さを取り戻す。
「……結局は自分の命令に従う駒にのみに原点回帰を研究させ、その結果だけを奪うというのが、あの女の考えなんですよ。だからこそ自分の考えに従わない者は殺す……素晴らしいお考えをお持ちのようですね慈愛王は……」
リディアには、オプリヌスが語る話が信じられなかった。
誰よりも慈悲深く、自分達が心から忠誠を誓った王、ミストレア=サールージュがそのような命令を下すとは思えなかった。
「げほっ、あんたの……腐った人間性がバレてただけじゃないの……」
床に横たわりながらも必死に強がってみせるリディアに、オプリヌスは眉間にシワを寄せていく。
そして、漆黒の試験瓶を再び取り出す。
だが、これはリディアの思惑通りだった。
「……クク、ならば少し早いですが……そのまま愚かな王を心酔しながら消えてなくなりますか?」
「あんたごときが、この私を殺せるとでも……?」
このまま自分が人質として生きていればヘルメスの枷となってしまう。
自分が原因で、ヘルメスが殺されてしまうのは許せなかった。
リディアはそれを回避する為に、自分の命をかけてヘルメスを守ろうとしていた。
「どうやら、本当に消えてなくなりたいとお見受けします……ならば、お望みどおりにしてあげましょう」
漆黒の試験瓶の蓋を、オプリヌスが開けようとする。
中に入っている原点回帰でリディアを殺そうとしているのは明白。
「これで、……良かったのよ……」
これで、ヘルメスの邪魔にならずに済む。
そう覚悟を決め、静かに目を閉じてヘルメスを想うリディア。
思い返してみればいつもそうだった。
大して力になれていなかったであろう自分を、ヘルメスはいつも助けてくれた。
自分のせいでどれだけ傷つこうとも、必ず助けてくれた。
だから――――今度は自分が守る番だ。
そんな大好きな親友の姿を想いながら死ぬのも悪くないかもしれない。
ヘルメスはきっと悲しむだろうが。
「ごめんねヘルメス……」
オプリヌスが漆黒の試験瓶の蓋を完全に開けようとした、その瞬間。
「……」
何やらリディアの耳に遠くの方から騒音が聞こえてきた。
ゆっくりと目を開くと、オプリヌスの動きも止まっている。
そして。
「……どうやら、お迎えが来たみたいですね」
嬉しそうに、狂気じみた笑みを見せるオプリヌスにリディアの背筋が凍る。
そして。
リディアに背を向け、ゆっくりと部屋から退出しよとするオプリヌス。
「ま、待ちなさいよ!! 私を……私を殺してから行きなさいよ!!!」
だが、オプリヌスは歩みを止めない。
賢者の石、黒匣がもうすぐそこに来ている。
一刻も早く、賢者の石をその手中に収めたくて仕方がなかったのだ。
「クックック」
狂気に満ちた笑みを浮かべながら、リディアと漆黒の鎧を残してこの部屋から姿を消した。
「待ちなさいよオプリヌスッ!!!!!」
リディアの悲痛の叫びがこの部屋にこだましていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
オプリヌスの研究施設を、ジンとヘルメスが見つけるのは容易かった。
まずヴァンクに訪れた二人は、この小さな国をひたすら駆け巡り。
ヘルメスの持つ全ての式を視る事のできる解読眼の力で、それらしき箇所をしらみつぶしに当たったのだ。
この小規模な国ではそれが有効手段となり、オプリヌスの提示した時刻までに何とかこの研究施設に辿り着くことができていた。
研究施設の周辺には見張りはなく、恐ろしいぐらいにすんなりと侵入する事に成功する二人。
だが、問題はその後だ。
二人を待ち受けていたのは異形の者達と漆黒の鎧の集団だった。
「はぁ、はぁ――――」
現在ヘルメスは、たった一人で異形の者達に追われながら。
白で統一されたこの研究施設の中で、オプリヌスを探して通路を奮走している最中だった。
