第一話
何処にでも有りそうなオフィスの一角。
総務課に所属する一人のOL。
「あ、あの……立花さん」
総務課に足りなくなった備品を取りに来た男性社員。
「何か不足がありましたか?」
肩より少し長い艷やかな髪を結い上げた、柔らかな雰囲気の総務課所属・立花 葵。
「あー……違うんだ。
その、さ……今日って、金曜日じゃん。」
「はい」
歯切れの悪い男性社員の言葉に、意味が分からずに首を傾げてしまう。
「もっ、もし良かったら……二人で食事で……も……」
葵の背後から影が差す。
向かい合う男性社員には、逆光で見えない表情。
……だが、溢れんばかりの殺意を宿した鋭すぎる目が光る。
「ひゅっ………」
男性社員の口元が……引き攣る。
「……先輩」
視線だけで人を殺せそうな眼光の大男。
「犬飼くん……?」
何故か、普段は装着している黒縁眼鏡を外した後輩・犬飼 彰良。
「自分が対応を変わります。」
「……?」
葵の視線が彰良に向いた瞬間に切り替わる、愛しさを隠しもしない瞳。
「どうしてですか?」
葵には、どうして彰良が対応の交代を申し出るのか分からなかった。
「……いえ、自分が観察したところ……その人は何か相談事が有るようです。
此処は男同士の方が、分かり合えるのではないかと。」
「……そうなの……?」
首を傾げて男性社員へと、問い掛けるように視線を戻す。
「ひっ……?!」
葵の視線が無くなれば、瞬時に切替わる瞳。
遥か頭上から突き刺さる殺意の視線。
「おっ……お邪魔しましたぁぁぁぁぁっっっ!!」
190cm超えから降り注ぐ、ラグビー選手のような逞しい男からの重すぎる圧。
脱兎の如く逃げ出した。
「えっ……あのっ!
備品をっ…………行っちゃいました。」
取りに来たはずの備品を置いて走り去った男性社員。
「……お腹でも……痛くなったのかしら……?」
「顔色も急に悪くなりましたから、恐らくそうかと。
…………所属と名前は把握しましたので。
備品を届けるついでに……後で話を付けておきます。」
困惑した様子の葵。
シレッと所属と名前を把握していた彰良。
『(いやっ! お前のせいだろっっ!!)』
総務課社員一同、心の声がシンクロする。
「私の担当の仕事ですから、私が行きます。」
「……葵先輩は、課長から頼まれている別件を優先することをお勧めします。」
「ですが……」
ジッと見詰める彰良。
困ってしまう葵。
「……恋人の……葵、先輩の役に立ちたい、です……」
「っ……?!」
真っ直ぐな彰良の言葉に、葵の頬が赤く染まる。
「しせっ!
私生活と仕事は別ですよ……!」
狼狽えつつも、先輩としてピシャリと注意する。
「……可愛いですね」
彰良の言葉に反応して、赤くなる葵が愛しくて堪らない。
そう、この二人……たった三日前に、拗らせまくった果てに、恋人になったばかりなのである。
「っ……?!」
顔を赤くして、半泣きになる。
「…………」
彰良が目を細める。
赤くなった頬へ手を伸ばそうと……
「……はいっ!
そこの発情期を拗らせ絶賛色ボケ中の犬っころ、強制撤去ね。」
「っ?!」
音も無く背後より近付いた華乃が、彰良の背中をコピー用紙の束で叩く。
この総務課後輩女子、兼子 華乃…………彰良の天敵である。
「葵せーんぱい!
犬飼さんなんて、ほっといて私と備品チェックに行きませんかぁ?」
「かのちゃ……兼子さんっ!
勤務中に抱き着くのは、ちょっと……それに、犬飼くんが……!」
「あはっ!
じゃあ……勤務時間以外に引っ付きますね!
あと、犬飼さんは放っといても勝手に復活しますよ!」
猫毛のような髪が動きに合わせて、軽やかに動く。
「……今すぐに、離れろ……離れるべきだと思いますが?」
「えー?
犬飼さんが一人で全部署の備品の補充に回ってくれるんですかぁ!
ありがとうございまーす!」
「なっ?!
誰がそんなことを言った?!」
「か、兼子さん……さすがに、それは……」
葵の片腕に抱き着き、華乃は楽しそうに微笑む。
「課長ー!
犬飼さんが全部署の備品補充に出発しますけど、何かついでの用事は有りますかー?」
「んあー?
おっ、やる気みなぎってるなぁ。
若いってイイねぇ……んじゃ、いっちょこの書類の配達よろしくなぁ。」
「あっ、じゃあ……ついでにさ、コレも頼む。」
「犬飼さん、コレもよろしく!」
いつの間にか彰良の側に準備された台車の上に、書類や備品が山になっていく。
「っ…………!」
怒りにわなわなと震える彰良。
「犬飼くん……悪ノリって怖いね」
「俺が役に立ちたいのは!
恋人の葵先輩に対してだけですっっ!!」
冷静沈着、ハイスペック。
独占欲と執着心の塊のこの重た過ぎる男、犬飼 彰良。
『(立花さん……とうとう捕まっちゃったのか……)』
『(アイツの執着……重すぎだろ……)』
総務課の同僚たちは、今日も見守り続ける。
「あの……職務中にそんな風に叫ばれるのは……ちょっと……こまる、よ……」
天然無垢、無防備極まりない葵は……理解していない。
重た過ぎる愛を注がれ……逃げ道を塞がれ、囲われそうなことを。
…………そして、彰良もまだ知らないのだ。
とんでもなく無防備で可愛い葵に、振り回されることに。
まだ、気が付いていないのだ……。
――――これは、三日月の下で恋人になった……不器用で愛しい二人の物語である。




