プロローグ 依頼
発端は寝る前につけたはずのエアコンが止まったこと。
リモコンは動くのに本体はうんともすんとも言わない。修理費用の文字が脳裏をかすめる。貧乏学生にとっては痛い出費だ。
ああ、なんて運が悪いんだ。私が何をした。
すぐに数万円稼げるバイトなんてあるのか?
そんなときにスマホの通知音が鳴った。送信者の名前は稲荷。
「おつかい頼む。報酬有り」
私は部屋を監視されていないか見渡した。
◯
私は残暑が厳しい夏の終わりに稲荷堂を目指して歩いていた。稲荷堂と言っても神様が祀られているあのお堂ではない。稲荷という男がやっている怪しげな骨董品店の店名だ。
稲荷堂は最寄駅から徒歩20分以上離れた場所にある。入り口が路地裏側にあるため、商売をする場所としては立地も建物も良くなかった。
私は暑さから一秒でも早く逃れるために、躊躇なく扉を開ける。中は冷房が効いて涼しかった。恨めしい。
店の入り口付近は掛け軸、陶磁器などの骨董品が置かれ、一見すると普通の骨董品店の体裁を保っている。ただ、奥に進むにつれて不気味な民芸品が増え、手彫りの面の数々が壁に掛けられている。掛け軸も幽霊図などの明らかに怪しげなものが増えていく。
店主は店の一番奥にいた。机に向かい封筒に糊付けしているようだ。傍には硯と筆。墨汁のあの独特の匂いがする。
「いらっしゃいませ。なんだ、君か」
この男が稲荷だ。オレンジがかった茶髪。細く切れ長な目に、すっと伸びた鼻。スッキリとした顎。全体的に整っているが、片側の口角だけがいつも上がっている。
「ここに客なんて来るのか?」
「酷い!なんてことを言うんだ!」
「本当のことだろ。そんなことより暑い中わざわざ来たんだ。おつかいって何だ?」
「いいね。やる気がありそうだ。これを届けてほしい」
封をしたばかりのそれを稲荷が手渡してくる。受け取るときに、少し寒気がした。汗冷えだろうか。
「ポストまでだったら怒るぞ」
「さすがにそんなことで呼びつけたりしないさ。なるべく早く、直接届けてほしいって注文でね。僕はこの後に用事があって行く暇がないんだ。それで君に頼みたい」
稲荷は両手を合わせて、大袈裟な手振りでお願いをしてくる。まさかこの店に依頼が来るなんて、余程の物好きがいるらしい。
「注文?どこに?」
稲荷が封筒を指差す。よく見ると裏に住所が書かれている。
「これ遠くないか?」
「そう言うと思ってました。そんな君に朗報!なんと今回は交通費支給!」
稲荷は私の目の前に叩きつけるようにそれを置いた。
「一万!?」
「お釣りはいらないそうだ。君が貰っていいよ。それとおつかいが終わったらもう一枚。どうする?やってくれるかい?」
「友達の頼みだ。やるに決まっているじゃないか!」
私は食い入るように返事をして、札を握り締めた。




