3.稲荷堂
私は稲荷堂に戻ってきた。稲荷は出発前と変わらぬ様子で座っていた。本当に用事があったのか怪しいくらいにそのままだった。
「お帰り。なんか疲れてるみたいだけど?」
「色々あったんだ。封筒はちゃんと届けた」
「それは良かった。その荷物は?」
稲荷は私の両手にある紙袋を指差す。
「断ろうとしたけど、勢いが凄くて」
私が廊下での出来事を恐る恐る話すと、主人は疑うどころか大変喜んでしまった。それで帰り際にたくさんのお土産を持たされたというわけだ。
荷物を稲荷のデスクに置く。重さから解放された私は、屋敷での体験を稲荷に話すことにした。
◯
「君はまた面白いことに巻き込まれたね」
稲荷は紙袋の中から饅頭を見つけ、包装を雑に破って開ける。
「何が引っかかっているんだい?」
「よくわかったな」
「君はわかりやすいからね。顔に書いてある」
「あの家の門を出るときに、ありがとうって誰かに言われた気がする」
「もしかして、座敷童子に?それは羨ましい」
稲荷は茶化しながら饅頭を頬張っている。
「なんでお礼を言ったんだ?」
「追いかけっこが楽しかったからかもよ」
「そうかもしれない」
「珍しく素直だね。でも、なにか別の考えがある顔だ」
稲荷の言う通り。私は稲荷堂へ帰って来るまでの間、ずっとあの家のことばかり考えていた。
「私が御札を届けたからじゃないか?」
「ほう」
「座敷童子の伝承。座敷童子が出ていくのは、選択だと思っていた。けど、実は違うんじゃないか?座敷童子もルールに縛られているのかもしれない」
「ルールだから仕方なく出て行くってことか」
「ああ、それが嫌になったら?私ならうんざりすると思う。それなら、いっそのこと操ってしまえばいい。そうすれば、出ていかなくて済む」
片付けられた硯と筆が目に入る。
「あの御札が人間のためではなくて、本当は座敷童子のためのものだったら?あれを使って操るなら、座敷童子がお礼を言う理由になると思う」
牢屋で見た手。あのときは、主人に向かって手を伸ばしていると思っていた。でも、本当はその上の御札に触れようとしていたのかもしれない。
「ああ、なるほど。君は自分がお札を届けたせいで、人が操られていると思って良心が痛んでいるわけか」
「……」
「変なところで真面目だな。君は中身すら知らなかったじゃないか」
「そうだけど」
「それに御札を求めたのは主人だろ?」
「それも座敷童子が操って」
「座敷童子にそんな力があるのかな?座敷童子の伝承でそんなことは聞いたことがない。まあ、相手は妖怪だ。そんな力もあるのかもしれないね」
稲荷は切れ長の目を細めて私を見た。その顔は私を試しているようにも思えた。
あの御札には他に使い方があるのか?ダメだ。座敷童子を捕らえるためくらいしか思い浮かばない。
私は自分の思考に囚われていた。
私が牢屋の前で目覚め、閉じ込められていると思い込んでいた。あのときのように。本当は逆だった。いつでも出れたのに。今も自分から檻に向かっている気さえしてきた。
「……まさか。そんなことが?」
「何か思いついたのかい?」
「座敷童子は自分から捕らわれているんじゃないか」
稲荷の口角がさらに上がる。その顔はまるで狐のようだった。
「自分から?捕まるなんて、普通は嫌がるはずじゃないか?」
「そうだ。でも、操るよりもずっと簡単に家に留まれる」
「まるで座敷童子があの家に執着しているようだ。なぜ、あの家なのかな?」
「あの家は座敷童子が出て行くのを恐れている。座敷牢まで作った。お互いが必要としてる」
私が会った主人もあの焦りようだ。何代にも渡って、必死にあの場所と座敷童子を守っている。異常と言っていいほどの執着。
「人間と妖怪の間に奇妙なバランスが成り立っていると」
「家という牢でお互いを閉じ込め合う。それがあの家の本当の姿なのかもしれない」
「閉じ込めている方も閉じ込められていた。そんなこと夢にも思わないだろうね」
「座敷牢の中だけじゃない。あの家こそが本当の檻だったんだ」
座敷童子はお礼を言った。私が自分を縛る御札を届けたから。
これは全て私の妄想に過ぎない。だが、真実を知る鍵はすぐそこにある。あの御札には何が書かれていたのか?それを知っている可能性があるのは。
「稲荷。教えてくれないか。御札には何て書いてあったんだ?」
「それはね」
「それは?」
「知ーらない!」
「はっ?」
私の声に稲荷は破顔した。
「なかなか面白かったよ」
「どういうことだよ。はぐらかすな」
「僕は元の古い札を、そのまま写しただけだよ」
私は絶句して、稲荷を見つめた。
「嘘だろ?何も知らないなんて。じゃあ、あの家はどうなる?」
稲荷は笑みを浮かべるだけで何も言わない。
「主人は本当に感謝してたんだぞ!お前を先生と呼んで。よろしくお伝えくださいって!」
「何か問題あるかな?依頼通りに御札は届いて主人は喜んでたんだろ。それに座敷童子も。だったら、いいじゃないか。僕も君もみんなが幸せだろ?」
私は、あの家の主人にこの事を今すぐ教えるべきだと思った。あなたは稲荷堂の狐に化かされていると。
「いいのか?君のバイト代も無しになるよ」
稲荷には私の考えることなど手に取るようにわかっているらしい。その一言で私は見事に止まった。この卑怯者は、私の目の前でバイト代を振り始めた。頭の中で秤が揺れた。
「そうだ。君。これで宝くじを買ったらどうだ?今なら当たるんじゃないか。座敷童子の加護で」
「ふざけるな。信じてないくせに」
私は稲荷から報酬を奪い取る。
「信じてないなんて一言も言ってないよ」
この男に話した私が馬鹿だった。そう思うと、疲れがドッと押し寄せてくる。最初から私をからかうために相槌を打っていたのだろうか。それとも、教えたくない事情でもあるのか。どちらにせよ、答える気はないようだ。肩を落とす私を尻目に、稲荷がお土産の袋を漁っている。
結局、何もわからなかった。
きっと私たちのような欲深い奴らの所に、座敷童子は来ないだろう。漠然とそう思った。
稲荷が新しくお菓子の箱を取り出した拍子に何かが落ちた。
床を転がるそれは見覚えがある。私はそれを廊下のときと同じように拾う。イタズラな笑顔で、こっそりと紙袋に入れる誰かの姿が目に浮かんだ。
「そろそろ帰るよ」
「それだけ?もっと持っていけば良いのに。色々あるよ」
「これだけでいい。それじゃあ。またな」
私が稲荷堂を出ると、日がもうすぐ沈みそうだった。
暑さは和らいでいたが、今夜も寝苦しくなりそうだ。エアコン修理の受付時間は終わっている。それでも、電話だけでもかけてみようか。聞くだけなら無料だ。
スマホを取り出す前にふと思い付く。私は周りに人がいないことを確認して、手に持った鞠を真上に放り投げた。
「これを取れたら、業者が来てエアコンが直る」
都合のいい願いを込めた鞠が落ちてくる。
一瞬、西日に重なり、見失った。
大丈夫。
私はきっと掴める。
終わり