その背後からは狼の頭部に、猿の身体を持つ生物。
錬金術によって複数の生物を合成して構築された災獣と呼ばれる存在達がヘルメスの命を狙い、もうすぐそこまで追ってきている。
「ワシャアァアアッ」
けたたましい叫び声をあげながら三体の災獣が同時にヘルメスに襲い掛かろうとするも。
「フ! さぁ、来いッ!!」
背後から飛び掛ってくる災獣達を、振り向きもせずに避けてみせ。
すぐさま自分を通り過ぎていく一体の災獣の足を掴み、二体の災獣に向けて力一杯投げつけた。
「わ、わきゃんっ」
互いの身体を激しく打ちつけ合い、三体の災獣はそのままヘルメスから遠くの場所で意識を失う。
そして、ヘルメスはすかさずコートの内側から透明な試験瓶を取り出して背後に迫る災獣の集団へと急いで投げつける。
試験瓶の中には青い液体に浸かった小さな赤い結晶が入っている、これは簡易式だ。
リディアが今回の旅に向けて事前に用意してくれていた炎を生み出す簡易式。
精々、焚き火をする際に用いる為に持ってきたものだが、その火力は十分。
「わ、わきゃぁあぁあああッ!!!」
集団の先頭に立つ災獣に試験瓶が当たり、それが砕けると炎がその身体を一気に包み込む。
他の災獣達の動きも一気に止まり、恐怖の叫びが上がっていく。
「やはり災獣といえど動物の本能は残ってるようだな……助かる」
見事考えが的中したヘルメスは災獣達が炎を恐れ、動きを止めている隙に通路を再び走り行く。
リディアの用意してくれていたあの簡易式も、この狭い通路ならば災獣の足止めには十分使えた。
だが、あれでリディアが残した簡易式は最後の一本だった。
また災獣の集団に出くわせば同じ手はもう使えない。
「早く、早くオプリヌスを見つけねば……ッ!! リディアは頼んだぞジンッ!!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「しつけぇんだよアンタら!!!」
漆黒の鎧の腹部に、原点の式の塊が衝撃波となって貫通していく。
砕け散る鎧の一部を残して、前のめりのまま吹き飛び、壁へと金属音を鳴らせながら激突する漆黒の鎧。
ジンは静かに漆黒の鎧が立ち上がらない事を確認し、周囲に意識を張り巡らせる。
「ふぅ……とりあえずこんなもんか」
床に倒れ込む漆黒の鎧達の山、その中に。
まるで君臨するような面立ちで、ジンの姿はそこにあった。
これ程の数の意識をたった一人で奪っていたのだ。
「……ったく、この俺にあんま騒ぐなってのが無理ってもんだろ」
ジンはほんの少しだが後悔をしていた。
「あの女……本当に大丈夫だろうな。……チッ、急ぐか」
現在、ジンとヘルメスが二手に別れて行動しているのには訳があった。
全てはリディアを無事救出する為だ。
まず、ヘルメスが騒ぎを起こしながらオプリヌスを誘い込み、その間にジンがリディアを救出するというもの。
ジンは狂った錬金術師フェイクの下で過ごしていた経験から、オプリヌスという人間性を少なからず理解しているつもりだ。
「……どこだ、あの糞チビ」
だからこそ自分達が現れれば、リディアを置いて自分達の元に現われると踏んでいた。
何故ならば、そもそもオプリヌスにとってジンとヘルメスがこの研究施設に到着した時点でリディアという餌に価値が無くなるからだ。
あくまでジンやヘルメスの動きを止める人質としてではなく、二人を確実にこの研究施設に向かわせる為の餌としか考えていないはずなのだ。
それでも、人質としての価値はあるはずのリディアだが。
オプリヌスはそうしない、いや、そうする余裕は無いのだ。
昔からオプリヌスという人間の、賢者の石に対する想いは狂気にすら似た何かをジンは感じていた。
もし、その賢者の石が手の届く距離にまで現われれば。
