最終話
あの日から目覚めることがなかったノーラントのベッドの周りには既に何人か人がいた。
第一王子派の主要人物たちで、アレクシアも見知った顔ばかりだった。
それから、女王も数人の側近と共に立っていて、アレクシアの訪れとともに顔を動かした。
皆蒼ざめた顔をしているのに、流石と言うべきか不思議というべきか、女王だけは飄々としていた。
「まだ温かいが、もう息をしていないんだ」
ノーラントの父親が青い顔で、駆け付けたアレクシアとアレクシアの両親に告げた。
静寂が広がる。
その静けさはまるで、ベッドの上にいる息をしていないノーラントから滲み出るようにして、その場を支配していた。
白銀の髪は枕の上に静かに落ち。
封じられた赤い瞳はもう二度と光を映さず。
その薄い唇で言葉を紡ぐ瞬間はもう永劫来ない。
「ふざけないで!!」
息もしていないノーラントを見たアレクシアは、叫んでいた。
自分でも知らないうちに人をかき分けてノーラントのベッドの端に腕を振り下ろしていた。
ベッドが揺れ、空気が切り裂かれるように震える。
肩が脱臼するのではないかと思うくらいの力で、アレクシアはもう一度腕を振り上げた。
腕のつけねから変な音がした気がした。
オズワルドに刺された傷口が開いて血が噴き出したのだろう。
構うものか。
しかし二度目に振り上げた腕は、ベッドに叩きつけられることなく終わった。
後ろから現れたアレクシアの父親がそれを許してくれなかったからだ。
アレクシアの腕は父親に握られていて、動かせなかった。
打ち付ける腕によって発散されるはずだったものが、アレクシアの体の中で渦巻いていく。
アレクシアを取り押さえようとする父親の腕の中で、アレクシアは必死に叫んだ。
大勢の人間が、こんな時だからこそと自分に淑女としての振る舞いを求めていたとしても、構うものか。
「ねえ、ノーラント、何で私に相談してくれなかったの?私そんなに頼りなかった?私そんなに信頼できなかった?」
「ノーラントと一緒なら、ノーラントの脅威になるものになら、いくらだって立ち向かえた!たとえそれが昔からの知り合いでも!」
「それに私だって誰かに脅されても屈しない自信もあった!痛みに負けない覚悟だってあった!
私、こういう時の為にいるんじゃなかったの?ノーラントが無事に王位継承する為に力になれるように存在してたんじゃなかったの?!」
「嘘でも、何でリナリーの事が好きみたいに手を繋いでたの?なんでリナリーに優しい顔で笑ったりしたの?なんでリナリーのことが一番大事みたいに横にいたりしたの?」
「なんで私なんかどうでもいいって言ったの?なんで私の事そんなに冷たい眼で見たの?なんで私の事なんて好きじゃないって言ったの?なんで私の傍にいてくれなかったの?」
「全部全部、貴方の口から説明して!それから謝って!」
許さない。
全てが終わった後にああだこうだとリナリーから聞かされて、納得しろと言われても到底受け入れられない。
二人で良い国にしたいと夢を見たのに、何故後ろに置いていかれたの?
隣にいるためにならどんな覚悟だってしたのに、それを信じてくれてなかったの?
なんで、嘘でも嫌いって言えたの?
「死ぬのだけは許さない!」
「貴方が死ねば、私は一生貴方を許せない!」
確かに痛かっただろう。生死を彷徨って苦しかっただろう。
ノーラントはその苦しみを肩代わりしてくれたのかもしれない。
だけど、許せない。
ノーラントの命と引き換えに生き残ってしまったアレクシアは今更どうすればいい。
ずっと、あんな冷たい眼差しを向けてきたくせに、最後の最後に一番大切だと言わんばかりに身を挺して守られたアレクシアはこれからどうすればいい。
その口から何も気持ちを聞けないままで、置いていかれるアレクシアはこれから先どうすればいい。
こんなことになるなら、最後まで嫌いだと言ってくれればよかったのに。
最後まで他の人が好きだと言ってくれればよかったのに。
死ぬなら、リナリーを庇って死んでくれればよかったのに。
そうしたらノーラントが消えても、悲しいだけで済んだのに。
そうしたらノーラントがいなくなっても、ひっそり泣くだけで我慢したのに。
そうしたらノーラントが死んでも、痛いだけで耐えられたのに。
そうしたら、ノーラントの事なんて諦め切れていたのに。
「責任取って!早く起きて!」
アレクシアは喉が枯れるのも構わず叫んだ。
肩の傷口から、大泣きでもしているみたいに血が溢れてきても構わず叫んだ。
届かないと分かっていても、声を出さずにはいられなかった。
「絶対許さないから、早く起きて!」
……
この世の誰より愛おしい声が聞こえなくなった。
必死に呼ぶ声も聞こえなくなった。
息を切らしてノーラントの名前を呼んでいた声も消えた。
彼女はずっとずっと泣いていた。
彼女はずっとずっと怒っていた。
