04 ディナー
調理場で、料理長のクルトは、白く太い眉を「ハ」の字にしてうなだれていた。
以前、召喚されてやって来た娘達に、どんな料理を作っても、
「美味しくない」だの
「味がうすい」だの言われ、ことごとく料理を残された苦い経験がある。
せめて、スイーツでもと頑張って作ったが、「甘いだけ」だの
「『〇あらのマーチ』が食べたい」だのと、もうお手上げだった。
3人目の娘が帰って、ホッとしたのも束の間、4人目が召喚されたのだ。
しかも、あのテオフィデール王が興味を持っているという噂も、今聞いたところだ。
その矢先、今晩、テオフィデールが、市と一緒に食事を取ると言い出した。
クルトの胃が、キリキリ痛んだ。
(もう、何を作ったらいいのか、分からない)
その様子を他の調理スタッフや侍女達が心配そうに見ていた。
その時、急にクルトがよろよろと立ち上がり、
「王宮料理長の名前に恥じぬ様、今日も精一杯作らなければ・・」
と、言葉とは裏腹に声には勢いもなく、青い顔で皆に指示し始めた。
副料理長がパンッと手を叩く。
「本日は、7品を用意する。アミューズから手を抜く事なく、今日こそは最後まで食べて貰えるよう、頑張ろう」
クルトを心配したスタッフは、気合いを入れて、働き出した。
市の部屋では、マリーが沢山のドレスを持ち込んで、
「あーでもない。こーでもない」とブツブツ言いながら、市に次々とドレスを着せていく。
「市様の可愛さをアピールするには、ピンクのドレスにこのリボンかしら」
「うーん、市様の妖艶さをアピールする方がいいわね」とようやくドレスが決まった。
しかし次は髪形である。
市の美しい黒髪を、
これもまた、「この髪形がいいわ。これもいいわね」言いながら結い上げた。
市は(やっと終わった)と思い、立ち上がろうとした。
するとすぐにマリーが、
「まだです」と肩を抑えた。
市はうんざりしながら、
「夕御飯を食べに行くだけで、このように派手にしなくても、良いのではありませぬか?」
マリーはとんでもない、とばかりに手を振り
「いいえ、今日は初めて陛下とお食事を共にされるんです。気合いを入れて、着飾らせて頂きます」
鼻息荒く、力説する。
「それに、今日は陛下の弟殿下も、視察からお帰りになり、一緒にお食事をされると聞いております」
「そうなのか。・・それでマリー、これらの作業はまだ終わらぬのですね?」
「これからが本番です。宝石を選ばせて頂きます。市様もお気に召した宝石があればお申し付け下さい」
(終わりそうもないの・・)
「いいえ、マリーにお任せします」
市は少しげんなりしながらも、大人しく座っている事にした。
長い身支度が終わると、ニコラが部屋に来た。
「先程から、陛下がお待ちです」
なぜかダイニングルームには行かず、執務室の隣にあるシッティングルームに案内した。
部屋に入ると、テオフィデールは何も言わず、じっと見ていた。
(黒髪に藍色のドレスが良く似合っている。緑色も似合うかも知れん。うんうん、宝石も・・)
ニコラが、コホンと咳払いをすると、テオフィデールは、ハッと我に返り、慌てて
「では、行こうか。市、エスコートをしてやろう」と市の隣に並んだ。
(えすこーと? とは何ぞや?)
市が解らずじっとしていると、仕方なくテオフィデールは市の手を取り、自分の腕に組ませた。
(ほう、これが、「えすこーと」か)
市は、男性と並んで歩く事に、抵抗があったが
(これも 悪くはないの)
と歩き出した。
3階のダイニングルームまでテオフィデールは、市がヒールに慣れていない事を聞いていたのか、ゆっくり歩いてくれた。
ダイニングルームに入ると、テオフィデールより目元が優しげな男がいた。
金色の髪に、目は海の様に青かった。
「ご挨拶申し上げます。私は、エルベルト・メディナ・バルトでございます」
「王弟殿下。お会いできて嬉しゅうございます。市と申します。」
(馬を乗り回すと聞いていたので、どんなじゃじゃ馬かと思っていたが、清楚な感じにも見えるな)
エルベルトは笑顔で見つめるが、警戒心で固まった頬の筋肉は緩まない。
大きなテーブルに美しい花が飾っている。
市はお花畑の様だと、それを見ながら席に着いた。
1品目
固い表情の給仕が、市の前に料理を置く。
「アミューズと食前酒でございます」
お皿の上に、小さいのがチョコンと乗っている。
「これは?」と聞くと
「カボチャのキッシュです」
ぎこちなく答える給仕。
お皿を覗き込んだ市の頬が緩んだ。
フォークとナイフの使い方は、以前、兄の謁見に来ていたポルトガル人から、教わったことがある。
しかし、皿の上に乗っていたおかずは、とても小さくて、三角の形だったので、ついつい手で食べてしまった。
「これがかぼちゃ? なめらかな食感。このような物は食べた事がない・・」
あまりの美味しさに、心の声が漏れてしまっていた。
テオフィデールとエルベルト、そこにいた全ての人が、幸せそうに食べる市を見て、目が離せなくなった。
2品目
給仕は皿を置きながら、市の顔をうかがった。
「オードブルのテリーヌでございます」
またもや、市の顔が輝く。
「何て、美しい食べ物なのでしょう」
また、心の声が漏れまくり、一口食べると顔中で美味しさを表していた。
(美味しい!)