オプリヌスは冷静さを失い、それを手にする事しかもう考えられないはず。
ここまで入念に漆黒の鎧や、災獣を用意している人間の思考をそうさせてしまうのが賢者の石というアンチスミスの遺産なのだ。
「ケッ、お前ぇの思い通りにはさせねぇぞオプリヌス」
リディアを無事救出する為には、オプリヌスが側に居ない事が望ましい。
その為にこうして二手に別れて、なるべくジンは戦闘を必要最低限に抑えながらヘルメスに派手に暴れさせつつ、オプリヌスを誘導している。
騒ぎを察知したオプリヌスなら自らの足で駆けつけると予想しての事だ。
荒野での出来事のように、オプリヌスは漆黒の鎧越しにジンを探している可能性もあったが、それはヘルメスの助言が正しければまず無いと判断していた。
ヘルメス曰く、漆黒の鎧を操りながら更に自分の視覚とリンクさせるにはかなりの集中力を要するとの事。
賢者の石に囚われきっているオプリヌスに、今のこの状況でそのような集中力があるとはジンには思えなかった。
なので、ジンの元にオプリヌスが現われる確立を抑えつつ。
ほぼ不死身の身体を持ち、より確実にリディアを守れるジンに、ヘルメスは大切な親友の命を任せたのだ。
「……」
互いが信頼していなければ、この作戦は実行に移せなかった。
ジンの中で、ヘルメスという存在は大きなものになっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……どんどん音が大きくなってきてるわね」
一つの漆黒の鎧に監視されながら、リディアは両手を拘束されて体育座りした状態で周囲の騒ぎを察知していた。
あれから。
オプリヌスがこの部屋から退出してから何度も自力で脱出を試みたが、漆黒の鎧によって阻まれていた。
錬金術も使えず、簡易式も奪われているリディアには、この漆黒の鎧を倒す術は無かった。
よく見るとリディアの身体は傷だらけだった。
床も血反吐で染められている。
これらは、小さな勇気を振り絞り、果敢に立ち向かったリディアの証である。
「ヘルメス……」
膝に顔を擦りつけて大粒の涙を拭い、そのまま顔を伏せて親友の名を口にする。
その姿を、まるで部屋に飾られた鎧のように冷ややかに監視を続ける漆黒の鎧。
だが、いつまでもこうして泣いているわけにはいかなかった。
身体は痛いし、心も痛い。
しかし、それでも今のリディアは立ち上がらなければならなかった。
自分の為に命を賭けてくれている親友の為に。
「……っ」
必死に痛みと恐怖に耐えながら、立ち上がる。
「あんたが頑張ってくれてんのに……私だけが何もしないなんて……駄目よね……ッ!」
両手を拘束されていながらも、何とかその場から立ち上がり。
強い意志を秘めた瞳で漆黒の鎧を睨みつけるリディア。
「……」
リディアの動きに合わせるように、金属音を軋ませ、無言のまま漆黒の鎧もその前に立ち塞がる。
「あ、あんまり……私をナメんなあああああッ!!」
リディアの全力の叫びはこの一室に響き渡り、漆黒の鎧をも振動させた。
そして自身の士気を高めると同時に、リディアはその小さな身体に残された精一杯の力を使って漆黒の鎧の横を駆け抜けようとするが。
「うっ!?」
漆黒の鎧の大きな掌が、すぐさまリディアを捕えようと迫ってくる。
何度となく痛めつけられてきたその腕。
その凄まじい威力をリディアは身を持って知っている。
だからこそ、その腕力を利用させてもらう事にした。
「かかったわね!!」
リディアは満面の笑みで、漆黒の鎧から放たれるその掌を。
両手を拘束するそれで受け止めた。
「がはぁ、ああ、ぁあ」
その衝撃によって床に叩きつけられ、小さな身体を跳ねらせていく。
何度も転がりながら壁に激突するが。
「こ、こ、これ、で……」