ノーラントはずっとずっと謝りたかった。
彼女に謝らなければ。
許してもらえるまで、謝らなくては。
許してもらえなくても、謝らなくては。
しかし体はピクリとも動かない。
水中に放られたかのように息ができない。
静寂を彷徨っているかのように音はもう何も聞こえない。
手足は温度を失くした鉛のように沈んでいく。
もう、心臓も動いていない。
きっと、これは怪我の所為だけではない。
彼女を遠ざける為に自分に催眠術を掛け過ぎた所為で、体が制御できなくなってきている。
それだけでなく、ところどころ欠けていて憶えていない記憶もある。
だけど図々しくも、彼女の姿だけは何一つ欠かさず鮮明に思い出せた。
ノーラントの為に泣いていたことも、苦しんでいたことも。
一人で奮い立とうとしていたことも、怒っていたことも。
散々迷って花をあげたら嬉しそうに笑ってくれた顔も、
震える手で繋いだら大丈夫だよと見上げてくれた瞳も、
恐る恐る抱きしめたら、同じように照れてはにかんでくれた頬も。
『ずっと大切にする』と誓ったら、『私も』と小指を出して約束してくれた。
『この綺麗な髪もみんなみんな、僕以外の誰にも触らせるな』と焼きもちを妬けば、『まったく、心配性だね』とお姉さんぶって見せたくせに、口元が嬉しそうにふやけていた。
『親同士がアレクシアの優秀さだけで決めたことだから本当は期待などしてなかったけど、この婚約だけは心から両親に感謝しているんだ』なんて堪らず告白してしまえば、『ノーラントのお嫁さんに選んでもらえるような力が私にあって、本当に良かった』とずっと一緒にいる為にたゆまぬ努力をしてくれた。
笑っていてと言ったから、彼女はいつも笑ってくれていた。
泣いた後にだって必ず笑顔を見せてくれた。
いつも強くて、いつでも全身で好きだと伝えてくれた。
なのに、それを。
……本当に愚かだな、僕は。
千々れて揺蕩う後悔の合間、ノーラントは胸の中心にあった最後の未練に触れた。
最後に、許してもらえなくても君だけが好きなのだと言いたい。
どんなに遅くとも、愛してると一言も伝えないままに死ぬのは、今まで必死に生きた意味がない。
それは、鼓動のように熱い未練だった。
再び体に熱を灯すような、どうしようもない強い感情が脈打った。
……
それから幾日か幾月か、はたまた幾年か時間が経った。
長かったような、短かったような、足りないような、十分なような時が流れた。
扉を開けて、挨拶でもと顔を覗かせた白い女王は言う。
「あんなに怒っていたのに」
「怒るのも、もう疲れましたから」
「なるほど。でもこれであの日のことも全部何とかなったな。よかったよかった」
「なんだか他人事のように聞こえますね」
「そうとも。2人で全部何とかしてくれるのだろうと思っていたからね」
隅の影から出てきた青い髪の女は言う。
「これ、私からのお祝いの気持ちです」
「あ、居たんだ。……ありがとう」
「気に食わなければ、焼いてください」
「これを?」
「私の身を焼きたいのですか?甘んじて受けますけど」
「それは今更だよ」
灰を混ぜた赤い髪の騎士は言う。
「妹に先越されたな」
「選り好みしてるからだよ」
「ははっ。みんな綺麗で目移りするんだよ」
「全く……」
「お前はもう全然大丈夫そうだけど、もし何かあったら言えよ」
「うん、ありがとう。色々と、本当に」
「絶対、幸せに」
「うん、分かった……ありがとう」
時間になり、赤い髪の美しい女性は幾重にも重なったスカートの裾を舞わせ、部屋を出た。
長い廊下を、光の方へ向かって歩く。
開かれた出口で待っていた男性にエスコートの為に手を取られ、彼女は人の海を割るように敷かれた長い絨毯の上を歩く。
高いヒールで一歩づつ踏み締める。
その足取りに、不思議と不安はない。
大勢の人の中に先程会話をした見知った顔を見つけながら、目的の場所までたどり着く。
待っていた人に優しく手を取られ、彼女は小さく笑った。
何もかもを忘れさせるような熱い歓声と舞い踊る花の中、彼女の耳には彼から溢れる言葉が降り注ぐ。
その上、何を言っても足りないとばかりに涙も落ちてくる。
あとからあとから、大地に降る温かな雨のように零れてくる。
ポロポロと落ちて頬に沁みるそれに、くすぐったそうに肩をすくめる。
それから、「もういいよ、許すよ」と彼女も愛の言葉を囁いた。
至らないところもたくさんあったのに、ずっとお付き合いくださって本当にありがとうございました。
ブックマーク、感想、レビュー、誤字報告など本当に嬉しかったです。
おかげさまで、最後までは書こうと頑張れました!
これからもどうぞよろしくお願いします。
(新しい連載も始まました。一応完結保証あります。よよしければ覗いてやってください。作風はこの話と違って随分のんびりしています(>ω<))