たった四口でなくなってしまった。
ダイニングルームにいる全ての人が、市の表情に釘付けになっていた。
テリーヌがなくなったお皿を、残念そうに見つめる市。
それを見た誰もが、
(早く次の料理を出してあげたい)と思った。
その結果、料理が出るスピードが早くなっていた。
3品目
給仕は足早に料理を持ってきた。
「ほうれん草のスープでございます」
給仕は市の顔を見ながらお皿を置いた。
今度も嬉しそうに、スープを覗き込む。
スプーンで一掬いし、ゆっくり、ごくぅんと飲み込む。
うっとり、ため息が出る。
その様子をテオフィデールもエルベルトも、スプーンを持ったまま見つめていた。
それに気付いたニコラが、小さく「コホン」と咳払いをする。
そこで二人はお互いの顔を見て、気まずそうに食事を再開した。
誰かが言いに行ったのだろう。忙しいはずのクルトが、スープを飲む市の様子を、見に来ていた。
そして、嬉しそうに慌てて調理場へ戻っていった。
4品目
給仕はワクワクしながら料理を置く。
「白身魚のポワレでございます」
(魚は大好きじゃ!)
尾張の海で取れる魚が、大好きだった。
(柔らかいのぅ。美味しいのぅ)
市の顔で美味しかったのが、皆に伝わる。
皆、ほっこりした気分になっていた。
5品目
「牛肉のステーキでございます」
給仕は市の顔がサーっと青ざめるのを見た。
給仕は慌てて聞いた。
「えっ?! 市様、どうされました?」
「牛・・牛を食べるのか?!」
牛を食べる習慣がない市は、うろたえた。
「はい。大変美味しいのですが・・別の料理に取り替えましょうか?」
「・・.。いいえ、せっかく調理して頂いたのですから、い、い、頂きとうございます」
市は初めの一口を、小さく小さく切って、口に運んだ。
「お、美味しい! とても美味しい!」
その一言に誰もが安堵し
「良かった」と頷いた。
6品目
給仕は牛肉の事もあって、少し不安そうだ。
「デザートのケーキでございます」
不安はすぐに解消された。
なぜなら、ケーキを一目見た市の目が、またキラキラ輝き出したからである。
「なんと・・!」
と言ったきり、また一口、また一口と食べる。
(カステラや有平糖は食べた事はあるが、こんなに美味しくて、見た目も美しい甘いお菓子があるなんて!)
テオフィデールは、ケーキを満面の笑みで食べる市を、嬉しそうに見ていた。
最後の一口を食べ終わり、少し悲しげな市に、テオフィデールは声をかけた。
「俺は、もう腹一杯になった。市、食べるか?」
給仕に目配せして、ケーキを渡した。
「えっ? 良いのですか? 遠慮なく頂きます」
嬉しそうにケーキを受けとる市。
皆が手を止めて、その様子を微笑んで見ていた。
7品目
最後の飲み物。給仕は感慨深く置く。
「コーヒーでございます」
(お茶? ではないような?)
真っ黒な飲み物に、躊躇しながら少し口に含む。
(ほう、苦いけれど、口の中がスッキリする)
コーヒーの横のある茶色い欠片は、何なのか解らない。
摘まんで、テオフィデールとエルベルトを見ると、二人共頷く。
(つまりは、食べれるという事かの?)と口に入れる。
(甘い! 甘くて美味しい! コーヒーとやらと一緒に食べると最高じゃ)
コーヒーとチョコレートを堪能していると、料理長のクルトが、
「陛下、本日の料理はいかがでしたか?」と聞いた。
「俺ではなく、市に聞きたいのであろう?」
「市、料理は旨かったか?」
「はい。大変美味しゅうて、こんなに心踊る食事は初めてです。クルトに感謝致しまする」
少し興奮気味に答える市に、
「こちらの方こそ、料理をする事は、こんなに楽しいのだと思い出させて頂きました。ありがとうございました。お腹がすいた時は、いつでも調理場にお越し下さい。すぐにお作りします」
晴れ渡る様な調理長の笑顔だった。
ディナーの帰りも、テオフィデールは、部屋まで市を送ってくれた。
市をソファーに座らせ、その前に立ったテオフィデールは、ふいに市の頬に手をやった。
市は驚き顔を上げると、緑金色の目がすぐ近くにあった。
「ち 近過ぎぬか?」
市は驚きつつ、どうにか声を出す。
テオフィデールは我に返った。踵を返しドアに向かい、後ろを向いたまま
「ゆっくり休め」とドアを閉めた。
(何だったのじゃ?)
市は首をかしげた。
テオフィデールが、シッティングルームに勢いよく入ると、エルベルトが立ち上がり、
「陛下、どうされました?」
(顔が赤いような?)
「いや、何でもない。大丈夫だ」
平静を装いながらソファーに座る。
「市様のお陰で、久しぶりに楽しいディナーになりましたね」
「そうだな。市はいろんな顔をする」
子供の様に嬉しそうに食べる市を思い出すと、自然に顔が微笑んでいた。
「陛下も楽しそうですね」
ニヤッと笑うエルベルト。
「・・・。」
テオフィデールは言葉に詰まった。