あまりの激痛に涙を零しながらも、何とか立ってみせるリディア。
そして、
「錬金術、が……使え、る、」
拘束具の一部が漆黒の鎧に壊され、何とかリディアの両手は自由となる。
未だ拘束具が手に残っているが、それでも錬金術を使うには差し支えない程になっていた。
「……」
だが、まだ助かっていない。
両手が自由になったリディアに、漆黒の鎧がすぐに向かってくる。
距離的にも漆黒の鎧がリディアを捕えるまで数秒程度だろう。
押し寄せる恐怖。
だが何故か、今のリディアは冷静だった。
瞬時に思い出す。
ギルモンキーとの戦いの時を。
自分がまだまだ未熟であったが為に錬金術が使えず、結果的に助かったもののヘルメスを傷つけた事を。
「ふぅ――――」
大量の汗をかき、恐怖に押し潰されてしまいそうになるが。
漆黒の鎧がすぐそこまで迫っているにも関わらず、静かに目を瞑りながら息を整え、両手の掌を床へ優しく当てる。
「……」
恐怖から逃げる事は、悪い事ではない。
だからこそ目を瞑って、恐怖を遮断する。
逃げる事で救える事があるならば。
何もそれは恥ずべき事ではない。
リディアは、ヘルメスを救いたい。
その集中力は、これまでの人生の中でもズバ抜けて研ぎ澄まされていた。
全ては、ヘルメスの為に――――リディアはまた一歩と成長する。
「……!?」
漆黒の鎧が、リディアを掴みかかるまであと僅かの瞬間だった。
「……構築完了よ、鎧馬鹿」
静かにリディアがそう告げると、淡く青白い幻想的な光がリディアの掌を中心に光る。
「……!? ……!?」
間一髪の所で漆黒の鎧の足元から、無数の剣山が出現する。
何とかその剣山から漆黒の鎧が逃れようとするがもう遅い。
無数の剣山が容赦なく鎧ごと貫いていく。
そして、リディアは静かにその場から立ち上がり。
無言のまま腕を上げて助けを求めるような姿勢を取る漆黒の鎧に言い放つ。
「無駄よ。その剣山はあんたを逃さないわ。――――鉱物の構築に長けたエーデルソンの娘をナメんじゃないわよッ!!!」
リディアは何度も殴られてきた事で、漆黒の鎧の強度を既に理解していた。
ギリスティアにおいて、鉱物の式に精通するエーデルソン家ならではのその理解力は凄まじく他に随を許さない。
そんな、エーデルソンを継ぐリディアはやはり天才だった。
だからこそ、この床の一部を漆黒の鎧の物質よりも更に強度を増したものへと変換し、剣山を構築して串刺しにする事ができた。
しかし、それも全ては昨日の出来事を激しく後悔していたが為によるもの。
普段ではこんな短時間でこれ程の式は構築できない。
「あっはっはっは、ざまぁみろバーカ!! さっきから私をあんなにボコった報いよッ!!」
完全に意識を失い、微動だにしない漆黒の鎧に対して勝ち誇るリディア。
だが、足は激しく震えていた。
そんな時だった。
部屋の扉がけたたましい音ともに部屋の中へと吹き飛んできた。
「ひぃッ!!?」
情けない叫びを上げ、リディアが身体を丸めて頭を抑えるまでコンマ数秒。
入り口の向こうから現われた人物は、その姿に開いた口が塞がらなかった。
「……なんつーダセェ格好してんだよチビ」
その聞きなれた言葉と、心穏やかにいられない単語にリディアは顔を上げてその姿を確認する。
それはとても印象的な容姿をする偽人の青年、ジンだった。
「な……!? ち、ちょ、これは違っ、って、驚かせないでよ空腹馬鹿ッ!!! あとチビ言うなッ!!!」
涙目になりながらすぐに立ち上がって顔を真っ赤にさせるリディア。
だが、ジンの視線はすぐに違う方向へといき驚きの表情を浮かべていく。
「癇に障るうっせぇ声が聞こえてきたかと思えば……これ、誰がやったんだ?」
無数の剣山に串刺しになる漆黒の鎧に驚きを隠せないジンに、得意気にリディアは薄い胸を張って自慢していく。
