第六羽 物書きたるもの読者に幻想を魅せるべし
【暴言】が飛んだ【歓迎会】の翌日。
女性社員3人はお休みしました。
あの後、暴れた男は店長に平謝り。
怪我人も出なかったので警察沙汰にもならず。
山崎さんは誰も傷つかずに事態が収束したと得意気でした。
誰も傷ついていないなら、なんで3人は来ないんですかね?
それはそれとして、山崎さんと2人で仕様整理を進めました。
夕方になったら鈴木部長が来て、追加開発を受注した件で会議が始まりました。
開発中の新基幹システムにIoTサービスとECシステムを統合する構想が発案されたそうで、それらのレガシシステムの総入れ替えもまとめて引き受けたとか。
鈴木部長は売上が上がると喜んでいましたが、山崎さんは青ざめていました。
今の開発も目途立たないのに、なんで追加を引き受けるんですかね。
しかも納期据え置きで。
トリアタマでも頭が痛いです。
それでも鈴木部長に【忖度】するのが仕事と思っていたら、会議室に社長のタケ坊が来ました。
【産業医】から女性3人の【診断書】が届いたので事情を聞きに来たそうです。
【忖度】は最上位の役職者にするものなので、私はタケ坊に【忖度】しました。
受注案件の現状と追加機能の受注について。
相次いだ技術者の離職のいきさつ。
昨日の【歓迎会】での【暴言】。
今までの事を全部報告しました。
土気色になった鈴木部長と山崎さんがタケ坊に連れ出されました。
【話し合い】だそうです。
タケ坊は【話し合い】が得意です。
現役時代、外交交渉の仕事をしていた頃。
銃口向けられながらの通商交渉で、不要な譲歩は一切せずに国益を守った逸話があります。
度肝を抜かれた相手国の方々は、交渉を有利に進めるためにタケ坊を消すことも考えたとか。
とんでもない人達です。
もしもタケ坊消してたら国が消えてましたよ。
私は【風の精】ハルピュイア。竜巻作るのは得意です。
………………
…………
……
【話し合い】から2日後。
山崎さんと女性社員3人が復活してきました。
受注した新システムの本番稼働予定日まで1カ月を切りましたが、実装は全くできていません。
仕様書は読みました。
私はプログラムも書けます。
でも、タイピング速度が遅くて仕事になりません。
だから、プログラマの女性3人が帰ってきてくれたのは頼もしいです。
この状況をどうするか、役割分担の話し合いをしています。
「こういう場合に使える物書きの心得がある。【物書きたるもの読者に幻想を魅せるべし】だ」
山崎さんが語り出しました。
「開発中の仕様変更は厄介な物だが、それが発生する原因は、その仕様がお客様にとって面白くないからだ」
「でも、仕様ってお客様の要求に従って決めますよね」
「そうだ。だが、物書きが同じこと言ったら失業だ。作家は読者が期待する以上の物を出せないと価値が無い」
「今作っているのは基幹システムですよ」
創作物とは違う気がしますが。
「人が触れ人が使う物だから同じだ。言語という意味でも共通点がある。大規模システムの構築はハイファンタジーの創作に近い。仕様書がプロット。ソースコードが本文。堅牢な設計ありきでのコーディングだ」
そう言われると、小説ってプログラムみたいなところありますね。
読者の脳内で実行されるインタプリタ言語。
読み手の知識とインクルードされて頭の中でファンタスティック展開なんて。
「基幹システムは客先のほぼすべての部署が関連する。だから、客先要求に従って仕様を構築していくと、何処まで行ってもコンセンサスが取れずに仕様変更の泥沼になりがちだ」
よく聞きますね。ITシステム開発の成功率は半分以下とか。
今も昔も訴訟になるのは珍しくありません。
「だからこそ、システムの設計は提案力が重要だ。システム完成の先に客先全社員が共有できる幻想が見えれば、方向性を合わせることができる」
まさかそのためにあの無茶な追加仕様を入れたんですか?
完成したら売上拡大につながると見えれば確かに意見は揃いますが。
「この開発は短期決戦。稼働1カ月前になってもテスト版すら出せない現状に客先も苛立っている。状況を打破するには誰かが連絡役として客先に常駐する必要がある」
女性3人が一斉に散りました。
「おい! 女だからって仕事から逃げるのは反則だぞ!」
女だからって言いましたね?
逃げられないのは山崎さんですよ。
「客先常駐の【金魚鉢】は山崎さんにお願いします」
「おいっ! 俺がここを離れたら誰が仕様をまとめるんだ!」
先日社長から辞令を頂きまして。
トリあえずトリまとめる【トリ長】という役職です。
【トリ長】は社長の次に強いので、山崎さんの生殺与奪権は私が持ってます。
女性3人が荷物を抱えて戻ってきました。
「山崎さんのリモートワークPC一式用意しました!」
「山崎さんの栄養ドリンクと胃薬を用意しました!」
「山崎さんの毛布と寝袋を用意しました!」
それを集めるために散ったのですか。
なんか楽しそうですね。
「準備も万端です。今から客先直行で【金魚鉢】を始めてください」
「【金魚鉢】って何だよ!」
古の【業界用語】ですよ。
客先に到着したらすぐに意味が分かります。
今までの所業。ちゃんと落とし前つけてくださいね。
●オマケ解説●
【世話人】は心の中で叫んだ。「とんでもないのはオマエや―!」
でも、その場合は止める気が無かった【世話人】も大概です。
ヤ●ザやギャ●グやマ●ィアを超越する経歴を持つ社長。
話し合いを通じて【本物】の鋼メンタルを学べたらいいね。
<トリアタマの【業界用語】解説>
缶詰:締め切り近くなって、集中するために閉じこもって仕事。
瓶詰:締め切り過ぎて、客先から進捗確認と督促を受けながら仕事。
金魚鉢:客先に呼び出されて、進捗を全方向から監視されながら仕事。
山崎さんの運命は如何に。