「はぁ~? 私よ わ た し ! ま、一流の錬金術師ともなればこれぐらい朝飯前よっ」
「そうかよ。無様な泣き声が聞こえてきたから急いで来てやったけど必要なかったみたいだな」
「な、泣いてなんかないわよッ!!!」
すっかり目を真っ赤にさせているリディアの抗議に、ジンは頭をかいて溜息を吐く。
口には出さないが、あのリディアがこの漆黒の鎧を倒したという事実は素直にジンも驚かされていた。
だが、それよりも。
「……オプリヌスの野郎、傷一つ付けんじゃねぇって言ってただろうが」
リディアの身体には掠り傷などが目立っていた。
「別に……大した傷じゃないわよ。そ、それより! ヘルメスはどこなの!?」
「あの女なら今頃、どっかでオプリヌスを誘い出す為にドンパチしてるだろうよ」
ヘルメスが今も戦っている。
それを聞かされたリディアは居ても立っても入れなかった。
すぐさまこの部屋を後にしようとしたが、ジンに腕を掴まれて止められてしまう。
「おい……どこ行くつもりだ」
「き、決まってんでしょ!! ヘルメスの所よ!!」
リディアの言葉に、ジンは思わず呆れてしまう。
「お前……あの女、殺す気か?」
「なっ」
ジンはヘルメスの実力を見抜き、高く評価していた。
だが、ギルモンキーとの戦闘の時もそうだった。
「お前の安全が確保できねぇままだと、あの女……お前ぇを庇って本来の実力が出せねぇんだよ。お前ぇだって……わかってんだろ?」
決してジンはリディアを馬鹿にしているつもりはない。
それはリディアもわかっている。
そして、ジンの言葉のままに自分がヘルメスにとって枷になっているという事も。
悔しかった。
リディアは何も言い返せなかった。
「……安心しろ。お前ぇを安全な場所まで逃がしたらすぐに俺があの女に加勢しに行く」
オプリヌスの話によればジンは狂った錬金術師フェイクに構築された偽人。
そして、村一つを壊滅させた偽人。
そんなジンが、何故そこまで自分達を救おうとしてくれるのかリディアにはわからなかった。
「……あんたを信じて、良いの?」
「……少なくとも、あの馬鹿はこんな俺を信用してやがる。……だから俺にお前ぇを任せた」
ヘルメスがジンを信用した。
ならば、自分が信じるヘルメスが信じたジンを。
リディアも信用する事にした。
「……わかったわよ。もしヘルメスが死んだら……私があんたを絶対殺してやる……ッ!!」
賢者の石によってほぼ不死身なジンだったが。
真剣にリディアに答える。
「あぁ、その時はお前が俺を殺せ。……だから今は大人しく俺と逃げろ」
観念したように、リディアは自分の腕を掴むジンの腕を払い。
「私なら一人で大丈夫、……早くヘルメスの所に行ってあげて」
「おい……まだあの鎧やら災獣だって居るかもしんねぇんだぞ。お前ぇ一人で此処から――――」
「私の事も少しは信用しなさいよッ!!!」
その真に伝わる叫びに、ジンは言葉を止めてしまう。
「私は……自分の無力さが許せないッ!!! ……私が付いていってもあんた達の足手まといにしかならない。……だから、……せめてヘルメスの為にも無事に脱出してみせるわ……ッ!!! ……お願い、ヘルメスを助けて……」
リディアの頬を伝う涙。
その意味を、ジンは理解する。
その覚悟を。
「……はぁ、あいつを助けろ、こいつを助けろ……面倒な連中だ。――――……この通路をずっと真っ直ぐ進んで降りればすぐ出口だ。ここに来るまで俺がある程度敵は倒しておいた……あの女はそれ以上に倒してるはずだ。……だが、絶対に油断すんなよ?」
「えぇ……ありがとう」
リディアの感謝の言葉を胸に秘め、ジンはすぐさま全力でヘルメスの元へと向かっていった。
一人残されたリディアも。
覚悟を決め、部屋から一歩前へと進んで脱出を試みる。




